沖縄戦の特異性と日本軍の評価について

このQ&Aのポイント
  • 太平洋戦争、沖縄戦についての特異性と日本軍の評価についてまとめました。
  • 沖縄戦は時間稼ぎを目的とする戦いであり、ゲリラ戦を選択肢に入れれば良かったとの意見もあります。
  • また、沖縄戦を指揮した日本軍の戦闘戦略について評価が分かれています。
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太平洋戦争

沖縄戦についてです 沖縄戦は硫黄島の戦い同様、本土決戦までの時間を稼ぐ目的で発生した戦いだとはわかりますが、その内容が散々たるものだと感じます 戦艦大和の特攻や、米軍上陸前に滑走路を急造するが有効的に使用しなかった事や、時間をかせぐのが目的の一つなら、ゲリラ戦を選択肢にいれ作戦を練れば良いのに実際は朝方夜中の万歳総攻撃の連続、で玉砕(←カッコつけた言葉にしか思えない) この玉砕自体、当初から意図的に考えていたら防衛にならないし、時間稼ぎにもなりません 沖縄戦を指揮した軍は、どういう戦闘をしたかったのか見えてきません 皆様は沖縄戦を指揮した日本軍をどのような評価をしますか? 回答願います

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  • eroero4649
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回答No.7

#5です。 >早々に降伏し、占領下沖縄で事前に計画したゲリラ戦術(民兵となり、サボタージュや補給線破壊など)を長期間ひたすら繰り返せば、犠牲もでたが戦局が好転する可能性もあったのでは?(日中戦争、時代違えどアフガニスタン、イラク戦争のように) ちょうど終戦の日が近づいてきました。一度「日本のいちばん長い日」を観てみてください。古いほうでも新しいほうでもいいです。宮城事件といいますが、近衛師団の一部がクーデター未遂事件を起こしてまで玉音放送を流すことを阻止して戦争を継続させようとしていた人たちがいました。映画でもあるように、実は玉音放送のレコードがNHKに持ち込まれたときも警備員だった海軍士官が放送を阻止しようとして止められたのも事実なのです。 ところが、ここまでして狂信的に戦争を継続しようとした人がいたにも関わらず、玉音放送が流れてしまうと日本人は全員その命令に従ってしまいます。 日本側の降伏を受けて、米軍は日本本土も含む日本支配地域にやってきますが、当然のことながらあれほどまでにファナティックに降伏を拒んで戦う日本軍でしたから玉音放送にも従わずに米軍に攻撃を仕掛けてくるのではないかと結構ビビリながら進駐してきたのです。ところがこれがもう拍子抜けするほど無抵抗に武装解除にも応じてきたのです。そのあまりの態度の変わりように、皮肉屋で知られるイギリスのチャーチル卿は「日本人はのどぶえに喰らいつくか、ひれ伏すかどちらかだ」と驚きを隠しませんでした。 後のベトナム戦争やソマリア、アフガニスタン、イラクを見れば分かりますが、質問者さんがご指摘するように実はアメリカ軍というのはゲリラ戦というのをものすごく苦手にしている軍隊です。アメリカ軍に勝つには、どこが戦場でどこが後方なのかが分からない泥沼のゲリラ戦に持ち込むのが一番です。そこではアメリカ軍が得意とする空軍力や圧倒的な砲撃力を使わせない接近戦に持ち込むことができます。 でも、それでいいのでしょうか。ゲリラ戦はまず一般市民にも大変な犠牲を強いる戦法です。ソ連とか中国共産党のような自国民も容赦なく粛清を行なえるような政治体制じゃないと継続することはできません。「アメリカ軍に勝つためなら、女子供老人がいくら死んでも気にしない」じゃないとできないのです。 またゲリラ戦が続く国の治安はいうまでもなく不安定で、治安が不安定な国は当然のことながら経済も安定せず、国民は貧しいままです。ここ40年くらいずっと内戦が続いているアフガニスタンを見ればそれは明らかでしょう。 日本がゲリラ戦を続けていたならば、こんなに経済は復興したでしょうか。今の日本国は、確かに政治的にも経済的にもアメリカ合衆国の属国に近い存在です。けれども今の日本が戦前の日本よりも経済的に豊かで平和であることは間違いありません。 戦争って、なんのためにやるんでしょう?少なくとも、国民の生活を苦しめないためにやることではないでしょうかね。アメリカがわざわざイラクやアフガニスタンで戦争をするのも、つまるところはアメリカ国内でテロをさせないためです。 私は最近、イタリアの戦い方ってそんなに悪かったんだろうかって思うことがあるのです。第二次世界大戦のイタリア軍はお笑い担当で、前進1速、後進5速とか人数で数えるより面積で数えるほどの捕虜を出したとか何かと揶揄されます。若いときの私もバカにしていました。 でも、イタリアは腰砕けの抵抗しかしなかったおかげで、国と国民の損害は少なくて済みました。もしこれがドイツや日本なみの抵抗をしてローマが空襲で徹底的に破壊されていたら、バチカンの素晴らしい芸術作品の多くが永遠に失われてしまったことでしょう。ヘタリアのおかげで、私たちは古代ローマの遺跡を楽しむことができるのです。 第二次大戦当時、イタリア戦線に同行したアメリカの新聞記者は、こんな光景を目にします。イタリアの降伏が決まり武装解除が決まったイタリア兵は家に帰ることができるので、みな口々に陽気にカンツォーネを歌いながら山を下り、その横でまだ戦争が続くアメリカ兵がトボトボと山を登っていくさまを見て「一体どっちが戦争に勝った国なんだろうか」と思ったのだそうですよ。

myselfout
質問者

補足

戦争は外交の一分にすぎません 回避して戦争以外で難ある外交問題を解決できれば、時間も金も誰も惜しまないでしょう しかし、現実はそう簡単ではない 貴殿の回答通り、アメリカに早々に降伏すれば早く平和になる論理も正しく、早期講和を日本の陸海軍も望んでいたのは事実 しかし、好戦的なアメリカには日本との平和は望まない現実がある(軍事産業の利益) 平和を愛しあの戦争を恨み嫌うなら、ソ連のスパイで対日戦を後押ししたアメリカのハルや、大二次大戦に参加したがるルーズベルト、それを促すイギリスのチャーチル、満鉄利権を欲しがっていた満州国米領事を恨むべきです 戦争以外での解決法はいつでも誰もが望む解決法です 人は思い通りにいかないように国もまたしかりです。 論点がかわりますが、経済を紆余曲折させる通貨や株式を無くしたとしても、戦争はなくならないとも私は考えます 回答ありがとうございました 色々考えさせていただけました。

その他の回答 (7)

  • SPROCKETER
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回答No.8

 旧日本軍は人海戦術しかなくて、今のようにブルドーザーやパワーショベルのような重機を全く持っていなかったので、滑走路を整備するのに日数がかかった上に、凸凹を整地するのが難しく、離着陸出来る滑走路の建設が間に合わなかったようですね。航空機が着陸しても、事故を起こしただけでしょう。  戦艦大和を出撃させたのも、他に軍艦が無かったからで、本来ならば航空母艦を出撃させて、空軍力で戦局を挽回しなければならないのに、燃料も無ければ、航空機も無く、空母も無かった状況でした。無謀な賭けだったのです。  沖縄戦が時間稼ぎなんてのは負け惜しみで、本土からの増援部隊が無かったのが原因で起こった戦闘でしょう。増援部隊がいれば、一般市民に武器を渡して戦わせる必要は無かったはずです。増援部隊も送れないほど、旧日本軍は疲弊していたのです。  原爆投下にしても、回避するチャンスは数多くあったようで、大本営が情報の隠蔽と揉み消しを繰り返して、敗北を認めようとしなかった結果、原爆投下に至っているようです。権力者の負け惜しみの犠牲になって亡くなった人があまりにも多かった戦争ですね。

myselfout
質問者

補足

敗北=無条件降伏は簡単に出来ない、受け入れられないのは何処の国も同じなのは想像できます 逆に簡単早期に無条件降伏を受け入れたら、日本はどうなるのか不安になりますね ちなみに、当時戦車が存在しただけに、ブルトーザーはありましたよ。

回答No.6

沖縄戦でも,旧日本軍や,沖縄の一般市民を交えた,ゲリラ戦は,行われていたようです..沖縄県の10代の若者からなる,鉄血勤皇隊(男子部隊),白ゆり(少女)隊なんかは,有名ですね‥‥‥小笠原諸島の硫黄島の戦いでも,ゲリラ的な戦いは,行われましたが,沖縄戦では,沖縄の,一般市民が動員され,米軍との戦闘に,駆り出されました..沖縄の,島の中の森や,林の中に隠れた,旧日本軍の兵士や,民間人の,神出鬼没の,白兵的な攻撃に,米軍の兵士達も,悩まされたようです..その為,米軍側は,火炎放射機などで,沖縄の民間人の住む家屋に,火を放ったり,洞窟に,手榴弾などを入れ,中に居る人間を,あぶり出したり,ナパーム弾などを,投下して,沖縄の森や,山を焼いたり,火力を使って,旧日本軍の兵士達などを,追い詰めて行ったようです..いわゆる,洞窟の中での,旧日本軍の兵士や,民間人の,手榴弾などによる自決や玉砕は,最終手段だったようですし,沖縄戦でも,硫黄島の戦い同様,けっこうな数の,米軍側の兵士も,亡くなっているようなので,持久戦という意味では,四面楚歌の,旧日本軍側は,かなり頑張ったと思います..沖縄戦後半の,戦艦大和による特攻作戦は,戦艦大和が,沖縄に着く前に,米軍側の爆弾によって,撃沈・破壊されてしまったので,作戦自体は,ほとんど,意味がなかったようですが,当時は,旧日本軍の,まともな戦闘機や,爆撃機なども,枯渇し,敏腕パイロットを含め,まともな兵力自体が,枯渇していた為か,日本本土からも,沖縄戦では,けっこうな数の,旧日本軍側の,戦闘機の特攻機などは,出撃していたようですが,米軍側の,多大な軍事力や,物量の前などには,焼け石に水だったのかもしれません..当時の旧日本軍が,米軍との本土決戦や,本土での戦いなどを,想定していたとしたら,その前の,沖縄戦で,あまり,旧日本軍側の残存航空機などを,使いたくなかったとしたら,残存していた,戦艦大和の出撃などは,まさに,旧日本軍側の,最終的な手段だったのかもしれませんし,一か八かの,賭けだったのかもしれません..当時は,既に,米軍側の,最新鋭の航空機や,爆撃機などによる攻撃が,戦闘での,メインでしたので,いわゆる,当時は,旧式戦法になっていたらしい,巨大な戦艦による攻撃なども,ある意味,竹槍よりは,マシのような感覚だったのかもしれません..結局,神風は吹きませんでしたが‥

myselfout
質問者

補足

何だかよくわからない 【ゲリラ戦は,行われていたようです..沖縄県の10代の若者からなる,鉄血勤皇隊(男子部隊),白ゆり(少女)隊なんかは,有名ですね】 貴殿の書いた文面にある、白ゆり隊(ひめゆり隊)は、ゲリラ戦に参加どころか看護部隊として編成されてる筈です ゲリラ戦として有名処か無名です 私が言いたいゲリラ戦は、闇討ちを初めとする正規戦でのゲリラ戦ではありません 。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10467/32911)
回答No.5

沖縄防衛を担当したのは陸軍第32軍なのですが、32軍はなかなか難しい状況に置かれていたのです。 32軍には八原博通参謀と長勇参謀という人がいました。この二人がまさに陰と陽、冷静な知的参謀と熱血漢という対照的な性格で、これが仲が悪かった。 八原参謀はサイパン戦やペリリュー戦の戦訓から「要塞化した陣地に籠って持久戦をする」のが一番米軍に損害を与えると主張していまして、一応そのラインが32軍の防衛方針となりました。 しかしこれはサッカーで例えると「相手がブラジルのように攻撃力が強いチームだから全員が自陣に籠ってガッツリ引く」みたいな作戦で、そうなれば当然「点は取られないかもしれないが、こっちも点が取れないから勝てない」という批判が出ます。その批判の急先鋒が長参謀だったのです。 また米軍が沖縄ではなく台湾に上陸するのではないかということで戦力が台湾に引き抜かれたため、沖縄全土を防衛するのは困難と判断し、地形が比較的平坦な北半分の防衛を諦め、山がちの南部を要塞化して籠るという作戦になったのです。 沖縄市民の疎開は沖縄県知事も32軍の牛島満司令官も考えていて、まず県民の子供たちを中心に対馬丸に乗せて本土に疎開させました。ところがこの対馬丸が米軍の潜水艦の攻撃を受けて大半が行方不明になってしまうという事態が起こり、「むしろ疎開は危険」ということで疎開はしないこととなりました。もう沖縄の周囲は米軍の潜水艦がうようよしていて極めて危険だったのです。対馬丸の悲劇がなければ疎開はもっと進んでいたかもしれません。 で、実際に沖縄戦が始まりますとこの持久作戦は比較的成功しました。有名なのが嘉数高地の戦いで、嘉数高地に攻撃をかけた米軍は散々に大損害を出して攻撃は失敗しました。このとき、米軍は戦車部隊を単独で突入させたのですが日本軍の対戦車砲の待ち伏せを受けてほぼ全滅してしまったのです。米軍はこれ以降、戦車部隊を単独で突入させることはありませんでした。 この初戦の順調な推移に大本営から「反撃せよ」という命令が出たのです。だって戦いに勝つには、最終的には敵を海に追い落とさないといけません。いくらペリリュー島の戦いで日本軍が善戦したとはいえ、最終的に島は米軍が占領しています。しかも相手がひたすらパンチを繰り出すのをひたすらガードしたり逃げ回ってばかりいるのはストレスも溜まります。積極果敢な性格である長参謀も反撃を強く主張します。そりゃあもう八原参謀と長参謀の間で大喧嘩になったらしいですよ。うろ覚えですが、熱血漢の長参謀は「アイツ(八原参謀)を斬る」とまで息巻いたという話があったはずですよ。 結局5月4日に一大反撃が行われましたが、世間の誤解があるのですがこのときはもういわゆる世間がいうところの「バンザイ突撃」なるものは行われていません。というか、実際には「バンザイ突撃」なんてほとんど行われていなかったんですけどね。よりミリタリー的に正確にいうなら「夜間浸透戦術」というものなのです。夜間は敵も味方も見えない時間帯ですから、敵(米軍)の防御の薄いところをすり抜けて砲兵などの後方部隊や指揮所を攻撃して混乱に陥れようとする戦術です。 だけど夜間に見えないのは敵も味方も同じこと。夜間戦は日本軍のお家芸とはいえ混乱せずに夜間戦を行うことは非常に難しいんです。この辺りの経緯は学研から出ている「沖縄戦 二十四歳の大隊長」という本に非常に分かりやすく書いてあります。ちなみにこの本の主人公である伊東孝一大隊長が率いる部隊だけが5月4日の反撃で唯一成功させています。 いち軍事マニアの評価としては「もうああするしか他に手段はなかった」と思います。仮に持久戦を続けたとしてもいずれ米軍が沖縄を占領したでしょう。積極的な攻撃作戦は米軍の強力を突き抜けている強烈な砲兵戦力で失敗したことは間違いありません(実際、5月4日の反撃はそれで失敗しています)。 もし持久戦が続けば、それは兵士と市民にとっては「戦いの苦しさが長きにわたって続く」ということを意味します。飢餓で、病気で死ぬ人はもっと多かったでしょう。 市民と兵士の犠牲ということから考えれば、最良のシナリオは牛島満司令官が勝手に米軍に降伏することです。軍人としての名誉と使命を失う代わりに、何十万人という若い兵士、沖縄市民、それに米軍兵士の命が救われたはずです。しかしそんなことしたら、おそらくは牛島満司令官は「米軍に恐れをなした腰抜け」と今でも呼ばれ続けることになっただろうと思います。

myselfout
質問者

補足

日本にとって、沖縄を米軍の本土決戦の足枷にすることにこの戦いに意味があると思います 早々に降伏し、占領下沖縄で事前に計画したゲリラ戦術(民兵となり、サボタージュや補給線破壊など)を長期間ひたすら繰り返せば、犠牲もでたが戦局が好転する可能性もあったのでは?(日中戦争、時代違えどアフガニスタン、イラク戦争のように) であれば、けして犠牲も無駄ではなかった 残念な戦いではなかったと思います。 補足ですが、詳しいご回答ありがとうございました。

  • edogawaai
  • ベストアンサー率22% (124/555)
回答No.4

個人的には、当時の日本帝国軍は アジアの十字軍と見ています 理論的には、理解不能な集団が 私の認識です その集団の宗教を知らなかった私には、分かりません 当時の日本軍に、ついては いろいろ研究されて居ますが 各、指揮官の思想 行動による 作戦が多かった と思います

myselfout
質問者

補足

貴殿の回答がわからない アジアの十字軍というのはまず聞いた事ないですが、アジア諸国に軍事進行したからでた発想により生まれた言葉だと思いますが、欧米の植民地政策からかけ離れた政策を日本は行いました さすがに、十字軍は言い過ぎです

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9578)
回答No.3

myselfout さん、こんにちは。 ペリュリュー島の島が砲撃で形が変わっても、一生懸命米軍に対して攻撃をかけていた人たちだっているんだ。昭和天皇は「ペリュリュー島はどうか?」と聞くのが習慣になったとか… ペリュリュー島 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 牛島司令官の参謀長はやばいの引いたね。長勇という人は将軍にもなれない男だよ。無断で大尉時代、任地を放棄した記録があるし、とても胡散臭い男です。インパールの牟田口、第4航空司令官富永恭二とともに参謀長には向かない男、使えないよ。沖縄の一般市民が犠牲になったのは長勇という人の性格その物を知らないで、中将まで使っていた日本陸軍そのものでしょう。 長勇 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%8B%87

myselfout
質問者

お礼

長勇の影響は、沖縄戦での無作為な作戦に強く受けてる感じますがしますね この時の日本に、まともに時を読める人がいなかったことが悲劇かもしれません

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.2

日本は負けるべくして負けた。としか言えません。 私も戦後生まれですが、両親から聞いた戦争は聞くだけでも悲惨 でした。空襲警報が鳴って空を見るとB29の編隊が空を真っ黒に して飛んできて焼夷弾やら爆弾やら滅茶苦茶に落として帰っていく 後に残されたのは焦土と化した町だけだった。 ということです。しかも高射砲は届かないし、吞龍という戦闘機 はあっという間に撃ち落とされて役に立ちません。 おそらく、沖縄戦前だと思いますが、この状況を見たら日本本土 の防備を削って沖縄へ航空機を送ることもできなかったのでしょう。 紫電改のような戦闘機がもっとあれば少しは良かったのかもしれ ませんが無理だったようです。

myselfout
質問者

補足

何処での話かはわかりませんが、今も昔も航空機で爆弾を投下する際は、低速・低高度で爆弾を投下します 高射砲で届かないのはおそらく嘘です ただ、戦闘機があっても、燃料がない・熟練パイロットもいない そんな状況の中、沖縄に滑走路を造り、米軍上陸直後早速占領され、日本軍は戦闘に使用目的も定かでないその滑走路を取り返す為に無作為に総攻撃を繰り返し、その後の持久戦のために必要な将兵を無駄にした そして、早々に沖縄陥落 本土避難も出来ず沖縄のために闘うと決意した非戦闘員も、そうでない非戦闘員も無作為な作戦の為に巻き込まれ死んでしまったのが、一番の悲劇です 軍の恥です そもそも滑走路なんていらない、高性能な戦闘機もいらないんです その時には、パイロットもいない、整備する人もいない、物資補給もないのですから もっと沖縄にいた軍がまともな作戦をたてられたら、史実よりまともな組織的戦闘(ゲリラ戦や非正規戦闘など)が出来たはず 残念な戦いです

回答No.1

当方バリバリの戦後生まれですので勿論戦争体験はありません。 本で読んだりテレビのドラマや映画で得た知識しかありません。 評価できる程偉くないですが、そんな私が云うとしたら「あの頃生まれてなくてよかったなあ‥」でしょうか。 こんな風に表現したら、当時のオキナワを知る人に怒られてしまいそうですが‥ 一人の市民が、その時代のその国に住みたくないと思う。 つまりその時代のその国を動かしていたその方針であるとか考え方であるとかそれを指揮した上の人間であるとか、そういった全ての事について「嫌だ」と感じる。 とても感覚的な回答ですが、評価をするとしたら「ヤな感じ」でしょうか。

myselfout
質問者

補足

もっと沖縄戦前に、何とか非戦闘員を本土に避難させる事が出来ていれば、悲劇的な傷痕は残らなかったと感じます そして予定戦場として沖縄と想定したのは沖縄戦が起こるもっと前にわかっていた事だし、近海を米軍に制海権を取られる前に非戦闘を少しでも早くより多く避難できたのではないか?あの滑走路を作るなら、非戦闘の避難や物資補給などに有効使用すべきだったのでは? 国民感情も踏まえ、沖縄戦に対し嫌な印象と感覚があり、その中身は怒りと疑問なんです それを解消する意味で、質問をさせていただきました

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