• 締切済み

客観的意見〈誰も何も客観視できない〉という客観性

「客観的に見る~という視点そのものが存在しえない」 他人の事柄は客観的に見れると言う人がいると、それは間違いであるという思考があります。 誰も何も客観的に見ることは叶わないのです。〈必ず主観は伴うから 人が「自分を客観視しろ」「客観的意見を言うけど」等セリフを吐くとき、感情的で客観性を欠いた表情が見え隠れします。 正しいと思いますか? この正しさを分かり易く説明して下さい。

noname#245340
noname#245340

みんなの回答

noname#229295
noname#229295
回答No.1

俺の意図を察しろと言えない人が「自分を客観視しろ」といって相手に責任転嫁してるだけです

関連するQ&A

  • 客観性について。

    建築の勉強をしているのですが、先生に自分の作品をチェックしてもらう時、客観視して物を作れ、と耳にタコができるほど言われました。ですが、いくら考えても客観視というものが解りません。どう考えても自分が客観視したところで、それは主観ではないのでしょうか。もし他人の意見が客観とするなら、他人からすれば自分の意見は客観という事になり、自分の意見は客観として成立しないのでしょうか。 簡単に、解りやすく、ものを客観視する方法を教えて下さい。 宜しくおねがいします。

  • 客観性

     服を選ぶとき、主観性重視ですか。(きたいもの・自分がいいと思うもの)客観性重視ですか。(周囲との調和性・他人が求める自分の価値)再度主観性で判断されることもあると思いますが、それと客観性ってどう違うのでしょう。  客観性はどのようにやしないますか。人はあまり批評しないと思いますが。どちらが自分でしょう。

  • 人の主観を客観的に判断する方法はありますか?

    医療関係で人に関わる専門職をしています。 私たちが関わる仕事はその対象者が私たちのアプローチを受けて満足したかどうかで結果が左右されます。 しかし、その満足度を客観的に評価することに苦慮しています。 笑顔が増えたとか、知人に良いと話していたとか・・・ 私たちのアプローチの効果を知るために、つまりその対象者の主観を客観的にとらえる方法はあるでしょうか? 今は、主観的情報としてその人の発言、表情、第三者からの情報、その人を見る私たちの視点、そして、客観的な情報として医療情報、検査結果等を総合的に照らし合わせて、この人はこう思っているようだ、と判断しています。 しかし、こういうやりかたしかないのでしょうか?

  • 認識者を想定しない「客観的実在」とは?

    数学カテゴリでの回答者の方とのやりとりのなかで「客観的実在と人間の認識」が 話題になりました。 人間などの認識者を想定しなくても「客観的実在は存在する」というのは うなずけるのですが、それがどんなものなのか、なかなかイメージできません。 色、匂い、味、手触り、音色、寒い(暖かい)などは人間の五感がなければまったく 存在しない概念ですから、客観的実在とは言えないと思います。 形、大きさ、質量などになると、よく分かりませんが、これも認識者がいて 何かと比較するという思考がない限り成立しない概念だと思います。 とすると「認識者を想定しない客観的実在」「宇宙や世界における客観的実在」 とは何でしょうか? エネルギー? 情報? 法則? 時空間とそのゆがみ? 哲学的にはもっと違う答えが可能だと思うのですが。 どんな主観的な意見でもいいですからお聞かせください。 「客観的実在」の「主観的意見」なんて、変?

  • 主観と客観について

    「主観」および「客観」の意味を教えてください。辞書を見てもいまいちよく理解できません。 例えば、物理学の運動の法則の一つに、 「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける。」 があります。この法則を一般の方にわかりやすく説明するために 「物体というのは速度の変化を嫌う性質があります。止まっているときはそのままずっと止まっていたい、ある速度で動いているときはその速度でずっと動いていたいのです」 と言ったら、ある文系学者さんから、 「そのような説明は良くないです。主観的だから」 と言われました。 前者の説明は客観的であることは明らかですが、なぜ後者の説明は主観的なのでしょうか?主観と客観の違いは何ですか? 主観性、客観性のそれぞれの定義は国語辞典に下記の通り書かれています。 主観性: 主観に依存する性質。(主観:その人ひとりのモノの見方) 客観性:だれもがそうだと納得できる、そのものの性質。 この定義に照らし合わせると、「いかなる条件下でもいかなる物体は"そのままの状態でいたい"が必ず成立する」であるならば、これは個々に依らないことであり、かつ、誰もがそうだと納得できるそのものの性質を擬人法で表したものなので、むしろ主観性が低く客観性が高いと言えるのではないでしょうか?

  • 主観世界と客観世界を足すと。

    こちらのカテか迷いますが。アンケートなのかもしれませんが、前に近い質問もしてるのですが再度。 話はまず、この世界を大きく分けるとすると、主観世界と客観世界に分けられると思います。 逆に主観世界と客観世界を足したものの存在を考えると、それはこの世のすべてを含む、まさにこの世のすべてのすべて、と言うべき存在です。 そういう話を前提として、主観性と客観性の関係について(主観客観それぞれの性質とその関係について)考えることは、この世のありとあらゆるものを含む体系の法則ルールを見つけることにつながるだろうと直感的に思い、ずっと昔考え始めました。今では一応の結論もでています。 が、あまり他の人の話を聞いたことがないのです。また同じ意見の人も探しましたが今のところ見つかりません。自分では主観論理学などと勝手に名づけてます。 なので、上記のような考えのはじめ方、考え方の方向進め方について、他の人はどう思われるでしょうか?意見が聞いてみたいです。 主要な結論として、主観世界では、存在=関係、と言うものがあります。存在と関係は等価で、この関係は直感的に人の脳には把握できないものであると言うものです。四次元立方体を直感できる人がいないように。物質とエネルギーが等価で、それが直感には響かないように。 もちろん、存在も関係も、その言葉の定義を厳密にしないと意味のない話ですし、実際厳密に定義できます。(最近ミラー細胞なるものが発見されたらしく興味もってます) こんな感じの(流れの)、話なんですが、なんといいますか、そもそもあまり関心をもってくれる人も周りにいない感じで、皆さんはこういう話を聞いてどう思われるのでしょうか? あるいは同じようなあるいは逆の考えなど持ったかたおられましたら聞かせてほしいのですが。 よろしくお願いします。

  • 客観的な意見をください。

    彼氏とケンカ?というか、怒っているわけではないのですがなんだかモヤモヤしたままで、主観的にしか考えられないので客観的な意見をお聞かせください。下の話ありです。 私も彼も20代前半です。週末に彼の家で過ごしていますが、会わない週もあります。 先日、夜の11時くらいに彼氏とベッドに入って私から誘いましたが、彼は「眠くて今日はできないかも」と言ってきました。 でもそこまで眠そうな感じはなかったのでちょっかいを出していたら、彼もその気になってきたみたいでした。でも一応確認で、「眠いのは大丈夫?」と聞いてみると、 「いや本当は眠いっていうよりも、隣から苦情がこないかなって思って」と言われました。 隣には20代の女性が住んでいます。アパートは壁が薄くて、隣の声なんかは大きいと聞こえてきます。私たちも隣の部屋から夜の声が聞こえてきたことがあります。 でも苦情がきたわけでもないし、自主的に控えるってどういうこと?と私は思ってしまいました。 週に1~2日しかそういうことはしませんし、深夜にバカでかい声で盛っているわけじゃありません。回数も1~2回です。 なのに彼が言われてもいない苦情に配慮して、わたしとのスキンシップを躊躇したのがその時すごくムカつきましたし、ショックでした。 私が大笑いしてるときとかもそんな風に思ってたのかなとか思ったら、 赤の他人>彼女である自分 な気がして泣けてきました。 わたしが泣き出したら彼はものすごい勢いで謝ってきてくれたのですが、それからなんだかモヤモヤしてます。彼はずっと謝ってくれていますし、わたしも怒っているわけではなくて、自分でもどうやってこの気持ちを消化すればいいのかわからないのです… 何が言いたいのかいまいち自分でもまとまっていない気がしますが、彼の事は本当に大好きで今でも変わらないです。でもなんか冷めているというか、この件の前のようになれないというか、恋愛経験があまりないので、こんな時どうやって仲直り(?)したらいいのかわかりません。 彼は基本的におだやかな性格です。怒らないです。あまりにも怒らないので、怒り方を忘れたといっているくらいです。(私に対してだけでなくすべてに対して) 恋愛経験豊富な方、これは時間がたてば解決するのか、私が悪いのか、彼が悪いのか、客観的に見て意見をお聞かせください。補足が必要なら書き足します。

  • 自分を客観的に見ろ

    興奮している友人などに使う言葉として 「自分を客観的に見ろ」というセンテンスが あります。 私はどうしてもこの言葉が納得いかないのです。 何年も屁理屈扱いされていますが、どうしても 納得いきません。 どうやって自分を客観的に見るのですか。 第三者的に自分を見たとしても、見ているのは 本人そのものであって、本人が自分を見る以上 それは「主観」です。どうやったって、客観的に 自分を見ることができるのは、自分と関係のない 他人でしかありえません。 比喩的に「自分を客観的に見ろ」と言っているのだと いう意見が多いのですが、比喩的にしろあまりに 不可能な比喩だと思います。 この言葉、日常さりげなく使っていますが おかしくないですか。

  • 他人の怒りや悲しみを客観的・冷静に分析できる人

    他人の怒りや悲しみを客観的・冷静に分析できる人に出会ったことがありません ある本で、その様な人は存在すると書いてあったのですが。 その様な人の、エピソードや関連書籍・作品など、情報はありませんか? 私自身、他人の感情を冷静に捉えようとしても、自分の感情が邪魔をしてうまくいきませんので そんな人にとても興味があります。

  • 客観的なものの見方

    私は「相談事」となると、客観的にものを見ることが出来なくなってしまいます。 赤の他人の出来事や、又聞きした話、ニュースなどで見た情報などは問題ないのですが、相談事となると全く駄目です。 親しい友人から相談事が来ると、「自分に意見が求められているのだ」と構えてしまい、客観的に意見を出すことが出来ません。 例えば、友人から相談事を聞き進めているうちに、話の登場人物全員の意見を尊重したくなってしまうのです。 「Aさんがこうしたのはこういった理由があったからじゃないだろうか、Bさんがそれに対して怒ったのはこういった理由からじゃないだろうか…。どちらも悪いわけじゃなさそうだけど…。」などといった風にです。 冷静な判断で考えることが出来なくなってしまいます。 このように、いつでも冷静に判断を出来ない自分にとても困っています。 客観的なものの見方というのは、なにかトレーニングなどをすれば身につくものなのでしょうか? また、このようにいつでも相談事に感情移入してしまうのには、なにか原因があるのでしょうか。 知っておられる方がいらっしゃいましたら、是非教えて頂きたいです。 よろしくお願い致します。