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江戸時代の貿易収支について。
江戸時代の外交にjは、「ウソ」が蔓延しており、 ウィキペディアさえも信用できません。 特に「鎖国」下の経済については、混乱しています。 日本は最大の軍事大国、経済大国という話があれば、 金銀の流出に苦しんでいたなどという話もあります。 鉄砲、醤油、陶器、銅、鈴などの輸出は確かでしょう。 貿易は不均衡はあり得ません。 外国通貨をため込んでも何の意味もありません。 一体貿易で得た外貨は一体どう処分していたのでしょうか。 国内では鎖国を強制していましたので、外国製品の販路はなかったはずです。 想像や意見でも結構です。 江戸時代の貿易の実態と貿易収支について教えてください。
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- jkpawapuro
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輸出超過か輸入超過かとなると輸入超過です。 そして輸入超過に当たる分の支払いを(時代により)主に銀貨・金貨で支払っています。 これを金銀を輸出したとみたら輸出と輸入は当然均衡するのですが、まあ通貨を支払っているので輸入超過と見た方がわかりやすいかと思います。 鎖国時代は管理貿易、幕府が公的貿易の全量を管理して長崎会所で取引し、日本側の輸出不足を一括して銀貨で支払います。ですので日本国内に外貨が入る機会が存在しません。
- ichikawa2017
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>江戸時代の外交にjは、「ウソ」が蔓延しており、 歴史学というのは解釈の学問ですので史実をどう解釈するかは研究者それぞれです。 史実が起きた時代の人に聞くわけにはいきませんのでウソだと断定できない上にこれが絶対の真実だというのもありませんのでご注意下さい。 >金銀の流出に苦しんでいたなどという話もあります。 幕末から明治初期には日本の通貨が計数通貨であったのに対してアメリカは貨幣は秤量通貨だったことから小判や二朱銀などが大量に流出していました。 これを金銀の流出に苦しんでいたと表現することもできますので間違いでも「ウソ」という訳でもありません。 参考 【金銀比価問題とは】わかりやすく解説!!意味は?幕末の日本。海外に ... http://nihonsi-jiten.com/kinginhika-mondai/ 抜粋 日本の金銀比価はおよそ金:銀=1:5でしたが、外国の金銀比価は金:銀=1:15です。 数字だけいわれてもなんのことかさっぱりだと思います。単純化していいましょう。 日本では銀貨5枚で金貨1枚と交換できます。 外国では金貨1枚手に入れるのに銀貨が15枚も必要です。 外国商人からすれば本国で銀貨15枚を使っても金貨は1枚しか手に入りませんが、日本で交換すれば金貨3枚も手に入るのです。 そして、それを本国に戻って金貨3枚を交換すれば銀貨は45枚にもなります。銀貨15枚が銀貨45枚に増えました。 >鉄砲、醤油、陶器、銅、鈴などの輸出は確かでしょう。 鈴は錫の間違いではありませんでしょうか。 鉄砲、醤油が輸出されていたということは寡聞にして知りません。 歴史上一時期最大の輸出品は日本刀だったことはあります。 >貿易は不均衡はあり得ません。 現代の経済常識ではあり得なくとも過去には明らかに不均衡だと考えられる交易はありました。 >外国通貨をため込んでも何の意味もありません。一体貿易で得た外貨は一体どう処分していたのでしょうか。 どのような取引形態だったかは下記URLをご覧ください。 参考 第1部 2. 出島の商館 | 江戸時代の日蘭交流 - 国立国会図書館 www.ndl.go.jp/nichiran/s1/s1_2.html 抜粋 主な輸入品としては、中国産の生糸、絹織物、砂糖、香木、胡椒、鮫皮、薬品など 輸出品として初期は銀(1668年以降は輸出禁止)金(おもに小判。1763年輸出禁止)その後は銅(棹銅)が主体で、陶磁器、漆器などの工芸品もあった。 加工された棹銅は輸出品として最も重要なもので、おもに大坂で精錬されており、オランダ人は江戸参府の帰途、大坂の精錬所を見学するのが恒例だった。 交易方法は時代により変遷があったが、元禄11年(1698)からは一括して長崎会所が司った。 輸入品は一括して会所が買い取り、商人に売り渡す。 買取価格は日本側が一方的に定めていた。 これに見合った金額の輸出品がオランダ側に渡された。 このような管理貿易の体制が幕末まで続く。 平たく言えば日本からの輸出商品である金銀銅とオランダが持ち込む商品との物々交換だったということですので外貨が溜まるということはなかったということです。 >国内では鎖国を強制していましたので、外国製品の販路はなかったはずです。 充分にありました。 日本の輸出品が絹糸や絹布になったのは明治以降のことです。 江戸時代までは国産品の品質は中国産のものよりも劣っていました。 結果として甲斐絹などの高級絹織物は中国産の絹糸が主体でした。 砂糖については下記のURLに説明があります。 参考 江戸時代の砂糖食文化|農畜産業振興機構 www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000217.html 抜粋 江戸時代に入ると17世紀から18世紀初期にかけて福建省から琉球・奄美に黒砂糖の製法が伝えられ生産が始まった。 しかし白砂糖や氷砂糖は、18世紀末の寛政年間に国産白砂糖が上方市場に登場するまで、長崎に来航する唐船(中国本土や東南アジアからの来航船)とオランダ船(東南アジアから来航するオランダ東インド会社の船)による輸入に依存していた。 江戸幕府は漢方薬の素材の国産化に積極的に取り組んではいましたが蒟醤(きんま)など東南アジアで生育する草木を使うものは国産化できませんでした。 詳しくは下記のURLをご覧ください。 参考 17-19世紀、日中薬種貿易史の現状と展望 - 九大コレクション - 九州大学 catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1498414/pa001.pd... お香に使われる香木は東南アジアなどの南方産のものが大半です。 >江戸時代の貿易の実態と貿易収支について教えてください。 長崎の出島のみで交易が行われこれを幕府が独占していました。 入港して来るのはオランダ船だけではなく中国船も入港していました。 当時の中国は朝貢貿易のみ認めていましたので長崎に入港する中国船は中国側から言わせれば密貿易船でした。 中国産のものだけではなく朝鮮産のものも積載していました。 朝鮮も中国にならって朝貢貿易をやっていましたが幕府も中国王朝も応じませんでした。 中国の密貿易船が朝鮮の密貿易商人から買い取って日本へ運んでいました。 日本で珍重されていた朝鮮人参はこのようなルートで運ばれていました。 オランダ船もオランダの産物よりも中国や東南アジア産のものが主体でした。 オランダ船は日本で手に入れた金銀銅を東南アジアで香辛料の対価として使い本国へ持ち帰るのは香辛料でした。 これによる利益が大きかったことから日本との交易では幕府の言い値で金銀銅と交換していました。 貿易収支については正確な数値は知りませんが幕府としては独占していて国内の商人に買い取らせていましたので常に黒字だったと思われます。 財政難に陥った薩摩島津家がこれに目を付けて幕府に隠れて密貿易をやっていたとされています。 蛇足 大航海時代の交易船というのは投資家から資金を集めてそれで船や船員を調達して行われていました。 無事に帰港すれば莫大な利益が得られました。 最も利益を上げたのは香辛料でした。 船員個人にも一定量を持ち帰ることが認められていました。 命がけの航海に船乗りが応募したのもこれが要因でした。 これを組織的にやったのが東インド会社です。 長崎の出島にあったのはオランダの大使館ではなくオランダ東インド会社の日本事務所でした。 現在で言えば営業所か出張所のようなものでマカオにある支店の系列下にありました。 出島にある建物の責任者をオランダ商館長というのはこのためです。 当時の交易の決済には銀が使われたいました。 日本は南米の銀鉱山が発見されるまでは世界一の産銀国でした。 秀吉の時代までは西国が商業の中心であったこともあり、早くから国内で銀貨が流通していました。 これに対して家康が小判など金を通貨としたことから明治時代までは江戸は金使い大阪は銀使いと言われていました。
- eroero4649
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>一体貿易で得た外貨は一体どう処分していたのでしょうか。 この頃は外貨という概念がありません。通貨とは金・銀・銅であり、その金属の価値そのものが通貨としての価値でした。日本の小判が海外でも流通できたのは、江戸幕府の信用ではなくて小判に含まれている金の価値分があったからです。 だからこの頃においては、金貨と銀貨の交換は、その含まれる金属の重さで行われていたのです。 江戸時代においては、初期は銀を、石見銀山が枯渇すると次いで銅が輸出品となり、中国の生糸などが輸入品になったのですが、分かりやすくいうと「生糸と銅を物々交換していた」ということになります。だから別に幕府の蔵にオランダのお札が山積みになっていたというわけではないのです。 質問者さんのその疑問は、突き詰めると「通貨とはなんぞや」という根源的な疑問にたどり着きます。今現在に流通している紙幣は、紙幣そのものに価値は全くありません。発行している国家(中央銀行)の信用がその価値の根源です。その昔は金本位制度といって、その紙幣を持っていけばその値段と同じだけの金を交換することができました。国家が発行した紙幣と同額の金を保有することで紙幣の価値を担保していたのです。しかし現在は日本政府はもちろんアメリカ政府も金本位制を採用していませんので、その国の政府が破綻したらその国の紙幣の価値もなくなります。日本円に関していえば、日本銀行の信用が世界的に絶大なので誰もそうは思っていませんけどね。 >国内では鎖国を強制していましたので、外国製品の販路はなかったはずです。 鎖国というとそういう誤解をされるので、最近は「江戸時代は鎖国をしていた」ということは教科書でも書かないなんて話もあります。 より正しくいうなら「長崎を始めとした4か所の窓口以外での海外交易を禁じていた」です。アイヌ、対馬、長崎、薩摩以外の場所で外国の船と接してはいけなかったのです。 あとは日本人の海外渡航が禁じられていましたし、オランダ人以外が日本国内に入ることも禁止でした。なので大黒屋光太夫やジョン万次郎のように航海中に漂流して海外の船に助けられたり流された人が時々出たのですが、彼らが日本に帰国するのは極めて困難でした。キリスト教に入信したらもう完全に不可能です。なので大黒屋光太夫もジョン万次郎も帰国直後は幕府の監視下に置かれ、かなり厳しく尋問されました。まるで北朝鮮ですね・笑。 オランダ人以外の入国には、こんな面白い話があります。ツンベリーを始めとして、時々オランダ人のフリをして日本にこっそりやってくるヨーロッパ人がいました。我々は白人の見分けがつかないですからね。そのうちの一人があのシーボルトで、彼はドイツ人でした。 彼はオランダ人医師という口実で日本にやってきますが、長崎の通詞(通訳)になんと「発音がおかしい」という鋭い指摘を受けました。通詞は読み書きは禁止されていたので会話に特化していたのですが、それだけに発音には敏感だったのです。これに対してシーボルトは「私は山岳民族出身で、ナマってるんです」といって難を逃れました(本当)。しかし山がないオランダで山岳民族といいだす辺りはシーボルトのいたずら心だったんじゃないかなと思います。通詞はオランダに行ったことがないから分からないですからね。 ああまた話が大きくそれてしまった。外国製品の販路はですね、ありましたよ。徳川吉宗が「医療など役に立つものであれば外国製品を入れてもよいことにしよう」と規制緩和したので、舶来品が珍品として出回っていたのです。あのエレキテルがそうですよ。あれって平賀源内の発明品ということになっていますが、壊れたものを平賀源内が手に入れていってみりゃ修理したんです。 あと経済の歴史っていうのはここ10年くらいでかなり盛んになってきていますが、元々非常に研究が脆弱です。というのも、歴史学の専門家はお金勘定が不得意な人が多く、お金に関することは「卑しいものだ」とも考えているので研究する人がとても少なく、また経済学の専門家はこの先の未来には興味があっても終わったことはどうでもいい(大抵の経済の予測は外れるので、蒸し返されたくもないのでしょう)と考える人が多いので、経済の専門家が過去のことを研究するのもお盛んではないんですよね。 私も通貨の歴史くらいならついていけるのですが、債権の歴史とかになるともうややこしくて難しくてついていけません。
- nagata2017
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お金は 紙幣と硬貨があります。 紙の印刷物にすぎない紙幣は その国の勢力が及ぶ地域でしか効力がありません。 硬貨の中で 金貨と銀貨は世界共通の価値があります。 貨幣としてだけでなく 貴金属としての価値があります。これは 地金の価値と貨幣の価値が ほとんど等しい程度の価値です。 そして 日本国内における 金と銀の兌換率と 外国における兌換率が大きくちがっていたということが 重要なポイントです。 日本国内の兌換率で交換すると それだけで外国人は大儲けだったのです。 http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J025.htm
- D-Gabacho
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行武和博「出島オランダ商館の会計帳簿―その帳簿分析と日蘭貿易の実態把握」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/57/6/57_KJ00002435468/_pdf/-char/ja という論文が、論文検索サイトCiNiiで検索したら出てきました。 質問に関係しそうな箇所をざっと読んだだけですが、この論文の内容からすると、オランダとの貿易で日本側がオランダ通貨を受け取ることはなかったようです。オランダ商館の日本での最大最重要の仕入れ品は、輸出品(中国産生糸)の対価として日本側から受け取る日本の銀貨(丁銀)であり、そのほかの仕入れ品はほんのおまけ程度に過ぎず、輸出品の対価として受け取った日本の銀貨を支払いにあてたようです。貿易収支でいえば、日本側の圧倒的な輸入超過ということになるでしょう。
- stss08n
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為替 中国 インドシナ ロシア 沖縄 香港 オランダ 販路 帆船 金銀銅