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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:父は亡くなりました。後はお通夜と告別式が残ってます)

父のお通夜と告別式が残されました

このQ&Aのポイント
  • 父が亡くなり、お通夜と告別式が残されました。私は20年以上鬱病であり、父の死が私にとって大きな喪失です。父は立派に生き、病気と闘い、私と弟を立派に育ててくれました。明日、父は焼かれますが、私には通夜と告別式を送る力が必要です。
  • 父が亡くなり、お通夜と告別式が控えています。私は長年鬱病であり、父の死は私にとって大きなショックです。父は立派に病気と闘い、家族のために尽力しました。明日、父が焼かれることになりますが、私は通夜と告別式をしっかり送りたいと思っています。
  • 私の父が亡くなり、お通夜と告別式が明日行われます。私は鬱病を抱えており、父の死は私にとって大きな喪失です。しかし、父は立派に生き、病気と闘いながらも家族を支えました。明日、父が焼かれることになりますが、私は通夜と告別式を心を込めて送りたいと思っています。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#191962
noname#191962
回答No.7

貴方は本当に優しい方ですね。 お父さんのことが本当に大好きだったこと、 お父さんのことをとても大切にされていたこと、 お父さんを心から尊敬していたこと 貴方が本当にお父さんのことが大好きだったことが痛いくらい伝わって来ました。お父さんはお亡くなりになりましたが、きっと貴方に感謝しておられますよ。お父さんは幸せな方でしたよ。貴方みたいな親思いの子供に恵まれたんですから。 私は貴方がうらやましいです。 私の父は、25年前に借金作って勝手に出て行き行方不明になりました。 そんな父を捜す気にもならなかったしむしろ恨みました。 だから貴方みたいな方がうらやましいです。  お通夜、お葬式、その後色々大変でしょうが元気出して頑張ってください。 お父さんは貴方のことを天国からずっと見守ってますよ。 元気出してくださいね。

noname#215716
質問者

お礼

お辛い体験を書かせてしまって、申し訳ありません… 私は優しいとか、そんなんじゃなくて、 ただ弱いだけです… 土曜日の10時半、亡くなった父を目の前にして、 アホ、親父の、アホ… って思いながら、 でも、父が有り難くて、父が頑張ったから、 甥っ子、姪っ子の前で泣いて、泣いて、 今まで、ありがとうございました!!!!!!!!! 今まで。ごくろうさまでした!!!!!!!!!! って叫んで。 それから、4時に葬儀屋が父を迎えに来るまで、 母と弟と妻と弟の妻と、何か動いていました。 病院の部屋から運び出す物、その他いろいろ。 ぜんぜん覚えていません。 葬儀屋の一室に父が寝かされ、 お坊さんが来て、お経を上げ、必死に父を拝んでいると、 若くて、元気だった頃の父、 私を片手で抱きかかえた父の姿を思い出して… 涙がボロボロ出てきて、止められなくて… 明日は、とうとう最後。 お骨拾いだけは…  辛いな…… 8歳の娘に見せていいのか? 8歳の娘の前でボロボロ泣いていいのか…… 分からないけど、 私が父を愛していること、 その父が居なくなることが、こんなに悲しいこと、 自分の父親が泣きじゃくる姿、 娘に見せてもいいと思っています………

その他の回答 (8)

noname#191962
noname#191962
回答No.9

No7です。お父さんを亡くされてショックで大変な時に返事いただき本当にありがとうございます。 貴方が亡くなったお父さんを見て涙が止まらないのは当然ですよね。 それほどお父さんへの思いも強かったんですね。 8歳の娘さんにお骨拾いは確かにどうなんだろ?って思いますよね。 でも、貴方が娘さんの前で泣くのは全然いいと思います。 亡くなったお父さんに対して貴方が本当にお父さんのことが大好きだったことを娘さんは貴方の姿を見て感じとるでしょう。 貴方はいいお父さんじゃないですか。 泣きたい時は思いっきり泣けばいい。 貴方のお父さんはもうこの世にいない。 もう会えないと思うと泣くのは当然です。 私には、父親に対してそんな感情はありません。 母も身勝手で現在73歳で元気ですが、1人暮らししておりもし母が死んだら私は泣くかな?って思います。 私は両親の愛情をもらわず、一人っ子で育ちました。 だからそこまで、お父さんが亡くなってまで悲しくて泣ける貴方が本当に羨ましいです。 元気出してくださいね。

noname#215716
質問者

お礼

報告します。 昨日は11時からの告別式でした。 でも、朝は私の妻の着物の着付けがあるので、8時過ぎ出発。 11時の式が始まるまで、 父の棺に入れる物を探していました。もうバタバタ。 式場には小さな紙に、お手紙をと渡されましたが、 こんな小さな紙じゃ何も書けないよ… 急いで、9時過ぎに車に乗って、近くの駅前店舗に。 専門店に文具屋さんがありましたが、10時開店… 隣のダイエーに入り、1階は開いていたものの、 3階の文具コーナーが… 階段の黄色い鎖は、もう勝手に取って、3階に。 店員さんが、1人。 「すみません、営業時間外とは分かってますが、売ってください」 って。 色紙5枚セット、筆ペン、便せん を買わせて貰いました。 かなり無理してるって、自分でも分かっていました… 10時半に、集合写真とか。そんなん、どうでもいいのに。 自分は、カバンに色ペン等用意しているので、 姪っ子に、色紙に「お祖父ちゃんに書いてあげてね」と渡し、 私は、色紙に筆ペンで、 高校で習った漢文ですが、父の気持ちを代弁するつもりで 書きました。 以下、漢文。 我人生是飲酒也 我人生是会話也 我人生是家族也 我人生於是無悔 と。 私の人生は酒を飲むことです 私の人生は酒を飲んで、仲間と集まって楽しく会話することです 私の人生は家族です 私の人生において、悔いは有りません。 という意味です。 1枚失敗して、もう1枚書きました。 父の棺の横に置き、読経が始まりました。 お経を聞きながら、坊主のお経より、親父に最後の手紙や! って、便せんに2枚しか書けなかったけど、 「ありがとうございました。」と 「おつかれさまでした。」と 楽しかったよ、嬉しかったよ、母さんを守るよ、 父さん、ボクたち孫の家族も守ってね、と。 読経の間、母と私と弟と妻2人が前に立って、 皆様に挨拶を。 喪主の母は、やっぱり感情が高まって、 最後の挨拶の文を読めない状態になりましたが、 でも、最後まで読みました。 読経が終わると11時、出棺の前。 みんなと皆様が集まって、 ドライアイスで冷たくなった父の顔を触って。 父さん、こんなに冷たくなって… 寒いやろ… って。 それから、出棺、火葬場へ。 いったん帰って食事。 食う気もしない、呑む気もしない。 父は焼かれている。 私は、食べるも食べず、外に出て、1本だけ一服を… また火葬場へ。 淡々と時間が過ぎる… お骨拾い。 骨、いっぱいあるのに、骨壺に入るの少しだけ。 父さんの骨のかけらを1つ、 黙ってハンカチに入れて、持って帰って来ました。 また、お守りに入れようと思って… また、斎場にもどって、初七日の法要。 もう坊主の読経はええわ! 坊主が帰って4時。 ここで、たいがい疲れてます。 弟家族が東京に帰るので、その準備とかもあって、 5時ぐらいに、斎場を出たかな? それでも、私と母と弟は、まだ終わりません。 実家に帰って、3人で座敷を掃除、 18時に斎場の担当の方が、灯籠とか親父の祭壇等々を 持ってきてくれて、組み立ててくれましたが、 四十九日が終わると、しまって、初盆にまた出すので、 一緒に組み立てて、覚えて、 食器やその他等々の配置を写真に撮って… 19時だったか、3人で食事に行って、帰って、 今度は、お香典の金額確認と簡易リスト作り。 親族だけで、一般の方のお香典は断っていたのですが、 それでも、終わったのが22時かな? 嫌な事だけど、 母親が、オレがリスト作って、名前書いて、金額書いて、 そういうことしてると、 誰々が来てない、誰から香典貰ってない、 この人は誰?って聞くと、 この人は、お父さんの・・・・って長い長い話が始まって、 もうええ!時間が無いねん!!って切れると、 黙って聞きなさい!と逆ギレ! 祖父の実家の本家の誰々とか、 父のいとこの関係の誰々とか、 今、言って聞いておかないと、覚えないでしょ! って。 ボクも弟も、PCのエクセルで表を作って、 書き込んで、しんどいのに、 母だけ、何も出来ないから、 やれ、誰の香典がどうのこうのとか… 言うだけ言って… 母が2階に上がっていなくなって、 父の位牌の前で、弟と やばいな… オカン、自分の言いたいことだけ言うようになってるな。 お前は知らんと思うけど、転院の件でも、 ギリギリにヤバイ状況やったんや。 親父の病状があと1ヶ月、3ヶ月続くと、 さすがに、オカンを説得して転院させなアカンかってん、 そんでも、オカン、聞く耳もたへんから困ってな… オレの嫁さんにも自分の言いたいこと言うだけ。 開いての話を聞こうとせえへんねん。 おまえとこの嫁さんにはどうや? こっちも疲れてるで。言いたいこと言うだけだから。 もう、家族の恥かも知れませんが、 母は、66歳なのに?性格か? 自分の「我」を通すので、私と弟の嫁さんの家族にも、 言いたいこと言って、開いての話を聞きません… これは、私が家に帰るとき、 さすがに、弟と2人で、 「母さん、ああなって、今まで父さんが抑えてくれていたけど、  父さん大変やったろうな… オレらが抑えんとアカンな…」 って会話して、23時。 私の家は近いものの、 何か、感情が複雑で、1日を通すと。 泣きそうになったり、 辛かったり、 切れたり、 逆ギレされたり… とにかく疲れるだけ疲れて、もう寝るだけ… まだ、疲れが出てきたので、もう一眠りします… すいません。 お礼でも何でも無く、ただの愚痴ですね… ほんとに、申し訳ありません。 m(_ _"m)

noname#215716
質問者

補足

ありがとうございます。 いま、さっき、実家から帰って来ました… ちゃんと、お礼したいので、 今日はこれで失礼します。 本当に、申し訳ありません。 m(_ _"m)

  • ni_si_ki
  • ベストアンサー率19% (302/1586)
回答No.8

まだまだ先の話ですが、私は親が亡くなったのを機に自分の最期の時を具体的に考えました。 当時30歳でしたので今思えば「考え過ぎだろ」と自分で自分をツッコミたくなります。 今年48歳になりますが2年前に進行性の病を発症しました。 今年になりいよいよ車椅子生活になってしまったので、エンディングノート買ってきてもらい自分の思いをしたためている最中です。 親の死を体験することで自分にもいずれ訪れる最期の時を自覚・覚悟出来たと思っています。 まだ渦中のあなたにはそこまで考えが及ばないと存じますが、その内実感されることと存じます。 私はね、死ぬことに少しも恐怖心がないんですよ。 父も生前申しておりました。 もう知り合いはみなあの世に行っている。 随分と賑やかなことだろうと。 私は父の棺に新品の服を入れました。 痩せてしまっていたのでどの服もブカブカだったからです。 父のために全身トータルコーディネイト。 きっと私が選んでくれたんだよと、天国で待っている母に披露してくれたと思っています。

noname#215716
質問者

お礼

私は今、42歳です。 私も、貴方と同じようなことを考えていました… 父が生前、祖父が60歳で亡くなったので、 還暦になった時、 オレの人生は60までだから、あとは「おまけ」みたいなもんだ って常々言っていました。 なんか、解るような気がします。 父が71歳で逝ったなら、 私も71歳でいいや、って… でも、酒は飲まないけど、タバコを吸う私は、 父の看病しながら、 「オレはろくな死に方しないだろうな…」 って思ってました… でも、娘が成人する、あと18年は生きたいと思う… 60歳まで、無事に生きられるなんて「確定」してないけど… それを思えば、父は孫たちに囲まれて、逝って、 父は、「幸せ者」だったんだと思います… だって、何も、思い残すことが無かったんですから…

noname#215716
質問者

補足

先ほど、お墓参りから帰ってきました。 40年前に、祖父が60歳で亡くなった時に、 父が建てた墓石です。 18年前の震災で、倒れた墓石は角が・・・・・・ って、書きながら、横になって、寝ていました。 何か、夢を見てました。 これは、夢だって分かってました。 夢だから、起きたら、嫌な事が有る、 って警告していました。 起きたら分かりました。 現実だ。 そうだ、現実だ… 現実は… あの汚い墓を、こまめに行っては、毎回掃除していたのは父、 あのうるさい母さんを黙らせて、黙々と家を回していたのは父、 細かい請求書、役所関係、香典関係、やっていたのは父、 母さんだけじゃ、何も出来ない。 だから息子の私と弟が居る。 でも、弟は明後日にでも東京に帰る。 私は、弟のように会社勤めでなく、鬱病で、主夫で… だから… 社会のことに、うとい… 知らない… 起きたら現実で、 起きたら、現実は、父さんが居なくなってて、 それは、病院からずっと見てたから、本当に、現実で、 墓石の裏の、建立した父さんの名前、 赤色に塗られていたけど、もう赤色がはげ落ちていて、 弟に電話して、墓、見たら泣けてきたって言って、 父さんって、「偉大だね」って言い合って、 弟も一緒に泣いて、 そのまま寝て、夢を見て、 起きたら現実で… アカン… これだけ、書いてきたのに、 ボクはまだ、現実を受け入れていない・・・・・・ あの「偉大な父さん」が、 あんなに小さくなって、 しわくちゃになって、亡骸みたいになって、 亡くなったことを… まだ、ボクは受け入れてなくて… そんな自分に、唖然として・・・・・・ 静岡のいとこに、メールで、 「いい叔父ちゃんって言ってくれてありがとう。  何よりも供養になるよ。」なんて解ったようなメール送って、 メールが帰って来て、 やっぱり、父さんが居ないことを、もう1回、知って…… ダメだ。 看取ったのに、葬儀を送ったのに、 私は受け入れができていなかった… 時間、かかりそうです。 頭で解ったふりして、深層心理はそれを拒絶してる… 明日は、無理だけど、 木曜日、精神科の主治医の診察があります。 先生に言わないと… 先生から教えて貰わないと… どこまで情けない42歳だ… どこまで情けない42歳だ… どこまで情けない42歳だ… ダメだ・・・・・・・ 父さんが偉大すぎる。

  • 96183327
  • ベストアンサー率17% (95/536)
回答No.6

以前、叱咤激励の回答をさせていただいたものです。 心よりご冥福をお祈りいたします。 お父様を無くされたお心は、大変お辛いことと思います。 私の場合は、父親のお棺に手紙を入れました。 お通夜と告別式を送る力を下さいとのこと。 あなたは立派なお父様の息子です。 だから、乗り越える力はあります。 力はありますけど時間も必要ですから、とにかくお体に気をつけて、お父様が安心できる生き方をしてください。

noname#215716
質問者

お礼

ありがとうございます。 どんどん、叱咤してください… もう、そういう父は居ませんから… 私が立派かどうかは? 今は、どうでもいいです… 私が、あと20年?30年?生きるか解りませんが、 私が立派だったかどうかは、 妻と2人の娘が決めることと思っています… それまで、私は妻と2人で、 2人の娘を立派に育てるだけです。 鬱病だろうが、周りの白い眼が有ろうが、 そんなこと、構いません。 父が「責任を持って」私と弟を育ててくれたように、 私も「責任を持って」2人の娘を育てるだけです… それが、父への何よりの恩返しにしかならないと思い…

回答No.5

立派な父上ですね。 一番の供養は、あなたの感謝の気持ちを伝えること。 何かの本で読みましたが、亡くなったかたが成仏して楽になるか暗闇に取り残されて未成仏となるかは、 残された家族次第なのだそうです。 楽しかった思い出を思い出して家族で笑ったり、感謝したり。 そのような家族の思いが、亡くなった方を光へ導くのだそうです。 やっと肉体の苦しみから解放された父上を、ねぎらい、供養されてください。 私も大事な人を失った経験がありますが、後悔の念は相手をこの世にとどめてしまうと思い、 日々感謝の念を送るようにしています。 父上におかれましては、長い間の闘病生活お疲れ様でした。 あなた様もご自身をご自愛ください。 失礼いたしました。

noname#215716
質問者

お礼

私は宗教的なことは何も勉強していません… ただ、明日の告別式を送らねばなりません。 お骨拾いだけは、辛いな… 8歳の娘の前でボロボロに泣くかもしれません…… 分からない… 明日は8時過ぎには出ないと行けません… 16時に式は終わります。

  • thsplusS
  • ベストアンサー率23% (4/17)
回答No.4

こんにちは、以前回答させていただいた者です。 別れは辛いですね。 でも、お父さんは人生の幕を自分で降ろされたのだと思います。 これだけ息子さんや家族に思われて、お父さんも嬉しく思っていると思います。 私も昨年に妻が私と娘達の前から去りましたが、まだまだ辛いです。 私もここで色々な方の言葉に励まされ癒されています。 人の命はどう足掻いても取り戻すことは出来ません。 まだ亡き妻にしがみついている私が言っても説得力がありませんが、私の取った行動と現在している事を聞いて下さい。 お棺には、交際中・結婚式(写真だけですが)の写真と、妻のサングラス、趣味だったバレーボールのシューズや好きだったチョコレートなどを入れました。 出棺の際は、「ありがとう。」と言葉をかけました。 妻の歯を持ち帰り、私と娘達のお守りの中に入れています。 妻の遺骨を砕き、ペンダントに入れて肌身離さず一緒に居ます。 毎朝、パンを焼き、コーヒーを入れてお供えしています。 毎週土曜日に妻のお墓へ会いに行っています。 私事ですが、明日長女の卒業式があります。一緒に出席するはずだった妻が居ませんが、次女を連れて出席します。 妻も長女の1つ旅立ちを見送りたかったと思うと耐えれるか自信はありませんが、しっかりと娘に卒業おめでとうと言ってあげたいと思います。 その後、妻の所へ制服姿の娘達と報告に行ってきます。 >父は立派に生きました。 >父は立派に病気と闘いました。 >父は最期まで、弟とその家族を待って、逝きました。 >父は私と弟をここまで立派に育ててくれました。 この気持ちはお父さんに届いていると思います。 鬱も心配ですが、立派に生き抜いたお父さんをしっかりと送ってあげて下さい。

noname#215716
質問者

お礼

辛い体験を書いてくださり、 本当にありがとうございます… 父は、やっぱり、話しかけても、 何も答えてくれませんでした… 工学部を出た父。 理論的なことが好きでした。 私に「釣り」を教えてくれました。 「釣り」は「理論」のかたまりです。 理屈に合っていないと、1匹も釣れません。 私も、趣味は「釣り」だけです。 今、8歳の娘が3歳の頃から、簡単ですが、 アジのサビキ釣りをさせました。 去年の夏は、行けませんでした。 今年の夏は、釣りに連れて行こうと思います。 父に酒を飲ませてやりたい。 明日、父は骨壺に入ります。 私は、もう酒を止めましたが、 父がお骨になって、家に帰ってきたら、 父と一緒に、一升瓶を置いて、酒を呑もうかと… 寂しい。 寂しい。 寂しくなるよ。 父さん、 ありがとうございました。 2人の息子、育てるの大変だったろ? ごくろうさまでした。 病院の闘病生活、大変だったろ。 なんで、苦しいのに、歯を食いしばっても 「苦しい」って言わなかったんや……… 祖父の正雄と父の博司から1文字ずつ取って、 ボクの名前を、正博って付けるなんて、 すごく安易と思ったけど、 今になって、父さんが祖父を思う気持ち解る。 父さんが、ボクをどんな男にしたかったのか解る。 今になって、やっと解ったよ。 ボクは鬱病で、もう家庭教師のアルバイトしか出来ないけど、 でも、8歳と2歳の娘を立派に育てるよ。 それまで、希死念慮が出ても、歯を食いしばる。 生きていくよ… 雑な文で失礼します。 明日も、式があるので…

  • m_3740
  • ベストアンサー率26% (55/206)
回答No.3

以前回答させていただきましたm_3740です。 お父様亡くなられたのですね。 心よりご冥福をお祈り致します。 特に質問はないということだったので、私が思ったこと、 思い出したことを書かせてください。 私も父が後3日と宣告されたとき、いつもの荷物で行こうとしたのですが 母から「喪服を持ってこちらに来なさい」と言われました。 まだ父は死んでいないのに、母は何てことを言うのだろうと思いました。 でもそれは、かつて舅と大姑を看取り、そして父が入院してから ずっと父を看てきた母には覚悟ができていたんだと思います。 それと、棺桶に何を入れるかの話ですが 孫たちの手紙(まだ字が書けませんでしたので殴り書きのようなものです)や 父が旅行のときによく着ていた上着(金属のついていないもの)を入れました。 それと実は・・・モンブランを入れました^^; 父の大好物だったのです。 食べやすいように父の口から近いところに置こうと思ったら手が滑りまして。 父のおでこにモンブランのクリームがついてしまいまして・・・ 皆ずっと泣いていたのに、このとき母と兄と私は笑ってしまいました。 ほかの人はそんな私たちにビックリしていました。 でも笑ってしまったんです。 なぜでしょう、家族だからでしょうかね・・・。 その後、おでこのクリームは私が指でなぞってキレイにし、再度近くに モンブランを置きまして・・・ その後、父は荼毘に付されました。 通夜も告別式もね、立派になんてできなくていいんですよ。 それはもう、お願いした葬儀屋さんや組合の方(いれば、ですが)が やってくださいます。 泣きたかったら泣いてください。 泣いて崩れて当然なんですよ。家族なんですから。 でも、ひとつだけ。 どうか、最後にお父様の顔をちゃんと見てあげてください。 荼毘に付されてしまったら、二度と見ることはできません。 写真にも残っているでしょうし、心の中にもあるでしょうが、 でも、その目で見ることができるのは本当に最後になります。 どうか見てあげてください。 そういえば、私は通夜から荼毘に付される直前まで ずっと父の顔を見ながら 父の顔を撫でていたのをさっき思い出しました。 まとまりがなくてすみません。 どうか、よいお別れができますようにお祈りしています。

noname#215716
質問者

お礼

19時にお通夜が始まり、さっき10時に帰って来ました。 受付の役を任され、父とは何のお別れも出来なくて… 明日、出棺の時、釘は打ちませんが、 それが、父の顔を見れる最後と聞きました… そういう決まりだそうです。 私は、何もしていません… 明日、喪主の母が、皆様にお礼の言葉を述べます。 今日、弟がお通夜に来てくださった方に、弔辞を述べ、 私は弟の長男の甥っ子13歳に手塚治虫の漫画を持って行っただけ… 少しでも暇つぶしになるかと…  明日もあるので… このまま、父と何もせず、別れるのか… 分かりません…

noname#215716
質問者

補足

ありがとうございます。 もう4時過ぎに出ないといけません また、ちゃんとお礼させてもらいます。

noname#183132
noname#183132
回答No.2

そのお父さんを思う気持ちを手紙にしてお棺に入れてあげたらどうでしょう お棺には大きな物や金属は入れられませんから手紙で 私の父もずいぶん前に亡くなりました 亡くなった時はとにかく「会えなくなる」ことに打ちのめされました しかし、人生を精一杯生きた後には また会えるはずですので それまで会った時に話すお土産話を沢山作ろうと思っています 家族や親戚とお父さんの思い出話を沢山してください そうすると、あなたとその場のみんなの気持ちが慰められますよ

noname#215716
質問者

お礼

そうですね。 口下手な私は、父に何も言えなかった… 父も口下手で… 書きたいことは、山ほど有ります… っていうか、もう、毎日、毎日、書いてきました。 「ありがとう」と「ごくろうさま」を… 疲れました。 もう23時を回りました。 出来たら、皆様、また、お話してください…m(_ _"m)

回答No.1

お父様が大切にされていたものを入れてあげるといいですよ。 浄土に行っても寂しくないように、モノに困らないように。 まあ、そんなこと自体が気にならないくらい幸せな所なのが極楽浄土なんですけどね(笑) そうそう。 私が、母が亡くなったときに自分に言い聞かせつつ、喜んであげた事が一つだけあります。 生きている肉体は、病に蝕まれ、体の重さ、痛みを始めとした様々な苦しを纏っていましたが、 死んで肉体から解き放たれたなら、その苦しみから解放されたわけです。 想像してみてください。 体中にゲル状気持ち悪い感触のある、目に見えない重りが60kgくらい張り付いていて、 そこから激痛を発したり、マヒやダルさを与えられる拷問を。 そんなものから解放されたのですよ。 体は軽やか、心も軽やか。 あ、体はもう無いか(笑) 老いや苦しみから解放された魂は、迎えに来てくれた天使だか仏様だか死神さんだかに連れられて、 49日以内に幽界で審判だか審査を受けて、天国だか極楽浄土だか地獄だかに行くわけです。 その過程で、残った不浄を魂から捨て去っていくわけです。 あの世は精神世界ですから、当人が心に思い描いていたあの世に行く事になります。 死後なんてないって信じてる人は、魂の意識体になっても、もう二度と目覚めないで寝てるのでしょう。 いずれにせよ、貴方の鬱のように、生きている人が逃れられない、生老病死から お父様は、その苦しみから解放されたのです。 喜んであげて良いのではないでしょうか。 「よかったなぁ・・・親父・・・」と。 自分は悲しいし寂しいけど、頑張って生きていくから、安心して逝ってくれよと。 私の友人のおかあさまも、今癌になって、貴方やかつての私のように苦しんで居ます。葛藤しています。 先日、癌の転移が見つかり、抗がん剤も効果がないようで絶望していました。 「なんであんないい人が、こんな苦しんで死ななければならないんだ!」 「なんで!これからだろうに!」 そういう思いがあります(ありました) でも、もしかしたら、 生きていること自体が苦痛の世界から、 その人がこの世で果たすべき役割を十分に果たしたから、 もしくは私や貴方の人生を、よりよくするために必要だから 神様だか仏様だかは、私たちの親に現世からの救いを与えたもうたのかもしれません。 「じゃあ私のせいで!?」 そう考える事もありました。 そればかりではないとは思います。 罪を犯しての断罪ではない限り、死は救いなのだと私は信じています。 自分にも早くそういうお迎えが来るといいな・・・。 そのためにも、良い行いをしていこうと思っています。 明日、お骨になったお父様を骨壷に入れるとき、 もっと寂しさがこみ上げてくるでしょう。 こんなに小さくなって・・・。 でも、やっと肉体と魂を繋ぐ最後の束縛から解き放たれたのです。 祝福してあげなければ、お父様は現世に未練を残してさ迷ってしまいます。 遺影用の良いお写真用意してあげてくださいね。 立派な喪主を務めてあげてください。 もう、心配しなくても大丈夫だよという姿を見せてあげてください。 (内心は泣いてても良いんだよ) ここで立派に痩せ我慢が出来たら、一人前の男だよ。 初七日が終わるまで、お骨になったお父様とお話しするといいですよ。 お父様は、何って答えてくれるかな。 笑ってみてるだけかもしれないね。 そうだといいね。 あ、あかん・・・思い出してしまった。 泣けてきたのでこのへんでやめにしますね。 大丈夫!御通夜も告別式もちゃんと出来ますよ! 応援してるからね!

noname#215716
質問者

お礼

辛いのに、投稿してくださって、 本当に、ありがとうございます。 今日のお通夜は今日で終わりました。 詳しくは、他の方のお礼を読んでください。m(_ _"m) 私の家は昔から、仏教です。 父に浄土で安心して欲しいと思いながら、 でも、塩はまかないから、ボクの部屋に入っても良い、 会いたい、話をして欲しい、小言でもなんでも言って欲しい、 そんな気分です… お骨拾い、辛いだろうなぁ……

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