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ドイツ史を学ぶならドイツ語は読めて当たり前?
私の知人に、ドイツ史を勉強しているなら本来、ドイツ語をある程度は読めて当たり前、という人がいます。 この意見、皆さんはどう思いますか? 私は、研究者ならともかく、趣味でドイツ史を勉強している身なので、ドイツ語が読めて当たり前、と言われても理解に苦しみます。 ナチスドイツを中心にドイツ史の本をいろいろ読ん出来ましたが、日本は翻訳文化が発達していることもあり、日本語だけでも十分な知識が得られると思います。 とは言うものの、日本語だけでも得られないものもあるので、そうした時は英語文献、サイトもいくらか読んだり見たりはします。英語文献、サイトは自分もそれなりには読めるので。ドイツ語はほとんど分かりません。 実際のところ、研究者になるわけじゃないなら、基本的には日本語だけで十分で、まあ英語が多少読めるといいかな、という感じだと思うのですが、いかがでしょうか?
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- jkpawapuro
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まあ趣味という言葉をどの程度重く見るかでしょうが、研究者やディープなマニアと互角に議論し楽しめるためならドイツ語は必要なんじゃないですか? 特にそういったことを求めていないなら趣味なんだから別に詳しくなかろうと拙かろうと誰を憚るものでもないですし。 私ももうちょっと古文・・・というか戦国時代の草書が読めたらなあとおもいますw
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
>この意見、皆さんはどう思いますか? 「当たり前」だとは言い切れないでしょう。 ドイツ史に親しんでいれば文章を読めるというか多少ドイツ語の単語が身についていてもおかしくはないという程度のことかと思います。 >基本的には日本語だけで十分で、まあ英語が多少読めるといいかな、という感じだと思うのですが、いかがでしょうか? 何時何がおきたかという程度の知識だけであれば必ずしもドイツ語の文献は必用がないでしょう。 歴史というのは単に史実を時系列に並べたものではなく解釈によって成り立っています。 解釈次第で流れが変わってきます。 ドイツの人達が考えている自国の歴史と日本人やアメリカ人が考えているドイツの歴史が食い違っていることもあります。 特にドイツ史上も極めて特異なNazisについては国籍の違いだけではなく個人によってもその評価が違っています。 このような違いを楽しむのも一つの歴史の楽しみ方です。 ここまで手を広げますとドイツの人達が書いたものを直接読んでみようかということになります。 つまり学生のような勉強をしなくても自ずとドイツ語が身につくようになるかと思います。 お知り合いの方がいわれたのはこのことかと思います。 蛇足 外国語を翻訳して使う場合には本来の言葉が持つニアンスが伝わらないことが多々あります。 例えば、FreedomとLibertyのように元来異なる言葉なのにどちらも自由という日本語を当てはめてしまったことから、FreedomとLibertyとを使い分けている文章が日本語では混乱して意味が通じなくなったり誤解されてしまうということが起きます。 これは日本語に限ったことではありません。 イスラム教ではアラビア語以外の言葉に翻訳されたコーランを読んでも認められません。 キリスト教の聖書も現在残っている原本は古代ギリシャ語で書かれたものです。 これを各国で使う際に翻訳していますが公認されたもの以外認められていません。 プロテスタントとカトリックとでは公認が異なっています。 日本でも同じ状況です。 仏教でも日本では漢字つまり中国語で書かれたお経を元にしていますが、元々は古代インド語であるサンスクリット語で書かれていたものです。 般若心経などの一般向けの解説書が沢山ありますが漢文を元にして書かれたものとサンスクリット語で書かれたものを元にして書かれたものとでは内容が異なっています。 ドイツ史に関してもドイツ語を日本語に翻訳したものを元にして書かれたものと英語に訳したものを元にして書かれたものでは違ってくることが考えられます。 言葉とか歴史というのは本当に厄介なものです。
- tarohkaja
- ベストアンサー率29% (66/221)
「日本史を専攻している人で古文が読めなければ話にならないという人は、私が知る限り、あまり多くない感じがします」 えっ! 古文が読めなくちゃあ、話にならんでしょう。 活字化された古文が読めるだけでなく、古文書も読めなくちゃだめです。 ご質問のドイツ史を趣味で、とおっしゃるのは、それはその通りかと思います。趣味でならば、確かに翻訳本もあるし日本人研究者も優秀な人がいます。 日本史を「専攻」していて古文が読めないなんてあり得ません。 現代史専門というのなら、あり得るのかもしれませんが。
- eroero4649
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古文書が読めなきゃ日本史について語る資格はないのかみたいなもんでしょうね。まあ読めた方がいいのでしょうけどね。先日、東大で古文書の管理をされている専門家のミリタリーについての本を読みましたが、明治以降の部分は間違いだらけで苦笑してしまいました。どの分野でも研究が細分化している現在、自分の専門とする分野以外でもオーソリティーになることは非常に難しいと思いますよ。 それこそ、その人の揚げ足取りをするなら「え?じゃあヨーロッパ史に手を出すならラテン語が読めないと話になんないんじゃないの?」とか「聖書に詳しくなくてヨーロッパ史が語れるの?」とかいえますからね。 ナチスドイツ関連なら、びっくりするほど資料が沢山ありますから日本語の資料を読むだけでも大変ですよね。これがソ連軍マニアにでもなったら途端に苦労するのですが・笑。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、ただ、日本史を専攻している人で古文が読めなければ話にならないという人は、私が知る限り、あまり多くない感じがします。まあ、いるんでしょうけど。 どういうわけか、西洋史を史学科で学んでいる人は、英語+専門に学ぶ国家の言語は読めなければ話にならない、という考えの人の比率が前者より高い感じがします。実際の知り合いでも、こうした質問サイト等でも。 どうして、こうなるんでしょうかね? 貴方のおっしゃる通り、出来るにこしたほうはないのでしょうが。