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どうして人生は平等ではないのか
どうしてもいつも思ってしまう事があります。 私は子供時代~青春時代、親に虐待されてロクでもない目に遭い、もうすぐ30歳になりますが、一度も彼氏ができた事がありません。親、兄弟とも今は連絡を取っていません。見捨てられました。 かたや同じ職場には、年も同じで結婚もし、容姿もよく、親兄弟とも仲のよい人が毎日楽しそうにしています。 どうして、人生は平等ではなくて、不幸な人間と幸福に恵まれてきた人間がいるのでしょうか?どうして与えられる人と与えられない人がいるのですか? これから人生を立て直すとはいえ、なんの苦労もなく幸せに生きてこれて、私が持っていないものを全て持っている人を見ると、自分の人生を幸せにするために努力するなんて、大変なところから努力してきた自分が惨めになります。 もしこの疑問に回答ができる方がいれば、教えて頂きたいです。 どうしても納得できないのです。
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質問者が選んだベストアンサー
どうして、平等であるべきだなんて思うのでしょうか。 あらゆる生命体で、平等に存在しているものなど一つもありません。 全ての生命体は、偶然生まれ落ちた環境により、何千年もの間枝葉を茂らせる大樹にもなり、生まれることすらなく卵のうちに食べられたりする存在です。 そんな中で、人間だけが平等であるはずがありません。 みんなが平等な社会というお題目は、そうあるように目指そうという目標値であり、現在そうではないからこそ、目標のままなのです。 肥沃な土地に落ちた種子を妬んでも、痩せた土地に落ちた種子の運命が好転する訳ではありません。 痩せた土地に落ちた種子にできることは、より深く根を張り、少しでも多くの養分を吸収すること。 より大きな葉を茂らせ、たくさんの太陽を浴びること。 そうやって、その環境の中で懸命に生きていくことです。 あなたは、この日本という豊かな国に生まれて、真の意味の貧困も飢餓も知らず、自分の身の回りの不幸を嘆いている。 この世の平等という観点で見れば、あなたの環境は、かなり上の恵まれた位置にいるはずです。 でも、今、世界には飢餓に苦しみ、衛生的な環境も教育もないまま死に瀕しているたくさんの人がいるといっても、ピンとはきませんよね。(私だって、知識として知っているだけです。) 身の回りの不幸でいっぱいいっぱいで、手近な幸福をうらやむことしかできなくても、それが悪いとは思いません。 目に見えない不幸まで我がことのように感じろなんて、無理な話ですよね。 ただ一つ言えることは、自分の幸福は、やっぱり自分で努力する以外ないということです。 皆が平等であるべきなんていう幻想にしがみついて、世を嘆いても何も変わりません。 あなたは、こういう環境に生まれついてしまった。 あなたのせいでも、周りのせいでもない、仕方のない偶然です。 (仏教では、因果応報であり、理由があることになっていますが) その中で、自分を幸福にできるのは、自分自身しかいないんです。 努力するのがばからしいといっても、だからといって誰かがあなたの環境を修正してくれるわけでもありません。 私も、つい世の不条理を嘆きたくなること、自分の不運を恨みたくなることはあります。 でも、この環境で生きていくしかないんですよね。 お互いがんばりましょう。
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人は平等であるだなんて誰が言ったのでしょう? この言葉があるからみな恨みを抱いたりするんじゃないかなと思います。ものの考え方は環境からの影響が一番大きいので、あなたのご両親との仲、ご両親同士の仲があなたに影を落としていると言えます。ご両親にもお父さん、お母さんがいたわけですから結局、その人たちの影響をずっと受けているので似た癖があるのです。代々プラス思考ならプラス思考だし、マイナスならマイナス思考という癖。どのようなときに癖が出てくるかということもよく知っておくことも大事ですが(驚くほどに、よく似ているとおもいます。)先祖なんて関係ないなんて言う人もいますが、両親に癖が似ているのならご両親もその親に似ているんです。また、似ていないという人ほど悪いところがそっくりです。 そういう土台は平等ではないですが、人に与えられるチャンスの数は同じらしいです。これは喜ぶべきことじゃないですか? 今ある環境は自分に必要なもので、何かをここで学ばなくてはいけないんだと思えば、答えは見えてきますし、チャンスを掴むことができやすくなると思います。 なんの苦労もなしに幸せに生きてきたように見える人はそう見えるだけであって、同じかそれ以上の苦労をしているものです。しかしそういう人はもともとそういう考えですから、苦難を乗り越えやすいのです。 また、運だけでのしあがってくる人もまれに居ますが、運だけで自己中心的な生活をしていると運が切れてしまって途端に転落人生になりかねません。どんな人でも運だけで生きている人は居ないのです。 幸せそうな人は苦難に耐性があったり、苦難に対する考え方があなたと違うだけではないでしょうか。だったらそれを真似してしまえば良いと思います。あなたのまわりにそういう人が居なければ、誰か尊敬する人の本を読んでみるとか。 努力には性質があって、あるポイントを掴まないとどんなに努力しても無駄に終わります。がむしゃらに努力しても消耗するだけとなってしまいます。そうならないために考え方を変えることが必要です。 幸せそうな人をねたむ気持ちはわかりますが、自分の勘違いである場合が多いと私は思います。そういう人がどう苦難を乗り越えているかよく観察してみれば理解できると思いますよ。
補足
ご自身の考えが絶対正しいと思い込んだ、信じ込んだ上での回答という印象を受けます。 (たまにあなたのような方がいますが、驚きます。なにゆえそんなに自信満々なのか疑問ではあります。) その為、少々息苦しいというか、所々勘違いをしてるな・・・と思いますが、あなたのおっしゃる事も一部分ではそうですね。
補足: Q、どうして人生は平等ではないのか? A、人生が不平等であるならば「如何に生きるのか?」がテーマ。 >哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。 >大事なのは世界を変えることであろうに。 (フォイエルバッハテーゼ11) 「人生が不平等だから、どうした」というのが私の考え。 人生の不平等性についての解釈は高名な哲学者・評論家に任せておけば良い。 大事なのは、その不平等な人生を、たった一度の人生を如何に生き抜くかです。 グチグチと泣き言を並べて生きるのも一生。 分相応の人生を分相応に努力し分相応に生き抜くのも一生。 >言われてはげむも 修行なら >言われなくても やるのが修行 >つらい涙を 無駄にはするな まあ、こういう歌詞もあったなーと思う昨今です。
お礼
>哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。 >大事なのは世界を変えることであろうに。 名言、ありがとうございます。
補足
いろんなところで「フォイエルバッハテーゼ11」を引用?されているようですが、これは何ですか?
- never-ness
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最も簡単な回答をしてみます。直截的なものではありません。 その前に例をひとつ。 質問「なぜ人権は抑圧されたり無視されたりするのでしょうか」 回答「もともと人間には基本的人権などないからです。こうあるべきだという理念に賛同する声が最も多いために基本的人権は守らなくてはならない努力目標です。しかし、明文化されているために今日それを軽視ないし無視すると法で罰せられます」 質問者さんの出発地点がどうであれ、人はもともと平等ではないのです。誰も等しく平等に生まれつかないように。基本的人権との違いは平等でなくても誰も助けてくれない点でしょうか。 質問者さんに「毎日楽しそうに見える」人たちが、心に深い闇を抱えているかもしれません。またある人にとっては質問者さんの境遇が贅沢に思えてならない人もいるに違いありません。 納得できる回答は出てくるはずがありません。現状を少しでもよくしようという努力を積み重ねる以外ないのではないでしょうか。 比較からは肯定的なものは生まれません。他者への羨みに捕らわれていると今ここにある大切なものを逃してしまいますよ。(変な宗教に騙されないようにしてくださいね) 何か冷たい突き放したような文になりましたが、多分、いつでも回帰してくる場所なのではないでしょうか。
家族との関係がうまくいかなかった質問者さんは辛い思いをされたのでしょうね。 しかし、考え方を変えれば幸せな方だと思います。 しっかり、仕事をし独立されているということです。 ワーキングプアで一人暮らしが出来ない人だっているんです。 無職の人もいるのです。 働いていない私からみれば、職のあるあなたは幸せです。 彼氏もいないし、結婚の予定もないし、仕事もないです。 そして、もうすぐ30歳です。 私は家族と住んでいますが、会話はあまりありません。 食事の時もテレビが一人でしゃべっています。 偽りの家族?とさえ思っているくらいです。 確かに、家族にも仕事にもすべてに恵まれている人はいますね。 正直、私も羨ましいです。そんな人になりたいものです。 しかし、その人たちも今は良くてもこの先の人生何があるかわかりませんよ。 私の友人に人生が思い通りに行き過ぎていて怖いと言っていた人がいます。 やりたい仕事に就き、若くに結婚・出産し幸せそうでした。 ところが、最近になり旦那さんと不仲になり離婚も考えています。 それを聞いて、もしかしたら人生は平等かもしれないと思いました。 人生は平等ではないかもしれませんが、自分で平等だといいきかせて生きています。 今まで苦労した分、質問者さんはこれからいいことがあるのではないでしょうか。 そして、私も。そう考えないと、何のために生きているかわかりませんから。
お礼
>しかし、考え方を変えれば幸せな方だと思います。 しっかり、仕事をし独立されているということです。 そうかもしれません。もちろんそれに伴う苦労もありますが。 もしかしたらもうすぐ30との事で、同い年の方でしょうか? >今まで苦労した分、質問者さんはこれからいいことがあるのではないでしょうか。 ありがとうございます。
- magnify
- ベストアンサー率11% (1/9)
本当に私もそう思います。天は二物を与えないという言葉は大嘘。 勉強もできて顔もよくてスタイルもよくてスポーツもできて両親も兄弟も優しくて学歴高くて・・・・・etc 実在する人物です。勉強やスポーツはいくらか努力が必要かもしれないけど、不可抗力的なものが満たされまくっている人がいます。 でもどうやら受け入れるしかないようなんです。私も沢山悩みました。しかし苦しいですがこればっかりは受け入れるしかないんです。 それまでは精一杯あがくしかないです。
お礼
>でもどうやら受け入れるしかないようなんです。 そうみたいですね。でもそう思えたら、逆に勇気が出てきました。 ありがとうございます。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
平等だったら、お互い助け合えないんだけど。
人は、なぜ平等に出来ていないか。 答えは簡単。人生という問題集は、すべて同じ難易度なら、それぞれが存在する意味がないからです。 よろしいですか? あなたが存在する意味は、そこにあなたによって解決されあなたによって良い方向に向けていくべき テーマがあるからなのです。 楽に美味いものを食って、いい服を着て、立派な家に住むのが「幸せ」でしょうか。 そうではないです。生まれついた条件は、実はハードルのようなものです。 私の妻の古い友人で今は芦屋のお屋敷の奥様で豊かな生活をされている優雅なご婦人がいます。 昔は、母子家庭で貧しくお母さんは旅館の仲居さんをしながら娘を育ててきたという苦労人です。 医者に見初められて彼女は若くして結婚したものの、その後もお姑さんにこき使われたりで 相当に苦労されたようです。しかしながらいまや押しも押されぬ風格の富裕層の奥様です。 人生の序盤は、実は人生で達成すべき課題を認識するために条件が設定されてあるのかもしれません。 私は、経済的にはごく普通の公務員の息子でしたが、親の夫婦仲が悪く、母は50歳以降は躁うつ病で 25年間床に伏したまま、5年前に亡くなりました。 若い頃はとても親を恨んでいた時期があります。しかし、あとになって思えば私は、母からも父からも こういう生き方をしたらいけないと教えられた部分が多かったと思います。 虐待こそなかったものの、父が母に言葉の暴力をふるい、母は理解されない(気持ちが通じない悲しみ を訴え続け)私の恋愛観や結婚観は相当に歪んだものになったのだと思っていました。 >親に虐待されてロクでもない目に遭い、もうすぐ30歳になりますが、一度も彼氏ができた事がありません。 それを、親のせいにしてはいけませんよ。 すべては、自分に責任があるのです。例えばつるんでツーリングをしていて、前の車がミスを起こして 巻き込まれることはあっても、自分のハンドルは自分が握っているということです。 ましてやいまは、親と並んで走っていないですよ。あなたがご自身でハンドルを握って走っている。 過去のことを思い浮かべてブレーキを踏んだりアクセルふかしたりしないで、現実を見据えて生きて ください。 >かたや同じ職場には、年も同じで結婚もし、容姿もよく、親兄弟とも仲のよい人が毎日楽しそうにしています。 それは、人生の序盤の色合いの違いにすぎません。 ことに容姿ですが、私は男ですが、顔はまーいいほうだと自分では思いますが、いかんせんチビです。 かなり悩んだりしましたが、自分では頭脳明晰で切れ者のチビになろう。女の人には、可愛げのあるやさしい 感性の豊かな才能豊かな稼げる男で売ろうと路線をきめてやってきました。 人は、30で咲く花もあれば、40で咲く花もあれば、50、60で咲く花もあれば70代が最も豊かで元気に 生きる人生もあるのです。 だいたい日本人の半分以上が45歳以上なんです。あせることはない。 容姿は、親にもらったもの+育った環境+大人になって以降の精神環境によって作られます。 みんなそれぞれ無意識のうちにいろいろなハンデを負って、どうじにつまらないことをコンプレックスを感じて 生きています。だから安心してください。 うまれながらに、世田谷の大地主の息子で大邸宅に住み、好きな芸術作品をつくったりしている男がいますが 結局誰も信用できずに、50過ぎても独身。孤独な日々を過ごしています。 人生は、スタート時点が後ろであればあるほどいっぱい走れて楽しいじゃないですか。いつまでも走った人が いっぱい成功の喜びを味わえるんだと思いますよ。 まだ30代。もっと世の中のことを知っていくうちに、喜びや楽しみがいっぱいに詰まっていることに気が付きます。 どうか、あなた自身が豊かな幸福を得る資格が自分にあるんだということ、自分がそれを得ていいのだということを 素直に感じて自分が幸福になることを自分に許してあげて下さい。 自分がその気になれば、幸福や幸運は向こうからやってきます。そのためには具体的にああなりたいと自分で 強くイメージを持つことです。
お礼
>自分がその気になれば、幸福や幸運は向こうからやってきます。 その気にさえなっていませんでした。 その気になってみます。そう思えました。 ありがとうございました。
- woodysp
- ベストアンサー率25% (28/110)
>どうして人生は平等ではないのか 偉い人が、自分達の富と権力を維持したいからです。 平等 社会主義 共産主義 色々な、思想が出て来ても、結局は欲 道徳や倫理なども、御金持の人達を保護する為に出来上がった法律です。 人間には、欲望が有る。 だから、不公平が存在する。 でもね、心や教養、経験や、知識には、貧富の差が無いんです。 不幸などと言う物は、お金持ちにも貧乏人にも有ります。 明日の、米が買えない 新作ビトンの、バックが買えない どちらも、不幸だと思っている。 人の感情は、その人しか計れない だから、小さい事で不幸 解らない事で不幸 解らないから、幸せ 平等など、何処にもありません。 自分の経験値で 価値観で 平等にも成るし、幸せにも成る。 僕は、とても、とても恵まれた環境で育ちました。 とても大事に育てられ、沢山の優しい人達の中で愛情を注がれました。 沢山の、女性に愛されています。 子供達も、成人しています。 でも、何度も自殺を考えました。 何度も、死に直面しました。 温室の中で育てられ、ほんの少しの不安などで心が乱れます。 些細な事で、死を考えます。 とても、弱い人間です。 それでも、生きています。 明日は、何が起こるのか 明日は、どんな人と出会えるのか あしたは、必ず来ます。 だから、解らない明日を生きてみたい それだけでも、きっと幸せなのだと思います。 そのように思える自分が今は、幸せです。 でも、明日は死を考えるかも 解らない事が、人生なんです。
- papicopon
- ベストアンサー率0% (0/4)
私は人生平等だと思っています。 (そう思った方が生きていくのに楽な気がします) 子供時代から辛い経験をされたとのことですが、 まだ30歳じゃないですか。 この先たっぷりと楽しいことが待ち受けているかもしれないじゃ ないですか。 そうなる為にも自分が前向きに物事を考えること、日々の日常の 中にだって見つけようと思えば幸せって転がってるものだと思います。 マイナス思考の時は、マイナスしか呼び込みません…。きっとね。 同じ職場の方が毎日楽しそう…とはいっても、本当にその方が 幸せかどうかは他人には分かりませんよね。その方のほんの人生の一部 を切り取って見ているだけだと思います。 これからはきっと、いいことだらけ!と信じてプラス思考の日々を 送っていれば変わると思いますよ!
お礼
>この先たっぷりと楽しいことが待ち受けているかもしれないじゃ ないですか。 励まされました。ありがとうございます。 そうかもしれないな、と思えました。 >これからはきっと、いいことだらけ!と信じてプラス思考の日々を 送っていれば変わると思いますよ! そうですね、やってみます。 ありがとうございました。
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
人生は表面的に見れば不平等そのものです。質問者さまの言うとおり与えられる人と与えられない人がいるように見えるでしょう。 でもそれは本当でしょうか。あなたはひとりびとりの心の中を覗いてみたことがありますか。普通に楽しそうに見える人達の中の心の闇というものを考えたことがありますか。そして家庭の事情というものはさまざまで計り知れない程の苦痛がどんな家庭の中にも隠されているということを知っていますか。 虐待を受けたのはあなただけではありません。しかしその虐待により人の心の機微というものに精通して芸術家として成功し、歴史に残る名を残した人にベートーペンという人があります。これは何も海を越えた昔の別世界のおはなしではありません。色々な世界で成功した人の中にどれだけ多くの虐待を受けた人があるでしょう。しかし又、それを乗り越えて輝き続けている人が何と大勢いることでしょう! 人生の色を決める自由はひとりびとりにあります。幸福になるのも不幸になるのもあなたご自身の心が決めることです。 今までは人よりも辛い体験をされて心が打ちひしがれてきたかもしれません。でも惨めではありません。惨めなのはたいした苦労もせずにだらだらと生きて何でも与えられるのが当たり前と思い感謝も知らずに 不満ばっかり言っている人達のことだと思います。 苦労を苦労に終わらせず努力された方達はそれが生きる力となりやがて表情が燦然と輝きを見せ誰よりも魅力的な人生を送るチャンスが与えられていると思います。そのチャンスが与えられているあなたを私は不幸だとは思えません。
お礼
「チャンスが与えられているあなたを私は不幸だとは思えません。」 非常に心に残りました。 ありがとうございました。
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お礼
>ただ一つ言えることは、自分の幸福は、やっぱり自分で努力する以外ないということです。皆が平等であるべきなんていう幻想にしがみついて、世を嘆いても何も変わりません。あなたは、こういう環境に生まれついてしまった。あなたのせいでも、周りのせいでもない、仕方のない偶然です。その中で、自分を幸福にできるのは、自分自身しかいないんです。 努力するのがばからしいといっても、だからといって誰かがあなたの環境を修正してくれるわけでもありません。 その通りですね。ありがとうございます。