• 締切済み

人の不幸を笑ってしまいます。

人の不幸を笑ってしまいます。 素直に、面白い、と感じて笑いそうになってしまうんです。 たとえば人が転んでしまった時は転んだことがおかしいのではなく、転び方がおかしいと感じます。「もー、なにやってんの笑」「どこでつまづいてんの笑」って笑ってしまいます。 でも、自分が転んだ時もめっちゃ笑います。周りにも笑って欲しいって思います。 本人は痛いし、恥ずかしいし笑って欲しくない人もいるよなってわかっています。 この前、彼氏が仕事柄もあり肌が荒れやすく、寝る前に軟膏を塗ってからナイト手袋をして寝ているのですが、その時寝ながらわざわざ手袋を外して掻きむしっていてずっと笑いを堪えていました。心の中でツッコミを入れてしまうんです。たまに止めるのですが怒るのでそのまま見てます。 笑いを堪えている間もその後も罪悪感があります。 他人の不幸は蜜の味が小さい頃は分かりませんでした。性格が悪いから、人が転んだりして笑ってしまうのでしょうか。 本当はやめたいです。どうしたらやめられますか?

みんなの回答

回答No.7

パーソナリティー障害やうつ、統失があると、そういう傾向・兆候が出ますね。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.6

「非常の際に臨んで、その人の真実が顕れる。 (森 銑三)」 ということで、いまいまの現実が真実なので、 それを変えたければ、アナタ様が望んでいる状況が 新たな真実になるようにすれば、OKということに なります。 とりあえず、 河合隼雄『コンプレックス』 岩井志麻子『「魔性の女」に美女はいない』 などを読んで、エスプリの根源に存在している 負の感情エネルギーを見つけ出すことから 始めてみませんか。 ふろく: [人間のすべての性質のなかで、嫉妬は一番みにくいもの、 虚栄心は一番危険なものである。心の中のこの二匹の蛇から のがれることは、素晴しく快いものである。           (Carl Hilty『眠られぬ夜のために』)] [女の最大の悪徳は嫉妬と愚痴である。 (宮本輝)] ヒルティ先生及び宮本輝先生の3匹の蛇のみならず、他に、 アグレッション、憎悪、ルサンチマン、ホスティリティの4匹を加えた 7匹の蛇がアナタ様のエスプリに棲んでいるようでしたら、 できるだけ早期にヌル(=null=ゼロ)匹にしませんか] Good Luck. Adios.

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.5

西洋の格闘技というのは、本来剣闘士の試合を楽しむことが変形したものです。剣闘士というのは、基本殺し合いです。剣闘士同士や、猛獣などと戦わせるわけです。見ているのは一般の市民です。殺し合いを娯楽としていたものが、時代の移り変わりとともに「痛めつけ合い」に変わっていったのです。プロレスやボクシングなどはその典型でしょう。観ている方は自分が痛かったり苦しんだりするものでなければ面白がって見てきたのが人類の歴史です。 昔は「公開処刑」も有力者や庶民の娯楽の一つでした。いかに残虐に殺すか、「罪人」が苦しむかを楽しんで観てきたものなのです。残虐性は誰にでもあるものなのかもしれません。 日本人は穏健だと言われていますが、「生き作り」などというものを楽しみながら食べるところを考えれば一概にそうとは言い切れません。海外では「あまりに残酷だ」という理由で禁止している地域もあります。

noname#247529
noname#247529
回答No.4

そのやめたいと苦しむ自分は笑えますか? でなければ、他人に辛いことが起きたら、自分のそういう辛いことを思い出すようにしたらどうでしょうか。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.3

文面の例は,ある意味不覚にも笑ってしまった。 という例に思います。気の毒だけど何だよその転び方。 寝てるときに手袋外せるのかよ。 これは,その部分だけを切り取って,その起きている事に対してのあなたの感情でそれほど異常ではないと思います。他の方もありましたが引きで見るか大局で見るかにもよるのだと思いますが, もし,あなたが父親が事故で亡くなった。 恋人が頑張っていたことが上手くいかなかったことも笑えて仕方が無いとなると,ちょっと心理的には問題があるかもしれません。 が,普通に残念に思うとか可哀相に思った。 というのであれば,単純に視野が狭いだけかもしれません。 転んだことにはクスッとしても構わないけど,そのあと痛そうにしている人を見て同情したり,手当をしてあげようと思うそう言った反応が大事なのだと思います。 かきむしっている彼氏をみて,クスッとしてもいいけどその後に辛いのだろうな。と思う事が大事なのではないでしょうか。 辞めたいのではなく,その後の気持ちの向かい方,対処の仕方に焦点をあてていくと,その内軽はずみな反応は減っていくと思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11129/34638)
回答No.2

誤解を恐れずにいえば、人の不幸は面白いものです。カメラが寄れば悲劇になり、引きの映像になると喜劇になります。 例えばコントなんかはほぼ全て「不幸な人の話」です。ピザを頼んだら、配達員がおかしなやつだった。あるいはピザを配達しに行ったらおかしなやつが注文してきた。そのおかしなやつの騒動に巻き込まれる不幸さを面白がります。 悲劇の代表作とされる「ロミオとジュリエット」も、私は昔から「これってコントじゃないか」と思っていました。そもそも一目惚れから駆け落ちにいってしまうところが「早えーよ。せめて一回くらいはデートしろよ」って思いますし、死ぬことを偽装したら本当に死んだと勘違いして後追い自殺して、それを見てそれまた後追いで死ぬってのはもう完全にすれ違いコントですよね。 あとは、志村けんさんが亡くなったと聞いて面白くなってしまうかどうかだと思います。そこが面白くなってしまうと、世間の人々から理解を得るのは途端に難しくなるでしょうね。 「今まで散々葬式のコントをやってた人が本当に葬式をやっちゃうなんて、笑えね?」と言い出したら「アイツはヤバいやつだ」といわれてしまうでしょうね。

回答No.1

私の死んだ母親は生前、よくバターンと倒れて顔が血だらけで 帰ってきて「お前のことを考えていたから倒れたんだ。謝れ」 とか訳の分からないことで怒鳴っていました。 数年たって、私が「このお母さんはよくバターンと倒れて人の せいにする」と言うと「うるせえな」と言いながら笑っているん だから憎めなかったですね。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう