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やさしさ

♪・・・に、包まれたなら、きっと とか。 でも、本当にそうでしょうか? 辞書によれば。 (1)「身も痩せるように感じる。恥ずかしい」 (2)「控え目である。つつましい」 (3)「(見る者が引け目を感じるほど)優美である」 (4)「おだやか、すなお、おとなしい」 (5)「情け深い、細やかである」 (6)「けなげだ、殊勝だ」 (7)「簡単だ、容易だ」 まあ、それだけ「やさしい」って何よ?、という意味もあるかもしれないですが、 どうですかねえ。 (2)と(5)くらいは、そうかなあ。 よろしくお願いいたします。

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  • ucyuuneko
  • ベストアンサー率17% (63/354)
回答No.1

『感じる』と言う意味においては、自分自身に寄り添ってくれる感じかな。悩んでいる時、困っている時、疲れている時等に、そっと見守っていてくれる。そんな時に『やさしさ』を感じるかな。

kurinal
質問者

お礼

ucyuuneko様、ご回答ありがとうございます。 「辞書的意味」では、「感じ」られるかどうか。 (そんなに旧い辞書でもないと思うんですが) 「寄り添う」「見守る」・・・ですか。 「寄り添う」からには、相手が主体ですね。 「見守る」と来られると、上から目線ですか。

その他の回答 (15)

noname#207138
noname#207138
回答No.16

No.15に追加です。 他の方の回答は忘れましたし、質問と、自分の回答と質問者さまのコメントしか読んでいませんので、ここで補足しておきながらやはり不備かもしれませんが。 私の「個人の問題か集団の問題か」で「集団と受け止めた」というのは、質問を題材にしたかくれた目的がある質問として受け止めたという事です。 純粋に辞書の説明がご自身のやさしさに対する理解との相違に伴う違和感を題材にしていらっしゃるなら、間違えているのは私の方ですから、前にも謝っておりますように、謝罪する気持ちに噓はありませんので改めてここでも謝ります。 すみませんでした。 ただ、伝わってほしかったな~(><) ってだけです♪(^^)

kurinal
質問者

お礼

Apostle様、おはようございます。 >「私の「個人の問題か集団の問題か」で「集団と受け止めた」というのは、質問を題材にしたかくれた目的がある質問として受け止めたという事です。」 そうでしたか。 >「純粋に辞書の説明がご自身のやさしさに対する理解との相違に伴う違和感を題材にしていらっしゃるなら、間違えているのは私の方ですから、前にも謝っておりますように、謝罪する気持ちに噓はありませんので改めてここでも謝ります。 すみませんでした。」 そうですねえ。「純粋」と言われると、くすぐったいですが、辞書を見て「何これ」と思ったのは、そうです。 (・・・極端ですが、日本のノーベル賞受賞者でも「数千回の失敗の後の成功」ということが、あるそうです。/納税者も数千回の失敗くらい、大目に見ます?) >「ただ、伝わってほしかったな~(><) ってだけです♪(^^)」 んー、これについては、伝える側と読み取る側と、あるわけですね。

noname#207138
noname#207138
回答No.15

リアルではめんどくさ過ぎるから決してやらないけど、ネット上だから切りたければいつでも切れると言う安全圏だから言っておいて上げます。 リアルで質問者さまの事をこう思っているけど私みたいに口には出さない人きっといると思うから胸に手を当てながら以下読んでみてください。 行間を読むとかっていう概念知ってます? 逐語するとかえって意味が不明瞭になるが、指し示したい内容が行間を読む事によって手っ取り早く伝わる事を期待して出す言葉というものがあります。 これは発し手の受け手に対する依頼心、平たく言うと甘えに相当する事も多く、事実今回の私のも長々と書けば逐語しても意味が理解できるように説明できる事柄なのだけれども、面倒なので甘えた訳です。 この点は謝っておきます。 でも、こういう事は日常で良くある事ですよ? もしかしたらですが、質問者さまは自分の理解力が足りてないだけの事柄に対して誰かをバカだと考えているケースが多い可能性があります。 まあネットは気晴らしやリラックスしながらの暇つぶしでする要素もありますから、集中力をそんなに裂く気は無いということなら私と質問者さまのコミュニケーションはこのエリアに関して成功する事はないと思います。 私も長々と説明する気がないので。 頑張ってください。

kurinal
質問者

お礼

Apostle様、おはようございます。 >「行間を読むとかっていう概念知ってます?」 ・・・そうですねえ。戦後といっても70年です。 >「これは発し手の受け手に対する依頼心、平たく言うと甘えに相当する事も多く、事実今回の私のも長々と書けば逐語しても意味が理解できるように説明できる事柄なのだけれども、面倒なので甘えた訳です。 この点は謝っておきます。」 「行間を読め!」と言われた場合、そもそもがマトモではないことが、ありました。 >「でも、こういう事は日常で良くある事ですよ? もしかしたらですが、質問者さまは自分の理解力が足りてないだけの事柄に対して誰かをバカだと考えているケースが多い可能性があります。」 はいはい。可能性は、ありますね。 >「まあネットは気晴らしやリラックスしながらの暇つぶしでする要素もありますから、集中力をそんなに裂く気は無いということなら私と質問者さまのコミュニケーションはこのエリアに関して成功する事はないと思います。 私も長々と説明する気がないので。 頑張ってください。」 そう、仰らず・・・折角の、ですが、そう仰られるのなら仕方無い、ということもありますか。

noname#207138
noname#207138
回答No.14

こんにちは。 No.6です。 すみませんでした。 質問は大きく自分の個人的な事と、他者が関わる集団的な事の2種類に分類してます。 後者だと思ったので前回の様な回答内容になりました。 勘違いでしたね。 すみませんでした。 いずれの場合でも受け取り方で私の回答は大暴投な訳でもないかなと思いますが、質問者さまが受け取れなければ仕方がありません。 ボールのコントロールに集中力を注ぐほどの興味はなくなりましたので、お好きに受け取っていらしてください。 お邪魔致しました。

kurinal
質問者

お礼

Apostle様、ありがとうございます。 >「質問は大きく自分の個人的な事と、他者が関わる集団的な事の2種類に分類してます。」 そうだったんですね。Apostle様の個人的なことまでは、思いが及びませんでした。 >「勘違いでしたね。 すみませんでした。」 というか、「この際、かさにかかってやろう」というような印象が、気になったのです。 >「いずれの場合でも受け取り方で私の回答は大暴投な訳でもないかなと思いますが、質問者さまが受け取れなければ仕方がありません。 ボールのコントロールに集中力を注ぐほどの興味はなくなりましたので、お好きに受け取っていらしてください。 お邪魔致しました。」 (Ano.6) >「カスがカスであり続けるための条件。 それは自らが求めているものがカスである事を悟らない事、学ばない事、気付かない事。 たとえば、「社会的ステータス」という言葉を聞いて連想するものはなんでしょう? 煩悩の粋。 また、別の言葉で「勝ち組」で連想するものは? 煩悩の極み。 煩悩でできている人がさらに自分を強くしようと煩悩を求めるのだから煩悩が積もる。 さて、「煩悩」とはなにか。 辞書によるとこうです。 「身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」」 これを、「お好きに受け取って」? 「受け取れなければ、仕方がありません」? ・・・だから、そんなに煩悩について述べたいのであれば、本スレの主題である「やさしさ」と、どう関係があるのか。 煩悩の押し売りです。

kurinal
質問者

補足

煩悩の大家なんですね。

noname#207067
noname#207067
回答No.13

私は曹洞宗の学者から攻撃されているから曹洞宗が大嫌い。 禅宗は創作とはいえ拈華微笑でマハーカッサパの系譜だという。 マハーカッサパは仏教の教団を乗っ取ったやつ。 私はサーリプッタについて調べている。これは中村元の影響。 マハーカッサパの話は以前ブラジュロンヌさんの質問で引用したことがありました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 二 教団の分裂 根本分裂の遠因 ブッダ入滅の後には、圧倒的な存在感でサンガを統率してきた開祖の影響がしだいに薄れていった。 仏教が広まっていくにつれて次第にサンガの規模も大きくなり、それぞれの地域の社会情勢や経済状態の影響を 受けて、運営にはさまざまな問題が生じてくることになる。また、経典や律典には、教理的な解釈上の 相違だけでなく、サンガ内における修行の方針や宗教的な考え方の相違、さらには個人的な性格の違いに起因すると みられる争論も記されている。 一例を示せば、マハー・カッサパ(Mahā-kassapa、摩訶迦葉、大迦葉)が後輩のアーナンダに対して若年の弟子たちへの 指導のあり方を批判し、アーナンダがそれに反論しているようすなども伝えられている(「相応部」II、pp.218-219)。 このようなできごとは、宗教的な見解の相違によるものであったかもしれないが、いずれにしてもそれぞれが 率いるグループの争いに発展する可能性も秘めている。 また、『サンギーティ・スッタンタ』(Saṅgīti-suttanta、「長部」III、pp.207-211)には、 サーリプッタがブッダに代わって説法をするエピソードがみられる。その内容は、サーリプッタが主催する経典編纂の様相を 呈しており、経典の名称にもそれを示すサンギーティ(Saṅgīti、結集)という言葉が使われている。 ブッダ入滅時には、後継者として期待されていたサーリプッタ、モッガラーナはすでにこの世を去っていた。 そしてブッダの取り巻きから距離を置いて修行を行っていたマハー・カッサパが、ブッダ亡きあとの教団の指導者としての 位置を占めるようになる。上記の逸話はそうした状況のなかで、ブッダ入滅後にマハー・カッサパの提案で行われたとされる、 いわゆる第一結集に対抗して、サーリプッタの系譜に属する人びとが、自らの系統が正統な後継者であることを示そうとした 表れとみることもできる。 ブッダの直弟子たちにはそれぞれ彼らに従い、その指導のもとに修行を行っていた弟子たちの存在が伝えられている (「相応部」II、p.155)。そのように直弟子たちから強い影響を受けた派閥的グループがサンガのなかでそれぞれ 独自の立場を確立していったことも十分考えられる。 133-134ページ 第3章 仏教教団の展開 新アジア仏教史02インドII 仏教の形成と展開 佼成出版社 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ところで、マハーカッサパとアーナンダの関係についても少し触れておきたい。 マハーカッサパからアーナンダへの法の継承は、年齢の点や当時の教団における立場を考慮すれば、 当然のようにも思える。しかし、『サムユッタニカーヤ』の「チーヴァラ(衣服)」(一六・一一)や 「ウパッサヤ(住処)」(一六・一〇)などに見られる二人の対立や不仲の関係、また律典に伝える第一結集における マハーカッサパのアーナンダに対する叱責事件などを考えれば、マハーカッサパからアーナンダに法が伝授されたということは 簡単には受入れがたい。しかし、いずれにしても仏滅後の教団を理解するためには、教団運営に関わる現実的な側面にも 眼を向けなければならない。 083ページ 第2章 原始仏教の世界 新アジア仏教史02インドII 仏教の形成と展開 佼成出版社 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ゴータマの死〔の不延期〕に アーナンダは罪があるか http://okwave.jp/qa/q8593177/a23913921.html

kurinal
質問者

お礼

kazamidori365様、ありがとうございます。 人間の歴史ですかねえ。

kurinal
質問者

補足

「教義」に、法は、立ち入りません。 「それは行き過ぎ」というのがあった場合に、「裁き(勿論、損害賠償を含むよ)」があるだけ。

回答No.12

べろべろに酔っ払っていたので修正するよ。 ベイビー。 君のはじらう姿はウサギのようだ。 私の懐に捕まえて抱きしめたいが、それは君の純心を傷つけたりしないだろうか? ホラ優しいだろ。 いつでもおいで。

kurinal
質問者

お礼

Flareon様、こんばんは。 あはは。修正どころか「チミは、ウサギだね」ではないか。 >「いつでもおいで。」 痩せる思いを、しておいでなさい。

回答No.11

ベイビー。 君のはじらう姿はウサギのようだ。 私の懐に捕まえて抱きしめたいが、それは君の住人を傷つけたりしないだろうか? ホラ優しいだろ。

kurinal
質問者

お礼

Fraleon様、ご回答ありがとうございます。 「ウサギ」に例えられましたか、 >「ホラ優しいだろ。」 虚ろな感じです。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.10

本当の優しさは厳しさも持つ と僕も思ってきましたが 最近は厳しさは本人の為に厳しく 優しさも本人の為になる 本当に本人の為になる優しさが 本当の優しさだろうと思います。今で言えば癒し系と言う所でしょうか。 厳しさが必要なのは 愛 ではないでしょうか。愛するがゆえに鍛えると言うのはあると思います。 昔は女性に優しさを求めることが多かったですが 今は男性に求めることが多いように思います。 アメリカンフットボールも褒めて伸ばしたら優勝したそうですから 優しさ50%、厳しさ25%、普通に25%位の人がいいような気がします^^

kurinal
質問者

お礼

yuniko99様、ご回答ありがとうございます。 ふむ。大雑把過ぎて、 でも、参考になりました。 >「本当に本人の為になる優しさが 本当の優しさだろうと思います。」 >「厳しさが必要なのは 愛 ではないでしょうか。」 貧しいと、与えるに与えられない。 「他者に「施す」ことが出来るというのは、一つのニーズ」 >「アメリカンフットボールも褒めて伸ばしたら優勝したそうですから」 すみません、ここで「実例」を挙げて賛同出来れば、良かったのですが。

noname#207067
noname#207067
回答No.9

天声人語 2015年4月26日(日)付 http://www.asahi.com/paper/column.html 天声人語は誰が書いているのだろう? まあそれはともかく先の回答に誤字がありました。 × マハーカッサッパ ○ マハーカッサパ です。ただの誤字ですが 別人だと思う人がいるかもしれないので 一応、訂正しておきます。

kurinal
質問者

お礼

kazamidori365様。 明日の『天声人語』ですか。 恐れ入りました。

回答No.8

今夜は君を一人のレディとして扱うよ。 今までたくさん頑張ったね。 もうおやすみ。 ホラ優しいだろ。

kurinal
質問者

お礼

Flareon様、ご回答ありがとうございます。 B様の褌で相撲を取るような輩が、こうも沸いて出るとはね。

kurinal
質問者

補足

「ホラ、優しいだろ」と。

noname#207067
noname#207067
回答No.7

私は曹洞宗の学者から攻撃されるので曹洞宗が大嫌いです。 ですから、創作だそうですが拈華微笑のように 禅宗がマハーカッサパの系譜にあるというならば、 そのマハーカッサッパは仏教教団を乗っ取った奴だということです。 okwaveで質問したときに日蓮宗の人から そもそも禅宗が仏教ではないという回答をもらったりしたので 曹洞宗が仏教のカテゴリーに分類されていること自体が 異常とか捏造だったりするのかもしれませんがどうなのでしょうか? それに私は批判はしていてもほとんどサーリプッタのほうにしか 関心がありません。これは中村元の影響なのだろう。 私にとってどうでもいいことですが ゴータマ・ブッダの死後、権力闘争に勝ったのは マハーカッサパなのでしょう。 第一回仏典結集自体が創作なら知りません。 ですが、 私にとっての仏教の関心はゴータマ・ブッダより先に死んだ サーリプッタのほうにあります。 マハーカッサパが仏教をどうしようがどうでもいいです。

kurinal
質問者

お礼

kazamidori365様、ご回答ありがとうございます。 >「私は曹洞宗の学者から攻撃されるので曹洞宗が大嫌いです。」 まあ、なんてますか。 >「ですから、創作だそうですが拈華微笑のように 禅宗がマハーカッサパの系譜にあるというならば、 そのマハーカッサッパは仏教教団を乗っ取った奴だということです。」 その難しい用語も初めて伺い、意味等判らないのですが、 >「仏教教団を乗っ取った」・・・麻原と上裕ですか? >「okwaveで質問したときに日蓮宗の人から そもそも禅宗が仏教ではないという回答をもらったりしたので 曹洞宗が仏教のカテゴリーに分類されていること自体が 異常とか捏造だったりするのかもしれませんがどうなのでしょうか?」 「教義」については、「法」は立ち入りません。 >「それに私は批判はしていてもほとんどサーリプッタのほうにしか 関心がありません。これは中村元の影響なのだろう。 私にとってどうでもいいことですが ゴータマ・ブッダの死後、権力闘争に勝ったのは マハーカッサパなのでしょう。 第一回仏典結集自体が創作なら知りません。 ですが、 私にとっての仏教の関心はゴータマ・ブッダより先に死んだ サーリプッタのほうにあります。 マハーカッサパが仏教をどうしようがどうでもいいです。」 ・・・私も多分、そういう立場です。 「信教の自由」が濫用されない限りにおいて。

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