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モーセの十戒について
モーセの十戒は (1)主が唯一の神であること (2)偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止) (3)神の名を徒らに取り上げてはならないこと (4)・・・ と続いていきますが、この十戒の上記三つについて私はふと疑問が浮かびました。 モーセは唯一神ヤハウェからこの十戒を受けたとされますが、 この上記三つの内容を、私は、 「人々が信仰を疑わないようにするための措置であったのではないか」 と考えたました。神がこのような信仰に対する具体的な作法まで預言するのでしょうか? 宗教による解釈は人それぞれだと思いますが、みなさんはどう思われますか?
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他の戒律が具体的なものばかりですから、この最初の三条も具体的な指示と見るべきでしょう。帰依する主体を明示するのは宗教にとって不可欠の要素です。 仏教の場合でも、形態は違うものの、本質的にこの三条と同じ項目が重要とされます。たとえば、「南無阿弥陀仏」というように、(1)阿弥陀仏に帰依することを宣言し、(2)仏像を作り、(3)「南無阿弥陀仏」を唱和する、など、きちんと相関があります。(2)(3)はモーセの十戒と反対なのは興味深いですが... これらの十戒の言葉は素直に受け取るべきで、後代の中世キリスト教的な解釈はおかしなものが多いですね。 唯一神を親にたとえる解釈など、どうかと思います。 (神とは別に)「父と母を敬え」とちゃんと諭しているではありませんか。神を親と思えなどの神学的、抽象的な含意など皆無です。 唯一神を信じる者だけに神の力(良い事も罰も)が及ぶのであり、異教徒には「神のもとの自由」はないのです。(したがって唯一神にとって必要であれば異教徒は殺しても良い、というロジックになる。) 現代において、キリスト教圏の人達とイスラム教圏の人達が互いに必要以上の排除や差別の感情を覚えるのは、このモーセの十戒を原点とする信仰に帰依している以上必然かと感じます。 そのような原始的な感情を知性や理性で抑圧し制御するのが現代人の智恵だと思うのですが... 世界平和への道は遠いようにも見えます...
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- katyan1234
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一番最初の道徳を神が教えたもので、これがなければ何がよいことなのか悪いことなのか わからないから神が教えたと言う人もいます 預言は具体的な指示もありますね
- sugekoma
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モーセの十戒は、旧約聖書の出エジプト記20章2節~17節と、申命記5章6節~21節に記載されています。これを平易な言葉にしますと、 わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、どれいの家から、みちびきだしたものである。 1.あなたは、わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 2.あなたは、自分のために、きざんだ像をつくってはならない。 3.あなたの神、主の名を、みだりにとなえてはならない。 4.安息日をおぼえて、これを聖とせよ。 5.あなたの父と母をうやまえ。 6.あなたは、殺してはならない。 7.あなたは、姦淫してはならない。 8.あなたは、ぬすんではならない。 9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。 10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。 (日本基督教団出版局発行 こどもさんびか より引用) ユダヤ教とキリスト教で「唯一の神」とされている方と「人間」の関係を、親子の関係に置き換えてみれば理解し易くなると思います。私たち子供(人間)にとって、生んでくれた親(神)は唯一の存在です。他の誰も、本当の親ではないのです。 十戒を、親が子供に語りかけているものと考えてみてください。 「あなた」とは私たち子供です。「わたし」とは親です。すると、 1.あなたは、本当の親である私の他は、どこの誰も親と思ってはいけない。 2.あなたは、元々木や石でしかない様な物を、親と思ってはいけない。 3.あなたは、自分の利益の為に、親の権威を安易に利用してはならない。 と、解釈できます。親は子供を愛しています。これ等の言葉は、子供に対する親の愛情から出てきた言葉です。 よって、親が子供に、親に対する作法を教えているのではなく、 愛してくれている親に対して、愛されている子供がなすべき、応答の仕方を説いているのだと思います。 それから、一部誤解が有るようですが、 「預言」 とは、神が人に言葉を預ける事で、預言者とは神から預かった言葉を人々に伝える人のことです。未来を予知する予言者とは違います。 「神は人に恵みを与えますが、罰は与えません」 虫歯の子供が親にチョコレートを買って欲しいと言ったら、本当に子供を愛している親なら、先ず歯医者に連れて行き、治療が終わってから喜んで望みを叶えてあげます。この、歯医者に連れて行かれたという辛い事を、子供は罰の様に感じるのではないでしょうか。 「キリスト教原理主義」 という言葉は、マスコミの無知から広まってしまった造語です。これに準ずる言葉は「根本主義」になると思います。 「神は人に対してむやみに強要をしません」 私たちはロボットとして創られたのではなく、自らの意思で行動する自由と責任を与えられています。 神を独裁者と捉えるか、愛情の深い創造主と捉えるかで、一神教に対する考え方は変わってきます。 人間が神を選ぶ事が出来るので、多神教は自由で寛容と感じているのではないでしょうか? この世のあるべき姿は創造者が決め、被創造者はそれに沿って生きる一神教を良しとするか、 この世の有るべき姿は多様にあり、人間は気に入った理に沿って生きる多神教を良しとするか、 人は神の前で自由を与えられています。 お勧めサイト↓「日本FEBC」
- 参考URL:
- http://www.febcjp.com/
- 成る丸(@Narumaru17)
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こんにちは、 新約のマタイ12章7節に、 <「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう> 旧約のホセア6章の6節に、 <わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。> また、異教徒のサマリア人に、新約ルカ10章30~37節で、 <30)イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 31)するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 32)同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。 33)ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 34)近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 35)翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 36)この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 37)彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 > イエスは、聖職者よりも、異教徒の心優しい人の方が良いといっていますが、、、。 ところで、上記の聖書の引用は、著作権がきれ、インタターネットで一般公開されている http://bible.monochro.com/index/ から引用しました。 要するに、聖書のどの部分を強調するかによって、解釈はかわります。 ところで、ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、『原理主義者』と呼ばれる人達は、 >(1)主が唯一の神であること >(2)偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止) >(3)神の名を徒らに取り上げてはならないこと をとても強調したがります。 私には、どうしてだかサッパリ分かりませんが、、、。 ご参考までに
- phj
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はい予言します。 それが一神教の特徴です。 そもそも一神教は、「他の神を崇めてはならない」と(神が)定めた時点で、信仰に対する作法を強要しています。 多神教ではまったくありえないことですが、だからこそ「一神教」なのです。 次にくるのは、「では私しか崇めていないことを証明しろ」ということです。これにより具体的な作法が規定されてきます。 あとは行動です。神はいつでも信仰者を見ていますから、正しく信仰を行なうものには褒美を、正しくないものには神罰をくだします。 私たち日本人にはとても理解しにくいですが、そういうことです。
- tanuki4u
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神がこのような信仰に対する具体的な作法まで預言するのでしょうか? 宗教による解釈は人それぞれだと思いますが、みなさんはどう思われますか? === などという疑問を思った段階で、あなたはヤーウェの神を信じていないことになります。 そういう宗教だから、それに文句を言っても仕方ありません。