• 締切済み

明治新政府で藩主だけ排除の論理

oska2の回答

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2207/4896)
回答No.2

>明治新政府は、藩士のみが新政府入りして藩主は排除。 その通りですね。 旧藩主は、政治から距離をおいています。 >藩士も藩主も世間も、其の措置が当然であると認識。 当然の認識です。 >なぜなのか、其の論理をお教え頂きたい。 幕藩体制下では、各藩主は「徳川将軍家から領地を得て、その領民を管理」していましたよね。 つまり、各藩主は「徳川将軍家の家来」なのです。 幕府崩壊で、各藩主は「領土所有の正当性」を失います。 この隙間を狙って、「版籍奉還」が行われます。 領地・領民を返す。 この時点で、旧藩主は政治的な権利を失います。 この事が不満となって爆発する事を恐れた明治政府は、旧藩主に爵位を授け貴族として扱います。 結果、行政機構でなく「立憲機構(貴族議員)」に席を置いて国会議員として政治に関与しています。

関連するQ&A

  • 現政府と薩長土肥について

    明治維新の立役者として、新政府樹立後多くの官僚を輩出した薩長土肥ですが、 平成の今になっても、少なからず薩長土肥というものが影響を与えているということはあるのでしょうか? 例えば公には言わないけれど、薩長土肥出身者が高官になりやすいとかw

  • 会津藩は明治政府にいじめられましたか?

    会津藩は明治政府にいじめられましたか?

  • 幕末期の長州藩主について

    幕末期において長州藩は大活躍をします。 しかしなぜか藩主は有名ではありません。 時代劇ドラマでもほとんど出てきません。 この時期活躍した諸侯の藩主は多いのに、長州の藩主のみ無名なのはなぜでしょうか? 黒船が来航してから明治政権樹立まで約15年、長州の藩主は何をしていたのでしょうか? 子供だったとしても大人になっているはずですが。 ぼんくらだったとしても数々の歴史的決断を下しているはずで、もっとクローズアップされてよいはずです。 明治になってからも活躍しなかったのでしょうか?

  • 明治新政府で活躍した元・大名

    宇和島藩主・伊達宗城は、民部卿兼大蔵卿に就きましたが、他にも明治新政府で活躍した大名はいますか。 ただし、知藩事は除きます。 よろしくお願いいたします。

  • 大政奉還から廃藩置県が完了するまで

    の間、新政府の要職には薩長土肥らの有力諸藩の藩士たちが付きました が、この間諸侯と藩士の関係(上下関係)が次第に逆転して行きまますよね。国に帰った藩士たちはかつての殿様と、どの様な態度、言葉使いで接していたのでしょうか? 両者の間に違和感や戸惑いから確執が生じたりはしなかったのでしょうか? 教えてください

  • 薩摩藩と長州藩

    明治維新の際に 薩摩藩と長州藩は薩長同盟を組んだのに 西南戦争でまた敵同士になるという認識であってますか?

  • 明治維新直後の日本について教えてください

    明治維新直後(明治元年~十年くらい)の日本についてです。 政権が新政府に移り変わり、日本は、「脱亜入欧」や「廃藩置県」など、徳川幕府の頃の国の形を変えていきましたよね。 ですが、それまでずっと徳川が第一と考えてきた市井の人々、特に天領や旧幕軍についた藩の人々は、すぐに国の西洋化を受け入れたのでしょうか? そこで疑問があります。 1.その頃、軍や政府は洋服を着用する人もいたようですが、一般市民はどれくらいの割合で洋服を着用していたのでしょうか。 2.天領や幕府に味方をしていた藩の人々は、徳川がなくなったことに戸惑ったり、新政府の支配下におさまることへ抵抗がなかったのでしょうか。 3.江戸末期の藩主はほとんどが版籍奉還でそのまま県知事に任命されていますが、人々は「藩主」に仕えているという感覚だったのでしょうか。それとも、全く別の、命を懸けてまで仕える必要などない存在と思考を切り替えたのでしょうか。 細かい質問で申し訳ありませんが、ご存知の方がいらしたら、教えてください。 また、当時の人々の様子が分かる書籍やホームページを紹介していただけると、参考になります。 よろしくお願いします。

  • 薩長土肥に次ぐ倒幕派の藩は?

    薩長土肥に次ぐ倒幕派の藩はどこですか。 「土・肥」以上に維新戦争時、倒幕で活躍した藩はないのですか。 よろしくお願いします。

  • 主観に論理性はあるでしょうか?

    そのまんまなんですが、 主観、という言葉の定義にもよるんでしょうが、 科学的、という言葉は、主観の排除から始まるので、主観とは相容れないと思うんですが、 論理的、という言葉、論理性は主観と相容れると思われる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか? 脳のメカニズムが生む心の現象であれば、脳の機能には構造的構成が当然あるので、その産物である、感情、主観も論理的な記述可能な構成をとると思うのですが、 あるいは脳科学的視点以外にも、主観でも世間一般に「理にかなっている」「筋が通っている」などという表現があります。これはある種の論理的な性質を感じるのですがどうでしょうか? 、ほかの方はこの点についてどう思われるでしょうか? いろんな意見をききたいのでよろしくお願いします。

  • 主観には論理性はあるでしょうか?

    そのまんまなんですが、 主観、という言葉の定義にもよるんでしょうが、 科学的、という言葉は、主観の排除から始まるので、主観とは相容れないと思うんですが、 論理的、という言葉、論理性は主観と相容れると思われる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか? 脳のメカニズムが生む心の現象であれば、脳の機能には構造的構成が当然あるので、その産物である、感情、主観も論理的な記述可能な構成をとると思うのですが、 あるいは脳科学的視点以外にも、主観でも世間一般に「理にかなっている」「筋が通っている」などという表現があります。これはある種の論理的な性質を感じるのですがどうでしょうか? 、ほかの方はこの点についてどう思われるでしょうか? いろんな意見をききたいのでよろしくお願いします。