父を看取る。最期の別れについて。

このQ&Aのポイント
  • 先日、8年前から闘病中だった父を看取りました。最後に入院したのは約2週間前。1日だけ自宅で過ごすことができました。
  • 最期まで意識ははっきりしていて、会話もできました。私はずっと手を握って父に声をかけ続けました。
  • 最後の瞬間を立ち会うのはつらかったけれど、最期まで頑張ることを伝えました。ただ今は寂しさに胸が詰まります。
回答を見る
  • ベストアンサー

父を看取りました

先日、8年前から癌で闘病中だった父を看取りました。 最後に入院したのは約2週間前。 その間、主治医と父本人の強い希望もあり、 1日だけ退院し、自宅で過ごすことができました。 入院中は母も私も毎日、病院に通いました。 私は仕事があるので終わってからでしたが…。 亡くなる直前まで、意識ははっきりしていて会話もできましたので 私はずっと手を握って父に声をかけ続けました。 亡くなってもしばらくずっと手を握っていました。 1日でも自宅で過ごせたこと、顔を見て手を握って最期を看取れたこと、 最後に入院するまでは本当に元気だったので、 家族3人でいろんなところにも行きました。 私の彼氏にも入院前に会わせることができ、亡くなる2日前に プロポーズをされたことを父に話したら、頷いてくれました。 私の好きなキャラクターの婚姻届を用意してくれたことを 父に話したその日の午後に父は旅立ちました。 花嫁姿を見せられなかったこと以外は、 不思議と、後悔はあまりありません。 でも夜、目を閉じると息をひきとる前の父の くるしそうな顔が思い出されてつらいです。 一人娘として、看取ってあげたいと思ってましたが その瞬間に立ち会うのもつらかったです。 最期まで頑張れと声をかけ続けましたが 最期まで頑張らせてしまって、 これで良かったのかと思ったり。 ふと寂しくて寂しくて仕方ないです。 もう話せないんだなと。 支離滅裂ですみません。

noname#233724
noname#233724

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

いろいろと大変でしたね。お疲れ様でした。 私も、あなた同様、長年の入退院を繰り返した父を、昨年見送りました。 確かにさびしいし、悲しいけれど、でも父も最後、辛そうだったから、これで父自身、(苦しみから)解放されたかな・・と思います。 1年くらいは、実家の方も落ち着かず、先日、遺産相続を終え、やっと一区切りついた感じです。 一人暮らしになってしまった母とは、頻繁に会い、旅行に行ったりして、お互いに気分転換しています。 (母は、さびしいようですが、タイミングよく、いろいろな人たちからサポートされている、と言っていました) 亡くなった人は、死んだあとは、親しかった人たちを見守る立場になるそうです。 あなたはあなたなりに、お父様のことを想い、「頑張って」と声をかけたこと、きっと伝わっているのではないかと。 あなたが結婚して幸せになる・・とわかったから、安心して旅立ったのではないでしょうか。 あなたも、きっと時間が経つと、また気持ちもいい方向に変化していくのではないかと思いますよ。

その他の回答 (10)

  • keizo99
  • ベストアンサー率14% (263/1815)
回答No.11

追伸 貴女が父親の最後の息を引き取る前の苦しさを、いつておられましたが、私も同じ経験をしましたが、その時に酸素をして、延命をしなかつたので、主治医に後で聞きました、主治医からの返答わ、しなかつた、事は正解ですといわれました、万が一命をとりとめても、脱力感、痛みが残りそれを引きずらなくてわならない辛さ、助からないのに、痛み、辛さを一時的な処置をしても本人がくるしむ、事になりより、本人の為にわならない、変えつて苦しめる事になると、いわれました、それを聞いて、痛みを与えず、自然になくなつていつた処置に、安らぎを感じました、死ぬ1ヶ月前より、ありかとう、と言う言葉をいつてました、延命処置は、生きてる人間社会の執着、悲しみから逃れる処置でわ無いかとおもいます、意識障害、昏睡になつても耳だけわ聞こえているのです、だから、貴女の声は息を引き取るまえまで、聞こえていたと思います、お父さんは亡くなられても、貴女をこれからも、見守られていると思います、貴女の結婚、一時帰宅で、喜ばれた笑顔が、出ていたと思います、笑顔がお父さんの感謝なのです、お礼なのです、その、感謝に答えるよう、貴女の人生を歩んでください、

  • keizo99
  • ベストアンサー率14% (263/1815)
回答No.10

8年前からの入院で、8年間頑張った お父さん、それは貴女の事を心配していたのです、貴方が結婚して幸せになることを願っていたとおもいます、結婚報告で安心して旅立つたのだとおもいます、旅立つ人より送る人のほうが、思い出を引きづつてしまうものなのです、家に帰りたがつた願いもかない、皆にお別れと、元気な顔をみて、お父さんわ満足だつたとおもいます、私も、3年、父親を介護し残り少ない、時間の思い出作り、時間を多く作り延命処置もせず、見送りました、死んで行く本人は先祖の元に行くだけで、残った人間の世界のほうが、あれや、これやと思い出、風習にとらわれ引きずるのだとおもいます、ただ、悲しむ、寂しさをいつまでも、思っていてわ、死んだ、貴女の父親が心配してしまうので、父の分まで幸せになられ、元気な貴女の姿を見せて、上げる事が貴女を 生んでくれた、父えの親子、恩返しでわ無いかとおもいます、

noname#250375
noname#250375
回答No.9

>ふと寂しくて寂しくて仕方ないです。  親しかった人との別れ、優しかった親との別れ、辛いですね。  私の母が天国に行くとき、私は立ちあえませんでした。と、いうか、そこに行かなかったのです。当時私は社命で海外に赴任していました。急いで帰国しても立ち合えないだろう、と勝手な理屈でそうしました。  あれから、数十年経った今でも、悔いが残ります。でも、あなたは、亡くなってもしばらくずっと手を握っていたとのこと、とても良い看取りをされました。あなたは悔いることなど、全くないと思います。  お父上との別れ、それは寂しいものです。でも、これでやがて癒されるのです。無理に寂しいお気持ちに逆らう必要なないのです。自然に時の神にお任せするのです。80数年生きてきて、両親も、二人の兄も、それに弟を亡くした男

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2713/12237)
回答No.8

>不思議と、後悔はあまりありません。 できることをできるだけやり切ったからこそ、後悔しないのだと思います。人は必ず死にます。自分で死を体験した後は何も解らないので、死んだ後は当然ながら解らないことなのですが、死ぬまでに本人も家族もやり切った人生になるなら、人生を全うしたことになるのではないでしょうか。 あとは良くも悪くも慣れるしかないです。思いを引きずることなく、たまには思い出してあげるのが、生きている人間にとっても良いことだと思います。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率15% (2224/14739)
回答No.7

家族は、どうであれ、本当に、あれで良かったのだろうか?は考えると 思います。 でも、お父様のことを一生懸命、考えられてした行動です。 お父様も「それで良かった。ありがとう。」と思われていると 思います。 あなたが幸せになられることが、お父様が一番、喜ばれることでは ないでしょうか? どうぞ、お幸せに。

noname#235049
noname#235049
回答No.6

「死」と向き合う時、人は何を思い死の世界へ逝かれるのか、、 御父様は家族皆さんに看取ってもらえて幸せです。 生きている貴女様にとっては辛くて悲しくて、、寂しい思いでしょう。 けれど、寂しくても御父様があの世から「がんばれ~」って 見守って下さいます、彼氏さんと幸せになる事が御父様の 願いになるでしょう。 もう話せないけれど、心の中で御父様と対話出来ます。 娘の幸せを願い続けて、、娘さんからプロポーズの話しを 聞けた事で安心されあの世へ逝かれたのでしょう。 「死」は、誰にでも訪れます。 大切にして頂けた御父様の気持ちを無駄にしない様に 精一杯貴女様の人生を大切にし、、命の尊さを大事に していってくださいね。

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.5

文章書き、心を整理するのは良いと思います。 仕方のないことだから後悔しても始まりません。 家族を増やし新しい人生を歩み続けるしか 父親に報いることは出来ないと思います。

回答No.3

思いやりのある娘さんに看取られてお父様も幸せだったかと思いますよ。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1723)
回答No.2

両親ともガンで亡くし、ふたりとも看取れました 母が先に逝き、たまたま私が付きそう時間帯でしたので、最後の息を見ていたのは私だけです その後、父が亡くなり、姉弟で看取ることができました 母が亡くなってから9年、隔週で墓参りに姉弟揃って行っています お盆の飾り付けももう毎年の習慣になり、今年もキレイに飾り付けていますねと住職に言われるよう、準備から整えています 未だに二人の着ていた服や持ち物も整理できていませんが、その中で暮らしています 姉は良いことがあると、両親のことを引き合いに出します 私も人からいただき物があれば、まずは仏壇において、報告します そんな毎日ですが、それが日常となりました

noname#233605
noname#233605
回答No.1

確かに肉親の最期を看取る、これは大変なことで、何をしても結局後悔しか残らないと思います。 お疲れさまでした、お父様にもお疲れさまでした。

関連するQ&A

  • 父の死

    一週間前に父が末期の肺がんでこの世を去りました。余命宣告を受けたあとは一切の抗がん剤治療や延命治療を拒否し、最期まで自宅での闘病でした。今まで生きてきて一番辛い出来事に、もう帰って来ないとわかっていても、空虚感が凄すぎて頭がおかしくなりそうです。同じ経験をされた方にぜひ言葉を頂きたいです。いろいろ聞かせて下さい。よろしくお願いします。

  • 肝硬変末期の腹水で苦しむ父と私の後悔

    C型肝炎から肝硬変末期になり、 腹水で苦しむ父の話です。 2月1日に肝性脳症で倒れて、入院しました。 それから毎日、母と私が父の看病に行っています。 今は総合病院で肝臓で代謝できないアンモニア等を、 点滴で除き、栄養も点滴で補充して貰っています。 一昨日、お腹に針を刺して腹水を抜き、 昨日、パンパンに腹水で腫れていた両足が 見違えるほどにきれいになって、 腹水で「しんどい~、しんどい~」と繰り返していた父が、 昨日は5時間ほど病院に居ましたが、 父の口から、「しんどい」の一言も出てきませんでした。 でも、針で腹水を抜き出す治療は何度もできませんが… 入院当初、私は父との別れが、もう近いと思っていました。 1ヶ月か、2ヶ月か…と、 そんなに腹水でしんどいなら、 いっそ肝性昏睡になってしまった方が、 父にとって良いのではないか? とさえ思っていました。 それは私だけの考えでしたが。 でも、昨日の父の回復した様子、 私が食べさせるのですが、 父の食事を食べる様子を見ていると、 父には、まだまだ「生きたい」という気持ちが有るのではないか? そういう父の生命力を感じました。 3月から今の病院を出て、家の近くの病院に移ります。 そこで、父の最期まで「闘病」をするつもりです。 私のことになってしまいますが、 私は長男で、思春期には父に反抗し、 うつ病になって、就職も出来ませんでした。 でも妻と2人の娘がいます。 近所の私は、毎週のように孫を連れて 父のところに遊びに行きました。 多分、父の期待に報えなかった私の懺悔の気持ちから… 今でも後悔しています。 そして、父の最期が来る時までに、 今まで親不孝を父に謝って、許して貰いたい、 その一心で、毎日、父の病院に足が向かいます。 映画じゃないですけど、1日便せん1枚の手紙を書いたりしています。 そんなことをしても、最後まで父への後悔は消えないだろうな… と思ってもいます。 最後に質問になりますが、 父の最期は、まだまだ先のことになると思いますが、 父から、許しの言葉を貰えなくても、私は良いです、 それよりも、父のように腹水で苦しんだ家族を看取られた方に聞きたいのですが、 どんなことを父にしてやれば、苦しみが癒えますか? (手足のマッサージとか?) それと、どんなことをすれば、最後に楽しい?良い思い出が残せますか? 病院食は不味いので、美味しいものも食べさせてやりたいです。 家族を亡くされた方には、嫌なことを思い出させてしまいますが、 どうか、アドバイスの方、よろしくお願いします。 m(_ _"m)ペコ

  • もう逝く父を看取ります何て言葉を父に言えばいいのか

    もう、ほとんど毎日、投稿しています。 父が3月11日に、 「余命1週間」と主治医の先生から言われています。 今日はもう、15日です。 たぶん?もう、父の時間が無いんですね… 私は匿名ですが、「nao913」です。 何度も質問をしているので、「質問履歴」を「公開」にしています。 http://okwave.jp/mypage/question/history これで、見れるか分かりません。 それか、私のネームの「nao913」のところをクリックして貰えれば、見れるかと思います。 どうか、ご参考にしてください。 大好きな父の最期を、何としても「看取る」思いでいます。 私と母と弟の3人は、もう時間単位、分単位で、考え、動いています。 かなり極限状態かと思います。冷静さも無いかと思います。 でも、大好きな父の最期に、悔いを残したくなく、 大好きな父の最後に、何て言葉をかけてあげればいいのか分かりません…… 父は3日前に、とうとう、言いました。 「ありがとう…… お世話になりました……」 って… 父さん!何言ってるの?! 世話になったのは私なのに。  私と弟を育ててくれたのは父なのに。 父が働いて、私と弟を食べさせてくれたのに…… 「運命は、運命は… 運命は、すべて天に任せるわぁ……」 と。 そうです、もう神様しか知らないことです。医師にも分かりません。 でも、時間が無い… 父が居なくなってしまう…… 弟が家族を連れて、東京から関西に来てくれました。 間に合いました… 転院を考えていましたが、もう、そんなこと考えてなんかいられない状況になりました… ヒゲを剃ってやりたいと思っていましたが、なんて「残酷」なことをしようとしていたのか、 「おばさん」から教えて頂き、やっと解りました… 医療関係者の方から、貴重な意見も頂きました。 もう、今までにたくさんの方から、良いアドバイスを、こんな私にかけて貰いました。 耳は最期まで聞こえる。と。 父が私たち2人の息子を育てるのに、どれだけの時間とお金と労力を使ったのか…と。 私たち子供が、父に孫を抱かせるまで育っただけでも、 私と母が、ずっと父の病室に居るだけでも、父は満足じゃないか?と。 「おばさん」からは、洒落者だった父の伸びたヒゲを剃ってやろうとしたら、 <今>、<生きている>、父に、そんな、「死の準備」みたいなことは、 父に<酷>と。 そう、悟らされました… その他にも、いっぱい、いっぱい、いっぱい、貴重な、有り難い言葉を貰いました… 本当に皆様、ありがとうございました。 m(_ _"m) 冷静になって書きますね。 父は肝硬変末期で、肝性脳症で倒れて、2月1日に入院しました。 2月18日に、食道の静脈瘤破裂で血を吐いて、個室に移されました。 それ以後、水しか飲んでいません。 ゼリーも嫌がります。 点滴の栄養は1日、200キロカロリーです…  主治医から、「餓死」することも考えてと… 腹水は3回、抜きました。 先週の土曜日が3回目。 でも、もう、腹水で、パンパンです。 脚もパンパンです。 昨日の体温が35.7度 血圧は、下が50台、上が100台 呼吸は特に変わったことが無いように思います。 母が24時間体勢で看てくれているので。 尿の量が、 3日前が360g 2日前が160g 160gと聞いて、看護師さんに「少ないですね…」と言われました。 昨日の18時の時点で、まだ80gでした…… 以上です。 こんなこと、冷静に書いている自分が信じられないです… 父に、 「ありがとうね。」 「しんどいね。」 「大好きだよ。」 「ごめんね。」 とか言ってきました。 毎日、病院に行ってますので… でも、本当の最期に何て言えばいいのか???? 私のことですが、高校の時、父との確執があって、 国立のO大学をでて、有名家電メーカー勤務の父を、 全面的に、父の人格まで全て否定してしまいました。 そして、私は、鬱病(抑鬱神経症)になって、 大学は出たものの、就職も出来ず、家庭教師のアルバイト… そんな私に父はどれほど失望させてしまったか… 幸い、今の妻と結婚出来たけど、 妻の収入で生活しています。 私は「主夫」です。 孫娘2人を抱いてもらいました… いっぱい、いっぱい、「ありがとう」と「ごめんなさい」があります… 父に懺悔したい私 父に感謝したい私 口下手で思ったことが言うに言えない私 です… 父になんて言ってやれば良いですか??? 雑な分で、本当に申し訳ありません・・・・・・・ m(_ _"m)

  • 彼の父が亡くなりました。

    闘病生活を送っていた彼の父が先日 亡くなりました。 彼と私は付き合って8ヶ月になります。 彼の実家には数回おじゃまさせてもらいましたが、 いずれも仕事後だったため、 お母さんに挨拶とお菓子を渡し、部屋でdvdを見て帰ったぐらいで お父さんとは一度も会いませんでした。 2週間ほど前に体調をくずされたお父さんが緊急入院をし、 そこからは どんどんと悪化してしまい、 家族は毎日交代で寝泊まりをしていました。 彼に、オヤジが会いたがってるから一度顔を見せてくれないかと言われたのが つい数日前です。 もちろん私は行く予定でした。 ただ、彼と私は前々から海外に一緒に行くことが決まっていたため、 (彼の親友の結婚式のため) 帰国したらその足で一緒に病院へ行こうという話になっていたのです。 しかし、まさかの 私たちが海外から帰国する10分前ぐらいに 亡くなってしまったと知らせがありました。 今、彼は、葬儀の準備などでバタバタとしていますが、 彼から 線香をあげてやってほしいと連絡がありました。 入院していたときに会いたがってたから。。と。 もちろん私としては行こうと思いますが 一般的にはどうなのですか? 非常識だと思われないかなどが気になります。 葬儀などは出席しませんが、 お線香とは いったいいつのタイミングであげるのでしょう? お墓? 葬儀の前?(自宅で眠られています) そのようなことに関して、わたしはなにもわかりません。。 彼に詳しく聞くのが気が引けましたので こちらで質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。

  • 父との永遠の別れ

    先日、父が亡くなりました。 約3ヶ月の闘病生活。 最後は実家で母、兄夫婦に看取られ、静かに息をひきとりました。 男性の平均年齢を超え、何より苦しまず眠るように楽に逝けたのは 本人にとっても、本当に幸せな事だと思っています。 突然の死ではなく、約一ヶ月の入院、二ヶ月の自宅療養がありましたので 私も少なからず看病でき、その間沢山話しが出来ました。 闘病生活が始まってから、父の人生を考える事が多くなりました。 人生で楽しい時期である青春時代を戦争で失くされ、戦争から帰って来たら 自分の父が逝き、一家の大黒柱として弟妹を一人前にし嫁がせ、一息つく間もなく 今度は自分の子供を育てる為に一生懸命働き・・・入院するまで働いている人でした。 父の一生はなんだったのだろう? 幸せだったのだろうか? 父に楽しみがあったのだろうか? もっともっと、元気な内にいろんな所に連れて行ってあげれば良かった。 後悔ばかりです。 父が入院してから、ずっとずっとこんな事ばかり考えて胸が苦しくなります。 いつかは、別れの日がくるって分かってたし覚悟してた事だけれど とても悲しいです。 シニア世代の方は、ご自分のご両親を見送った方も多いと思います。 親がいなくなるって、どんな気持ちだったのでしょうか? 「親孝行した。」って、後悔の無い方って沢山いるのでしょうか? 順番で行けば、次は母です。 後悔の無いようにっていっても、すでに高齢ですので大した孝行はできません。 切ないですね。

  • なぜ父は死んだのでしょうか?

    80歳の父は咳が続き、呼吸が苦しくなったので入院しました。主な既往症は胆管ガン・自然気胸です。今回の入院は誤嚥性の肺炎、気胸の疑いがあるということで治療(薬剤投与・肺にカテーテルを入れて膨らます)を受けていましたが、肺が膨らまず、精密検査をしたところ肺にガンが見つかりました。その話を医師から聞いた3日後に父は亡くなってしまいました…。なぜ父は死んだのでしょうか?死亡診断書には“肺炎”と書かれていましたが…肺炎で死ぬのでしょうか? 息を引き取る当日の早朝、呼吸が止まり心臓マッサージをしたと聞かされました。その日の午後に私が行ったときは発熱・全身痙攣が見られ、脳の浮腫みを取る点滴等をされていました。その前々日から熱が出ていたのですが、それまでは呼び掛ければ答えていたのに、熱が出てから最期を迎えるまで意識は戻りませんでした。 何の点滴をされていかのか等、専門的なこと(薬剤名)は申し訳ないのですがまったくわかりません。症状も私の主観です。ただ肺炎、気胸の治療を受けていた父が入院18日目に死んでしまったことが不思議で…。特に亡くる前になぜ痙攣を繰り返したのか…。 わかる範囲でかまいません、どなたか父の体に起こったであろうことを教えていただけないでしょうか?よろしくお願いいたします。

  • 父は寝たきりになるのでしょうか?

    今週の日曜日に父が実家で四回も吐いたそうでその二日後に脳出血だとわかり、入院を現在してますでも10日間くらいだそうです。もともと高血圧で脳梗塞にもなっており、また脳梗塞からくる若年性認知症をわずらっています。それに今肺癌とも闘病中です。何故それが脳出血かとわかったかというと吐く前の前の日くらいに去年肺癌の手術をうけた病院に検査にいき、CTをとったそうで吐いた次の日にもまた検査か何かあり、その時は母も車でついていったみたいで結果で脳出血とわかり即入院となりました。次の日も肺癌の検査があったようですがそれも延期です。また病気ばかりの話になりますが、父は43歳頃に真珠性中耳炎というそれも危なかったのですが脳までいきかけて死に至りかけた大きな手術をしてます。補聴器も片方してますが。あと言語障害や失語症は出ています。私は今日、母とお父さんの元へ行きますが歩き方がおかしいらしいです。話は長くなりますが、母も10年前に軽い脳出血になり入院をしました。同じ病院です。また父は真面目で優しく、病気になりながらも仕事がしたいとずっと探してきました。今62歳ですが、二年前までは血圧の薬も飲まずに働いていました。私が一人暮らしで寂しい時もどんな時でも父は相談に乗ってくれ私のいつも悪いところを教えてくれたりしました。自分が色々困らせた事が悔しくてなりません。何故父にこんな病気ばかりがつきまとうのかわかりません。

  • 病気の父へのプレゼント

    18日は父の日ですが、私も父に何かプレゼントをしたいと考えていますが、なかなか良いものがおもいつかなくて・・・・。 というのも、父は54歳で4ヶ月前から癌で入院しており、正直余命数ヶ月です。本人はまだ治ると思って抗癌剤治療を頑張っています。 そんな父に何を送ったらいいのか全然わからなくって・・・。今まではネクタイとか趣味の釣り道具などを送っていました。たぶん最後の父の日になってしまうと思うので、喜ぶものをあげたいのです。皆さんのアドバイスをください!!!よろしくお願いします。

  • 2ヶ月前にガンの闘病の末亡くなった父

    2ヶ月前に父が一年半のガンの闘病の末最後は自宅で亡くなりました。 積極的な治療はしない緩和ケアで三ヶ月に一回のペースで入退院を繰り返しながら 「症状の応急処置をして気分穏やかに過ごしていたら手術なんかするよりもかえって長生きする」という考えのもとやってきましたが、亡くなってしまいました。 食事をするときは父の分も生前使っていた食器を並べて配膳もして自分の分を食べた後に亡くなった父の分も「食べるね。」と心の中で声をだしながら食べるというようにしています。 亡くなる前と同じようにしているわけで、一応気持ちが落ち着きます。気持ちが落ち着くということはこの思いは父に届いているということでしょうか。この間これをしなかったら涙が出て悲しくなりました。これは単なる自己満足なのでしょうか。みなさんどう思われますか。

  • もう治らない病気になった父、どうすれば

    いつ死ぬかわからない父に、どうしてあげれば良いのか。 私は高校二年生の16歳女です。 半年前父親が倒れて、 入院し、かなり酷い肝硬変になっていて、治ることは無いと言われました。 腹水が貯まり肺にも水が溜まり、 水を抜いたりしていましたが、抜いても溜まり肺の片方が潰れ、 庇うようにずっと同じ体勢で寝ていたら皮膚が腐敗してくるらしく、 それが死ぬほど痛いらしく、寝れない夜を過ごし、 痛み止めももう効かなくなり、沈静をかけるか否か話し合いました。 本人は本当苦しそうで、本当の事を考えると、 沈静させてあげたほうが楽になれるけど、 家族からしたら、もう沈静をかけた時点で、 もう最期まで植物状態になります。 選べるわけありません。 でも、父の事を思って沈静をかける結果になりました。 今はずっと眠った状態です。 かける前に話を少ししましたが、もうこれが最期なんて思いたくないし、 他愛ない会話で別れ、その後沈静されました。 死ぬまで、この状態です。でも、もう死んでるみたいです。 薬を抜いてまた話したい。でも、それをするとまた痛みが襲う。 もう治らない病気にかかった父に出来る治療は、 せめて痛みを取ってあげることだと言われました。 沈静以外に方法は無いみたいです。 沈静しなければ、痛みに苦しむ父を放っておくだけになってしまう。沈静のかかった父はずっと眠ったままで、見舞いに行っても、会話はもう出来ません。父は「早く薬を打ってほしい、痛みに耐えられない。沈静してもお前とは話せる自信がある」と話していました。 涙が止まりません。沈静をやめて、もう一度話したい。けど痛みに父は苦しみます。正直、本当に心臓が止まるのも時間の問題です。沈静をといて最期になるから話そうというのもおかしな話ですよね。 大好きな父なので どうしたらいいのかわかりません