父を看取る思いで、最期に何て言葉をかけるべきか

このQ&Aのポイント
  • 父が余命1週間と宣告されたため、最期の時間を大切に過ごしている私と家族。父に向けて言葉をかけることが悩みだが、感謝と懺悔の気持ちを伝えたい。
  • 父の最後に言葉をかけることができる最後のチャンス。父が私たち子供を育てるために尽くしてくれたことに感謝の気持ちを伝え、過去の確執に対する悔いも伝えたい。
  • 父の病状は肝硬変末期であり、食道の静脈瘤破裂による出血や腹水の問題などがある。父の最期に心からの感謝と懺悔の言葉を伝えたいが、何を言えばいいのか悩みがある。
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もう逝く父を看取ります何て言葉を父に言えばいいのか

もう、ほとんど毎日、投稿しています。 父が3月11日に、 「余命1週間」と主治医の先生から言われています。 今日はもう、15日です。 たぶん?もう、父の時間が無いんですね… 私は匿名ですが、「nao913」です。 何度も質問をしているので、「質問履歴」を「公開」にしています。 http://okwave.jp/mypage/question/history これで、見れるか分かりません。 それか、私のネームの「nao913」のところをクリックして貰えれば、見れるかと思います。 どうか、ご参考にしてください。 大好きな父の最期を、何としても「看取る」思いでいます。 私と母と弟の3人は、もう時間単位、分単位で、考え、動いています。 かなり極限状態かと思います。冷静さも無いかと思います。 でも、大好きな父の最期に、悔いを残したくなく、 大好きな父の最後に、何て言葉をかけてあげればいいのか分かりません…… 父は3日前に、とうとう、言いました。 「ありがとう…… お世話になりました……」 って… 父さん!何言ってるの?! 世話になったのは私なのに。  私と弟を育ててくれたのは父なのに。 父が働いて、私と弟を食べさせてくれたのに…… 「運命は、運命は… 運命は、すべて天に任せるわぁ……」 と。 そうです、もう神様しか知らないことです。医師にも分かりません。 でも、時間が無い… 父が居なくなってしまう…… 弟が家族を連れて、東京から関西に来てくれました。 間に合いました… 転院を考えていましたが、もう、そんなこと考えてなんかいられない状況になりました… ヒゲを剃ってやりたいと思っていましたが、なんて「残酷」なことをしようとしていたのか、 「おばさん」から教えて頂き、やっと解りました… 医療関係者の方から、貴重な意見も頂きました。 もう、今までにたくさんの方から、良いアドバイスを、こんな私にかけて貰いました。 耳は最期まで聞こえる。と。 父が私たち2人の息子を育てるのに、どれだけの時間とお金と労力を使ったのか…と。 私たち子供が、父に孫を抱かせるまで育っただけでも、 私と母が、ずっと父の病室に居るだけでも、父は満足じゃないか?と。 「おばさん」からは、洒落者だった父の伸びたヒゲを剃ってやろうとしたら、 <今>、<生きている>、父に、そんな、「死の準備」みたいなことは、 父に<酷>と。 そう、悟らされました… その他にも、いっぱい、いっぱい、いっぱい、貴重な、有り難い言葉を貰いました… 本当に皆様、ありがとうございました。 m(_ _"m) 冷静になって書きますね。 父は肝硬変末期で、肝性脳症で倒れて、2月1日に入院しました。 2月18日に、食道の静脈瘤破裂で血を吐いて、個室に移されました。 それ以後、水しか飲んでいません。 ゼリーも嫌がります。 点滴の栄養は1日、200キロカロリーです…  主治医から、「餓死」することも考えてと… 腹水は3回、抜きました。 先週の土曜日が3回目。 でも、もう、腹水で、パンパンです。 脚もパンパンです。 昨日の体温が35.7度 血圧は、下が50台、上が100台 呼吸は特に変わったことが無いように思います。 母が24時間体勢で看てくれているので。 尿の量が、 3日前が360g 2日前が160g 160gと聞いて、看護師さんに「少ないですね…」と言われました。 昨日の18時の時点で、まだ80gでした…… 以上です。 こんなこと、冷静に書いている自分が信じられないです… 父に、 「ありがとうね。」 「しんどいね。」 「大好きだよ。」 「ごめんね。」 とか言ってきました。 毎日、病院に行ってますので… でも、本当の最期に何て言えばいいのか???? 私のことですが、高校の時、父との確執があって、 国立のO大学をでて、有名家電メーカー勤務の父を、 全面的に、父の人格まで全て否定してしまいました。 そして、私は、鬱病(抑鬱神経症)になって、 大学は出たものの、就職も出来ず、家庭教師のアルバイト… そんな私に父はどれほど失望させてしまったか… 幸い、今の妻と結婚出来たけど、 妻の収入で生活しています。 私は「主夫」です。 孫娘2人を抱いてもらいました… いっぱい、いっぱい、「ありがとう」と「ごめんなさい」があります… 父に懺悔したい私 父に感謝したい私 口下手で思ったことが言うに言えない私 です… 父になんて言ってやれば良いですか??? 雑な分で、本当に申し訳ありません・・・・・・・ m(_ _"m)

noname#215716
noname#215716

質問者が選んだベストアンサー

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  • utyatopi
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回答No.46

おばさんです。おはようございます。 昨日はお疲れ様でした。 毎日挨拶をするお位牌ですから、満足いかれるものがみつかり良かったですね。 少しずつでも手続きを進めることによって、気持ちの中に静かに静かに<受け入れ>が忍び込んできます。 でも、それは決して<忘れる>ことを促すわけじゃなく、極限の気持ちの救け(?)になっていってくれるものなんだと思っています。 無理をされませんように。 またね。

noname#215716
質問者

お礼

はい、昨日はK市の中心街まで車で母を乗せて行って、 少し?母が「奮発?」しましたが、(^_^;) 父が宿ってくれる、黒くて良い、ご位牌を見て、 何か?出来上がるのが楽しみになりました。(*^-^)♪ 昨日はお寺さんが「喪」について説明してくれました。 「子」は「配偶者」より長く喪に服すらしいです。 父にとって私は直接「血」がつながっているからと。 1年と1ヶ月は「喪中」になるそうです。 まあ、相続の期限が10ヶ月で、 1年ぐらいは、父のことを想ってしまいますね… でも、もう、悲しいとか、そういう気持ちは薄れていき、 父が立派な「ご位牌」に宿って、 毎日、拝めると思うと、心が静まります。 「宗教なんて!」って思ったこともありましたが、 でも、昔から続いていることは、やっぱり有り難いです。 今日は、白檀の香りの、渦巻き線香をつけて、 父をお参りしました。 年金の書類が届いていたので、持ち帰り、 ちょっとチマチマと?書かないといけませんが(^_^;) 明日は母の家に私たち家族が押しかけて、 焼き肉パーティー?します。(;^_^A もう材料は買っています。(*^-^)ニコ/♪

その他の回答 (45)

  • utyatopi
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回答No.45

おばさんです。報告をありがとう♪ お礼なんて気にしなくて良いからね。 貴方が広く回答を求めたい時には、前のように新しく質問を立ててね。 貴方が書きたいときに書き込めるよう、(内緒で)ここだけで書き込んでいきますね。 欝は波があると思う。 だから無理をしないで、出来る時にできることを・・・で、充分だと思うよ。 外に目を向けられた時に、袖擦り合った方たちと繋がっていけたら良いね。 今日はお疲れ様でした。 ゆっくりお湯で疲れを解してくださいね。

noname#215716
質問者

お礼

いつも、いつも、ありがとうございます。<(_ _)> ペコ さっき帰って来ました。 報告しますね。 1日で出来る事は限られていますが、 今日は、父の年金を年金機構に電話して確認。 介護保険で、介護は受けていないので、その手続き、 それから、父の、お位牌を母と注文に行きました。 私の運転で。 4月12日に出来上がるのですが、 今の白木のお位牌から、少し高いですが、 黒いお位牌に、父が納まると思うと、 帰りの車の中で母と、何か?一区切りついた気持ちで、 何かよく喋っていました。 保険・年金・相続については、書類が届いていないのもあって、 ほとんど進みませんでしたが、 お位牌が決まって、本当に、一段落です。(;^_^A

noname#215716
質問者

補足

おばさん、有り難う! ホンマに、癒されます…m(_ _"m)ペコリ 今は、もう事務的なことをしています。 http://okwave.jp/qa/q8014544.html 母の生活を守らないといけないので… また、明日、報告しますね。♪

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.44

おばさんです。 ・・・案じていました。 逝く瞬間を看取れなかったのは、ちっとも重大なことではないんだよ。 相続までが大変なら、今は放っておいて良いんだよ。 動けないなら、横になっていれば良いんだ。 耐えられなければ、泣いていても良いんだよ。 貴方は何も悪くないんだ。 だから、無理なんてしなくても良いんだ。 貴方が自分を責めることなんて何1つないんだ。 家族だって誰1人貴方を責めるなんてないんだよ。 焦らなくて、良いんだ。 罪悪感なんて感じなくて良いんだ。 貴方はよく頑張った! だから、疲れただけなんだ。 辛くて部屋から出れなかったら、焦らずに、出たくなるのを待ってみたら良いさ。 窓から咲き始めた桜でも眺めて、自然を感じてみて。 貴方は大きな自然の中で生かされているんだ。 だから、安心してゆっくり休んでいよう。 明後日は主治医の先生の診察ですね。 お花見がてら、散歩のついでに行くことができたら良いですね。 ○○しなくちゃ<いけない>・・・なんて、自分をがんじがらめに縛らないで。 ○○しなくちゃ<いけない>・・・なんて、誰も言っていないし、思ってもいない。 貴方は貴方のままで構わないんだ。 貴方自身が貴方にやさしくしてあげてね。 今日は風もなく、日向ぼっこができるよ(^-^)

noname#215716
質問者

お礼

お返事、いつも、ありがとうございます。m(_ _"m) 報告だけになってしまいますが… 今日は、上の娘を学童に行くのを見届けて、 朝に熱いシャワーを浴びて、実家に行きました。 今日は午前中だけ。13時まで実家で諸手続を… といっても出来ることは限られていて、 ・父の会社の保険組合から送付された書類の整理 ・K電力への支払い口座を父から母の口座に移転の手続き 上の2つだけで、3時間ぐらいかかりました… 遺産相続なんて、まだまだ遙か先のことです。 ひとまず、父の健康保険に入っていた母ですが、 父が「除籍」になったので、今は社会保険に無加入状態で、 会社の保険組合に電話して、国民健康保険に加入すると、 教えて貰って、初めて分かる始末・・・・・ 今日、母が区役所で手続きをして、保険証が届くのは、 早くて、来週の月曜とか・・・・・ 父の祭壇に、3回、お参りして、 動揺しないよう、疲れないよう、 「心を殺して?」淡々と今日出来る事務をしました。 明日から毎週木曜日に、七日・七日の法要です。 私の精神科の主治医の診察が木曜なので、 先生に会って話したいことは山ほどありますが、 4月28日に四十九日の法要で、納骨まで済ますと、 母とお寺さんで決めたので、 自分の「鬱」の調子を見ながら、必要なら、 法要を(午前中なので)抜いて、診察に行こうかと思います。 おばさん、心配してくれて、ありがとうございます。 正直、ホンマにしんどい… でも、ネットって、本当に有り難い。 FBで、中学の同窓生が見つけてくれて、友達になって、 その子、3人の子のママさんだけど、 1人、娘さんが、自分で立てなくてね、 歩行器とかでリハビリしてるねん。 その写真は、娘さん、「良い笑顔」でね・・・・ 「オジサンも負けへん!応援してます!」 ってコメント書いたら、パワー貰ったよ。

noname#215716
質問者

補足

おばさん、ありがとうございます。 3日間、鬱で寝込んで、さっき久しぶりに家族で、 晩ごはん、食べました。 でも、今日も寝込んでいました。 もう、疲れたので、また明日、 ちゃんと、お礼させて頂きます。 申し訳ありません。m(_ _"m)ペコ

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.43

すいません。かなりPCから離れてざるを得ず、今更ですが書き込みしてます。 お父様が旅立たれたとの報告、今読みました。 ご冥福を本当に心よりお祈り申し上げます。 大きな存在との別れの受け取り方は人それぞれだと思ってます。 乗り越えるとか、受け入れるとか、こだわるとか、引きずるとか・・・ そういう言い方もできるけど、どれも正解じゃない気もするし、どれも正解だとも思う。。 上手く言えませんが、質問者さんは、質問者さんなりの感じ方をすればいいし 日常は容赦なく「今まで通り」に進んでいくけれど、そこへ自分なりの戻り方をすればいいと思ってます。 私は1年前、祖母との別れを経験しました。 どうやら母との別れも遠くないようです。 質問者さんの質問やお礼・補足、他の方の回答を読ませていただいて、そして、私も自分なりの想いを書かせて頂いて「私も“ちゃんと”できるかは別にして、自分なりに向き合っていこう」と思うことができました。 泣いたり、泣けなかったり、頑張り過ぎたり、逃避したり・・・きっと私は心の中でドタバタしちゃうな。 でも、それでいいんだって質問者さんが思わせてくれました。本当にありがとうございます! なんか、自分の話になっちゃってすいません。 質問者さんは、休むことを恐れないで下さいね! 疲れとか以前に、大きな変化があったという時点でうつ病には負担なはずですから。

noname#215716
質問者

お礼

父の葬儀まで、耐えていました・・・・・ この2ヶ月、耐えていた糸が切れて・・・・・ 自分の「心を殺して」、お骨拾いまでしました。 でも、父の相続を母に出来るまでの手続きを始めると、 父の残した、綺麗に整理された保険などの書類を見て、 泣けてきて、辛くなって、父が偉大すぎて、 とうとう、鬱病の「鬱」が出て、 一歩も部屋から出れなくなりました。 父の逝く瞬間を看取れなかったこと・・・・・ 父から母への相続まですることが膨大なこと・・・・ いくら抗うつ剤をのんでも、鬱になって・・・・・ あの父が、あんな姿になって、骨になって・・・・ もう、動けない・・・・ もう、耐えられない・・・・

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.42

おばさんです。 >「充分親孝行」なの? うん! 貴方という子供を授かれたこと。 貴方から2人の孫を授かれたこと。 貴方が順不同をせず、お父様を送って差し上げられたこと。 私はこれで充分だと思っている。 他のことは、何とでもなるさ、と。 だから、私は自分の体が心配なときには、不安よりも先に<母を悲しませてはいけない!>という強い思いだけがあり、父に私を見守ってくれるように頼んでいる。 貴方も希死念慮がわいたら<順不同で母を悲しませてはいけない!>という強い思いを持ち、お父様に貴方を見守ってくださるよう頼んでください。 順不同になった時の親は、自分の身を切り刻むほどの悲しみと苦しみに苛まれると思う。 人生にはこれ以上の苦痛はないと思う。 だから、他のことは…何とでもなるさと、腹をくくっている。 だから、貴方が順不同をせず、お父様を送って差し上げられたことで、充分親孝行だと思っている。 >ゆっくり休んでいいの? うん、休める時に体を休めておこう。 そうすれば、心も少しずつ落ち着いていく。 焦る気持ちばかりがハヤったところで、何もできないよ。 そして、貴方ができる範囲で、焦らずに、周りに助けてもらいながら整理を進めてください。 弟さんのメール。 心うたれます…。 貴方はたくさんの<愛>に見守られていらっしゃいます。 それだけは忘れないで。

noname#215716
質問者

お礼

父の葬儀まで、耐えていました・・・・・ この2ヶ月、耐えていた糸が切れて・・・・・ 自分の「心を殺して」、お骨拾いまでしました。 でも、父の相続を母に出来るまでの手続きを始めると、 父の残した、綺麗に整理された保険などの書類を見て、 泣けてきて、辛くなって、父が偉大すぎて、 とうとう、鬱病の「鬱」が出て、 一歩も部屋から出れなくなりました。 父の逝く瞬間を看取れなかったこと・・・・・ 父から母への相続まですることが膨大なこと・・・・ いくら抗うつ剤をのんでも、鬱になって・・・・・ あの父が、あんな姿になって、骨になって・・・・ もう、動けない・・・・ もう、耐えられない・・・・

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.41

おばさんです。 親の死をいくらお葬式をあげたからって、受け入れられるわけないじゃない。 私は56歳で亡くなった父の遺品のノートすら、20年以上、まだ見ることもできてないよ。 1回、頑張ってページを開いたんだけれど、涙で3行くらいも読めなかった。 私だけでなく、母も、弟も…。 父の年をこえたというのに…。 父はあの日から、56歳のまま、私たちの心の中で生きてくれている。 思い出はいくらでも話せるけれど、父が書いたものは…多分…辛くて読めないまま、母のお棺に入れるんだろうな。 亡くなった人は偉大だよ。 まして親なら永遠に太刀打ちできない。 できなくて当たり前なんだ。 近づけるようにさえしたら良いんだ。 お父様を心に想いながら、一緒に人生を教えてもらいながら、ゆっくり貴方のペースで歩いていけば良いんだよ。 わからない時には<これで良いんだよね>と、心の中のお父様に問いかけながら、進んでいけば良いんだ。 貴方のことは絶対に見守っているよ!! 自分を責めたら、お父様が悲しむよ。 貴方は頑張った! 精一杯頑張った!! それで充分!!! 充分親孝行だよ!!! ゆっくり休んで(^-^)

noname#215716
質問者

お礼

おばさん、何度も世話になりますね… >自分を責めたら、父さんが悲しむ 私も弟も、自分を責めたら、父が悲しむと知っています… 私も弟も、残された母を守らないといけないと思っている… >頑張った >精一杯頑張った >それで充分 >充分親孝行だよ >ゆっくり休んで… なんか違うような気がするだよ… おばさんに歯向かうみたいだけどね… 確かに、父が息を引き取るまで看取った。 確かに、父の葬儀を無事に送ることができた。 でも、 それで、「充分」なの? それで。「充分親孝行」なの? ゆっくり休んでいいの? そりゃ、父さんは、まだ四十九日まできてないから、 冥土までたどり着いてないかも知れないけど、 苦しい肉体から解放された・・・・・・ 弟のヨシが東京に明日、帰るけど、 兄のマサの私は、社会に出てないから、 役所関係、病院関係、銀行関係、香典関係等にうとい。 父は自分で確定申告の書類まで作っていた… 倒れて入院する寸前まで… 今日3月21日から役所関係等々が動くから、 兄と弟は、何も出来ない母の代わりに動くよ。 病院の精算なんて、2~3週間かかるって言われた。 銀行預金の口座の名義替えは、母が父の生前からしてた。 まだ何が残っているのか、どうすればいいのか? 今日、実家に行って、弟と母に聞かないと兄は分からない。 だから何? ですよね… 1ヶ月かかても、半年かかっても、 居なくなった父の関係の処理をすればいいだけのこと… 社会に疎くても、素人だから、詳しい人に教えて貰って、 ゆっくり間違わずに進めて終えればいいだけのこと… >亡くなった父は偉大。 >まして、親だから、なおさら偉大です。  立ち向かえない、太刀打ちできない…  父も祖父が亡くなった40年前同じ状況だったろうに… >出来ないのは当たり前。  ホント、ボクも弟も、  今まで自分の家族を、自分の子供を守ることだけで  精一杯で…  病院の精算、葬儀会社の精算、役所関係したことない。  分からないことばかり。 でも、少しぐらい遅れても?分からなくても? お金のことは、淡々とすれば良いんです。 弟からメールが来た。 兄ちゃん 父さんがもう居ないことを受け入れられないのはしかたないよ。 僕も全然受け入れられなくて今も食卓でメールを打ちながら、 父さんが二階からスリッパの足音を立てながら下りてきて、 リビングの扉をがちゃっと開けて『何やヨシ帰っとったんか。 はよねえよ』と言われそうな気がするよ。 僕は3/17に写真と棺桶に一緒に入れる遺品を一人で取りに帰り、 そこで目にした全てに涙し、父さんの部屋で誰に憚ることなく おもいっきり泣いて、少し気持ちが楽になった気がしたよ。 泣かないで過ごすなんて無理だから、 兄ちゃんが現実を受け入れたくないと思うのは普通だよ。 鬱になるというよりも、父さんを失った悲しみを乗り越えるめ、 今は父さんのことを思い、偲び、自分の気持ちを何とか整理しようとしているんじゃないかな。 僕自身すぐに涙が溢れだす状況からいつ回復できるか自信ないけどね。 時間が寂しさを忘れさせ、父さんとの楽しい、暖かい、懐かしい、思い出だけにしてくれると思って、暫くは思うままに泣いて自分の気持ちを楽にしたいと思ってます。 兄ちゃんも一緒に哀しみを乗り越えようね。 って。 長くなってごめんなさい。 父は手で字を書くのが下手で、メモなんか読めなかった。 だから、父が、生前に、自分の書斎で息子宛に手紙を書いて いるとは思っていません。 でもパソコンがある。 パソコンなら、字が下手な父でも、 何か息子に書いて残してくれているかも知れないと思って、 父のパソコンの中、必死に探した。 絶対にワードで手紙を残しているはずだ… でも、見つからない… 父の残した言葉が欲しい… 人が1人、居なくなったら、その整理に1年はかかるって聞いた。 だから、急ぐことはない。 それより、父を偲んで、弔って、泣くしかない… そうでないと、先に進めない。 母も、妻も、子供も守れないから。 何を書いているのか分からなくなってしまいましたね。 長すぎる…

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.40

おばさんです。 >父は、みんなに慕われていたんですよ。 >良い葬儀だったと思います。 >良かったよ。 うん(^-^*)

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.39

おばさんです。 本当にお疲れ様でした・・・。 まだまだ、今日のお墓参り、会計精算などの引き継ぎや支払い等で大変だと思いますが・・・。 お母様はお家に帰られて・・・お一人なのでしょうか・・・。 さみしさ、悲しさ、辛さはお葬式のバタバタに紛れていましたが、忙しさが終わると・・・どっと襲ってきます。 いままでご夫婦だけでの生活でしたのならば<お父様への供養>だと思い、貴方に無理のない範囲で、毎日顔を見せたり、電話をしたりして、お母様の話を聞いて差し上げてください。 「我」を通すことも、今は許して差し上げましょう。 お父様が亡くなられて、今は<自分が!>頑張らねば!との気負いが、拍車をかけてもいるのでしょう。 でも、1人の夜はとてつもなく暗いし、長いし・・・朝の1人での目覚めは言いようのない寂しさに包まれます。 弟さんご家族も東京に帰られてしまうので、さみしさはひとしおでしょう。 話をさせてあげること、話を聞いてあげること・・・それがお母様を<守る>ことになるのだと思います。 貴方自身の苦しさも、お父様の<良き思い出>を話されることで、少しずつ救われて(?)いかれると思います。 奥様は影で本当に大変だったと思います。 心からの感謝や、ねぎらいの言葉をかけて差し上げてくださいね。 今、貴方には隣で悲しみに寄り添ってくださる、大切な奥様と娘さんたちがいる。 いつも大切な奥様と娘さんたちがいてくれる・・・幸せ。 貴方の心に余裕はないかと思います。 ですが、それでも・・・お母様のお悲しみに・・・いるだけでいい、聞くだけでいい。 ただ黙って・・・寄り添って差し上げてほしいなぁ・・・。

noname#215716
質問者

お礼

先ほど、お墓参りから帰ってきました。 40年前に、祖父が60歳で亡くなった時に、 父が建てた墓石です。 18年前の震災で、倒れた墓石は角が・・・・・・ って、書きながら、横になって、寝ていました。 何か、夢を見てました。 これは、夢だって分かってました。 夢だから、起きたら、嫌な事が有る、 って警告していました。 起きたら分かりました。 現実だ。 そうだ、現実だ… 現実は… あの汚い墓を、こまめに行っては、毎回掃除していたのは父、 あのうるさい母さんを黙らせて、黙々と家を回していたのは父、 細かい請求書、役所関係、香典関係、やっていたのは父、 母さんだけじゃ、何も出来ない。 だから息子の私と弟が居る。 でも、弟は明後日にでも東京に帰る。 私は、弟のように会社勤めでなく、鬱病で、主夫で… だから… 社会のことに、うとい… 知らない… 起きたら現実で、 起きたら、現実は、父さんが居なくなってて、 それは、病院からずっと見てたから、本当に、現実で、 墓石の裏の、建立した父さんの名前、 赤色に塗られていたけど、もう赤色がはげ落ちていて、 弟に電話して、墓、見たら泣けてきたって言って、 父さんって、「偉大だね」って言い合って、 弟も一緒に泣いて、 そのまま寝て、夢を見て、 起きたら現実で… アカン… これだけ、書いてきたのに、 ボクはまだ、現実を受け入れていない・・・・・・ あの「偉大な父さん」が、 あんなに小さくなって、 しわくちゃになって、亡骸みたいになって、 亡くなったことを… まだ、ボクは受け入れてなくて… そんな自分に、唖然として・・・・・・ 静岡のいとこに、メールで、 「いい叔父ちゃんって言ってくれてありがとう。  何よりも供養になるよ。」なんて解ったようなメール送って、 メールが帰って来て、 やっぱり、父さんが居ないことを、もう1回、知って…… ダメだ。 看取ったのに、葬儀を送ったのに、 私は受け入れができていなかった… 時間、かかりそうです。 頭で解ったふりして、深層心理はそれを拒絶してる… 明日は、無理だけど、 木曜日、精神科の主治医の診察があります。 先生に言わないと… 先生から教えて貰わないと… どこまで情けない42歳だ… どこまで情けない42歳だ… どこまで情けない42歳だ… ダメだ・・・・・・・ 父さんが偉大すぎる。

noname#215716
質問者

補足

今日は、もうすぐお墓参りに行きます。 私と弟と母と私の家族で。 ちょっとバタバタしてます。 昨日は、弟が実家に母と一緒に泊まりました。 今日、弟は東京に帰ります。 父が居なくなって、広い実家に、母だけです… 私が車で3~4分のところに住んでいるので、 電話なり、買い物の帰りなり、 声を聞いたり、顔を見たり出来ますが、 なんせ、母にとっては世話のかかった父?だったから、 気が抜けたようになるかもです・・・・・・ ちょっと途中なんで、この欄に書きました。 またお墓参りが終わってから、 いろいろ?報告しますね。     m(_ _"m)ペコリ

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.38

おばさんです。 お疲れ様でした。 悲しみが深すぎたままでは、お体に障りますよ。 お父様のご冥福を心静かにお祈りいたしましょう。 心と体を休めてくださいね。

noname#215716
質問者

お礼

おばさん、お礼するつもりが、一晩寝ても、 疲れが取れなくて・・・・・・ もう、とにかく、いろいろありました… すみませんが、 このページの「お礼?」の欄を見て下さい。 http://okwave.jp/qa/q7999381.html 今日は、お墓参りで、ボクはもう1回、寝ます… 申し訳ありません。 m(_ _"m)

noname#215716
質問者

補足

おばさん、ありがとうございます。 いま、さっき、実家から帰って来たところです… 悲しいのもありつつ、 とにかく、雑務等々で疲れてしまったので、 明日、また、ちゃんとお礼させてもらいます。 失礼します… m(_ _"m)

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.37

おばさんです。 今日1日、本当によく頑張りましたね! 皆さんの温かい回答に心打たれました。 貴方のお礼にもお父様への愛が溢れています。 明日もお父様は見守っていてくださいますよ。

noname#215716
質問者

お礼

おばさん、ありがとう。 たぶん?次の質問?を見て これを書いてくれたんだと思うんだけど? あのお礼、酒は飲んでなかったけど、 調子に乗って書いたかも知れない… 寂しかったし。 悲しかったし。 父と何もお別れ出来なかった。 次の質問で一番上に書いている人のように、 自分の最期も考えたよ… 酒は飲まないけど、タバコを吸う自分は、 「ろくな死に方できないやろな…」 って父を看病している時から思った。 でも、娘が成人するまで生きたいと前から思っていた。 だから、あと18年?20年? 今、42歳だけど、どうなるか分からないけど、 希死念慮からきているのかも知れないけど… 60歳で自分が逝っても良いと思っています。 とにかく、今日も乗り切るよ…

noname#215716
質問者

補足

もう書く欄が無いので、 無理矢理?補足の欄に書かせてもらいます… 昨日の告別式の報告です。 報告します。 昨日は11時からの告別式でした。 でも、朝は私の妻の着物の着付けがあるので、8時過ぎ出発。 11時の式が始まるまで、 父の棺に入れる物を探していました。もうバタバタ。 式場には小さな紙に、お手紙をと渡されましたが、 こんな小さな紙じゃ何も書けないよ… 急いで、9時過ぎに車に乗って、近くの駅前店舗に。 専門店に文具屋さんがありましたが、10時開店… 隣のダイエーに入り、1階は開いていたものの、 3階の文具コーナーが10時開店… 階段の黄色い鎖は、もう勝手に取って、3階に。 店員さんが、1人。 「すみません、営業時間外とは分かってますが、売ってください」 って。 色紙5枚セット、筆ペン、便せん を買わせて貰いました。 かなり無理してるって、自分でも分かっていました… 10時半に、集合写真とか。そんなん、どうでもいいのに。 自分は、カバンに色ペン等用意しているので、 姪っ子に、色紙に「お祖父ちゃんに書いてあげてね」と渡し、 私は、色紙に筆ペンで、 高校で習った漢文ですが、父の気持ちを代弁するつもりで 書きました。 以下、漢文。 我人生是飲酒也 我人生是会話也 我人生是家族也 我人生於是無悔 と。 私の人生は酒を飲むことです 私の人生は酒を飲んで、仲間と集まって楽しく会話することです 私の人生は家族です 私の人生において、悔いは有りません。 という意味です。 1枚失敗して、もう1枚書きました。 父の棺の横に置き、読経が始まりました。 お経を聞きながら、坊主のお経より、親父に最後の手紙や! って、便せんに2枚しか書けなかったけど、 「ありがとうございました。」と 「おつかれさまでした。」と 楽しかったよ、嬉しかったよ、母さんを守るよ、 父さん、ボクたち孫の家族も守ってね、と。 読経の間、母と私と弟と妻2人が前に立って、 皆様に挨拶を。 喪主の母は、やっぱり感情が高まって、 最後の挨拶の文を読めない状態になりましたが、 でも、最後まで読みました。 読経が終わると11時、出棺の前。 みんなと皆様が集まって、 ドライアイスで冷たくなった父の顔を触って。 父さん、こんなに冷たくなって… 寒いやろ… って。 それから、出棺、火葬場へ。 いったん帰って食事。 食う気もしない、呑む気もしない。 父は焼かれている。 私は、食べるも食べず、外に出て、1本だけ一服を… また火葬場へ。 淡々と時間が過ぎる… お骨拾い。 骨、いっぱいあるのに、骨壺に入るの少しだけ。 父さんの骨のかけらを1つ、 黙ってハンカチに入れて、持って帰って来ました。 また、お守りに入れようと思って… また、斎場にもどって、初七日の法要。 もう坊主の読経はええわ! 坊主が帰って4時。 ここで、たいがい疲れてます。 弟家族が東京に帰るので、その準備とかもあって、 5時ぐらいに、斎場を出たかな? それでも、私と母と弟は、まだ終わりません。 実家に帰って、3人で座敷を掃除、 18時に斎場の担当の方が、灯籠とか親父の祭壇等々を 持ってきてくれて、組み立ててくれましたが、 四十九日が終わると、しまって、初盆にまた出すので、 一緒に組み立てて、覚えて、 食器やその他等々の配置を写真に撮って… 19時だったか、3人で食事に行って、帰って、 今度は、お香典の金額確認と簡易リスト作り。 親族だけで、一般の方のお香典は断っていたのですが、 それでも、終わったのが22時かな? 嫌な事だけど、 母親が、オレがリスト作って、名前書いて、金額書いて、 そういうことしてると、 誰々が来てない、誰から香典貰ってない、 この人は誰?って聞くと、 この人は、お父さんの・・・・って長い長い話が始まって、 もうええ!時間が無いねん!!って切れると、 黙って聞きなさい!と逆ギレ! 祖父の実家の本家の誰々とか、 父のいとこの関係の誰々とか、 今、言って聞いておかないと、覚えないでしょ! って。 ボクも弟も、PCのエクセルで表を作って、 書き込んで、しんどいのに、 母だけ、何も出来ないから、 やれ、誰の香典がどうのこうのとか… 言うだけ言って… 母が2階に上がっていなくなって、 父の位牌の前で、弟と やばいな… オカン、自分の言いたいことだけ言うようになってるな。 お前は知らんと思うけど、転院の件でも、 ギリギリにヤバイ状況やったんや。 親父の病状があと1ヶ月、3ヶ月続くと、 さすがに、オカンを説得して転院させなアカンかってん、 そんでも、オカン、聞く耳もたへんから困ってな… オレの嫁さんにも自分の言いたいこと言うだけ。 開いての話を聞こうとせえへんねん。 おまえとこの嫁さんにはどうや? こっちも疲れてるで。言いたいこと言うだけだから。 もう、家族の恥かも知れませんが、 母は、66歳なのに?性格か? 自分の「我」を通すので、私と弟の嫁さんの家族にも、 言いたいこと言って、開いての話を聞きません… これは、私が家に帰るとき、 さすがに、弟と2人で、 「母さん、ああなって、今まで父さんが抑えてくれていたけど、  父さん大変やったろうな… オレらが抑えんとアカンな…」 って会話して、23時。 私の家は近いものの、 何か、感情が複雑で、1日を通すと。 泣きそうになったり、 辛かったり、 切れたり、 逆ギレされたり… とにかく疲れるだけ疲れて、もう寝るだけ… まだ、疲れが出てきたので、もう一眠りします… すいません。 お礼でも何でも無く、ただの愚痴ですね… ほんとに、申し訳ありません。 m(_ _"m)

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.36

おばさんです。 お礼を本当にありがとう。 この気持ちが、少しでも貴方の支えになってくれることを祈っています。

noname#215716
質問者

お礼

ごめんね… もう、出ないといけない…

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    このカテゴリ<家族>の中で、何度も投稿しています。 まず、私は匿名ですが「nao913」です。 本当に皆様にお世話になった上に。再び質問をしますので、 私の質問履歴を「公開」にしました。 どうぞ、ご覧ください。m(_ _"m)ペコ さて、私の今回の質問ですが、 父は3月16日の土曜日の11時に亡くなりました。 今は、葬儀も終わり、父の年金・保険・相続などの手続きに追われる毎日です。 今さら、蒸し返すようなことになってしまいますが、 父が亡くなるまでに、私が息子として、してきたことに、いくつか後悔があります・・・ 3月12日(火) 父が病床で言い始めたんです… 「○○、母さん、お世話になりました… 本当にお世話になりました……    運は、運は… すべて天に任せるわぁ・・・・ 」 と そこには、2月1日から毎日、父を看に通っていた私と母がいました。 母はその日の前の月曜日に、医師から「余命は1週間です」と言われて知っていました。 しかし、それを知らなかった私は、父がもう長く無いと感じていましたが、 まだ1ヶ月、いや3ヶ月かも?と思っていました・・・・ 父の「お世話になりました・・・」という言葉に、ついつい感情的になって、 「世話になったのはボクらの方やろ!父さんが働いて、一生懸命に育ててくれたんやんか!!」 と、父の言葉を止めてしまいました・・・・ 父は、「そうそう、申し訳ありません・・・・」 と謝ってしまい… 寝てしまいました。 今になって思えば、あのときが、父の人生の終わりの言葉だったんだな、と思います。 母が私を止めましたが、私は堪らず、そんなことを父に言ってしまいました… もっと、冷静になって父の言葉を聞けば良かったのに… いま、父が何か私と弟に書き残していないかと探し回っています… 字が下手な父だったので、パソコンの中も探していますが見つかりません… それから、3月15日に弟家族がこちらに帰ってきてくれました。 その金曜日の夜は、弟と弟の妻に、父の部屋に泊まってもらい、 毎日泊まっていた母と、私は、家に帰って寝てしまいました。 3月16日の10時過ぎ、弟から、「兄貴!早く来て!!危ない!!!」って電話が、 私の家から父の病院まで、車でいくら飛ばしても20分はかかります。 父の部屋まで走りましたが、もう父は息を引きとっていました… 母も、間に合いませんでした… あんなに毎日、父を看てきたのに、どうして父の最期の瞬間を・・・・ と、思い返してしまいます・・・・ 乱雑な文で、申し訳ありません。 火曜日に、父の最期であったであろう言葉を、遮った私の後悔。 土曜日に、呑気に料理なんかせず、朝から父の部屋に行っておけばよかったのにという後悔。 看取れなかった後悔ということです。 何か、質問になっていませんね… でも、火曜日と土曜日の私の後悔について、 そして、これから1年と1ヶ月、喪に服して父を弔っていきます。 父のご位牌がある実家まで近いので、毎日、父を参っています。 父の祭壇に向かって、 「ありがとうございました」 「ごくろうさまでした」 「私たちを見守ってください」 って、手を合わせて、つぶやいています… 仏事には詳しくありませんが、お坊さんのお経を覚えて、 「般若心経」を母と一緒に唱えています… 以上、2つの私の後悔と、いまの父の弔いについて質問させて頂きます。 本当に曖昧で申し訳ありません。 どうか、ご感想やご自身の体験で良いので、「お言葉」をよろしくお願いします。 m(_ _"m) ちなみに、今、父は白木のご位牌に居ますが、 仏具屋さんに、漆塗りのご位牌の注文を終え、4月12日に取りに行きます。 少し、立派なご位牌を見て、気持ちが落ち着きましたが… どうか、よろしくお願いします。   m(_ _"m)

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  • 肝硬変末期の腹水で苦しむ父と私の後悔

    C型肝炎から肝硬変末期になり、 腹水で苦しむ父の話です。 2月1日に肝性脳症で倒れて、入院しました。 それから毎日、母と私が父の看病に行っています。 今は総合病院で肝臓で代謝できないアンモニア等を、 点滴で除き、栄養も点滴で補充して貰っています。 一昨日、お腹に針を刺して腹水を抜き、 昨日、パンパンに腹水で腫れていた両足が 見違えるほどにきれいになって、 腹水で「しんどい~、しんどい~」と繰り返していた父が、 昨日は5時間ほど病院に居ましたが、 父の口から、「しんどい」の一言も出てきませんでした。 でも、針で腹水を抜き出す治療は何度もできませんが… 入院当初、私は父との別れが、もう近いと思っていました。 1ヶ月か、2ヶ月か…と、 そんなに腹水でしんどいなら、 いっそ肝性昏睡になってしまった方が、 父にとって良いのではないか? とさえ思っていました。 それは私だけの考えでしたが。 でも、昨日の父の回復した様子、 私が食べさせるのですが、 父の食事を食べる様子を見ていると、 父には、まだまだ「生きたい」という気持ちが有るのではないか? そういう父の生命力を感じました。 3月から今の病院を出て、家の近くの病院に移ります。 そこで、父の最期まで「闘病」をするつもりです。 私のことになってしまいますが、 私は長男で、思春期には父に反抗し、 うつ病になって、就職も出来ませんでした。 でも妻と2人の娘がいます。 近所の私は、毎週のように孫を連れて 父のところに遊びに行きました。 多分、父の期待に報えなかった私の懺悔の気持ちから… 今でも後悔しています。 そして、父の最期が来る時までに、 今まで親不孝を父に謝って、許して貰いたい、 その一心で、毎日、父の病院に足が向かいます。 映画じゃないですけど、1日便せん1枚の手紙を書いたりしています。 そんなことをしても、最後まで父への後悔は消えないだろうな… と思ってもいます。 最後に質問になりますが、 父の最期は、まだまだ先のことになると思いますが、 父から、許しの言葉を貰えなくても、私は良いです、 それよりも、父のように腹水で苦しんだ家族を看取られた方に聞きたいのですが、 どんなことを父にしてやれば、苦しみが癒えますか? (手足のマッサージとか?) それと、どんなことをすれば、最後に楽しい?良い思い出が残せますか? 病院食は不味いので、美味しいものも食べさせてやりたいです。 家族を亡くされた方には、嫌なことを思い出させてしまいますが、 どうか、アドバイスの方、よろしくお願いします。 m(_ _"m)ペコ

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    この質問サイトで、このような使い方をしていて良いのか分かりませんが…、 たまらなく、とても精神的に不安定な状態になってしまったので、 昨日も投稿しましたが、また投稿しています。 お気を悪くされた方には心からお詫びします。 まず、父の病状を、コピーと貼り付けします。m(_ _"m) 71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、 年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。 そして、とうとう 2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院 私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。 でも、まだ元気そうに見えました… 2月16日、1回目の腹水を抜き、 2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される… この日以後、家族、私と母と弟は一変しました。 もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません 母は病院に泊まり込み、私は母のサポートで1日病院に、 弟は東京から週末ごとに帰省します。  もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません。 食道からの吐血なので、固形物は食べられず、 点滴と水だけ… 腹水でお腹がパンパンなので、 水を飲みたがりますが、飲むと腹水を圧迫して苦しみます。 3月2日、とうとう2回目の腹水を抜きました… 体力が落ちることが分かっていて。 腹水を抜いて、私と母に冗談を飛ばすように、よく喋るようになりましたが、 それも3日後ぐらいから、腹水が元の状態にもどり、 昼間でも寝ている時間がかなり長いです。 でも、3時間ほど毎に、「み、水、飲ませてくれ・・・」 と言うので、家族はとても看護師さんだけに任せる訳にはいきません。 以上、貼り付け。 今日は、妻は職場の送別会で居なく、こういう時は、子供2人は、 すぐ近くの妻の実家で義母に晩ご飯を食べさせてもらいます。 ですから、私は料理をする必要もなく、また1人で晩ご飯を食べないといけません。 今日は、朝に火曜と金曜のスーパーの特売日で、買い物に行って、 父のところに行けるのに、なぜか「今日は休もう」と思ってまだ行っていません。 なぜか?「行きたいのに行ったらいけない!?」という精神状態になっています。 車で20~30分の病院なのに。 昨日が忙しさに、疲れ果ててしまい、今日、家でゆっくりしていると、 急に、「父に会いたい。会わないといけない。」、 でも、「病院に行っても、母が休める訳ではない」 という思いが両方出て、鬱になりかけに近い状態です… 今日、行かなければ、1人で寝て1日を過ごして鬱になるパターンです。 今から、何とか行こうと思っています… でも、この忙しいのに?、ホワイトデーのお返しを買わないと、とか、 ジーンズが破れたから、ユニクロでジーパン買わないととか、 どうでも良いことが考えに入ってきています。 母も、この忙しい時に、毎年している卒業式の女子学生の「はかま」の「着付け」 のレンタルと事務的処理の仕事をしています。 2週間後の実施日まで準備があります。 私と同じで何かチグハグというか、17年前の阪神淡路震災の時と同じようなことをしています… 今朝、母と電話で話しました。 どうして休めないのか。 2週間、休まず泊まり込むのか? 弟が帰って来たら、土日は看護師さんが多いから家に休みに帰る。と言い。 父の部屋は個室です。 もちろん個室料金は払います。 簡易ベッド、トイレ、お風呂、あります。 2週間、母さん、仕事持っているのに、家に帰らず、 それは、この2週間が父さんの山場なんか? ちがうわよ! そんなん、医師にも分からない! と、私も、考えに訳が分からない状態… 東京に居る、父に会いたくても会えない弟のことを気にしてか? 疲れるから、たまには休まないといけない? でも、すぐ会えるから会いたい! ホワイトデー?ジーンズ? もう、パニックです・・・・・・・・・・ 鬱病の私は、20年診て貰っている、心理士のカウンセリングがありますが、 それも行けません。 すみません、訳が分からない質問ですね。 行くのか?行かないのか? 行きたければ、行けばいいじゃないか! そんなことも解っていません… ほんとうに、申し訳ありません。 何かしていないと、精神がもたない状態です… 疲れても、何かしてないともたない。 母の気持ちも解る気がします。 本当に気を悪くされましたなら、申し訳ありません。 申し訳ありません。

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか??? いま39歳で、会社も家庭も順風な弟を「廃人」のようにさせたくないのです…

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか???