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一生希望を失わない方法はありますか?
希望を失うのは、何を成しても結局は死ぬからです。 若いうちには希望もありますが、死ぬまであと10年ともなったら何しても無駄だと思うでしょう。
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質問者が選んだベストアンサー
人それぞれ、 ケース・バイ・ケースです。 アナタ様のように思わない人も います。私も、その一人です。 機会があったらホスピス病棟を訪れて、 皆さんと話してみませんか。 私が会った癌の末期症状の人達の中には、 《何しても無駄》といった感覚の人は 居ませんでした。 [私は、十代の頃から、1日1日を、最高に 充実感を感じながら生きるスタンスで、それは 72歳の現在でも変わりません。 〈人それぞれ、自身の人生観・価値観・美意識・ 人生哲学・死生観で暮らせば宜しい訳で、 アナタ様が、何らかのことを変えたければ、 人生観・価値観・美意識・人生哲学・死生観を 変えることで、それは可能になる筈です〉 Good Luck. Adieu.
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- abci
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夢を追いかける事だね。
- tutihuki
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希望をもって生きてる人ってどれだけいるんでしょうか? 別に私はそんなものにすがっていません。 ただただ目の前の物事に淡々と生きているだけだと思います。 無駄でもなんでもない。 やってることは身になってるし、身体を動かせば体調はいいし 仕事をすればお金を稼げるから好きな服を変えたり美味しいご飯を食べれたりする。 いつかは死ぬけどいつ死ぬかは分からない。じゃあそれまで楽しんだ方が人生楽しいと思います。 まぁもし病気になったとして余命を言い渡されたらどうしようか?とは考えた事はあります。例えば半年としてあれしてこれしと考えてみて思ったことは、『もし余命を言い渡されたとしてもそれまでの人生が楽しかったと思えるように後悔しない生き方をすればいいじゃないか』でした。 後悔しない生き方なんて人それぞれ、仕事が好きな人・ゲーム・買い物や友達との食事とかなんでも。。 別に無駄でも本人がいいのならいいでしょう。私ならその10年でとりあえず家族旅行したり友達と遊んだりしたいですね。
- tuyosik
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正しく生活する、害さない、助ける、無駄話しない、役立つ話する、と思います
- tuyosik
- ベストアンサー率4% (130/2735)
すべて一時的、ずっとではない、現れて消える変わる、因縁で、思い通りにならない、無駄、生まれて老いて死ぬ、常に気づく、今ここ自分に集中する、精進する、涅槃が得られるように、慈しむ、生命が幸せでありますように、生命の悩み苦しみがなくなりますように、生命の願いが叶いますように、欲張らない、与える、ちゃんとまっすぐ、柔軟に、ふさわしく、と思います
- Don-Ryu
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仏門に入られてはいかがでしょうか? 自分はいつか死ぬから希望を持つことができない、という人は、もう宗教でしか救われないと思います。 どんな生物でもいつかは死にます。
- AsarKingChang
- ベストアンサー率46% (3467/7474)
逆じゃないですか? 若いから「後でもいいや」と投げやりになるんです。 後10年と、期間を切ることで、 何を何年でやり遂げないとという、自分に対しての ゴールが設定されるので、若い頃よりやりやすいのでは? 自分でノルマを決めて、いつまでにできるか、できないか? ダメならスパッと切り捨てて、すぐに新しいビジョンを描き、 それがうまくいったら、どういう系列で成果が出るのか?の バロメーターになりますし、ダメなら、何がだめなのかと 判断する基準にもなります。 しかし、若いころは、そのうち~と、結局は何もしない事が 多いでしょうから。 私の今の目標は後10年で、普通に仕事して、1億取る! が今の目標です。 (貯金したいのではなく、とにかくインカム1億として) 人それぞれ目標は違うので、自分なりに目標決めて 1年でも、10年でもいいので。境界線を作るのは とてもいいことですし、やりがいは出ると思いますよ。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1504/3660)
>若いうちには希望もありますが、死ぬまであと10年ともなったら何しても無駄だと思うでしょう。 それは、人により、また(同じ人でも)その時の気分によるのではないでしょうかね。回答者は60代後半で、父が他界した年齢まであと10年はありませんが、今のところ別に「何をしても無駄だ」とは思いません。 むしろ人生の「残り時間」が短い分だけ、大事に使わなくては損だと考えるようになりました。ただ、そのくせとても使いきれないような古い電子部品(真空管など)や中古カメラをため込んでしまう「玩物喪志」気味ですので、「言行不一致」でもありますが…。 ただ一つはっきりしてきたのは、同じ「希望」という言葉でも20歳のころと、65歳のころとでは、自分にとっての意味が違うということとです。若いころの「希望」は遠い将来に「ああなりたい」、「こうしたい」という「漠然とした夢」に近いものでしたが、歳を取ってからの「希望」は、近いうちに「あれをやるぞ」、「こうなるぞ」という「ささやかな現実」そのものです。この意味では、おそらく「一生希望を失うことはなかろう」と考えます。 余談ですが、ビデオを通しで収録する際にスタジオ内のデジタル時計に「収録開始からの経過時間」か「収録終了までの残り時間」かどちらか一方を表示できるようになっていた場合、どちらを表示してほしいかの希望はもちろん人によって違います。ところが人生では「経過時間」は明らかですが、「残り時間」は大まかな見当はついても、正確には誰にもわかりません。そのことが、「残念ながら」なのか、「幸いにも」なのかすらもわかりませんが…。