• 締切済み

下戸は損なのか

質問: お酒を飲むことを不得手としている人物(つまり,下戸のこと)は,恋愛面において不利な状況におかれるのでしょうか? 酒。そして,「ノミニケーション。」 日本人は酒を好む人々といわれています。(同時に,日本以外の国においても,お酒が好きな人々はたくさんいるものと思います。) そして,日本社会における人間関係においては,お酒が飲めることは,極めて重要な要素とされています。(一方で,急性アルコール中毒,パワハラなどの問題がありますが,多くの日本人はこれらの問題の深刻さをまったく理解していません。) たとえば,飲み会などにおいて,職場の上長やら先輩に「お酌」する行為は,大変に重要なものとされます。 社会的な場面において,飲酒が重視されている一方,恋愛や結婚においても,飲酒が重視される場面は少なくないといわれます。出会い系サイトのなかには,飲酒の習慣の有無が,パートナーを選ぶための条件のひとつとして挙げるサイトが少なくありません。パートナーとお酒を飲めるか否かが,お互いの関係を左右する要素であると思われているようです。

noname#238514
noname#238514

みんなの回答

noname#242403
noname#242403
回答No.7

下戸自体は損では無いと思いますが、他の解答者への貴方のお礼コメントを読む限り、貴方の考え方は損だと思いました。

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます

  • vaf326
  • ベストアンサー率16% (285/1721)
回答No.6

私は下戸ですが、付き合いはウーロン茶で通します。 全く問題ありません。割り勘の場合は金額でいうと損でしょうけど、 それは、本人の考え方ですので、問題なしです。 ちなみに女房は、毎日晩酌です。 これも問題なしです。 だって、飲めないのですから仕方ありません。

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1247/3418)
回答No.5

飲めないから不利ということはないだろうと思います。 不利になるかどうかは、立ち回り方次第でしょう。 とりあえずビールであっても、早々に「ビール苦手なんです」と、別の飲み物を頼んでしまう。 「飲んでるか?」と言われたら「飲んでますよ」と返す。 (ウーロン茶をウーロンハイだと偽るとか) どれ、と飲まれてウーロン茶だとバレでも、「すみません、もうこれ以上飲めないので、こちらでお供させていただきます」と返す。 このやり方で困ったことは一度もありません。 要は「気持ちよくお酒が飲みたい」という相手の気持ちを汲んで、気持ちよく飲ませるために何が出来るのかでしょう。 飲めなくても「ここのおつまみは最高ですね」と、連れてきてくれた店をほめるとか。 有難い話なので、飲まずに聞きたいんですよとかね。 やりようはいろいろとあると思いますよ。

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます

  • -ruin-
  • ベストアンサー率31% (239/769)
回答No.4

不利でしょうね。 言い換えれば下戸というのはすごく広い範囲で通用するはずの「共通の趣味」を持っていないということです。 どんなことでもそうですが、パートナーとは可能な限り同じことを楽しみたいです。自分の好きなことを楽しめる人かそうでないかなら楽しめる人のほうが良いのはいうまでもありません。 当然お酒を飲む人はできれば一緒に飲みたいです。

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.3

そうですね。同じ能力を持っていたとして,同じ恋愛におけるスペックがあったとして,お酒を生理的に飲めない場合は確かに大きなハンディを持っていると感じても不思議ではないと思います。実際に,アルコール分解酵素の変異が下戸の主な原因ですから,あなたがそれで生きにくい。と感じるのであれば誤解を恐れずに言えば,遺伝的な疾患と捉えても間違いではないと思うほどです。 つまりハンディキャップの一つであると。 見た目でわかりにくいハンディキャップであるために,あなたとしても大きな損をしてしまっているという点では社会がまだまだそこに気が付いてないですね。 飲酒ができれば,自分のいろいろな気持ちの部分を,とても単純かすることができ。つまり酔っ払えば,すこし悲しければ,泣き上戸として振る舞い,思ったことが言えない人が言える様になり。普段は恥ずかして媚が売れない。逆に思ったことが言えない。という時もアルコールの脳への作用をつかって,それをできるようにするし,それをアルコールの所為にすることで本音を掴みつつ,通過しなければいけない余計な儀礼や壁を取っ払うことに成功するのも,それができる人とできない人では,不利益があってもおかしくありませんね。 ただ私の経験上,仕事上の付き合いでの信頼の勝ち取り方も,女性を本気にさせる時の言葉も,お酒がない方が自分の場合有利です。 真面目な部分と,計算した笑いの部分はアルコールで思考が鈍るのは私の場合不利になりますし,恋愛でも相手の微妙な反応の変化,それこそマイクロリアクションのようなもので相手の心理を読むのは酒が一番のブレーキになります。 パワハラを笑いに変えて上手くあしらう。 自分を含めてアルコールでの身体的なトラブルにならないような自衛手段を講じる。などはハンディキャップがある以上準備をしておかなければならないあなたの義務だと思います。 普通は関西弁の出ない私ですがパワハラ系では敬語とタメ語の間に使える関西弁を上手く使いまわりを味方にあしらうようにしますし。 今はまあまあ飲める方ですが,若い時は,まだ時代がもっとキツい時代。体育会系の私たちでは18歳,19歳の若造が(年齢の制限も緩く大学生ならOKという風潮)ビールの大瓶や一升瓶などの一気が当たり前のときには,飲めるだけまたは飲んでいるようにしながら口から溢れさせる。またはすみません限界でーすと酔った振りをして頭から被るなど,みんな自衛をしていました。 当然飲み会の会場近くの銭湯を把握していたり,換えの服は用意していたり,飲む前には自分の足下はバスタオルやビニールシートを用意するのが当たり前でした。 いろいろ世間の理解がないという憤りはお持ちだと思いますが。 車いすのかたの補助をしたことが無いひとが,できるはずも無く。 盲目のかたをどこかに連れて行くのにはそれなりの準備が必要です。 あなたが生きにくさを感じるのであれば,世間への不満を訴え続けるのも重要だと思いますが,割り切ってそこに生きていけるような準備もしておく方が,すこし世の中はマシに見えるのでは無いでしょうか。例えば予めバリアフリーの店を調べることが習慣になれば,検索する度にそれが可能な店が増えていくと理解度が浸透したという実感が得られるように,あなたも自分のマイナスをプラスにするお湯な準備と振る舞いでポジティブにできるとは思います。

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率15% (2225/14750)
回答No.2

アルコールアレルギーで全く飲めませんが恋愛で、それが不利に なったことは一度も有りません。 職場でも、男性上司から、御酌をと言われても、同期の男性が 間に入り小声で「水商売のお姉さんみたいなこと、しなくていいよ。」と 上手く「僕に、御酌させてください。」って間に割って入ってくれる 方が、たくさん、いらっしゃったので、御酌もしなくても全く 何の不利益も無かったです。

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます。飲み会の場において,同期の男性の方がいて良かったと思います。あなたは人間関係に恵まれているものと思います。しかしながら,すべての日本人が,あなたと同期の方のように振舞われるわけではありません。あなたの知らないところで,下戸であることを理由に「損」をしてきた日本人がたくさんいるからです。

回答No.1

  1滴も酒類を飲まないのに飲み会や宴会に参加して楽しんでる同僚が複数います。 下戸でも乾杯の時にグラスに口を付ける、飲まないといけない場面でもグラスに口を付ける、これだけで過ごす人もいます。 酌をされそうになれば、下戸だからと断り相手に酌をすることで上手にあしらってます、この人は2時間の宴会でビールを数mm分しか口にしてない。 宴会が終わる時のグラスを見たら泡が消えた程度です。 下戸でも上手にあしらえば酒を飲む場を過ごすことは可能です。 居酒屋の飲み放題メニューにウーロン茶やソフトドリンクがあるでしょ、飲み会は酒飲みだけの会ではない。  

noname#238514
質問者

お礼

コメントありがとうございます。あなたは具体的な例として,飲み会において相手のお酒を上手くあしらう人を挙げていますが,それは数多くの人々,さまざまな場面において通用するものでしょうか? すべての日本人が,あなたのようなやり方を実践できるとは,わたしは思いません。それ以上に,飲み会で「嫌な思い」をする日本人がたくさんいるものと思います。

関連するQ&A

  • 「真面目な恋愛」をする人ほど,「損」をする!?

    恋愛とは,「真面目に」考えるべきものなのでしょうか? 恋愛観について,さまざまな人々の意見をいただきましたが,恋愛というものが現代日本社会においては,いわゆる「ごっこ遊び」の延長線上にあるようなものであるという意見がありました。それは,わたしにとっては,納得のいくものでした。 さらには,恋愛とは,単に「セックス」をするための手段のようなものでもあるという意見もありました。「やりたい」から,パートナーを見つけるのだという,単純な考え方があるとのこと。 「真面目に,本気で,「好きな人」と向きあいたい。」 「真面目に,本気で,「好きな人」と一緒に,他者に対する愛を実践し,それを享受したい。」 もちろん,わたし自身も「人の子」ですから,邪な考え方やら,エッチな妄想は,します。しかしながら,わたしの考える<恋愛>とは,そういった要素が第一のものではありません。 やはり,恋愛は,何かしら高貴なものを考えたり,期待するのではなく,「快楽の実験台」を見つけるようなもの,として受けとめるべきなのでしょうか? つまり,恋愛とは「マジ」になるものではない,ということになるのでしょうか? 「真面目に付き合いたいのです。」 なんて相手に言うことよりも, 「ずっと,一緒にいられたらいいよね」 という認識のほうが,ましなのかもしれません。

  • 真面目は嫌われる

    恋愛や結婚において、矛盾した要素が存在する理由について、質問します。 数多くの人々は、真面目な人、堅実な人をパートナーにしたいと語りますが、実際にはそうでない人々がパートナーに選ばれることが多々あります。この日本では、不良、ちょいワルなどが歓迎されます。 一方で、真面目な人、堅実な人は、面白みに欠けることなどを理由に、パートナーとしては選ばない傾向にあります。そして、不良やちょいワルをパートナーに選んだ人々の多くは、離婚などを経験します。なぜ初めから、真面目な人、堅実な人をパートナーにしないのでしょうか?

  • 言葉VS眼―コミュニケーションのあり方をめぐって

    パートナーができる人と,そうでない人の「違い」には,コミュニケーションにたいする「考え方」の差異があるのではないでしょうか? たとえば,以心伝心や,空気を読むという言葉に代表されますが,言葉に頼らないコミュニケーションを,カップルという人間関係において,求めている人々は,多くいると思います。とりわけ,日本人は,言語に頼らないコミュニケーションを重視する傾向がありますので,「眼」で意思の疎通を図っている日本人のカップルは,たいへん多くいることでしょう。 その一方で,言語を介したコミュニケーションを重要視するカップルも,少なくありません。わたし自身も,言語を介したコミュニケーションのほうが,意思の疎通が図りやすいと思います。 いわゆる,日本社会において,「モテない人」とは,言語によるコミュニケーションを,言語に頼らないコミュニケーション以上に重要視することを理由に,コミュニケーションのとりにくい存在であるとされることが,「モテない」理由なのではないでしょうか? 「眼」で彼女や彼氏に意思を伝えることが不得手であるからこそ,「モテない」とされるのではないでしょうか?

  • お酒OKの体の発育

    日本では、お酒は20歳からですが、この法律が決まる前は、20歳以下でも普通に飲酒していたはずです。 たとえば、江戸時代。いいや、アルコールが日本で飲まれるようになった時代、20歳以下でも飲酒していたことだと思います。 ふと、『お酒って、何歳くらいから体に入っても大丈夫なんだろう?』と思いました。 下戸の人もいるでしょうが、平均として、人間の体は何歳くらいからお酒を受け入れられるのでしょうか? よろしくお願いします。 ※決して、未成年の飲酒を正当化するつもりはありません。

  • パートナーが欲しけりゃ猫を被れ!

    みずからを「偽る」ことは,パートナーを求めている人々にたいするアドバイスになりうるのでしょうか? 恋愛にかんする言説においては,いわゆるモテ要素にかんするものが少なくありません。そして,誰しもが,いわゆるモテ要素をものにすることで,他者から魅力的であると思われ,そのことが,恋愛関係につながるとされます。 仮に,諸事情があって,いわゆるモテ要素のほとんどない人物がいるとします。その人物にたいして,さまざまなモテ要素を身につけてもらうとしましょう。そうすれば,その人物には,パートナーができるのでしょうか?

  • 「101回目のプロポーズ」は死んでしまった

    現代日本社会における「モテるための要素」について考えたとき,それは,表向き(いわゆる「タテマエ」)には,経済力がある人,姿かたちの良い人,高学歴の人,身長の高い人,などが、「タテマエとしての,モテるための要素」であるとされました。そして,その「ホンネ」の部分には,目標に向かってほんとうに努力している人々,誠実な人,ウソをつかない人,まじめな人,パートナーに暴力をふらない人,などのアスペクトが,「ホンネとしての,モテるための要素」とされました。 しかしながら,社会のなかで生を営んでいるさまざまなカップルのプリゼンスに注目すると,必ずしも,上に挙げた「イメージ」どおりのカップルがいるというわけではありません。「ノリ」で交際しているカップルもいれば,パートナーからのDVなどに苦しむカップル,さらには,生まれた子供たちに容赦なく暴力をふるうカップルもいます。そういった,<カップル>がいることに,わたしは「疑問」をいだくことがあります。そういった,<カップル>は,ほんとうにおたがいのことが好きなのか,愛しあっているのか,もしかしたら,相手を間違えているのではないか,恋愛などすべきではないのだと,そのように思うことがあります。 目標に向かって努力している人がいる,さまざまな能力を身につけた魅力的な人がいる,しかしながら,そういった人々のなかには,「モテない」人々が多くいます。彼ら,彼女らのことを,雑誌などでは「残念な人」であると評していますが,本来であれば,ここでいうところの「残念な人」こそ,パートナーにすべきではないでしょうか?  ほんとうに「努力」している人がいるにもかかわらず,「めっきだけの人」をパートナーに選んでしまう人々が多いと,わたしは考えます。そして,ここでいう「めっき」とは,いわゆる「恋愛テク」のようなものでもあります。 誠実な人,ウソをつかない人,まじめな人,パートナーに暴力をふらない人,生まれてきた子供たちに暴力をふらない人,そういった人々よりも,「恋愛テク」という「めっき」でつくられた人をパートナーにしてしまう人がいることは,「非常に遺憾なこと」であると,わたしは思います。 わたし自身には,そういった「めっき」などありません。あるものといえば,勉強で得た「能力」,そして,「能力」を源とする,お金を稼ぐ能力(たくさん稼げるわけではありませんが),相手を思いやる「心」,これくらいです。こういう人々は,いまの日本社会においては,単なる「優しい人」であり,「つまらない人」であるとされます。 「101回目のプロポーズ」は死んだのだと,わたしは考えます。ほんとうに必要としている人が見つからない,見つけられない,見つける能力のない人が,すごく多いのだと,わたしは考えます。 そして,このことを「疑う」人は,1ヶ月間でもかまわないので,こういう「残念な人」と交際をすれば,さまざまなことが理解できると,わたしは考えます。 恋愛関係とは,「エキサイティング」なものであると,わたしは考えますが,「間違った方向のエキサイティングさ」に魅了されてしまい,道を踏み外す人が多いと,わたしは考えます。

  • 恋愛に必要な「適性」

    (日本人にとっての)恋愛に必要な「適性」とは、どのようなものでしょうか? (日本人にとっての)恋愛に必要な「適性」とは、(日本社会的とされる)「馴れ合い」の環境に適応しているか否か、そして、(日本社会的とされる)「持ちつ持たれつ」の人間関係を肯定的に受けとめているか否か、これらの2点が重要になるでしょう。 (日本社会における)恋愛にかんする言説に向きあっていくうちに、恋愛にたいするイメージが、(日本的とされる)「馴れ合い」、「持ちつ持たれ」というイメージに当てはまるのではと思うようになりました。 これに関連して、モテない人々という言説からうかがえることは、いわゆる日本的な「処世術」といったものを批判的に受けとめ、「馴れ合い」や「持ちつ持たれつ」の人間関係の「弊害」に向きあっているからという理由がつけられるのではないでしょうか? モテない人々とは、パートナーとの良好な関係の「あり方」をめぐって、独自の考えを持った人々であると理解することができると思います。理想主義に傾きすぎているという指摘もあるかもしれませんが、彼ら彼女らこそ、真剣にパートナーとの「関係」に向きあっているということもできるとおもいます。それが、「(恋愛的に)重過ぎる」と思われてしまう原因なのかもしれません。

  • 恋愛若葉マークは彼氏としてOKなのか

    あなたは、恋愛未経験の人物を、恋愛の対象として認識し、さらには、パートナーとして接することはできますか? 単純な質問ではありますが、非常に、さまざまな回答がでてくる質問だと思います。 いわゆる、彼女いない歴イコール年齢の男性を、彼氏として受けいれられるか、という質問でもあります。 いい年になって、恋愛も知らない、色恋とは無関係の人物を、あなたはパートナーとして受けいれることはできますか? 口では、「彼氏の過去など関係ない」と言いながらも、そのホンネとしては、「そういった人物は、いろいろとヤバそうだから…」などと思っていることでしょう。 たとえば、過去の彼氏の性風俗歴。あるいは、浮気歴。これを、大変に気にする女性は少なくありません。いくら「過去のこと」とはいえ、そういうことをした人物はパートナーにすることはできないと、ばっさりと切る人々がいる一方で、「過去は問えない」として、大目に見る人々もいます。 さらには、「初めての彼女」ということもあって、いろいろと「気苦労」をする人々もいることでしょう。そういったことがあるので、いい年をして恋愛の経験のない人々はパートナーにはしたくないと言う人々は、少なくないと思います。 パートナーができない、ということについては、当の本人の人格やら性分が原因であると、一方的に断定することはできません。社会的な事情や、家庭の事情、オトナの事情など、いろいろとあると思います。さまざまな「事情」があるなかで、彼女いない歴イコール年齢の男性を、彼氏として受けいれることは、「大英断」なのかもしれません。

  • あなたのパートナーはドキンちゃん?

    パートナーの「要求」,あるいは,「わがまま」を受け入れることが,恋愛関係(さらには,結婚生活においても)を維持するにあたって,重要な要素になりうるのでしょうか? 漫画『アンパンマン』には,ドキンちゃんというキャラクターがいます。このキャラクターは,その性格が,非常にわがままなことで知られています。(皮肉が少し含まれますが,そんな彼女にふさわしいニックネームは,「ドキュン(いわゆるDQN)ちゃん」かもしれません。) そして,そのような性格は,どこの社会においても,多数派の人々によって分かちあわれている性格でもあると思います。 すべての人々がわがままではないものの,わがままの人々は,どこの社会であれ,たくさんいることは事実です。そして,幸か不幸か,わがままな人をパートナーにしている人は,少なくないと思います。 もしも,あなたにパートナーがいたとしたら,その人物も,きっと,ドキンちゃんのように,わがままな性格の持ち主で,いつものように,あなたのことを困らせているでしょう。 わがままなパートナーの「要求」を呑むことが,お互いの関係を維持するための「秘訣」になるのでしょうか? つまり,どちらかが「犠牲」を払うことで,恋愛関係が成り立ち,維持されるのでしょうか?

  • 「束縛」「人間不信」「嫉妬」の克服

    パートナーとの人間関係にかんする言説のなかには,「束縛」,「人間不信」,「嫉妬」などにかんするものが多くあります。わたし自身,これまで恋愛(つまり,パートナーをもつこと)とは縁のない生活をしていたため,いざ,みずからがパートナーをもったとき,どのようにして彼女とと向きあえばよいのか,あまり理解できていません。 「束縛」,「人間不信」,「嫉妬」。これらはパートナーとの人間関係を構築,そして維持するうえでは,排除しなければならない要素です。そして,誰もがパートナーとの人間関係を構築して,それを維持するために,さまざまな「努力」をしています。さきに挙げた3つの悪い要素を排除するために,一生懸命になっている人々がたくさんいると思います。 「束縛」,「人間不信」,「嫉妬」。これらの要素を排除するためには,パートナーとの「信頼関係」の構築が重要とされます。おたがいに「信頼関係」を構築して,それを維持することによって,これらの悪い要素から克服できるとされます。そのためには,パートナー同士で,対話などの「コミュニケーション」を重視することが良い方法のひとつとされます。 「束縛」,「人間不信」,「嫉妬」を克服することにおいて,パートナー同士のコミュニケーションの「好ましいあり方」とは,どのようなものなのでしょうか? ひたすら,対話を重ねることでしょうか? あるいは,何らかの「ケース」をつくり,相手を「試す」ことでしょうか?(そのようなことを過去にやったことのある人々は,たくさんいると思います。)