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父を看取る。最期の別れについて。
- 先日、8年前から闘病中だった父を看取りました。最後に入院したのは約2週間前。1日だけ自宅で過ごすことができました。
- 最期まで意識ははっきりしていて、会話もできました。私はずっと手を握って父に声をかけ続けました。
- 最後の瞬間を立ち会うのはつらかったけれど、最期まで頑張ることを伝えました。ただ今は寂しさに胸が詰まります。
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いろいろと大変でしたね。お疲れ様でした。 私も、あなた同様、長年の入退院を繰り返した父を、昨年見送りました。 確かにさびしいし、悲しいけれど、でも父も最後、辛そうだったから、これで父自身、(苦しみから)解放されたかな・・と思います。 1年くらいは、実家の方も落ち着かず、先日、遺産相続を終え、やっと一区切りついた感じです。 一人暮らしになってしまった母とは、頻繁に会い、旅行に行ったりして、お互いに気分転換しています。 (母は、さびしいようですが、タイミングよく、いろいろな人たちからサポートされている、と言っていました) 亡くなった人は、死んだあとは、親しかった人たちを見守る立場になるそうです。 あなたはあなたなりに、お父様のことを想い、「頑張って」と声をかけたこと、きっと伝わっているのではないかと。 あなたが結婚して幸せになる・・とわかったから、安心して旅立ったのではないでしょうか。 あなたも、きっと時間が経つと、また気持ちもいい方向に変化していくのではないかと思いますよ。
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- keizo99
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追伸 貴女が父親の最後の息を引き取る前の苦しさを、いつておられましたが、私も同じ経験をしましたが、その時に酸素をして、延命をしなかつたので、主治医に後で聞きました、主治医からの返答わ、しなかつた、事は正解ですといわれました、万が一命をとりとめても、脱力感、痛みが残りそれを引きずらなくてわならない辛さ、助からないのに、痛み、辛さを一時的な処置をしても本人がくるしむ、事になりより、本人の為にわならない、変えつて苦しめる事になると、いわれました、それを聞いて、痛みを与えず、自然になくなつていつた処置に、安らぎを感じました、死ぬ1ヶ月前より、ありかとう、と言う言葉をいつてました、延命処置は、生きてる人間社会の執着、悲しみから逃れる処置でわ無いかとおもいます、意識障害、昏睡になつても耳だけわ聞こえているのです、だから、貴女の声は息を引き取るまえまで、聞こえていたと思います、お父さんは亡くなられても、貴女をこれからも、見守られていると思います、貴女の結婚、一時帰宅で、喜ばれた笑顔が、出ていたと思います、笑顔がお父さんの感謝なのです、お礼なのです、その、感謝に答えるよう、貴女の人生を歩んでください、
- keizo99
- ベストアンサー率14% (265/1820)
8年前からの入院で、8年間頑張った お父さん、それは貴女の事を心配していたのです、貴方が結婚して幸せになることを願っていたとおもいます、結婚報告で安心して旅立つたのだとおもいます、旅立つ人より送る人のほうが、思い出を引きづつてしまうものなのです、家に帰りたがつた願いもかない、皆にお別れと、元気な顔をみて、お父さんわ満足だつたとおもいます、私も、3年、父親を介護し残り少ない、時間の思い出作り、時間を多く作り延命処置もせず、見送りました、死んで行く本人は先祖の元に行くだけで、残った人間の世界のほうが、あれや、これやと思い出、風習にとらわれ引きずるのだとおもいます、ただ、悲しむ、寂しさをいつまでも、思っていてわ、死んだ、貴女の父親が心配してしまうので、父の分まで幸せになられ、元気な貴女の姿を見せて、上げる事が貴女を 生んでくれた、父えの親子、恩返しでわ無いかとおもいます、
>ふと寂しくて寂しくて仕方ないです。 親しかった人との別れ、優しかった親との別れ、辛いですね。 私の母が天国に行くとき、私は立ちあえませんでした。と、いうか、そこに行かなかったのです。当時私は社命で海外に赴任していました。急いで帰国しても立ち合えないだろう、と勝手な理屈でそうしました。 あれから、数十年経った今でも、悔いが残ります。でも、あなたは、亡くなってもしばらくずっと手を握っていたとのこと、とても良い看取りをされました。あなたは悔いることなど、全くないと思います。 お父上との別れ、それは寂しいものです。でも、これでやがて癒されるのです。無理に寂しいお気持ちに逆らう必要なないのです。自然に時の神にお任せするのです。80数年生きてきて、両親も、二人の兄も、それに弟を亡くした男
- yaasan
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>不思議と、後悔はあまりありません。 できることをできるだけやり切ったからこそ、後悔しないのだと思います。人は必ず死にます。自分で死を体験した後は何も解らないので、死んだ後は当然ながら解らないことなのですが、死ぬまでに本人も家族もやり切った人生になるなら、人生を全うしたことになるのではないでしょうか。 あとは良くも悪くも慣れるしかないです。思いを引きずることなく、たまには思い出してあげるのが、生きている人間にとっても良いことだと思います。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2401/16036)
家族は、どうであれ、本当に、あれで良かったのだろうか?は考えると 思います。 でも、お父様のことを一生懸命、考えられてした行動です。 お父様も「それで良かった。ありがとう。」と思われていると 思います。 あなたが幸せになられることが、お父様が一番、喜ばれることでは ないでしょうか? どうぞ、お幸せに。
「死」と向き合う時、人は何を思い死の世界へ逝かれるのか、、 御父様は家族皆さんに看取ってもらえて幸せです。 生きている貴女様にとっては辛くて悲しくて、、寂しい思いでしょう。 けれど、寂しくても御父様があの世から「がんばれ~」って 見守って下さいます、彼氏さんと幸せになる事が御父様の 願いになるでしょう。 もう話せないけれど、心の中で御父様と対話出来ます。 娘の幸せを願い続けて、、娘さんからプロポーズの話しを 聞けた事で安心されあの世へ逝かれたのでしょう。 「死」は、誰にでも訪れます。 大切にして頂けた御父様の気持ちを無駄にしない様に 精一杯貴女様の人生を大切にし、、命の尊さを大事に していってくださいね。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
文章書き、心を整理するのは良いと思います。 仕方のないことだから後悔しても始まりません。 家族を増やし新しい人生を歩み続けるしか 父親に報いることは出来ないと思います。
- 波 蔵(@namizou2018)
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思いやりのある娘さんに看取られてお父様も幸せだったかと思いますよ。
- NOMED
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両親ともガンで亡くし、ふたりとも看取れました 母が先に逝き、たまたま私が付きそう時間帯でしたので、最後の息を見ていたのは私だけです その後、父が亡くなり、姉弟で看取ることができました 母が亡くなってから9年、隔週で墓参りに姉弟揃って行っています お盆の飾り付けももう毎年の習慣になり、今年もキレイに飾り付けていますねと住職に言われるよう、準備から整えています 未だに二人の着ていた服や持ち物も整理できていませんが、その中で暮らしています 姉は良いことがあると、両親のことを引き合いに出します 私も人からいただき物があれば、まずは仏壇において、報告します そんな毎日ですが、それが日常となりました
確かに肉親の最期を看取る、これは大変なことで、何をしても結局後悔しか残らないと思います。 お疲れさまでした、お父様にもお疲れさまでした。