肝硬変末期の腹水で苦しむ父と私の後悔

このQ&Aのポイント
  • 肝性脳症で倒れた父が肝硬変末期で腹水に悩んでいる話です。針での腹水抜去治療で父の症状は改善し、生命力を感じました。
  • 入院している父の病状を見て、私は反抗期に父に向き合えず懺悔の気持ちを持っています。最期まで父に謝りたいと思っています。
  • 父の最期に向けてどうすれば苦しみを和らげられるか、またどうすれば最後に良い思い出を残せるかアドバイスを求めています。
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肝硬変末期の腹水で苦しむ父と私の後悔

C型肝炎から肝硬変末期になり、 腹水で苦しむ父の話です。 2月1日に肝性脳症で倒れて、入院しました。 それから毎日、母と私が父の看病に行っています。 今は総合病院で肝臓で代謝できないアンモニア等を、 点滴で除き、栄養も点滴で補充して貰っています。 一昨日、お腹に針を刺して腹水を抜き、 昨日、パンパンに腹水で腫れていた両足が 見違えるほどにきれいになって、 腹水で「しんどい~、しんどい~」と繰り返していた父が、 昨日は5時間ほど病院に居ましたが、 父の口から、「しんどい」の一言も出てきませんでした。 でも、針で腹水を抜き出す治療は何度もできませんが… 入院当初、私は父との別れが、もう近いと思っていました。 1ヶ月か、2ヶ月か…と、 そんなに腹水でしんどいなら、 いっそ肝性昏睡になってしまった方が、 父にとって良いのではないか? とさえ思っていました。 それは私だけの考えでしたが。 でも、昨日の父の回復した様子、 私が食べさせるのですが、 父の食事を食べる様子を見ていると、 父には、まだまだ「生きたい」という気持ちが有るのではないか? そういう父の生命力を感じました。 3月から今の病院を出て、家の近くの病院に移ります。 そこで、父の最期まで「闘病」をするつもりです。 私のことになってしまいますが、 私は長男で、思春期には父に反抗し、 うつ病になって、就職も出来ませんでした。 でも妻と2人の娘がいます。 近所の私は、毎週のように孫を連れて 父のところに遊びに行きました。 多分、父の期待に報えなかった私の懺悔の気持ちから… 今でも後悔しています。 そして、父の最期が来る時までに、 今まで親不孝を父に謝って、許して貰いたい、 その一心で、毎日、父の病院に足が向かいます。 映画じゃないですけど、1日便せん1枚の手紙を書いたりしています。 そんなことをしても、最後まで父への後悔は消えないだろうな… と思ってもいます。 最後に質問になりますが、 父の最期は、まだまだ先のことになると思いますが、 父から、許しの言葉を貰えなくても、私は良いです、 それよりも、父のように腹水で苦しんだ家族を看取られた方に聞きたいのですが、 どんなことを父にしてやれば、苦しみが癒えますか? (手足のマッサージとか?) それと、どんなことをすれば、最後に楽しい?良い思い出が残せますか? 病院食は不味いので、美味しいものも食べさせてやりたいです。 家族を亡くされた方には、嫌なことを思い出させてしまいますが、 どうか、アドバイスの方、よろしくお願いします。 m(_ _"m)ペコ

noname#215716
noname#215716

質問者が選んだベストアンサー

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  • nagaineko
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回答No.2

今のあなたの気持ちを素直に伝えてあげたらいいのではないでしょうか? お父さんは、あなたを育てるのに、たくさんの、時間と、労力と、お金を かけてきたはずです。 初めての子育てで、不安もあったでしょう。 子育てとは、人生における、一大事業なわけです。 そのあなたが、どのように思っているのか? お父さんのもっとも気になることではないでしょうか? あなたの口から、お父さんに育ててもらって、このように 思っていますと言うことを、率直に伝えてみてください。 きっと、お父さんは喜ぶと思います。 自分の子供は、立派に育ったんだな、って。 自分がやってきたことは間違っていなかったんだな、って。 親にとって、これほど嬉しいことはありません。 あなたは、自分が、父の思い通りにならなかった事を 悔いているようですが、それは違いますよ。 お父さんの人格と、あなたの人格は別物です。 思い通りになんかならないのです。 あなたは、苦しみながらでも、自分で自分の人生を 切り開き、家庭を持ち、立派にやっている。 もっと自分に自信をもってください。 お父さんだって、許さないなんて思っていません。 自分の思い通りにしようとしたことを悔いているかも しれません。 最後のチャンスです。 勇気を出してみてください。 きっと、お互いにわかりあえると思います。 そして、それが、いいお別れにつながると思います。

noname#215716
質問者

お礼

返信が遅れてしまって、お許しください。 父が食道の静脈瘤から出血して吐血した為、 容態が急変してしまいました・・・・・ もう、残された時間は、わずかです。 父に苦しみや痛みが出始めると、 点滴の中に睡眠薬を入れてしまうことになるそうです。 ************************ お父さんは、あなたを育てるのに、たくさんの、時間と、労力と、お金を かけてきたはずです。 初めての子育てで、不安もあったでしょう。 子育てとは、人生における、一大事業なわけです。 そのあなたが、どのように思っているのか? お父さんのもっとも気になることではないでしょうか? あなたの口から、お父さんに育ててもらって、このように 思っていますと言うことを、率直に伝えてみてください。 きっと、お父さんは喜ぶと思います。 自分の子供は、立派に育ったんだな、って。 自分がやってきたことは間違っていなかったんだな、って。 親にとって、これほど嬉しいことはありません。 ************************ たくさん、励まして頂いて本当にありがとうございます。 書いて頂いたこと、 自分が子供に恵まれて、初めて解りました。 父の不安や苦労のことなど… でも、まだ父は私たちのために、 「生きよう」と頑張ってくれています。 苦しいのに、朝から昼間は、ほとんど寝て意識が無いのに、 私が夕方6時に帰るとき、 どんなに小さな声でボソッと 「父さん、帰るね。今日はヒゲを剃らせてくれてありがとう」 なんて言っても、 苦しいのに、「あ、あ、あ、ありがとう…」 「また、き、き、き、きてね…」 と振り絞るような声で言ってくれます。 だから、まだ別れの言葉をかけて良いのか?!と思ってしまいます。 父が、生きようとしてくれているのに。 時間の問題ですが、睡眠薬が入るときまで、 「親父、育ててくれてありがとう!  母さんのことはオレたちが守るからな!」 という言葉は、封印しておこうと思っています…

その他の回答 (4)

  • mocha333
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回答No.5

こんにちは。 肝硬変で母を亡くした者です。腹水も何回か抜きました。 質問を拝見して、どうしても言いたいことがあったので回答させていただきます。 >父の最期は、まだまだ先のことになると思いますが、 まだ大丈夫、と思い込まないでください。 キツい言葉に聞こえるかもしれませんが、私自身の実体験からです。 私の母は入院して二日で亡くなりました。 入院前日は電車で病院に行けるほど体力がありましたが、その日の夜に急に歩けなくなり、翌日入院となりました。 入院した日の夜に院内で意識を失い、翌朝病院から連絡が入ってそのまま亡くなりました。 あまりにも急すぎて、家族一同信じられませんでした。 悔やんでいることはたくさんあります。 一番の後悔は、もっと母と話をすればよかったということです。 私は結婚して母とは別々に暮らしてますが、実家が近いためすぐに行ける距離です。 なぜ、もっと頻繁に会いに行かなったのか。 母から教えてもらいたいこと、話したかったこと、まだまだたくさんあるのです。 例えば母の子供時代の話とか、母が好きなものとか、私が結婚するまで何十年も一緒に住んでいたのに、母がいるのが当たり前だったから、あらためてそんな話をしたことがなかったのです。 元気な時は仕事と子育てで働き詰めで、病気になってからは家に引きこもりがちな母でした。 病気がきっかけで仕事を辞めた時、旅行にでも連れて行ってあげれば良かった。 食べたいと言っていたもの、全て食べさせてあげればよかった。 こんなに早く逝ってしまうと思ってなくて、油断した自分が馬鹿なのですが、今となってはもう絶対に叶わない願いです。 自分の話で長くなってしまいましたが、質問者様がお父様に「いつかやってあげよう」と思っていることがあれば、ぜひ今してあげてください。 寿命はいつやってくるか誰にもわかりません。 後悔しないためにも、お父様とたくさん顔を合わせて、たくさん話をしてください。

  • q-type
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回答No.4

お父さんが亡くなられた時に「ああすれば良かった」と思うのではなく「(今の自分に)できることは全てやり尽くした」と思える行動なさったらよろしかろうと思います 毎回差し入れは良くないかと思いますが、体調の良かった時は本人の好きなものをこっそり食べさせてました(気持ちまで砕けては病と戦えないでしょうから) 寝てる事が多いと手足の血行が悪くなりやすいので面会に行くと必ず(話ししながらでもできますので)マッサージしてましたよ 7年入退院を繰り返し「今度の桜は見れないと思います」と主治医に言われてから3回桜を見せることができましたが、看病に追われ結婚が遅くなり孫の顔は見せる事できなかったです(時間は24時間しかないので仕方のない事と割り切ってます) 日頃子供に厳しかった父が最後の夏(他界する1ヶ月前)に「お前には本当世話になったな」って言われ、「不吉なこと言うな」って返事しましたが本人には判ってたのかもしれませんね 親からすると期待に添えなくても我が子に違いはありませんよ

  • ikuchan250
  • ベストアンサー率24% (1063/4275)
回答No.3

ちょっと辛い内容と思いますのでスルーして貰って結構ですよ。 最大の友達が昨年9月半ばに同じ状況で亡くなってしまいました。 そのとき、Okwaveにあなたと同じように何が出来るか、を相談しま したが、あまりも心ない投稿があったので削除依頼しました (削除の方法がわからなかったので) あのときは、Okwaveにがっかり来たしたし、了見の狭い人が居ると いう事に愕然としました。 友達の例を挙げますと、投稿した時(お盆過ぎ)は(1)腹水を抜く  (2)黄疸レベル3 だったので、今の状況で何が応援できますか、 と投稿しました。Webで調べると黄疸レベル10になって、3ヶ月程度 その人は存命されていたので、亡くなる事は間違いないけど、何回か お見舞いに行けるな、と思っていました。 彼は3~4ヶ月置きに肝臓を削る手術を受けていて、ちょっと調べたら 1ヶ月で1/3もどり、3ヶ月でほぼ戻るとかいてあったので、「いつも最新版の 肝臓でよろしいな」とお見舞いした時には笑っておりました。 が、9月10日前に娘さんの署名入りでメールがきて、「今日はちょっと 体調が悪いので娘さんに頼んだろう」と簡単に考え居たら、9月17日 だったか、正午過ぎにメールが着信し、「本日未明に亡くなった」との 連絡をうけました。 私は彼の家族ではないのではっきりはしりませんが、夜、体が痛い、 と訴え続け、先生にいうと、「これ以上薬(モルヒネなど)を投与すると 心臓を解けてしまう恐れがあるので出来ない、と言われていたようです。 家族の方は一旦、夜8時に自宅に帰られましたが、夜中に急変したらしく 未明に亡くなったとの事でした。 確かに肝臓関連で入院すると、野菜なんて茹でただけ、みたいな感じです から、とても一般の人にはむりですね。 私も何回か数ヶ月ずつ入院していますが、整形なので、切ったらしまい、 という感じが強く、本当に日にち薬を実感しておりました。 ご飯も美味しく頂いていましたから、今思うとありがたい事と思います。む 実際になにができるか。 病魔が体を蝕んでいるので、ほぼ何も出来なかったようです。 痛いと訴えたら体をさすってあげるのがせいぜい、とも話されておりました。 可能な限り、顔を見せてあげて下さい。 意識レベルが下がったら声を掛けてあげ下さい。 それくらいしかできないのが残念です。

  • kiflmac
  • ベストアンサー率22% (160/717)
回答No.1

死ぬ事を前提として考えたら『出来る事』が、狭まってしまうと思います。 貴方が、ご尊父に心地良事をして差し上げたい気持ちは判りますが、嬉しそうな事を何個も作ってしまっては、本当に死ぬまでのカウントダウンになってしまうと思います。 今、貴方がしている手紙も本当に良いと思います。ただ、後悔の気持ちからの手紙では無く、ご尊父様が居てくれて、有難かった気持ちを書かれては如何でしょうか? 後悔の懺悔を毎日読むのは、許せなかった自分を悔いる気持ちに成ってしまうと思いますので。 親不孝をしてきて、懺悔の気持ちで沢山したい事がある事は凄く解ります。 時間が許す限り、貴方の家族で行って声を掛けてあげるだけで、凄く嬉しい事だと思いますよ。 特別に何かをしてあげるのでは無く、継続的に寂しい時間を減らしてあげるのが嬉しい事だと思います。

noname#215716
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 今日も午前中、母が来るまで、父のところに居ました。 私の手紙は、まだ3通しか渡せていませんが、 父への後悔の念をつづった内容ではなく、 今まで大切に、責任を持って育ててもらったことに対する、 感謝の念を書きました。 それから、父が肝性脳症で倒れて入院してときに、 私と弟はインターネットで、肝硬変や腹水などを検索して、 調べ回ったこと、必要以上に心配をして、嫁さんが心配したこと 等々を、「親子3人で同じ血が流れているね」を「落ち」にして、 少しでも父が微笑んで貰えるならと思って書きましたが、 父は腹水でしんどい状態で、微笑んでは貰えませんでした… 一昨日、腹水を針を刺して抜いて、少しでも楽になったかと 思いましたが、体力が無いのか、今日の父はほとんど眠っていて、 きんつばと饅頭を持って行きましたが、それも食べる気力が無く、 ただ、父のそばに居ることしか出来ませんでした・・・ それだけでいいのかも知れませんが・・・・

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    肝硬変末期で、2月1日に肝性脳症で倒れて入院した父ですが、 腹水がお腹にたまりパンパンで、両足もむくんで腫れていました。 それでも、病院に行くと、時には冗談も飛ばしていました。 もともと糖尿病で、1年前に食道静脈瘤の手術も受けていました。 その父が、昨日の夕方、血を吐いて、個室に移動されました。 食道静脈瘤が破れたんです。 父の入院から毎日、足が勝手に父のところに向かっていましたが、 昨日は疲れてしまって、休んでいました。 その昨日に・・・・・ 今日、父は一昨日の父とはまるで別人でした。 顔に血の色が無く、まるで土色のようでした。 酸素マスクをし、胸には心電図の電極が貼られていました。 父はそれでも、うわごとで仕事のことを気にしています・・・・ 今日、私は午前中3時間ほど病室に居ましたが、 昼に母が来てくれて、それが限界でした・・・・ とても父を見ていられません。 しかし、父の生き様と父の死に様?を見つめないといけません。 それが、私を育ててくれた父に対する最後の私の勤めですから。 と、頭で解っていても、感情は「辛い」です・・・ 3月に今の総合病院から転院と言われていましたが、 今の父に、そんな体力などあるはずもありません。 父がもうすぐ亡くなります。 もう、手紙も読むことができません。 2人の息子を立派に育ててくれた父に、最後に何をすればいいんですか??? そばに居るだけでいいんですか??? 父に感謝の気持ちも伝えたい。 思春期に反抗したことを謝りたい。 でも父は・・・・ どうすれば良いんですか?????

  • 肝硬変末期の父について

    父は現在59歳。元来酒好きで、10代から飲酒をし始め、30代からは毎日ほぼウィスキーをボトル一本飲む状態でした。 昨年10月位から父の様子がおかしく、おなかが異様に膨らみ、毎日していた犬の散歩もしなくなりました。 父にどんなに家族で病院に行くことを勧めても行かず、半ば無理やり12月下旬に病院へ連れて行きました。 その際の診断は、肝硬変の末期で肝がんが3個。腹水も溜まっており、このまま飲酒を続ければ、余命は1,2ヶ月とのこと。 その後肝がんに関しては、抗がん剤を直接肝臓に注入する方法と、ラジオ波にて綺麗に取る事が出来ましたが、父は飲酒を止めてはくれません。 家族の言う事もまるで聞かず、アルコール依存症の治療をかねて、専門病院への入院治療を勧められましたが、そこへも結局入院せず。 今年7月に仕事中意識がなくなり、嘔吐し救急車で運ばれ、20日間の入院。 退院後はまた飲み始め、常にイライラした状態で、記憶があいまいで、家族を近づけようともしませんでした。 9月末に余りにも具合が悪かったのか腹水が以前よりも溜まり「体重が増え、おしっこが利尿剤を飲んでも出ない。おしっこが出ないと下痢が止まらない。」と言い出しました。 そこで、主治医を受診すると、腹水で体重が7キロも増えていました。 主治医は、アルコール依存症を治さなければ治療は出来ない。 と言いましたが、なんとか頼み込み、入院させてもらい、現在は利尿と、下痢の治療をしているとのこと。 今日で入院10日になりますが、入院当初尿が出るようになったのが、昨日は朝1回しかおしっこが出ず、下痢が止まらない。 と言っていました。入院していてこの状態で、父はあとどの位生きられるのでしょう?医師からは、毎回聞くたびに「あと1,2ヶ月」と言われていますが、最初の1,2ヶ月と言われてからすでに10ヶ月頑張っています。 食欲はあるのですが、お腹が張った感じがして、今日は食事もいつもより少なめでした。 この先考えられる症状、父はどうなって行くのか、明日突然父になにかあるのでは?と毎日毎日不安で仕方ありません。 ご回答よろしくお願いいたします。

  • 肝硬変   腹水と肝性昏睡について

    昨年の夏、食道静脈瘤の破裂で父(70才)が入院しました。 以前より肝機能はあまりよくないかもと言われていましたが、肝硬変(アルコール性)になっているという事をその時初めて知りました。 気付かずに禁忌の薬を服用していたのが、引き金となったようです。 1ケ月ほどで退院し、今は1ケ月半毎に大きな病院で血液検査や造影剤CTを受けています。 詳しい検査をしたところガンらしきものが肝臓に2ケ(1cm大のもの)あると言われ、またそちらの処置もしなければなりません。 私が普段気にしているのは、腹水の有無と肝性昏睡です。 父は少し肥満気味の為、腹水が溜まってきてもよく分からないのです。 3ケ月毎に造影CTをしているのですが、特に何も言われませんでした。 CTで腹水の有無は判るのでしょうか? また父は最近よく眠ります。 椅子に座りながらでも寝ます。(30分ほど) 意識はしっかりしています。 夜間も短いですがちゃんと寝ているようです。 肝性昏睡の初期には睡眠障害があると聞きましたが、父のような容態でも肝性昏睡は起こるのでしょうか? ちなみに精神異常はありません。 疲れているだけなのでしょうか? 素人が浅はかな知識を色々得て、混乱しております。 次の診察は4月末なので、気にかけています。 是非、ご意見をお聞かせ下さい。 宜しくお願いします。 ちなみに父の現在の血液検査の数値は GOT 45、GPT 60、、LDH 207、AL-P 325、γ-GTP 69 です。

  • 肝硬変末期の父なのに、その母と息子は疲れるだけか?

    度々、書き込んでいます。 家族の看護がいったい、どういうものなのか?分からなくなってきました… 71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、 年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。 そして、とうとう 2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院 私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。 でも、まだ元気そうに見えました… 2月16日、1回目の腹水を抜き、 2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される… この日以後、家族、私と母と弟は一変しました。 もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません 母は病院に泊まり込み、私は母のサポートで1日病院に、 弟は東京から週末ごとに帰省します。  もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません。 食道からの吐血なので、固形物は食べられず、 点滴と水だけ… 腹水でお腹がパンパンなので、 水を飲みたがりますが、飲むと腹水を圧迫して苦しみます。 3月2日、とうとう2回目の腹水を抜きました… 体力が落ちることが分かっていて。 腹水を抜いて、私と母に冗談を飛ばすように、よく喋るようになりましたが、 それも3日後ぐらいから、腹水が元の状態にもどり、 昼間でも寝ている時間がかなり長いです。 でも、3時間ほど毎に、「み、水、飲ませてくれ・・・」 と言うので、家族はとても看護師さんだけに任せる訳にはいきません。 母は病院の父の個室で寝て、24時間看護の体勢、 私は息子ですが、うつ病の為、家族の食事を作って、病院に通います。 でも、私にも家庭があるので、19時までには帰宅したいところ。 弟は今週は、大阪に出張もないので、東京に居ます。 私や弟が父に出来ることは、とても母にはかないません。 ただ、母の「サポート」をするしかないんだ、と分かりました。 肝心の父のここ最近は、「小康状態」としか言い表せません。 私が10時から18時までいる間は、 喋ることも少なく、ほとんど寝ていて、 でも突然、「み、水をくれ…」というので、吸い飲みで口に注ぎます。 それしか口に入れるものが無いので、「美味しい美味しい」と言ってくれます… 会話らしい会話も出来ず。 母は、一昨日は風邪で病院に、昨日は髪のカットに行きました。 実家の用事もありますし、祖母の介護施設の手続き等々、することがあり、 父だけに時間を使えないので。 その間、私が父を看ています。 何もしないのに、病院に居るだけで疲れます… 私は、家の車から実家で、実家の車に乗り換えて、病院に行きます。 母は、実家の車しか運転できないと言うので。 昨日の出来事の1つですが、 母がカットから実家の車で病院に帰って来て、駐車場に止めました。 もう18時を過ぎていて、私は焦っていました。母も焦っていました。 携帯に母から連絡があり、駐車場の方に向かいました。 「駐車券はどこ?」 「車の中」 「何階のどの辺りに止めたの?」 「3階の昨日とは違う方」 それで、別れて私は車の方へ、母は病院の方へ、 でも、実家の車のカギの引き渡しを受けていませんでした。 すぐ母の携帯に何度もかけても、出ません。  何で携帯に気づかないのか!? とにかく父の部屋に戻っていると思って急いで病院に戻るも居らず、 携帯にでた母は、買い物をしていました… 切れたらいけないと思いつつ、切れそうになりながら、 やっと母からカギを受け貰い、駐車場へ。 「3階に止めてあるからね」と言われたので3階で車を探します。 ありません。 また携帯にかけますが、母はでません! 4階を探してもなく、2階に行って、やっと車を見つけた時に、携帯に母から、 「ごめんね。えらい運動させてしまったね~。」 笑って言っていました。 私も、「2階だったよ」と笑って言うしか出来ませんでした。 夜の、「慣れない車」の運転の前なので、怒ってはいけないいけない。落ち着いてと。 そういう「一こま」でした。 私は帰宅してから、家族と夕食の後、 次の日の夕食を料理して、23時。 もう疲れて寝るだけです。 何か、何というか? 肝心の父を看護しているのか?父は殆ど寝ているだけで、 たまに体を拭いたり、寝返りをするため看護師さんの手伝いをして、 父の横ですることもなく、 でも、自分には自分の家族の生活があって、料理・買い物等で疲れて、 母にも、母の用事が何かとあって、 母の方が、病院の簡易ベッドなので、疲れているはずで… 肝心の父と会話もなく、 母も私も疲れるだけで… 看取るというか、家族の看護って、こんなものなんでしょうか? 長々と書いて、すみません・・・・

  • 肝硬変末期の父はこんな状態でも生きないと…?

    何度も投稿している者です。 昨日、父の主治医から初めて説明を受けました。 危険因子は3つ。 ・ 食道静脈瘤:今度、2回目の破裂をすると致命的に… ・ 肝硬変 ・ 腹水 私は42歳の男性ですが、 この医師が私より若く30歳代のように見えたからではなく、 この医師の説明が全く意味不明にしか思えませんでした。 素人に理解不可能な説明が続きました。 塾の講師をする私から見れば、家族に理解・納得させる気が無いんです。 まあ、こんな医者はどうでもいいんですが。 昨日、今日と、母がいったん家に帰って、お風呂をし、 私と父で、父の個室に居る時間が長くなりました。 父は、「み、み、水をくれ・・・」と言います。 私は、水を飲んだら腹水がさらに貯まって、父が苦しくなるから、 「ゆっくりな、時間かけて飲もう、父さん…」 と言って飲ましても、100mlの吸い飲みをすぐに空にしてしまいます。 父は、「も、もっと、水くれ・・・」と言います。 仕方なく父の希望に添うように 1時間ほどかけて700~800mlの水を飲ませてしまいました… それからが、ちょっとした地獄でした。 飲んだ水で、腹水を圧迫したのか、父が苦しみだし、 「押してくれ」 「何を?何を?」 「な、な、ナースコール」 「ええんか?押してええんか?」 「いや、待ってくれ・・・」 を3回繰り返し。 ようやく、父が寝てくれたので、とりあえず外の風に当たろうと、病院の外へ。 部屋に戻ると、父は苦しんでいました・・・ 「しんどい~、しんどい~、しんどい~」と言うだけ… 私はさすがにヘトヘトになって、 父の顔を見ることも出来ず、 「しんどいなぁ~!、しんどいなぁ~!」 「でも、父さん、今まで、しんどいこといっぱいしてきたやんかぁ~!」 「会社でもしんどかったやろ~!」 って言うだけ… 辛かった・・・・ 「看取るというの辛さ」というのが初めて理解できました。 胃ガンや肺ガンの末期の方が「痛い」と言うと聞きます。 父は肝臓癌もありますが、転移もなく、小さいままで、 腹水の「苦しみ」が堪らないんだと思います。 「虫の息」と言いますが、まさに今の父は「虫の息」です。 人は、ここまで苦しんで、憔悴しきってからで、死なないといけないんですか????? 確かに、犬や猫と違うから、安易に他人が死をもたらすことは出来ません。 でも、もう父は十分に私たちの為に生きてくれました。 昨日、今日、と溜まらず私は、 「父さん、しんどいな~、ありがとうな~、ここまで生きてくれて、ありがとうな~」 って、何度も何度も繰り返し言いました。 私も辛くて憔悴しきっています。 母は、泊まり込んで1人で父を看ています。 母の方が・・・・・ もう私には十分です。 ここまで生きてくれて、ありがとう。 ここまで生きてくれて、おつかれさまでした。 心の準備はしてきました。 父はもうお腹以外は、骨と皮だけです。 酸素チューブと点滴のチューブ、 ただの延命? 私には苦しみをいつまで父に与え続けるのかと思ってしまいます。

  • 肝硬変の腹水について

    義母が 先日から 術後(1/4 肝細胞癌:3cm 摘出手術)の合併症(胆汁漏)で入院しております。 腹水は以前から 利尿剤(2個)を飲んでいましたが 術後 3個になり 現在入院中ですが 利尿剤3個と昼から点滴による利尿剤投薬となりました。 医師に肝硬変はどんなレベルですか?と聞いたところ「良い状態ではありません」としか 言ってくれません。 本人は食欲もあり元気ですが 腹水のたまり具合から言うと肝硬変がだいぶ進んでいるのでしょうか? それとも術後の肝臓の状態が良くないので 腹水が増えているのでしょうか? 経験のある方 知識のある方 教えてください。