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昔の素朴な幸せをギリシャ哲学者はどんな口調で言う?
They bring from home the staple of their meal, dry bread with nasturtium for a relish, and to slake their thirst they bring a drinking-cup, to dip in the running stream. 【中略】 And if one should ask how they can enjoy the meal with nasturtium for their only condiment and water for their only drink, let him bethink himself how sweet barley bread and wheaten can taste to the hungry man and water to the thirsty. (クセノフォンの「キュロス王の教育」より) http://www.yorku.ca/pswarney/Texts/cyropaedia.htm 翻訳に悩むのは中略より後の箇所です。 言わずと知れた、あのギリシアの哲学者クセノフォンが彼の時代のよりも百年くらい前のペルシアの良家の教育事情について語っています。 ペルシア貴族と言うべきなのか分かりませんが、あのキュロス大王ですら、空腹を第一の調味料として育ったという、なんとも素朴な昔話の幸せをギリシャ哲学者はどんな口調で言うと思いますか? 一応拙訳:「薬味がナスタチウムだけ、飲み物が川の水で食事がうまいわけないじゃと!? まあ、まあ、考えてもみなされ、お腹が空いた時に大麦や小麦のパンが、渇した時に喉をうるおす水が、どれほどうまいかを!」 訳した事は訳しましたけど、「これだ!」とは思えませんでした。 皆様の「中略より後の箇所」の翻訳例を教えていただければ幸いです。 また、翻訳作品に優劣をつけるというおこがましい行為は私には無理なので、BAは選びません。 宜しくお願い致します。
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- SPS700
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#1です。無駄話です。 昨日家内と散歩をしていましたら、よその庭の一隅を指して「あれ、ナスターシャムよ」と言います。「あれうちにも植えてたんじゃない」と気づきました。 あの名前と実物が結びついたのはその時が初めてで、金蓮花の名は葉っぱが蓮の葉に似てるからでしょうね。無責任な訳をしたもんだと考えさせられました。 食べ物といえば何不自由なく好きなものが食べられた連中がコロナ蟄居で、スーパーの棚に残っている物を食べる教育をぶうぶう文句言いながら受けています。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10024/12548)
「お礼コメント」、ありがとうございます。 >ルソーは父親こそが一番の教師だとし、一方クセノフォンはペルシア貴族が(親は甘やかすので)教師(Master)に育てさせたと言った。 >現代はルソーの方が支持されていますね。 ⇒lived in room13さんの読書スタイル ―多読かつ精読― にはいつもながら脱帽です。 ところで、「エミール」は、教育論だけでなく、恋愛論等いろいろ入っていますし、いわゆる「自然へ帰れ」の信念が一本通っている感じがありますね。つまり、「トータルな人間学」というところではないでしょうか。「父親こそが一番の教師」は、13歳にして父のもとを離れて奉公に出されたルソーの『憧れ』だったのかも知れませんね。 >クセノフォンの「キュロス王の教育」の日本語訳がでていないのも、そこら辺の事情なのかもしれません。 ⇒「キュロス王の教育」の筆致・作風は、「説教がましい、主観的な思い入れが強い、独創性がない」などと、いろいろに揶揄されているようですね。クセノフォンは、哲学者というよりは歴史家とされていますが、その代表的歴史書の一つであるこの名著も、専門家仲間では「歴史書という名の教養小説」などと呼ばれるそうです。ただ、社会的に名著と認められている"Anabasis"(進軍記)は、その簡潔な名文ゆえに古典ギリシア語の教科書にされているそうです。 >こういう素朴な幸せを大切にしないといけないなあ、と思います。 ⇒同感です。コロナ禍は、「尊大な人間への、自然からの報復」とも言える側面があるのかも、(少なくとも、謙虚にそう考えるべきかも)知れませんね。 >今まで何度か「お見それ致しました!」と言ってきました。 >知らなかった事とはいえ、大変失礼致しました。お許しください。 ⇒ご丁寧な謝辞、痛み入ります。 しかし、実は、私の方がいつも「恐れ入って」いました。 いろいろ、ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「エミール」は、教育論だけでなく、 >いわゆる「自然へ帰れ」の信念が一本通っている感じがありますね。 そうですね。 私も「エミール」を一言で伝えるなら、まさに「自然へ帰れ」だと思います。 また、それ故に、社会に与えた影響が大きかったのだと思います。 >13歳にして父のもとを離れて奉公に出されたルソーの『憧れ』だったのかも知れませんね。 それは私も思います。 結局ルソーの説は、経験からではなく思い描いた「憧れ」だったんですよね。 著書内でも、 Poverty, pressure of business, mistaken social prejudices, none of these can excuse a man from his duty, which is to support and educate his own children. If a man of any natural feeling neglects these sacred duties he will repent it with bitter tears and will never be comforted. と書かれていますが、これは、父親として失格だった自分への告解ではないかと、BBCのポッドキャストIn our time philosophyでエミールが取り上げられた時に解説されていました。 >「キュロス王の教育」の筆致・作風は、「説教がましい、主観的な思い入れが強い、 >独創性がない」などと、いろいろに揶揄されているようですね。 そうだったのですか! でも、その批判は見事言い当てていると思います。 それでも、古典を読んでいて「キュロス王の教育」が引用される事が多いので、影響は大きかったのだと思います。 ついでにすいません。 「キュロス王の教育」の日本語訳は出ていました。きちんと調べずに発言してしまいましてすいません。 >ただ、社会的に名著と認められている"Anabasis"(進軍記)は、 >その簡潔な名文ゆえに古典ギリシア語の教科書にされているそうです。 アナバシスは20年位前に日本語で読みました。その頃は戦記物にはまっていましたので。ついでに実はその頃は、岩波書店でアナバシスは「絶版されていて、残り少ない在庫のみの販売」だったんですよ。映画化されたせいか、どうも方針が変わったようで今でも売られていますが。(笑) それにしても、Nakayさんは本当に歴史・哲学に造詣が深いですね。 いつも背景解説に感謝しております。 今回もありがとうございました。 (OKチップがありませんので、今週分が届きましたら、送ります。)
- SPS700
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#1です。訂正です。 >>小川の水を救う と書きましたが、お詫びして、小川の水を「掬う」と訂正します。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ハハハ、誤変換ってありますよね。 私もしょっちゅう誤変換してます。 ご丁寧にありがとうございました。
- Nakay702
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楽しい話題をありがとうございます。 早速、私訳: 彼ら(王の部下)は、食事用に家から主食の乾パンと山菜ナスターチュ(のピクルス)を持参し、喉の渇きを潤すために湯飲みを持ってきて流れの水を掬うのであった。 そして、調味料用ナスターチュと水だけを添えた食事ではうまいわけがあるまいと誰かに問われれば、空腹にはいかなる麦パンもうまく、渇きには水流のひと掬いが喉を潤すことを思い出させればいいだけなのだ。 ☆まさに、Hunger is the best sauce.の謂いですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今回は、Nakayさんもご存じのルソーが教育本「エミール」で批判していた「キュロス王の教育」を読んでみました。 (ルソーは父親こそが一番の教師だとし、一方クセノフォンはペルシア貴族が(親は甘やかすので)教師(Master)に育てさせたと言った。) そう考えてみると、現代はルソーの方が支持されていますね。クセノフォンの「キュロス王の教育」の日本語訳がでていないのも、そこら辺の事情なのかもしれません。 >食事用に家から主食の乾パンと山菜ナスターチュ(のピクルス)を持参し、 >喉の渇きを潤すために湯飲みを持ってきて流れの水を掬うのであった。 Nakayさんのお訳は、原文に沿いながらも、なんだか異国風の昔話の食べ物らしさがでていまして、いいですね。 ギリシア哲学者と言いますか、異国情緒がでているように思います!!!、 >調味料用ナスターチュと水だけを添えた食事ではうまいわけがあるまいと誰かに問われれば、 >空腹にはいかなる麦パンもうまく、渇きには水流のひと掬いが喉を潤すことを >思い出させればいいだけなのだ。 コロナ禍の今、こういう素朴な幸せを大切にしないといけないなあ、と思います。 素晴らしいお訳をありがとうございます。 そして、すいません。 Nakayさんに謝らなければならない事があります。 私は、今まで何度か「お見それ致しました!」と言ってきました。 それは、私が勝手に素晴らしいものを見た時に使う言葉かと思っていたのですが、 たまたま本を読んでいましたら、誤用されやすい言葉として「お見それしました」が載っていまして、これは「そんなすごい事するとは思ってもいなかった。」と「見くびっていたよ」の意味だから絶対に使ってはいけないと載っていました。 知らなかった事とはいえ、大変失礼致しました。お許しください。 今回も、ありがとうございました!
- SPS700
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主な食べ物に干し飯、おかずには漬物を、飲み物には小川の水を救う湯呑みを一つ、持って帰る。 (中略) 漬物だけがおかずで、水しか飲まないで足りるの、と誰かが聞けば、お腹が空いて居れば麦ご飯でも、喉が乾いて居ればただの水でも、どんなにうまいか、分かるだろと答えるんだね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >主な食べ物に干し飯、おかずには漬物を 「これだ!」と思いました!それと同時に私の訳の問題点が分かりました! まず、私の訳では、「ガブッ うまい!」と頬張るシーンが全然想像できません。しかし、「主な食べ物に干し飯、おかずには漬物を」だったら、情景がイメージできて、けっして贅沢でなくとも、よだれがたれそうになります。 >飲み物には小川の水を救う湯呑みを一つ ズルいーーーーですよ~~~!!! こんな書き方されたら私も、湯呑みをもって小川に行きたくなります!! 嬉しい場面では、書き手が心から嬉しい状況を書かなければ、読み手に伝わらない事がよく分かりました! >お腹が空いて居れば麦ご飯でも、喉が乾いて居ればただの水でも、 >どんなにうまいか、分かるだろと答えるんだね。 すごい説得力があり、まさに至高の知恵と言えそうです。 これなんですよ! 英文を読んで私が感じたのは! ただ訳しただけじゃあ全然伝わらなくて、質問しなかったら「日本語って伝わりにくいね。」と日本語のせいにしちゃうとこでした!! いやー、やっぱりSPSさんは言葉の芸術家です。 本当に、ありがとうございました! (OKチップが残り少ないので、今週分が届きました時にまた送ります。)
お礼
ご回答ありがとうございます。 >よその庭の一隅を指して「あれ、ナスターシャムよ」と言います。 米国にもありましたか!日本でもナスターシャムは、結構そこらじゅうに生えています。 >「あれうちにも植えてたんじゃない」と気づきました。 私は、この本にあやかってナスターシャムを食べ始めようかと、何ヶ月か前に植えたんですが、害虫被害がひどく育てるのが意外に難しいですね。(近所の河原には雑草として生えているのに。) >金蓮花の名は葉っぱが蓮の葉に似てるからでしょうね。 なるほど! やっと名前の謎が解けました。 >食べ物といえば何不自由なく好きなものが食べられた連中がコロナ蟄居で、 >スーパーの棚に残っている物を食べる教育をぶうぶう文句言いながら受けています。 どこもそうなんですね。 今は古代ペルシア人を見習うしかないですね。 >無責任な訳をしたもんだと考えさせられました。 そんな事ありませんよ。 私は、美味しそうにナスターシャムを乾燥パンと共に食べる古代ペルシア人の姿が思い浮かんだのですが、「質素な食事を、質素である事を否定せずに、美味しく食べる描写。」が、日本語訳でどうしてもできそうな気がせず。「干飯いと漬物」を使って例えたお訳を読みました時には、天啓を受けたような気がしました。 だって、古代ペルシア人にとってのナスターシャムと現代日本人にとってのナスターシャムは違いますもん。 空腹を調味料としても、野原に生えているナスターシャムをパンと一緒に美味しく食べるには、主食のパンもやっぱりそれなりにナスターシャムにあったパンだったのだと思いますが、、、どんなパンなのか分かりませんしねえ。 その点「干飯いと漬物」の例えでは見事にその点も解決されていて、「気持ち的にはこういうことだよなあ。」と本当に感心しました。 また、宜しくお願い致します。 ありがとうございました。