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江戸時代の士農工商の人口比率は?

江戸時代を通じで人口は一定であったという話を聞きました。 では士農工商の身分の違いによる比率はどうだったのでしょうか? 人口全体に占める武士階級がどれくらいであったのか? またその比率が江戸時代を通じてどう変化していったのかが知りたいところです。 江戸の初期は、藩の取り潰しなどで武士は一時的に減りますが、農民よりも経済的に恵まれていたので、徐々に増え続けていったのではないかと想像しています。 それからこれはうろ覚えなのですが、江戸では武士が人口の50パーセントを占めていたという話を聞いたことがあります。 今おもうと、江戸中武士だらけになってしまい不自然だとおもうのですが、真実はどうなったのでしょう。

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  • 回答No.4
  • kamiero
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士(僧侶をふくむ)=7% 農(漁をふくむ)=83~76% 工=4~7% 商=6~10% 江戸時代の人口が2,500~3,000万人といわれています。 現存の教科書などでいわれている数字としては上記の値で#1の方の値が概算のものでほぼ一致しています。

参考URL:
http://www.0465.net/kanko/

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その他の回答 (3)

  • 回答No.3
  • been
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江戸時代の人口については、農工商(課税対象)についてはある程度信頼できる資料がありますが、武士の人口がよく判りません。また、「武士」と呼ばれる階層の範囲も藩によってもバラツキがあります。例えば、坂本竜馬は下士(郷士)という下級武士ですが、その生活実態は農民とあまり変わらず、上士との間には明確な身分の差があったといわれています。どこまでを武士に含めるか、という問題もあるのです。 よって、士と商が各1割で農が8割という一般論も、農の割合が高すぎること、士の絶対数(従って割合も)がはっきりしないことから、あまりあてにはなりません。

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  • 回答No.2

江戸時代、武家の長男は基本的にその家を継ぎましたが、 次男、三男は長男のスペアとしてその家に残るか、 よその養子の口を探すかどちらかでした。 次男以下の男子の多くは、居候のような立場であり、 実質的に、子供を作ることが許されませんでした。 なのでそれほどは数は増えなかったと考えられます。 増えた場合には、あぶれた分は町人か百姓になったでしょう。 なお「百姓」の言葉にはちょっとした問題があります。 現代は「お百姓さん」のように、「農民」の意味に使われていますが、 江戸時代までは漁民や職人などを含みました。 古い資料に「百姓が○○人」と書いてあるのを見た人が、 「なるほど。農民が○○人いたということだな」と誤解して、 江戸時代は農民が極度に多いと思われてしまったことがあります。 最近の研究では直されています。 江戸時代の身分制度は「士農工商」と言われていましたが、最近は 「武士」「村に住む庶民(百姓)」「都市に住む庶民(町人)」 と分けるようになってきています。 武士の割合は約一割とされています。 武士は、庶民の活動を支配することによって録を得ます。 つまり、収入が庶民の数に比例するわけで、 割合としてはそれほど変動がないはずです。 江戸の人口構成の資料は持っていませんが、 半分が武士でもおかしくはありません。 江戸は、徳川幕府の家来(旗本・御家人)の他に、 日本中の藩に属する武士のかなりの割合が住んでいました。 各藩には江戸に藩邸というものがあり、 会社にたとえれば「国本本社」「江戸本社」のような感じで 大きな機能を持っていました。 ○○藩の武士でも、江戸藩邸だけにいて、 ○○藩には行ったことがないという人もいたようです。 そして江戸の町人は、武士に対してのサービス産業で成り立っていたと考えられます。 (この場合の「武士」は、武士の子弟・妻・親族なども含みます。)

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  • 回答No.1

江戸時代は約一割が武士、八割強が農民で工、商は一割弱

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