人間が法に従わざるを得ない生き物なのか

このQ&Aのポイント
  • 人間は法に従わざるを得ない生き物なのか疑問に思いました。
  • 人間は法による秩序が必要であることは理解した上で、法に従わざるを得ない生き物なのか疑問に思いました。
  • 人間は自由に生きることができるのか、法による制約が必要なのか疑問に思いました。
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人間と法とは

人間が秩序ある社会生活を営むためには法による秩序が必要であることは理解した上で質問させていただきます。 人間はこの世に生を授かった瞬間から、法に従わざるを得ない生き物なのでしょうか。 例えば「国境」というものを考えてみると、本来自然界にはそのような境目はなく、生き物たちは自由に地球上に生息することができます。 しかし私のような日本人が国から離れ少し遠くの場所へ行こうとするだけで、パスポートのようなものがなければどこの場所へも行くことが出来ません。 自らの意思で生まれたのではなく、自らの意思で生まれる場所を選ぶでもなく、自らの意思とは関係なく法の下に置かれ、本来存在しないさまざまな制約を課せられる人間とは一体なんなのかと疑問に思いました。 これは決して、法律などいらない!という無責任な人のための暴論ではなく、法律による権利や義務や平等は人間の叡智の結晶であるとも思います。 しかしその一方で上記のような疑問を持ち、不思議に思うこともあります。 全くもって無知な質問で大変お恥ずかしいのですが、ふと疑問に思ったので皆さんのご意見を伺えたらと思い投稿させていただきました。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • mudpuppet
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回答No.8

ちょっと違った観点から、 人間の認知能力という観点から回答します。 質問者さんや他の回答者が言っているように 人間としての権利を保証されるためには法に従うことが必要です。 ここでなぜ世界中で似たような法が成立するのか、という問題を考えてみると 実は人間のできることには限界があり、また極悪人と言えども自分の悪事に限界を設けているという事実に行き着きますよね。 ここから言えることは、この世の問題のほとんどは平均的な人間の平均的な考えで解決できるってことです。 例えば○○をやったら処罰するよって宣言しておくだけで ほぼ全ての人は大人しく聞き入れてくるわけ。 しかしその一方で法や倫理による秩序が無かったらどうなるか、 という思考ゲームもできるのが人間の能力なのです。 ゲーム理論による解説を試みる人もいる一方で、 もし世界統一政府ができて国境が無くなったらと夢想する人もいるのですよ。 現代というのは秩序を乱す人に対して寛容な時代です。 LGBT、寡婦、生活困窮者、知的障碍者などに対して そのままでいいよ、矯正されたり周囲に合わせようと頑張ったりしなくてもいいよ、と言っている人たちが幅をきかせています。 この傾向が永遠に続くと個人的には考えていないのですが、 しかし秩序破壊の傾向はしばらくは続きそうですね。 現状を絶対の状態と受け入れてそれを擁護する言論を展開する人と、 現状は未知の未来への途上に過ぎずより良い状態を模索する人と、 真っ二つに分かれるのだと思います。 自分がどちらかに属すのかは、これは先天的に決まっているのでしょう。 質問者さんはたぶん秩序を窮屈に思う一方で それが無いことの恐怖もどことなく感じているのではないでしょうか。

その他の回答 (7)

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.7

まず大前提となる基礎知識から回答します。 ・自然界には「遺伝子変異と淘汰」の繰り返しが有り、 ・生物の世界には「種の存続」という機能が有り、 ・動物の世界には「生殖本能」が有り、 ・哺乳類は親子を最少単位とする「集団」を構成します。 ・更に人類を始めとする弱小種族は「存続を目的とする生活集団」を構成します。 …そこが質問の答を探す起点になります。 生活集団の崩壊は種族の消滅に繋がります。 それを集団内で防止する必要から「秩序」が生まれます。 その秩序を明文化したのが「法律」です。 …そこに秩序を乱す者は集団の崩壊を招く危険性が有るとする「概念」が成立ます。 集団を維持する為には集団内だけでなく、外敵の侵略による崩壊も想定して秩序が確率された「領域」を主張し、無秩序な侵入を防止します。 別々の種族による主張領域が接近すれば「境界」が発生します。 …「自然界にはそのような境目」が有ります。 それが国家という集団同士による「国境」が概念として成立してます。 「国境」を越えて秩序が違う領域に移動するには、法的に自己責任を認知する必要が生じます。 …それが当質問の疑問に対する答になるかと思います。 法律という秩序に従う事が、 国という「集団領域の維持存続」という大前提を乱さない事に繋がります。 野生動物なら他種族の主張領域に侵入するのは死を覚悟する事に繋がります。 人間界では領域同士が「法秩序を相互に認知」する事で、その危険性を縮小してます。 …つまり身勝手な理屈で領域内の法秩序を乱す者は、反社会的として処分される危険性が高いという事です。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32959)
回答No.6

>例えば「国境」というものを考えてみると、本来自然界にはそのような境目はなく、生き物たちは自由に地球上に生息することができます。 これは間違いです。動物たちは自由に移動できるわけではありません。 まず、同種同士の「なわばり」があります。勝手に他人のなわばりに入ると追い出されます。「ここが俺のなわばりだ」と思ってもしょっちゅう侵入してくるやつがいて、なわばり争いに負けると容赦なくその場を追い出されます。 その同種同士のなわばりは、異種生物のなわばりでもあります。食物連鎖の頂点に存在する動物でない限り、自分のなわばりは天敵のなわばりでもあるので、その天敵に捕食される恐怖に怯えねばなりません。 つまり常に地上の動物たちは同種異種を問わずに侵略に晒されながら生きていかなければなりません。 弱い動物なら、群れを作らないといけません。群れを作る動物にとっては、群れを追い出されることはほぼ間違いなく「死」を意味します。なぜなら群れの外側には大抵腹を空かせた捕食者がウロウロしているからです。 動物の世界にも「法(ルール)」はあります。それを守れなかった者に対する刑罰はたったひとつ、「死刑」あるのみです。 また法を守ったからといっても身分が保証されるわけではありません。弱かったら容赦なく淘汰されます。ルールを守ることができて、かつ強くて、そして運が良かった者だけが命を長らえることができるのです。 だから人間における「法」というのは、むしろ弱者のためにあるものですよ。 例えば「結婚」というのを考えてみてください。結婚した人は他人からパートナーにちょっかいを出されない権利を所有しています。不倫をしたら男性であれ女性であれ配偶者に対して責任をとって罰を受けなければなりません。 もし結婚制度のようなものがなくて「男も女も、モテるやつは好きなだけ持っていっていい!」になったらどうなるでしょうか。 一番ワリを喰うのは「モテない男子」です。お目当ての女子も、そうじゃない女子も、ほぼみんなヤリチンモテ男に奪われてしまいます。 「1人に対して1人まで」という法による縛りは、恋愛市場における弱者であるモテない人(主に男子)を救済するための措置です。 「法に従うべきか、従わざるべきか」は「ゲーム理論」で説明がつくと思います。 ゲーム理論については長くなるので解説しませんが、本当はみんな法を守った方が全員にとって平等に利益があるにも関わらず、自分だけ裏切ると大きな利益を得ることができるのでその誘惑に勝てずに裏切りを選び、全員が裏切りを選ぶと全員が不利益を被るという結果になってしまうのです。 少し分かりやすくいうと、例えば「盗まない」という法を全員が守れば誰も損をしませんからこれが全員にとって最も望ましい結果です。けれど、もし自分だけ「盗む」を選択したら自分は他人の財産を盗むことによって利益を増やすことができますね。でも、全員が「盗む」を選択したら無秩序になり全員が損をすることになります。 だからみんな「盗まない」ほうがいいのに、自分ひとりだけ「盗む」を選択したときの利益の誘惑に勝てなくて「盗む」を選んでしまう人が出るのです。実際、自分だけ盗んだら大きな利益ですよね。 質問者さんが「人類最強」じゃない限り、法があったほうが利益が多いです。

回答No.5

例えば「国境」というものを考えてみると、本来自然界にはそのような境目はなく、生き物たちは自由に地球上に生息することができます。 しかし私のような日本人が国から離れ少し遠くの場所へ行こうとするだけで、パスポートのようなものがなければどこの場所へも行くことが出来ません。 > 魚だって船を作る技術があれば船をつくって大移動するかもしれないし、鳥だって飛行機をつくる技術があれば胸の筋肉なんて必要なくなるのかもしれない。 しかし、その前に作る脳が無かったり、その前に命の期限が来るのです。それを伝達するすべも持たなければディスカッションする頭もない、 それが出来ないから、その決められた先祖代々の遺伝子のレールの上に則り生きるしかないのです。 それは、神様が与えた「秩序」とも言えます。 鳥は空を飛んでどこへでも行けます、 魚や両生類(海や陸でも生活できる)は海でしか生活できないか海を移動手段にしています。 また、住める領域、動ける範囲というのが遺伝してきに決まってます。 人間も便利な移動手段を捨てたら、歩くことを移動手段とすることができます。 しかし、それらの(そこでしか生活できない、生まれて交尾して、次の世代に次ぐ)だけの動物では人間はないからです。 というと、いろんな可能性も含めばリスクも含みます。知恵もあるということは悪用もできるということです。遺伝子的に決まったことしかできない彼ら(人間以外の生き物)と違い秩序やルールがなければ乱れてしまうからです。 例えば毒キノコや毒蛇、毒をもつ生き物だってある。しかしその機能は、食べられないためにとか、自分達が自分達の繁殖以外でのリスクを避けるために、神様から与えられたものだと思う。しかし人間はその毒の特性を使い人を意図的にあやめてしまう事だってある。そこに法のルールがないと、秩序がないといけないからです。 人間は群れになって生きるだけのペンギンと違い、社会やコミュニティを太古から培ってきました。 もしも、生きて繁殖して、タヒぬだけなら憲法や法律はなかった。あってもここまで複雑にはならなかった。よって、知恵を授かった上に付随してくる取説や保証書、のようなものだと私は思ってます また、人間は石油にしろ鉄にしろ、数ある(地球の物質)を使って生きています。それをおかねと言う形で商売と言う形で、人間都合で法律、いわばルールを作り「使わせてもらって」ます。 人間だって、一世代で出来ることは決まってます。 便利な世の中もかつて生きていた人たちが少しずつ伝承し、改良し今日に至るのです。 人間にはそれができる賢さはあるけれど、彼ら動植物はいかに食べられないか、または、いかに繁殖できるか、神様から決められた方法でしかいきられなければ、考える能力もないのです。 ちなみに自由だと思われてる彼らでさえ、天敵に食べられたり、孵化しても食べられる。成魚になり成鳥になったとしてもパートナーが見つからずあとは鷹の餌になることもありますから、自由ですが、いつも命を削っていのちを守ることは人間と何ら変わらないです。 また、彼らのなかでも彼らのなかでしかわからないルールや秩序だってあるはずです。 特に鯨やいるか、シャチなんかはまずは先輩から先に食べて若いものはあとから食べるとか、または群れで狩りをするときに若い衆は外側に先輩は食べられにくい内側に配置されるとか、若いいるかやしゃちは食べられやすい外壁になったりするとかも聞きます。 だから、生態系の乱れなんかも言われてるけど、それは人間が勝手に多摩川に外来種をほったり、 本来自分の意思とは関係なく勝手に違うところに魚をほって繁殖させたりする。それを自由と言うのなら違います。魚だって食べられる海草類やプランクトンは違ってくるし、「さかな何て何処でも一緒でしょ」というのはある意味人間のエゴなのかもしれない。

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.4

こんにちは。 曰く「法とは、何か。」 日本国憲法>その他の法律 で、日本国憲法には「人権の尊重」と、あるわけです。 教育については、「本人の、将来に重大な差支えの有る場合のみ、介入すべき」という考えが、有ります。 ま、そういう意味では、法に従って居りますよね。 「立法→行政/司法」ですけど・・・ それだけが全て、ということでも、ないですね。 まあ、「法」とは、それくらいのことでしょうか?

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1701/4759)
回答No.3

まずは、最初の法は「名前」かな?と思います 日本では、名前(漢字)を変更(改名)するには、相当な理由と、家庭裁判所での手続き・審査を経ないと、自分の名前なのに変更できません あとは、生年月日です 生まれた日のよって学年を定められ、4月生まれと翌年度の3月生まれとでは、1年ほどの差があるのに、体力テストや身体測定では、その1年間は無視され、低い評価を付けられてしまいます(年齢主義) そのくせ日本では、高校生以下に飛び級制度は許されておらず、同じ土俵で幼少期、苦労した人も多いと思います ---- 年齢主義:「生徒は平等に扱わなければならない」という観点から、いかに優秀であろうと年齢による標準的な学年上限を飛び超える飛び級は絶対に認められない ---- 生まれた日が違うのに、法律によって、平等?と決められているのは、やはりおかしいとは・・・感じています

  • watanabe04
  • ベストアンサー率18% (295/1597)
回答No.2

動物に国境はない。 本能のままに食料ピラミッドに従い、食い、食われる存在。 人間は知性にあふれている。善を善とし、悪を悪として生きている。 それでも人間は本能に従って殺し、殺されという事案が発生する。 なので、これはしてはならない。という法律で縛り、 権利の行使と義務を負い、知性に従った暮らしが達成されるものと 考える。

回答No.1

新しく生まれた人は、どこの国に所属したいかを決められればよいね。 主にその人が生まれる前、能力や税金に関係なく1人1票という、結果が正しいかどうか分からない決定方式(多数決)で決まったルールが、法律だろうね。 いったんその法律が広く・深く決まってしまったら、なかなか覆せない。これは大迷惑である。そんなのに賛成してないって有権者・納税者が最大で半分でてくる。 1人1票という投票で貧乏人が大勢居たら、少数の金持ち・才能ある人物・努力して成功した人物が圧倒的に不利となる法律ができてしまう。

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    • ベストアンサー
  • 民法に詳しい方へ御願いします。

     法律初心者です。民法に詳しい方に御教示を賜りたいと思っています。  例えば、A,B,Cの人間がいるとします。AがCに金銭の贈与を考え、Bにその意思を伝えたとします。しかし、BしかAの意思をCに伝えることができません。この時、Bが自らの判断で、Aの意思をCに伝えず、また、贈与そのものを無い物にしようとした場合、Bの行為は民法上、または法律上、どのような問題が発生するのでしょうか。  宜しく御願いします。