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モーゼの十戒の意味

amenhotep2000の回答

回答No.4

tahhzanさん こんにちは。 キリスト教の現在の解釈として、状況としては、 神の名を使って、約束を破る。 真実を言うと誓って、嘘をつく。 呪いの言葉に、神の名を引用する。 魔術に神の名を使う。 神の名を用いて、神をコントロール(支配)する。 と考えられているようです。 モーセの十戒の言葉ですが、旧約聖書の「出エジプト記20章7節」の他に、「レビ記19章12節」や「申命記5章11節」にも出てきます。 時間があったら、この聖句が使われた前後関係を聖書を読んで、この言葉だけに固執しないようにすることをお薦めします。「レビ記19章18節」にキリストが最も重要な2つのおきての、ひとつである、「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」という聖句が出てきます。 私の解釈としては、現在においては科学を宗教のように信仰する、可視化して分析できる唯物論がすべてで、無神論の人が日本では多数を占めますが、当事の人達には、自然は謎だらけであり、病気や死などの不安に付け込み、神の名を使って、魔術や迷信を説く人も大勢いたと思われます。 また、神の名を使って誓ってはならないとは、人間は神のような完全なものでなく、不完全なものだから、絶対、嘘は言わないなどと、おごり高ぶるな。ということで、おごり高ぶりの、最たるものは、自分が絶対的な神と思うことです。 人間が神なら、その人が自由に神をコントロール出来る。 神を信じるか、信じないかは、人によると「直感」であると言う人もいます。 哲学カテなので補足しますが、現在、私はベルクソンを学んでいますが、ベルクソンの「直感」とは「もの(対象)」を「内」から、とらえることで、直感により「絶対的」なものを把握する手段だそうです。 それに対し、科学は、「もの(対象)」を「外」からとらえる、「相対的」な関係を把握する手段だそうです。 科学の「相対的」をもう少し噛み砕くと、科学は尺度(メートルなどの記号)を用いて、ものを表現し、例えば富士山の高さを決めることで、他の山の高さと比べることができる。 これに対して、「直感」とは自分が富士山と一体化して絶対を認識する。 面白いことに、まだ読みかけなので、正確に把握しているか、わかりませんが、日本の仏教哲学者、西田幾多郎も、「もの(対象)」を「内」から捕らえる事が重要と言ってます。 私は富士山と一体化した経験はありませんが、美術館で絵画を観ていると、いい作品だと、まるで自分が絵画の中に入って行き、一体化したような、感覚になることがあります。 日本画でいうと、与謝野蕪村の描く、文人が遊ぶ、のどかな屏風には、入って行けますが、東京国立博物館(トーハク)が所蔵する、雪舟の国宝「秋冬山水図」の切り立った山の風景には、いまだ入れず。 まだ修行が足りないのかもしれません。 あ~なたは、神や仏を信じますか~。 こういうのが、神の名をみだりに口にすることだと思います。 しかし、哲学的に「絶対(内)」と「相対(外)」のどちらが真なりか? 私は、両方大切と思いますが、科学という「外」から対象を見て、真実と思う人がいかに多いことか。 では、雪舟の絵の中に入れるように修行に戻ります。

tahhzan
質問者

お礼

う~む。さすがに哲学的な回答に、少々面食らっておりますが、人間は不完全だから、絶対的な存在である神の名を口にしてはいけない、ですか。そうですか。色々な解釈かあるんですね。逆に、不完全だからこそ、完全な存在である神の名を唱えて自分の行動の軌道修正を随時はかる、という考えもあるかと思います。ありがとうございました。

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