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完全とは不完全である。
自己の存在のある側面を完全にする。 これは自己という存在においても、地上界という存在一般においても不完全である。 託し託され未完こそが自己そして地上界という存在一般における完全である。 地上界という完全存在が完全にしている。 類似の事を孔子も発している。過ぎたるは猶及ばざるが如し。 1. 上記の定言をご批判ください。 2. 過ぎて不完全なるご経験や事例をご紹介ください。
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こんにちは。連休に入り、事故が続いていますね。くれぐれも巻き込まれないように、お気を付けくださいね。ただでさえ日本の優れた頭脳が減りつつありますので。 私ごときでは役者が不足していることぐらい承知の上なのですが、いちおう回答しておきます。 一将校成りて万骨枯るっていうのがありましたね。 外交のメンツを保つために国民を死なせてしまったら、それはもう国家が無いのと同じことです。ただこれは昔の中国のことなので、日本は心配いりませんね。 ところで、現実とバーチャル世界を比較すると、面白いことが見えてきます。 たとえば簿記論(ズンマ)なんですが、何かを取引するたびに、数字が左から右へ、右から左へ、と動き、左の合計と右の合計が必ず一致します。完全な世界ではありますが、バーチャル世界です。 いっぽう、現実世界では、数字の動きのほかに、心の動きがありますね。取引によって恨みが発生したり、慢心が発生したりしますが、それは簿記論では記述されません。 そういう意味では数学も物理学も、もてはやされてはいるものの、バーチャル世界に過ぎないのかもしれませんね。これではとても現実には用いることができない。むしろ哲学のほうが、よりよく現実を記述しているように思います。それこそ科学絶対主義の「過ぎて不完全なるところ」ではないでしょうか。
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- kurinal
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krya1998様、こんにちは。 「完全」・・・「不完全」を意識、したからこその、ですよね。 >「類似の事を孔子も発している。過ぎたるは猶及ばざるが如し。」 及ばざるは、過ぎたるより、勝る。 「過ぎて不完全」なるほど。
お礼
よくおいでくださいました。 ご解答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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存在(確定性)とは、不確定性に基づく。 合理性(無矛盾)とは、不完全性に基づく。
お礼
ありがとうございます。 やはり難しいご解答ですね。 私の今の思索では評価ができません。 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
思考者でも哲学者でも 何だって良い・・(笑) 要は 頭が硬いって事・・・ そんな事考えるよりも 其の辺のポイ捨てゴミでも掃除しなさい・・ 今は その時代なのです・・・
お礼
半島にはないでしょうが、 この列島にはこういう言葉がありましてね。 恥を知れ 恥の上塗り
アホらし・・・ じゃあ 完全なものにすれば良いだけ・・・ 不完全で無く まだ 未完成なだけ・・・ 不が付くと言う事はそれ(完全)と真逆を向いてるって事も解からないの!? 全く 哲学者の頭は硬いな(笑)
お礼
期待違いですが、ご批判を感謝します。 当然こういうご批判や受け取りは哲学カテでなければ、つまり普通の会話ではありうるものですよね。 馬鹿を言っているんじゃない。ばかばかしいってね。でもまさか哲学カテですから。
補足
哲学者なんてもんじゃありません。生活者、単なる思考者です。 そういう真逆性のあるレトリックでもありますよ。
お礼
ありがとうございます。 正に仰せの通りですね。 我が意を得たりです。