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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人生で傷つくこと、人の痛みをわかることの重要性)

人生で傷つくこと、人の痛みをわかることの重要性

このQ&Aのポイント
  • 人生で傷つくこと、人の痛みをわかることの重要性について考える
  • 傷つくことや人の痛みを理解することは辛いが、成長や共感力の向上につながる
  • 幸せな人生を送るためには傷つくことや人の痛みを恐れずに直面することが必要

質問者が選んだベストアンサー

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  • kaoru0103
  • ベストアンサー率63% (754/1185)
回答No.10

そうですね、参考になるかわからないのですが、僕は質問者さんとは逆のタイプの人間です。 人の痛みに鈍感ですし、恐らく自分自身の痛みにも鈍感だと思います。 幸せそうに思うかもしれません。 しかし、自分の鈍感さ故に周囲の人、大事な人を傷つけているのではないかと思うことはあります。 僕自身、離婚して子供を引き取っていますが、元妻とは何が本当の原因で別れたのか、本当のところよくわかりません。 ただ向こうがもう嫌だというのであればじゃあ、みたいな感じです。 離婚の原因となった理由は表面的な部分で本当の根本はそうじゃないんだろうなと思っています。 もっと違う部分なんだろうなと。 これに気付いたのは最近です。 長男は元妻にそっくりで、次男は性格が僕にそっくりです。 ふと、兄弟の会話を聞いていると僕もこういうひどい(良く言えばシンプル、悪く言えば共感の足りない)こと言ってるんだろうなと思ってしまいます。 なので次男よりも長男へ深い気配りをすることが多く、それが正直心では「面倒」と思ってしまうことも多々あるのが本音です。 人の心がわかりすぎる質問者さんとわからなすぎる人間(僕)がいます。 でも気付いてあげられないということは質問者さんとは違う意味で辛いんです。 気付かず人を傷付けている可能性。 まるで理解できない他人の気持ちなど。 自分がそんなつもりじゃないのに結果的に人を傷つけてしまう事が怖いと思っています。 例えば会社のパワハラ問題があったとして、心では「この位で大げさ」と思っても、今の時代はそれをそう処理してはいけないんだ。というようにです。 うまくいえないんですが僕はそれを学習して学んではいるけど、心として感じる事ができません。 それを人として恥じています。 >人生で傷つくこと、人の痛みをわかることの重要性 すごく大事だと思います。 でもそれ故に、ご本人が生き辛い思いをされるのは大変だろうなと思います。

その他の回答 (9)

回答No.9

人の心を推測する時、その経験がより具体的なモデルとなり、相手の気持ちを想像できる。 ぴったり迄ならないにしても、思慮を深める事により、相手の気持ちを疑似的に想像できる。 全部は当ってないにせよ、気持ちの片鱗に際しては、当たらずとも遠からずくらいにまで寄せられる可能性が上がる。 ゴルフでいえばニアピン。 このようにして、人の痛みをわかる状態に、より近付くことができる。 人の心の痛みのわかる人になれれば、人をより深く知れたことになる。 心が痛む事へ繋がる行いや思考を事前に回避しようと考えるようになる。 それにはどのような方法があるかを探し出したり、切り抜けられる解決法を探し出そうという気持ちにもなる。

noname#231330
noname#231330
回答No.8

幸せそうな人生を送っている人が、傷ついた事が無いとどうして言えますか? 苦難を乗り越えたのかもしれない。 そういう人こそ、他人にも優しくでき、傷をつけるような振る舞いをしません。

noname#255857
noname#255857
回答No.7

>人の痛みが自分のことのようにわかるタイプです。 いやいや、自覚ないと思うけど、それ自分で言うことじゃないよ。 褒め言葉として捉えられる事を自分で言ってるので、 「私は優しくてクラスでも人気者です」って自分で言うのと同じ。 あなたはそんなつもりがなくても、他者からはそう見えるからね? >私は割り切って楽しむのが下手なのでしょうか うん、上記の書き込みの件もあるし、ちょっとずれてて世渡り下手そう、 とは感じました。 あっけらかんと、幸せそうに生きてる人だって、苦悩して、いろいろ考えて 生きてるんですよ。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.6

本日別の方の質問に回答したものがあります。 なぜ人は楽をしている人に批判的なのでしょうか と言う質問でした。 それは出だしで 専業主婦を「楽しててズルい」と思うのはなぜでしょうか? などと質問しており、あんまりな言い方なので私が回答したものです。 山中先生はいいな、楽してノーベル賞をもらって、と思ったらバカでしょう。 だけど、山中先生がどういう苦労をしいかに血を流したかなんてだれにも想像がつかないんです。あの人は現役の外科医だったときに手術がうまくいかなくて、ものが生命にかかわりますからどれだけ言われストレスをためたかわからないんです。それはそれで古傷ですが、別に割り切って現在の人生を楽しんでるわけじゃないはずです。 今はいまで管理職ですから、部下がでっち上げの論文を書いて発表したり苦労はないことはないのです。だけど、見た感じ楽しそうにへらへら暮らしているように見えますね。 それが人生のこつなんですよ。 私は自分の子供にいつも言っているのは、目の位置を変えてみるようにしてみよう、です。自分が言い合いをしている相手がいるなら、相手は何を考えて自分をぼろくそに言うのか想像するんです。それがわかったら和解できます。 痛い経験がないとそういう想像力というのが生まれてこないんです。 歯医者で患者は何を考えるか。自分の痛みがこの患者の中で一番であることを望むんです。一番堪えているのが自分だと思いたいから。そして症状は一番軽いことを望むのです。 あなたは、自分の痛みが一番だと思おうとしているんじゃないですか。人はこの体験なんか知らないだろう、と。 だけど、確かにあなたはその痛みはしっているけど、まだ手も足ももげていないんです。 そう思って笑顔になることはできるはずです。 割り切って楽しむんじゃないんですよ。幸福なことはたくさんあるんです。 傷ついたら、まだこちらはケガしていないな、よかった、と思えばいいのです。 ちょっと慎重に話しますけど、パラリンピックの思想というのがありますよね。最近何度も放送されました。 「失った機能を惜しむのではなく、残っている機能を充実させよう」 これが、あの選手たちの、このうえない幸福な表情のもとなんですよ。 かれらが傷つかなかったことはないし、痛みがなかったわけもないのです。

参考URL:
https://okwave.jp/qa/q9487563/a26477863.html
  • caf-caf
  • ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.5

あなたが、人の痛みがわかる人でとても辛いのでしたら、相手の気持ちが理解できていないように感じます。 相手は、あなたに自分の痛みを理解して、あなたも一緒に常に苦しんで欲しいと望んでいるのですか? 相手も本当に人の痛みが理解できるのなら、自分と同じ痛みは味わって欲しくはないと考えるでしょう。 相手の辛さを理解することと、相手の辛さを自分のことのように感じて同じように苦しむことは、全く意味が違います。 相手の辛さを理解することはとても大事なこととは思いますが、相手が望んでもいないのに自分のことのように感じて苦しむことは、相手への感情の押し付けです。 また、「人の痛みが、自分のことのようにわかる」というのは、驕りだと思います。 例えば、私にある持病があり、辛いと思っている気持ちがあったとしても、あなたに理解できるはずもありません。 私の妻でさえ、「あなたの辛さはある程度までは理解できるけれども、本当は妻の想像など全く足りないほどなのでしょうね。」と、自分のことのように理解できるなどと思い上がることはありません。 どれほど想像をしても、本当の痛みはその人にしかわからない部分がおおいにあるのです。 人の痛みを想像できる人にはなりたいとは思いますし、なるべくなら理解できたほうが良いと子供にも教えてきましたが、少なくとも私は、人の痛みが自分のことのようにわかるなどという言葉は安易に使えませんね。 >傷ついた方がいい。人の痛みのわかる人になれ。という意見どう思いますか。 「傷ついたほうがいい」という意見は、こっぴどく傷ついた経験がないがために、相手の傷つく気持ちを理解できない程度の想像力しかない人に対しては向いていると思います。 傷ついた経験が無くても、相手が傷つくであろう・傷ついて心が痛むだろうと「ある程度」想像ができる人は、無理して自分から傷つく経験をする必要などないものです。 一方で「人の痛みのわかる人になれ」という意見は、おおいに賛成です。 相手の痛みをわかる人になれば、相手をむやみに傷つけることも減るでしょう。 人の痛みを知るために上記のようにわざわざ自分から傷つく必要はなく、これまでの人生経験をフル活用して、その対象の人の痛みが「ある程度、必要なだけ」想像できれば良いのです。 「わかる」は、理解する・知るということですが、それを常に心に思い続けろという意味ではありません。 あなたは、赤信号は止まれとわかっているでしょうが、常に赤信号は止まれだと思い続けはしないでしょう。 人の痛みがわかるということは、相手にとって必要なだけを理解し、必要なときに思い出せるようにしましょうということです。 >世の中の幸せそうな人はあっけらかんとしていて毎日楽しそうです。 毎日楽しそう、あなたにはそう見えるのですね。 毎年100万人以上が新たに「がん(癌)」と診断されていますが、あなたにとっては幸せそうに見える人やあっけらかんとしていて毎日楽しそうに見える人もいるのでしょう。 その楽しそうに見える人こそが本当に人の痛みがわかる人で、周囲には自分の痛みを知ってもらって辛い気持ちになどさせたくないと考え、日々を楽しく過ごしてもらいたいと、いかにもあっけらかんと毎日楽しそうに見せている人かもしれませんね。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.4

私は、十代の頃、ある国立大学の先生(=教授)から 《キミ、僕は、プロですよ。わかりますか? プロってえことは、それだけ血の涙を流しているっ てえことですよ!》と云われたことがあるのですが、 即ち、その頃の私は、自分では青息吐息の日々を 送っているという認識だったのですが…非常に安易な スタンスで生きているように先生には見えた ということなのだと思います。 アナタ様は、もしかしたら、否、もしかしなくても、 傷つくことの意味・人の痛みがわかるの意味が、 解っていないのかもしれませんな。まぁ それはともかく、1度で宜しいので、 《プロフェッショナルとは、何か?》に就いて、 極限思考して、紙に書き出して みませんか。 Have a nice time! Ciao.

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1335/3634)
回答No.3

人の痛みがわからない人は、人を簡単に傷つけます。 たとえば。 身近な人が亡くなって悲しんでいる人に対して、平気で「うざいから、目の前で泣かないでくれる」とか言えちゃうんですよ。 質問者さんは、そういう人になりたいですか? >幸せな人生を送るために、傷つかずに最後まで生きた方が手っ取り早いのに 人って、幸せな時って他人の不幸に鈍感なんですよ。だから平気で言えちゃうんです。 失恋して苦しんでる人に対して「彼と毎日幸せだ」って。「あなたも早く次の恋を見つけなさいよ」って。 人の痛みがわかれば、そういうことは言いません。 それは、相手の立場になって考えられるから。 誰しもが、あっけらかんと割り切って楽しんでいるわけじゃないですよ。 苦しんでる人も、悩んでいる人もたくさんいます。 だけど、それを顔にも態度にも出さない人のほうが多いと思いますよ。 >私は割り切って楽しむのが下手なのでしょうか。 というよりも、未だに深く傷ついた心の傷を、癒せずにいるんじゃないでしょうか。 本当に深く傷ついたことが、自分にとって過去になっているかどうかは、考えたほうがいいかもしれません。

回答No.2

Q、人の痛みのわかる人になれ! A、その真意を理解していないだけです。 >人の痛みを分るのはとても辛いです。 これは、自分が辛いから。ちょっと、精神を病んでいるのかな?

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1726)
回答No.1

(1) あっけらかんと生きている楽しんでいる・・ように見せていても、自分の過去や現在の苦労を人に見せない・話さない人もいる (2) 今、幸せと感じていれば、このような質問も出ないとは、思う

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