肝硬変と腹水で苦しむ父を見ていられません…

このQ&Aのポイント
  • 71歳の父が肝硬変と腹水に苦しんでいます。アンモニアの処理や腹水の抜去に薬を使用していますが、効果はないようです。父は昼間も意識があり、テレビも見ますが、食欲もなく歩くこともできません。私と母が父の看病をしていますが、状態の進行を確かめるだけで何もできません。父の最期を考えており、延命治療の意味がないと感じています。
  • 父が肝硬変と腹水で苦しんでいます。アンモニアの処理や腹水の抜去にも効果がありません。昼間はテレビを見る程度で、食欲もなく歩くこともできなくなりました。私と母が父の看病をしていますが、状態の進行を確かめるだけで何もできません。私は延命治療に疑問を感じており、父の意思を尊重して看取るつもりです。
  • 71歳の父が肝硬変と腹水に苦しみ、肝性脳症と昏睡状態になりかけています。アンモニアの処理や腹水の抜去にも効果がなく、食欲もなくなっています。家族で父の看病をし、状態の進行を確認しています。私は延命治療に疑問を感じており、父の苦しみを少しでも減らすために看取ることを考えています。
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肝硬変と腹水で苦しむ父を見ていられません…

71歳の父です。 もう長くはありません・・・ C型肝炎から肝硬変になり、もう肝不全になって、 今は、入院して、肝臓で処理できないアンモニア等を点滴の薬で処理しており、 アンモニアが身体に回って、肝性脳症(昏睡)になるのを防いでいます。 腹水で、お腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足も腹水で腫れてしまっています。 私は長男で、父の家から車で5分のところに住んでいます。 弟家族は、東京に住んでいて、ここは神戸ですので、新幹線で3時間かかりますが、 父が倒れて入院してから、毎週のように帰って来ています。 父の孫は、私の家族に2人、弟の家族に2人います。 今は、その肝性脳炎・昏睡で倒れた父を、 何とか薬で肝性脳炎になって、意識がなくなってしまうのを止めているだけで、 腹水は、利尿剤等を使ってもなかなか抜けません。 残るのは、お腹に針を刺して腹水を抜くだけですが、 それも、すぐに腹水がたまってしまうそうです。 病院のベッドで起きている時は、腹水のせいで、 「しんどい~、苦しい~、苦しい~」 とばかり言っています。 本当に、苦しいんだと思います・・・ 私と母が交代で、毎日、父の看病をしています。 肝性脳炎・昏睡には、5段階のレベルがあるそうで、 私が見る限り、昼間にウトウトと寝る程度で、 5段階の1番目ほどしか当てはまらないと思います。 父は、テレビも見ていますし。 でも、食欲も無く、歩くことも出来なくなりました。 父にとって楽しいことなんて何もありません。 今のところは、私と母で、毎日、父の状態を見て、 肝性脳炎・昏睡が進んでいないか?を確かめるだけです。 父は、2月1日に倒れました。 さすがに、その時は、もう昏睡になって、意識が戻らないかと思って、 私も母や弟と同じように、かなり動揺しました。 でも、3年前から肝臓癌が発症していて、 もともとが肝硬変ですので、1年前から腹水がたまっていたのか、 かなり苦しそうで、「癌」というのが頭にありましたから、 その時から、父の最期を考えてきました。 だから、私の中では、もう、父を看取るように心の準備をしてきました。 母も弟も、そういう覚悟はしています。 しかし、ここからが私の質問になるのですが、 もう後のない父に、今の肝性脳症・昏睡だけを防ぐ治療って、 父が昏睡になるまで?心不全にとかになるまで続けるのでしょうか??? 今の総合病院には2月いっぱいまでしか居られず、 3月からは、実家の近くの病院か介護施設に入るしかありません。 母がとても父の介護を出来ないので… 私もそうです… 私たちは、そこで父を看取るつもりです。 でも、「私は」、母や弟と違って、 もう、父は充分に生きてくれたと思いますので、 今の苦しいだけの、治る見込みのない「闘病」生活なんか 父には、意味が無いと思うんです。 まだ主治医の先生に会って詳しく話をしてはいませんが。 そんなに腹水が苦しいなら、まだ昏睡状態の方が良いのではないか? と思っています。 要するに、今の治療は、ただの「延命治療」に過ぎないと思うのです。 かなり極端な話ですが。 私、個人の話になりますが、 思春期に、父という高い壁があって、かなり父に反抗しました。 大学受験に失敗し、うつ病になって、就職が出来ませんでした。 今は、妻の収入で、「主夫」として生きています。 そういう私に、父は失望したと思います。 親不孝者です。 ですから、毎日、父の病室に足が向かいます。 映画じゃないですが、毎日、短い手紙を父に書いて渡しています。 父に謝って、許して欲しいんです。 私は父の家から車まで5分の所に住んでいるので、 毎週のように、2人の娘を連れて、遊びに行っていました。 ですから、もう過去のことは、父と私の間では「和解」しているかと思います… それでも、肝性脳症になっている父から、 一言でも、許してくれるような言葉が欲しい・・・ でも、もう父には、闘病生活なんかしなくていい、 今まで本当に私たちのために、頑張って生きてくれたね、 本当にありがとうね。 もう、好きなだけ、好きなお酒を飲んできたんだし、 これ以上、私のために無理をして生きてくれなくてもいいんだよ… って思うんです。 このように、まだ私の中でも、矛盾していますが、 母と弟は少しでも長く生きて欲しいようで、 私は、今の治療さえ、父には、ただの「苦しい延命」に思えています。 それでも、私個人として、悔いなく父を看取るには、 いま、何をすれば良いのか??? それが分かりません・・・ 長くなってすみません。 これを読んで頂いた方には、 ただ感じたことだけでも良いですので、 何か私に言葉をかけてください。 どうか、よろしくお願いします。。。。。

noname#215716
noname#215716

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ni_si_ki
  • ベストアンサー率19% (302/1586)
回答No.6

心中お察し致します。 私の父もそうでした。 父の場合腹水ではなく、血管から漏れ出た水分が体中にむくみをもたらすものでした。 とても高価な抗生物質を何度か投与しましたが、全く効果がありませんでした。 もはや打つ手がないという状態を前に、私もあなたと同じことを考えてしまいました。 それでも父とは意識の疎通が出来ました。 茶目っ気も残っていて、嫌いな親戚が見舞いに来たら寝たふりをするんだと笑って教えてくれました。 今の自分に出来ることは最後まで父と向き合うことだと思いました。 何も考えずただ父の側にいようと決意したのです。 手足のマッサージはとても気持ちが良いと申しておりました。 お湯に足を浸して温めてやるのも良いようです。 看護師さんに内緒でこっそり味のついた氷をガーゼでくるんで父の口に入れてやったりもしました。 そんな時の父の顔はまるで子供のようでした。 私と二人だけの秘密の思い出を沢山作ってくれた父は、眠るように息を引き取りました。 後悔はありません。 参考になれば幸いです。

noname#215716
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 思わず、微笑んでしまうような文章で、素敵でした。 >茶目っ気も残っていて、嫌いな親戚が見舞いに来たら >寝たふりをするんだと笑って教えてくれました。 何か、本当に茶目っ気が可愛いお父さんだったのですね。(笑) >看護師さんに内緒でこっそり味のついた氷をガーゼでくるんで >父の口に入れてやったりもしました。 >私と二人だけの秘密の思い出を沢山作ってくれた父は、 >眠るように息を引き取りました。 >後悔はありません。 氷のアイデアも頂きます。今度、父に試してみます。 病院の中でも、そういう、秘密の思い出を沢山作ってくれたお父様、 素敵だな、って思いました。 後悔はありません、とのこと。 すごく理想的なお別れと思いました。 この場を借りて、私の父の経過方向をさせて頂きたいのですが、 一昨日、お腹に針を刺して、腹水を抜きました。 何回も出来る治療ではないと言われていますが。 その効果は覿面で!パンパンに腹水で腫れていた両足が、 嘘のように、きれいな足になっていました。 昨日は、5時間ほど父の病院に居ました。 父に初めてお昼ご飯を食べさせて、 その後は1時間ほど眠り、ちょっと起きて水を飲んで、 また1時間ほど眠るのを繰り返すだけで、 私の書いた便せん1枚の手紙も読んでくれませんでしたが、 何より驚いたのは、父の口から、 「しんどい…」 の言葉が一言も出てこなかったことです。 昨日は父の看病で、少し疲れましたが、 でも、それよりも、私の考え方が一変しました。 父が肝性脳症で倒れて、入院し、 腹水で「しんどい…、しんどい…」と繰り返すばかりの時には、 もう父との別れが近いのではないか? そんなに「しんどい」なら、まだ肝性昏睡になっている方が、 父にとっては良いのではないのか? と、母や弟の意見も聞かず、勝手に思いこんでいた私ですが、 腹水を抜いて、少し楽になった父を見ていると、 「父はまだ生きたいと思っているんじゃないか?!」 と思ってみたりして、 これから、父との別れが来るまで、長い闘病を覚悟して、 父と向き合っていかなければいけないな、 と思い始めた次第です。 確かに、まだこれから先のことは、分かりません。 3月には今の総合病院から家の近くの病院に転院します。 末期の肝硬変と肝性脳症の初期の父ですが、 腹水もまたすぐにたまることと思いますし、 感染症、食道静脈瘤からの出血、等々 何が起こるか分かりませんが、 まだ、父は生きることを投げ出していないですし、 そういう父を見て、私は母と一緒に父の看病を、 たとえ1年、2年になろうが、 父の生命力の限り、 私たちが、「しっかりしなければ」、 と昨日の父を見て思わされました次第です。 長文になってしまい申し訳ありません。

その他の回答 (7)

  • papanda26
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回答No.8

去年、祖母を同じ病気で亡くしました。 腹水も、むくみも、水分制限も…全部苦しそうで見ているのは辛かったです。 昏睡になって本人は何も感じてないと言われてからも、見た目は今までよりずっと辛そうで 私は先に亡くなっていた祖父に「早く迎えにきてやって」と心の中で祈ってしまった程でした。 なので、昏睡=安楽=そうした方がいいとあまり考え過ぎない方がいいかもしれません。 必ずその時はやってきますから。 お父様は今点滴で意識を保っている状態とのことですが、どうぞ意識のあるうちに たくさん顔を合わせて、言葉をかけて、触れてあげてください。 むくんだ足首と足裏のマッサージは気持ちがいいそうです。足首からひざ裏のリンパ節に流すようにしてあげてみてはどうでしょうか。 肝不全(それよりずっと以前に非代償性の肝硬変に進行していた時点で)の患者にとって すべての医療行為は治療ではなく延命にすぎないのかもしれません。 それでも、やはりそこにある、目の前で耐えている命を諦める選択は…私にはできませんでした。 肝不全の末期患者にとって点滴をしない、減らすというのは、死にゆくことと同じですから。 心停止をした時に、蘇生措置をするかどうかとはまた別の選択だなと感じました。 (※選択は色々で、各ご家庭で色んな考えがあると思っているので、別の道を否定する気は全くありません) 点滴をしていても、体力は徐々に落ちていきます。 尿道カテーテルから感染症を起こすこともあるし、風邪から肺炎になることもある。 静脈瘤が出来ていて処置できずにいればそこから出血を起こすこともあります。 今は与えられた時間を大事にしながら、ご家族と主治医の先生とよく話をされて下さい。 それから、主治医の先生に、どんな状態でも病院を出ないといけないのか(退院が強制されるのか) 出ないといけない場合、他の病院へ紹介状を書いてもらえるのか確認してみてはどうでしょうか。 施設の場合、肝不全で点滴なしでは意識が保てない状態の人を受け入れる所はないかもしれません。 (祖母の場合、経口でアミノレバンが飲めていて、会話ができる状態でもなかなかありませんでした) このあたりも、ご家族、主治医の先生やソーシャルワーカーさんとよく話をされていく所かなと思います。 私も頭の中があまり整理できていないので、思うままに書いてしまいました。 あくまでも“私個人”の思うことを書きました。 後悔は、きっとしようと思えばいくらでもできます。 質問者さんは今できることを誠実にちゃんとしていると思います。 この時期は、家族にできることなど本当に少ないです。している!と実感できるような事も少ないので、もっと何か…と不安になると思いますが。ちゃんとできていますよ。 最期の大事な時間を、どうぞ大切に過ごして下さい。

noname#181883
noname#181883
回答No.7

お辛い気持ちお察しいたします。 義母が同じ病気でした。 義母の場合は肝臓癌の手術を無事に終え、状態が安定して術後の次の日には 一般病棟に移り、回復に向かっていました。 急に食事が摂れなくなり、点滴。 回復に向かうのに必要なたんぱく質をとるための点滴とはいえ、血管からにじみ出る 点滴剤によるむくみで手足がパンパンになってしまいました。 腹水ではなく肺に水が溜まってしまう状態でした。 口から摂るたんぱく質は100%摂取できるけど、点滴で摂取すると血管からにじみ出て 摂取出来にくいとの医師の説明がありました。 状態が日に日に悪くなる中、一週間に一度の医師とのカンファレンスが 三日に一度、二日に一度と間隔が狭くなってきたため、義母の状態がいかに悪いかを 悟らざる得ない状況にありました。 私は長男の嫁です。仕事を減らし、看病に充てていましたが、決定権がありません。 只の連絡係です。 緊急の場合は夫と義兄弟に連絡をして、提示された治療の方針を伝え、承諾を得て医師に伝える役目です。 脳炎による意識低迷の義母を看ている中でも、手足のマッサージは 苦しく歪んだ顔が柔らかくなっていました。 呼吸確保のため気管切開が必然となり、話すことは出来なくなりましたし 意識が混沌としていたため、会話が出来る状態ではありませんでしたが 手足のマッサージをしながら、生きたい と義母は思っていると“何故か”感じていました。 健全な時から、認知障害が出たら施設に入れて! 延命措置はいらない! と、言われていましたので、夫以下義兄弟もそこの意識は一致していました。 回復に向かうなら治療を施してほしい。 でも、延命措置はしないでほしい。 カンファレンスの中はっきりと医師に伝えていましたから 治療方針で迷うことはありませんでした。 あなた様の場合、お母様と弟さんとしっかり話し合う必要があります。 あなた様の抱えている思いは、勝手な思い込みも混じり合っていると思うからです。 苦しさで歪む表情の義母を看て、嫁の立場でも伝わった義母の気持ち。 夫をはじめ生きててほしいと思っている義兄弟や義母の兄弟の思い。 最後の時に流した義母の涙、混迷していた意識が戻った時だと私は思いました。 あの涙は、どうしても、生きていたかった…としか感じられなかったです。 夫とそこに立ち会った方たち全員も同じ感想を後から言っていました。 ご家族との会議で方向性が決まったら ぜひドクターとのカンファレンスには立ち合いましょう。 ドクターに気持ちを伝えきちんと説明を受けると >もう父には、闘病生活なんかしなくていい という思いとは違う気持ちが出てくるかもしれません。 >今まで本当に私たちのために、頑張って生きてくれたね、 >本当にありがとうね。 生きている義母に、生きようとしている義母にそういう気持ちは全く持ちませんでした。 逝っちゃ駄目! 臨終の間際でもそう思っていました。 もっと深く、もっと尊い気持ちで、命と向き合う気持ちにはなれないでしょうか? 苦しさを訴えるお父様と向き合っていると、確かに『もういい』という気持ちを持たれるのも分かります。 義母も辛い、苦しいと訴えていましたから。 たとえ『もう死にたい』と訴えても、どこかに絶対『生きたい』と思う気持ちがあると思うんです。 苦しい中でもどうすると少しはその苦しさが緩和できるか? 少しでも気持ち良い状態にする看病ができるか? そこを見つけたら、明日も来るね。またしてあげるね! と看病しながら、静かに深くお父様との時間を持たれて欲しいと思います。

  • mama4615
  • ベストアンサー率18% (988/5269)
回答No.5

何が正解は有りませんよね。 私の母も、闘病し、亡くなりましたが、、、。 余命半年を言われ、私と妹が下した決断は、自宅静養でした。 常に横になり、点滴の管を心配し、何が楽しい? 毎日誰が来てくれる、だけど時間枠もある。 食欲はかなり落ちてる上に、マズイ食事。 そりゃあそうですよね、病院だから、塩分制限された食事でしょうから。 でもね、腹水がある人が、一人前完食は出来ない。少しでいいから食べたいと思った物を口に入れる、その方が良いと思ったから。 何度か入退院は有りましたが、余命半年より生きられ、八ヶ月生きました。 腹水がある中、孫との旅行、娘達と深夜まで井戸端会議、病院にいたら絶対出来ない。 確かに、病人を家で看るのは大変ですが、それが最後の親孝行だと思います。 仮に一年、として、その一年、奥様にも協力して貰う事は不可能でしょうか? 今なら、まだ車椅子で。 も、厳しい事ですが、明日車椅子移動も出来ない、の方が、貴方には後悔しかない気がします。 正直、八ヶ月の闘病で、疲れ果てた事は有りますし、愚痴もあれば、涙も有りました。 が、後悔は少なく済んだのは、可能な限り、母の希望を叶えてあげられた事が、背景に有ります。 動けないでしょうから、貴方が父様の手となり、足になればどうですか? 限られた期間を父様の希望を叶える時間としたら、10分、5分でも、父様の気分転換になると思います。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.4

 父の立場から言えば、「俺の死に方を見ておけ」と思う。自分が苦しくなったら「殺してくれ」と言うかもしれない。そのときに動けばいいんではないか。いろいろあった自身にとっては、すべての事象はなるように受け入れるしかない。「自分が見ていて辛いから」では、まだ君と父の間の間隔から考えると、正しいのではないかもしれない。「どうしてほしい」と聞くことができれば、その通りすることを長男として提示する。  こんなとき、なぜか日本に生きる者としては、病院も周りも「長男の意見は」と求めるよね。求められている気がするよね。これだけ結婚も自由になり、長男の嫁であることも言われなくなった現代でも、死すときは、直系の長男は意志を求められる。家制度は崩壊していない。  見なきゃいけない。父の姿は。苦しむ姿も。たぶん君の子供に自分の最後を伝える見本となるように思う。父が強く偉大に闘っているか、弱音をきちんと吐く正直な人であったか、ちゃんと見てあげてほしいと思う。  それが君を強くすると思う。昔のことはいい。こだわるな。

  • ghostk
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.3

心中お察しします。 貴方自身は大丈夫でしょうか? 私は母を肝臓の難病で亡くしました。 最後は腹水で妊婦以上にお腹が膨れ、本当に可哀想でした。 私の母の場合は、感染症にかかり股関節に膿がたまって痛くて動かせなくなり、寝たきりも重なっていました。 父が医師免許は持っておりませんが、医学博士は持っておりましたので、最後は自宅で看取る決心をし、自宅に戻り看取りました。 多分、病院にいたらもう少し延命処置も出来し、もう少し長く生きる事が出来たのでしょう。 母も家に帰りたがってましたので、家に帰る事を家族は選択しました。 最後は近隣に住む、母の姉妹がみんな来てみんなで看取る事が出来ました。 病院や施設では絶対無理だったと、母の姉妹はみんな言いました。 当時出来る事は全てしました。 でも、病院に居てくれたらもう少し長生きしてくれたのではないだろうかと後悔しました。 現在の日本で、家でみんなで看取ってあげる事ができる、畳の上で死ねる人は僅かしか居ない、それが出来た母は幸せ者だと、言って貰えます。 私は、何をやっても、出来る事を全てやったのに、今でも結局後悔してます。 親を看取るのは、そんなものではないでしょうか? 親が亡くなるのに後悔が無いのは、遠方に居る人の方が多い気がします。 密度が濃いほど後悔している人が多いような気がします。 貴方も今、自分の出来る事を精一杯やっていらっしゃいます。 私はそれでいいと思います。 素敵です、毎日お手紙を渡す事が出来るなんて。 そんな事をして貰える父親がどれだけいるのでしょうか? ただ、経験者として言えるのは、腹水がたまっている状態では、医療が欠かせません。 特に肝性脳症の治療処置が出来る病院と言うのは、記憶では非常に限られていたと思います。 そちらの方が心配です。 私の母も神戸の病院で入院して、急性期病院でしたので転院をせざる得ない状況でした。 しかし、受け入れ先が決まらなくて(完全なる父の我儘も有りましたけど。)、転院を勧められる病院では、肝性脳症や腹水に対する治療や、母の場合は股関節の感染症の治療が出来る技量が無い所が多かったです。 なので、転院を拒否してました。(入院の延長は掛け合ったら出来ますよ。) 結局、急性期病院内で、転院して、最後は自宅になりました。(幸い、在宅看護に力を入れている往診してくれる開業医も見つかったので) 病院選びと転院はお父様の状況を考えて、適切に行って下さい。 交渉は、何故か男の人が要るだけで、かなり状況が違う事が多いので、ここは貴方の踏ん張りどころですよ。(女だけですると倍の努力が要るんです。) 今、自分に出来る事を精一杯する、それで十分なんです。 きっと、お父様は分かって下さってますよ。 後、看護して貴方が体を壊す事は本末転倒で、他の人にも迷惑になります。 なので、必要以上に無理だけはなさらないようにして下さい。 今、十分に頑張っていらっしゃるのですから。

noname#215716
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 同じ病気で亡くなられた、ご家族のアドバイスで、 本当に参考にさせて貰っています。 >親が亡くなるのに後悔が無いのは、遠方に居る人の方が多い気がします。 >密度が濃いほど後悔している人が多いような気がします。 そうですか・・・ 私は毎週末のように、孫を連れて父の家に行って食事をしてきましたので、 後悔の無い、父との別れはないかも知れませんね… 私がやれることは、出来るだけやっておきたいです。 それでも後悔が残るなら、それはそれで、もう良いことだと思ってきました。 >特に肝性脳症の治療処置が出来る病院と言うのは、 >記憶では非常に限られていたと思います。 >そちらの方が心配です。 やはり、そうでしょうね・・・ 転院先の病院を探すよう母に頼まれていますが、 まだ始めたところで、ネットで探すのは殆ど無理です。 父の場合、「肝硬変が進行→肝性脳炎」ですから、 感染症、心不全、腎不全などが起きます。 それに対応できる施設・病院となると少ないです。 母の気持ち、弟の気持ちを考えると、 まだ時間が欲しいです。 >交渉は、何故か男の人が要るだけで、かなり状況が違う事が多いので、 >ここは貴方の踏ん張りどころですよ。(女だけですると倍の努力が要るんです。) そうなんですね。 分かりました。 それから、私への心遣い、ありがとうございました。 でも、ちょっと疲れるぐらい、 父と母が今まで私たちにしてきてくれた事に比べると 大したことではないので、出来るだけのことをしたいのです…

回答No.2

>>それでも、私個人として、悔いなく父を看取るには、 いま、何をすれば良いのか??? 親を看取る・・・ということは、悔いなくなどできません。 親が、最後にあなたに与える試練だからです。 その繰り返しで世代交代していくんです。 あなたが最期を迎えるときには、娘達が・・・。 そう考え、自分のためではなく、もちろん亡くなってゆくお父上様のためでもなく 娘たちのために、「今後迎えるであろう親の最期」。 どう乗り越えるべきか お手本となる。そう考え方を切り替えてはいかがでしょうか。 延命治療については、同意しますが、こればかりはお母様の同意なくしては・・・。 親子兄弟で話し合うべきかと思います。 人は、生きているのではなく、生かされている・・・ご自分の意志とは裏腹な場合もありますが。 最期の瞬間、人は正気に戻れる瞬間があります。どんな状態でも。 その場に立会い、お詫びを言えばわかってくださると思います。 許して欲しい・・・そう願っていることは、きっとお父様にも伝わると私は信じています。

noname#215716
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 そうですね・・・ 確かに、悔いのない看取りなんか無いかも知れませんね… 言われる通り、考えを変えて、 まだ7歳と2歳の娘に、父の最期を看る私の姿を見せておこうと思います。 延命治療については、私の本心を母にも弟にも打ち明けていないので、 これから、主治医の先生と話をして、今の父の容態を詳しく聞いて、 改めて自分の考えを整理しようと思っています。 >最期の瞬間、人は正気に戻れる瞬間があります。どんな状態でも。 そういうものなのですか・・・・? 私はとにかく、昏睡になる前に、 父に詫びて、許して欲しい、 それから、父に「ありがとう」を伝えたい・・・ それだけで、もう父は私に十分なことをしてきてくれました。

  • diyhobbu
  • ベストアンサー率24% (135/550)
回答No.1

心中お察し申し上げます。そうなんですよね!総合病院は救急患者の処置を行う医療機関のため、患者者の病状が安定すれば転院するよう言ってきます。が、お父様の状況では転院は強制しないのではと思いますが? 治療方針などについては、主治医にご家族揃って相談されたらいかがでしょうか。当サイトに記述されている心境を主治医に話されることをお勧めします。苦痛を和らげる緩和治療などご家族の真意を汲み取って対応してくれることと思います。 どうぞ、お話ができる今のお父様との時間を大事にされ見守ってください。

noname#215716
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 まず、転院の件ですが、 この総合病院では、治癒の見込みのない患者は、 1ヶ月までしか入れて貰えないと言われました。 主治医の先生とは、母しか会っていませんので、 先生の回診の時間に合わせて、病院に行くつもりです。 緩和治療についても、詳しく聞いてみます。 今は父の体力があって、まだ?苦しさが少ない期間ですので、 毎日、足を運んでいます。 本当に、ありがとうございました。m(_ _"m)

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    末期肝硬変と腹水について 末期の肝硬変の父(60歳)の腹水が、まるで臨月の妊婦のような状態になっています。 先日の受診では、「腹水を抜くと、身体がふらふらし、意識も朦朧とする為、抜くことは出来ない。利尿剤を増やして様子を見ましょう」と医師から言われました。 現在の血液検査の数値は白血球:4.8 赤血球:323 ヘモグロビン:9.8 ヘマグリット:29.0 血小板:8.6 GOT:82H GPT:22 γGTP:185 ALP:480 総蛋白:6.9 アルブミン:2.8 総ビリルビン:3.1 LDH:424 A/G比:0.68 eGFR:45 直接ビリルビン1.6H アンモニア41 という結果になっています。 余りにも腹水がすごく、医師も入院での投薬治療をとおっしゃりましたが本人が拒否。 余命1ヶ月と言われてから、現在約1年半が経過し、医師も「低空飛行でなんとか飛んでいる」と…。 肝性脳症の症状も出始め、食事中座ったまま気づくと寝ていたり、常に微熱があり、尿も余り出なく、尿が出ないと一日中水の様な下痢が続いている状態です。 現在食事もほぼ採れず、一日一食麺類やアイスなら多少食べられる状態ですがアルコールだけは常にウィスキーをロックで一日中飲んでいます。 また、肝臓ガンも最初に3個見つかりそれらは、ラジオ波等で治療したのですが、その後また再発した1つに関しては現在1cm位で、腹水や肝機能の悪さから処置は不可能と言われました。食道静脈瘤はごく小さく破裂の心配はないとの事。 本人は、最後は自宅でと希望しており、入院を拒否していますが、自宅で注意すべき点等アドバイス頂ければと思います。 担当医も、現在生きているのは奇跡的で、予後はここまで来たら予測がつかない。意識がなくなったらすぐに救急車を呼べと言われています。 ここまで、父とも話しアルコール依存症の治療をし、余命を延ばして行こうと担当医含め相談してきましたが父は、拒否し、家族も納得した上で、本人の希望通り飲ませ続ける事を決断しました。 今後どの様な事が考えられるか、在宅で本人が少しでも苦しまないように家族に出来ることがあるか、ご回答頂ければと思います。

  • 肝硬変末期について

    今年1月 肝細胞癌(3cm)の摘出手術を受けた後 合併症【胆汁漏】を起こし  現在も脇腹のパイプが取れず 逆行性胆肝炎による入退院を何度も繰り返しております。 主治医からは 【次に腫瘍が見つかっても 手術はもう できません】と言われております。 そんな中 先日 初めて 肝性脳症になり 現在も入院中です。 その時に 主治医より 【ICGという検査で 通常の人は10%残の所 母様は 50%残なので 肝臓の機能がだいぶ低下しています】と言われました。また 肝性脳症により飲み出した【アミノレバン】という薬も今後飲み続けなければならないとも言われました。 今まで 肝硬変とは分かっていましたが 今回の入院で母の肝硬変がここまで進行しているとは思わず 戸惑っているばかりです・・・ 家が大好きな母なので もし 現在の母の肝臓の状態がよくない状態(主治医からは余命宣告はうけておりません)のならば 動けるうちに 好きなことをやらしてあげたいと思い 経験者・知識のある方の ご意見をいただけたらと思います。 現在の母の状況は・・・  * ICG⇒50%  * 肝性脳症⇒あり(血中アンモニア・・・180)  * 腹水⇒あり(利尿剤 フロセミド40mg+20mg・スピロノラクトン 2錠服用)  * 薬・・・リーバクト顆粒(毎食後)・アミノレバン(1日1回)・ピエールシロップ(1日3回)        ウルデストン(毎食後) よろしくお願いいたします。       

  • 肝硬変→肝臓癌

    肝硬変→肝臓癌 父(74歳)が肝性脳症になり、肝硬変とわかりました。その後、肝臓癌になりラジオ波で治療。治療対象ではない癌が2つ程残っています。お酒も止め、薬も飲んでいますが、最近、家でトイレの場所を聞いてきました。その後はその様な事はないのですが、これは症状が進んで、薬が効かなくなって体内のアンモニア濃度が高まっているのでしょうか?また、母に怒鳴りつけたりと、イライラ感があったりもします。夜寝るのがすごく早い為(19時位)、夜中に目が覚めてしまい、眠れないと言いつつ、朝、昼と、うとうとしている時間もあると言います。食欲もかなりあり、それらが病気から来る物なのか、精神的(うつ病など)な事から来るのか、詳しい方がいらっしゃいましたら、お教え願います。

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか??? いま39歳で、会社も家庭も順風な弟を「廃人」のようにさせたくないのです…

  • 父が肝硬変から肝性脳症になりました。

    私の父はアルコールによる肝硬変と診断されました。 ここ1ヶ月くらいなのですが言動がおかしい日がたまにあり、病院にいって血液検査を受けたところ肝性脳症と医師に言われました。 検査した当日は言動は普通で、医師の話などにも反応していたからか 処方されたのはアミノレバンという栄養?のような物だけでした。 病院に行ってからその後1週間くらいたちますが4日間ほど、トイレの場所がわからなくなったり話しかけても反応せず肩をたたいて話しかけると無言ですが怒ったり、ほとんど食事も取らないという日々が続いております。 週に1度くらいは点滴にきなさいと言われたのですが、肝性脳症は食事に気をつけながら自宅から通院という形しかできないのでしょうか?医師からは入院しなさいとは言われていません。 ここ数日肝性脳症の症状が前よりもひどくなったように見えるので相談させていただきました。アドバイスなどなんでも良いのでよろしくお願いいたします。

  • 肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が

    もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、 C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、 C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、 とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、 腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、 毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。 腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。 2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、 回復に向かうと思っていた矢先の 2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、 6人部屋から個室に移されました。 その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、 次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。 まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした… 酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、 見てはいけないものを見てしまったという感じと、 父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。 それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、 http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html 病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、 「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!? と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、 現在の父の状態は、危険因子が3つ、 ・ 肝硬変 ・ 腹水 ・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」 と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・ 私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、 「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。 父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。 C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、 「酒を断つ」ことは一切しませんでした。 外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。 「自業自得」と言えばそれまでですが… しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・ 大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。 「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。 と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。 今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、 「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。  けっこう惨めなモノです… でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと… 惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、 情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」 って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。  こうなると、けっこう「楽」なものです。 一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。 M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。 そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、 M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。 また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、 父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います… 父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、 そんなこと(挫折)を話す父ではありません。 しかし、弟は違うと思うんです。 私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、 サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、 高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。 私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。 弟は私と違って、優しいヤツです。 しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。 父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。 それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、 母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。 私宛のメールに、 「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、  腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、  アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。  だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」   と… 母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。 弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。 水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・ 「現実」が見えていないのか????? 「現実」を直視しようと出来ないのか…????? 大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。 東京で家庭を持った弟です。 私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。 一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い… そういう父の思い出が、私には多々あります。 しかし、東京に居る弟には「無い」。 私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。 でも、弟は東京と神戸という「距離」が、 「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと… それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか… 私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか??? とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、 健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。 母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが… 私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、 39歳の今の弟にさせたくないんです。 父はもう長くありません。 父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか???

  • 腹水と浮腫

    父は現在肝硬変の非代償期で通院しています。 1週間ほど前から足がむくみはじめておりパンパンです 現在はアルダクトン2錠をのんでいますが体重の変化はありません。 アルブミンの点滴をしてもらえないかきいてみたのですが これで聞かなければ利尿剤を増やしますとのことでした。 なぜなのかわかりません。 肝性脳症もでていますがそのせいでしょうか?