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江戸時代の花火師はどうやって火薬を入手したのか
こんにちは。 質問「江戸時代の花火師はどうやって火薬を入手したのか」 黒色火薬が鉄砲伝来と共に日本にやってきて、江戸時代の初期には花火師が活躍していたような話は知っているのですが、黒色火薬のような軍事利用も可能な高価なものを、民間人である花火師が入手できてしまう流通ルートが理解できません。 大名が主催して花火大会をやるのであれば、分け与えて作成を命じることも出来るようにも思えますが、江戸の花火は民間人が主催しているようですし。 テロとか反乱に利用される可能性から考えても、民間人に簡単に流通できたものなのでしょうか?。
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入手というか自分で作ってたって聞いたことがありますよ お盆過ぎから山つつじ、桐、サワラの木を焼いて炭を作り薬研ですり合わせて火薬を作ったそうです 今のようなカラフルなんでなかったみたいですね 黒色火薬原料は硝石 硫黄 木炭ですよね? たぶん山に行けばとれたんじゃないですかね? 打ち上げ花火ができたのは中期らしいですし それ以前はいわゆる筒花火で吹き上げ式だけだったみたいですね 戦国時代を抜け ある程度平穏になった江戸時代だからこそ できた風情なんかなぁと思います
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花火師が自分で火薬まで作ってるもんだと思ってたんですが……。 俺が過去にテレビで見た範囲では、そういうケースが多いみたいでした。 で、花火師免状制度みたいなものもあって、それがないと花火を作ることはできなかったようです。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 なるほど「免許制度」にして管理下においておけば反乱に利用されたりしにくいですね。
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お礼
回答ありがとうございます。 やはり戦国の世が終わったからこそ可能になったのでしょうね。