• ベストアンサー

十戒のモーセ

書き込みはここでいいのか不安なんですが、 昨日「十戒」を見てしまいました。 モーセって実在の人物なんですか? 居たかもしれないし、居なかったかもしれない人? ラムセス2世はエジプト黄金期のファラオとして 実在した人物ですよね? その彼がコテンパンにやられてるのも納得いかない。 まぁ映画なんで細かいことはいいんですけど。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • aster
  • ベストアンサー率70% (374/533)
回答No.4

  モーセは、歴史的に実在したと考えられます。ただ、どういう人物であったのか、正確に分からないということがあります。複数の人間が重ねられているのかも知れませんが、多分、単独の人間です。 エジプトに、紀元前14世紀頃、ユダヤ人が住んでいたか、立ち寄って居住していたことは事実で、これは「アトン讃歌」と「旧約聖書・詩篇」のなかの詩の類似性から論証されます。 その後、12世紀頃には、ユダヤ人は、パレスティナに来ていたことは歴史的に確認できるので(通説では。異論もあります)、13世紀か14世紀にエジプトから出てきて、カナーン(パレスティナの一部)に移住して来たことは間違いありません。 実は、それ以前のユダヤ人はどこにいたのか、これは歴史的な証拠がありません。アブラハムなどは、伝説の人物になります。日本だと神武天皇にもなるかも知れません。 モーセは、聖徳太子ぐらいに当たるかも知れません。聖徳太子は、実像が曖昧で、そういう人物が存在したことは事実ですが、歴史的にどういうことだったのか、よく分かりません。聖徳太子の方が色々な記録に残っているので、モーセよりも、存在は確実性が高いですが。 モーセが歴史的人物と考えられることは、ユダヤ人がエジプトを離れたのは歴史的事実で、その指導者がいたというのは、別に無理な想定ではないからです。複数の人物が重なっているかも知れないというのは、複数の指導者の業績をモーセ一人に集めている可能性もあるからです。 モーセという名は、エジプト語が起源で、「……の息子」という意味の「息子」部分が、モーセに当たります。「神の息子」だったのか「誰かの息子」だったのか、「誰か」の部分が消えているのです。そこから、モーセが、エジプト人の養子だったという「聖書」の記述に信憑性が出てきます。 ラムセスという名は確か、「ラーの息子」というような基本的意味があったはずです。「太陽の息子ラムセス」という小説がありますが、ラムセスの名そのものが、「ラー(太陽神)の息子」の意味があった可能性があります。この「ラ+ムセス」の「ムセ」の部分の「ms」が、丁度モーセに当たるのです。 ラムセス2世の時に、ユダヤ人がエジプトを後にしたという可能性はあります。ユダヤ人の一神教は、イクナートンの「アトン一神教信仰」を継承したのではないかという説があり、イクナートンの第18王朝が滅びて、亡国のファラオとして、イクナートンは、第19王朝では無視されます。 ラムセス2世は、第19王朝三代目のファラオで、第一代の治世2年、第二代セティの十数年に較べると、60年ほど王位にあったラムセス2世は、第19王朝最大の王で、彼が、エジプト新王国時代の黄金時代を創ったファラオとも言えるのです。 ユダヤ人がアトン信仰を継承していたとすると、第19王朝のファラオたちのイクナートンに対する仕打ちは、不満であったでしょう。アトン信仰が否定されたことも不満であったということになります。 ユダヤ人がエジプトを後にしたのは、ラムセス2世の時代だということは、大いに考えられます。ただ、ラムセス2世は、「聖書」が記述しているファラオ(パロ)の像に一致しません。どこか歪められているか、伝承で話を作った可能性があります。 モーセが、エジプト貴族の養子になり、貧しいユダヤ人と自分が同族であることを知り、困難を越えて、ユダヤ人のエジプト脱出を指導したという可能性は高いです。 モーセが何か、奇跡に出会い、ヤハウェの呼びかけと召命を受けたという可能性も高いです。ユダヤ人には、強力な指導者がいたと考えられるからです。 しかし、その他のことは、すべて歴史的に証拠がありません。モーセが実在したというエジプト側の記録がないというのも、記録に足らない出来事だったからでしょう。意図的に記録から抹消したということではないと思います。 ヒッタイトと戦って、これを撃退したラムセス2世のエジプトは、世界帝国となっており、当時の最大最強国家でした。少数のユダヤ人脱出程度は、記録に残らなかった可能性が高いのです。 モーセがエジプト人貴族として、ユダヤ人の指導者として、ラムセスと会見した可能性はあると思います。しかし、「聖書」に書かれていることは、ほぼフィクションでしょう。何かの史実を反映しているのかも知れませんが、エジプトのファラオが、有象無象のユダヤ人に敗北するなどということはありません。 ラムセス2世は長寿を保ち、その木乃伊は、現在も存在していて、彼の誇り高い相貌を今に伝えています。 「聖書」に描かれているようなモーセはいなかったかもしれませんが、その元になる人物はいたと思われます。これをモーセと呼ぶのは、妥当だと思います。実在した人物でなければ、その名がエジプト起源であることの説明が付かないからです。  

masutoroyanni
質問者

お礼

なるほど!!とてもよくわかりました。 ラムセス2世との謎も解けて更に勉強になりました。 エジプト脱出はユダヤ人にしてみれば 歴史の大きなターニングポイントであるけれど、 エジプト人にしてみればとるに足らないことだったんですね。 同じ出来事でも、立場によって全然重みが違うってことを 改めて勉強しました。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.3

ラムセス2世と兄弟というのは、フィクションでしょうね。 しかし、イスラエル民族のエジプト脱出については、 ラムセス2世の頃の時代であっただろう、という話を 何かの本で読んだ記憶があります。 資料として、エジプトの歴史がありますが、エジプトの歴史 には、この話は出ていません。 しかし、エジプトの歴史は、自分たちが勝利した事柄しか 記録しなかったようなので、モーセが実在しイスラエル民族 のエジプト脱出があったとしても、そのことを歴史に記録 しなかった、ということは十分考えられそうです。

masutoroyanni
質問者

お礼

>エジプトの歴史は、自分たちが勝利した事柄しか >記録しなかったようなので   そうですよねぇ。   自分たちの不利益になるようなことって   書かないですよねぇ。あんまり。   「歴史」を見るとき、何でも鵜呑みにしちゃいけませんね。

回答No.2

居たかも知れないけど、ラムセス二世と兄弟というのは脚色でしょう(笑) 50歳くらいになって出てきた指導者という感じではなかったかと。 コテンパンというより、奴隷となっていた人達とともに海を渡って逃げた のだろうと思います。

  • ShaneOMac
  • ベストアンサー率39% (356/898)
回答No.1

伝説的指導者という扱いだと思います。歴史の本には必ず出てきますが。 紀元前1250年前後にヘブライ人の一部の部族がエジプトからカナーンの地へ移住したということ(出エジプト)は史実とされているようです。宗教上の問題や伝説もからんでくるのでその事件をどうとらえるかは難しいところでしょう。そもそも歴史に客観的真実を求めること自体に無理があります。 例えば中国の古代王朝や三皇五帝は史実として書かれたものが残っていますが、それを事実ととらえるかは見解の分かれるところです。

関連するQ&A

  • 映画「十戒」はどの程度宗教的に正しいのですか?

    映画「十戒」についてです。 まだ前編部分までしか観ていないのですが、この映画のストーリーはどの程度ユダヤ教の宗教的な真実に沿っているのでしょうか。 例えば実際にユダヤ教徒の方が見た時に、多少は脚色はあるにせよ概ね旧約聖書などの内容に近いものだと思うのでしょうか。それともこれは飽くまで娯楽作品であって、ユダヤ教の教えとは全く異なるものだと思うのでしょうか。 前半部分を見る限りでは、やむを得ない事情で捨てられたモーセがエジプトの王女に拾われて育てられるくだりなどが物語的過ぎるように感じましたがこのあたりは創作になるのでしょうか。 以上 よろしくお願いいたします。

  • 聖書に出てくる実在の人物で最も古い人は誰

    聖書に出てくる人物で実在が確実視されている人で最古の人は誰でしょうか? モーセは紀元前13世紀ごろの人とされていますが、それより古い人はいますか? よろしくお願いします。

  • モーセの十戒について教えて下さい

    「モーセの十戒」について、レポートを書きたいと思っています。 基本精神やどのような流れでモーセの十戒ができたのかなど モーセの十戒に関することならどんな情報でも構いませんので たくさんの情報をお願いします。

  • モーセの十戒について

     失礼致します。 聖書の中の「モーセの十戒」について質問させて下さい。 よろしくお願い致します。 殺すな、盗むな、姦淫するな、など現代では当たり前の考え方が 書かれており、当時としてはこのような倫理観さえなかったと思うのですが、 当時の倫理観はどうのようだったのでしょうか? 気に入らない人は簡単に殺し、発情したら強姦し、 欲しかったら人の物を盗むといったことが横行していたのでしょうか? これでは人々は誰も信じられず、頼りになるのは親族と自分だけになりますよね?>< それと、目には目をで有名なハンムラビ法典がありますが、 腹が立ったら簡単に人を殺す時代に、「目をやられたら目だけをやり返す」というのは 非常に画期的だったのでしょうか? 当時、目をやられたら、当然、殺す!という認識感が横行していたときに(すみません、私の予想です)、やり返すのは目だけにしなさいというのは人格的な裁きといいますか、今までにない 素晴らしい法だと思うのですが、これはいかがでしょうか? 古代に詳しい方、いらっしゃいましたら、教えて下さい。 お願い致します。

  • モーセの十戒について

    モーセの十戒は (1)主が唯一の神であること (2)偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止) (3)神の名を徒らに取り上げてはならないこと (4)・・・ と続いていきますが、この十戒の上記三つについて私はふと疑問が浮かびました。 モーセは唯一神ヤハウェからこの十戒を受けたとされますが、 この上記三つの内容を、私は、 「人々が信仰を疑わないようにするための措置であったのではないか」 と考えたました。神がこのような信仰に対する具体的な作法まで預言するのでしょうか? 宗教による解釈は人それぞれだと思いますが、みなさんはどう思われますか?

  • モーセの十戒

    英語の先生とモーセの十戒について話しました。殺すな、盗むな、姦淫するな・・・(他7つ)を英語でなんと言うのかわかりません。 Do not kill. Do not steal. Do not commit adultery. この3つもあっていますか? どなたか10全ての正しい言い方を教えて下さい。

  • モーゼの十戒の意味

    最近、読み始めた宗教の本に、モーゼの十戒のなかに、神の名をみだりに唱えてはならない、というのがあるというのを知りました。どのような理由からでしょうか?

  • エジプトが舞台の映画

    昔テレビで見た映画を探しています。 ヒロインがエジプトで何かを探している話ですが、ストーリーをほとんど覚えていません。(「アデル/ファラオと復活の秘薬」ではありません) 覚えているのは、ヒロインが白っぽいブラウスとパンツを着ていたこと、現地の男性に協力を頼んで断られていたが、ヒロインが役人みたいな男に襲われそうになったところをその人が助けてお互いの恋心を確かめ合ったこと、民族衣装の白いローブを着た彼がヒロインと抱き合うシーンがあったことぐらいです。 ご存知の方がいらしたら教えてください。よろしくお願いします。

  • カナンの地には誰が住んでいたの?

    遠くの国で悠々自適な生活をしていた羊飼いが突然の神の啓示で約束の地カナンを目指す。 しかし聞いていた肥沃な大地には程遠く、食べる為にエジプトに出稼ぎに行く事に。 その後いつまで経っても子供ができないのでエジプト女との間に子供を作ったら何故か本妻が懐妊。妾と子供は放逐されそれがアラブの祖になった? その後は忘れましたが遥か時は流れ、今度はエジプトからモーセご一行さまがまたもや神の啓示で大挙してカナンに押しかける訳ですが… そこはずーっと空き地だったのですか? パレスチナの人達の土地だったのならなるほどねーと簡単なんですが、シュワちゃんの映画みたいに分かりやすーくお願いします。

  • 所謂モーゼ(モーセ)の「十戒」に付いて教えて下さい。先日久しぶりに旧約

    所謂モーゼ(モーセ)の「十戒」に付いて教えて下さい。先日久しぶりに旧約聖書(ヘブライ語聖書)の「出エジプト記」20章の「十戒」を読んでいましたら,第5節に「私は熱情の神である」と記述が有り,英文では(私は普段聖書を読む時は英語の勉強も兼ねて「和英対照」の聖書(新共同訳)を参考にしています)「I tolerate no rivals」(直訳すれば「私に逆らう(反抗する)者は決して許さない」とでもなるのでしょうか)となっており,英文と日本文の意味が余りにも違いすぎるので,参考までに他の聖書を調べてみましたが(日本聖書協会発行の文語訳/新改訳等4冊)全て「私は妬む神」となっていました。因みに米国で購入したNew International Version でも「I am a jealous God 」になっており,新共同訳以外は全て(我が家にある聖書のみですが)「妬む神」となっており,「熱情の神」とは意味が余りにも違いすぎると思いました。原文(ヘブライ語・ギリシャ語?)は判りませんが,何故訳によってこれほどの違いが出るのでしょうか。出来れば原文(?)の意味を教えて頂ければ幸いです。