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マーケティングについて

ゼミナールマーケティング入門という本でマーケティングを勉強しています。 その本文に 「人々の必要や欲求は、企業活動との相互依存的な関係のもとにある」 需要には企業が活動を起こすことで構築される側面がある。 企業にとって顧客とは、あらかじめ存在している客観的な実体ではなく、 主体的な創造の対象なのである。 という文がありました。 少しイメージがしにくい文だったのでマーケティングに詳しい方に 解説してもらえるとありがたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1437/3766)
回答No.2

>「人々の必要や欲求は、企業活動との相互依存的な関係のもとにある」 需要には企業が活動を起こすことで構築される側面がある。 企業にとって顧客とは、あらかじめ存在している客観的な実体ではなく、 主体的な創造の対象なのである。 要約すれば: ●人々の必要や欲求は 元々あるものばかりではなく、 企業活動 によって作り出されるものもある。 ということを言っているようです。 ●又 逆に、企業活動(アンケートなど)で人々に このようなものが欲しいですかというデータを集めて、それに見合う品物を作るのも、マーケティングと言えます。 ”相互依存的な関係” と表現しているのはそのためです。 どちらのケースも当たりはずれがあります。 ●企業活動 によって作り出されたが、人々の関心(購買意欲)を得ることが出来なかった。(外れ) ●アンケートで人々の欲しいものをまとめたが、欲しいもの と買いたいもの との間には隔たりがあることがままある。 これらが 全て 相互依存的な関係 と言えると思います。 開発(マーケティング)主導 ⇔ ニーズ主導    の相互関係ですね。

回答No.1

前提として、マーケティング理論に関する本は国内外問わず多様にあるので、書店でご自分の感性に合う本を探されることをおすすめしますが、簡単にご質問にお答えしますね。 > 「人々の必要や欲求は、企業活動との相互 > 依存的な関係のもとにある」 モノが無いところに欲求は生まれません。Nikeが流行ればNikeが気になり、iPhone6が登場すれば欲しくなり、TVやマガジン、SmartNewsなどで紹介されたモノは話題となりムーブメントを起こします。全て企業の活動が無ければ生まれないものなのです。 > 需要には企業が活動を起こすことで構築さ > れる側面がある。 分かりやすく例えます。1985年頃、キリンビールは断トツの売上を誇っていました。流行りのタレントを使ったり一過性のキャンペーンなどではなく、新しい時代のビールを作ろうとしたアサヒビールは、今までに無い価値観を提案しました。「辛口」と「鮮度」です。 それまでのビールのキャッチフレーズで代表的なものと言えば、喉ごし、苦味、商品がいかに長く愛されてきたかの歴史が主でした。キリンビールは他の追従を許さない存在でしたが、そこに「辛口」と「鮮度」を前面に押し出した「スーパードライ」が登場します。 苦味と甘みを抑え、アルコール度数を少し上げた「スーパードライ」は、そのキレが料理の味を邪魔しないと大ヒットになり、若い世代まで巻き込み、その後のドライ戦争を引き起こすまでのブームとなりました。 それまでのビールが持つシニア向けアルコール飲料のイメージが変わっただけでなく、人々のライフスタイルまでも変えました。つまり新しいマーケットを生み出したのです。 企業が活動を起こし構築された需要の分かりやすい例です。誰もがこれほどまでに大きなマーケットになることは予想していなかったでしょう。 もう一例、サントリーは完全に若者に見向きもされなくなったウイスキーのマーケットを拡大する為に、ハイボールブームを仕掛けて見事に成功しました。これも同じことです。 新しい商品を開発して世に出し、認知を拡大して大きなマーケットを作る、全ての企業に共通するこの企業活動が、人々の欲求を生み出し、必要と感じる気持ちを醸成するのですね。

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