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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」)

比喩表現の仕事: いい勉強への新たな展開

hakobuluの回答

  • hakobulu
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回答No.8

#6です。 1 >この文の「なる」が「~という機能がある」という意味であるというのは、あくまでも比喩であるとの説を前提にしてのことです。その後よく考えると、私も(少なくとも「通じて」がついている場合は)それには無理があるように思います。それについては#6さんも否定しているではありませんか。 : 比喩である点には同意していません。 ただ、前回スレ#7での、【つまり「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事によって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」と書き換えることができる、というのが私の解釈です。】という発言から、「~になる」が「~という機能がある」という意味である点では、すでに合意がなされている、と判断していたものです。 http://okwave.jp/qa/q8828648.html?pg=1&isShow=open しかし、そうではない、とおっしゃるのですから、それは、それでわかりました。 2 >私は少なくとも「通じて」がある以上は【「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」】という説を支持します。 : その根拠が大事なわけで、それについて互いに論じてきているわけですが、結論としてそうおっしゃるのであれば、見解の相違という決着をなさるのがよろしいかもしれませんね。 こうした質疑においては、よくあることですし、極めて自然な成り行きでしょう。 質問を提示なさった側の権利だと思います。 >知恵袋は4:1ではなくて2:2です。 : 違うと思います。 1番目の例文→「この仕事を通じて、いい勉強をしました」 2番目の例文→「この仕事を通じて、いい勉強になりました」 ですが、 まず、BA に選ばれた rindou240さん 「私は、2番目は不自然だと思います」と明言しています。 dendenko123さんも、「例文の二つ目はおかしいのです」と言っている。 kawashimasyashin17さんは、「この仕事を通じて社会の厳しさを学びました。と書いたら正解だったかも。」ですから、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」は正解ではない、つまり、「通じて~なりました」という構文は間違いだと言っていることになりますよね。、 「この仕事を通じてという書き方にかると、その仕事をしている経緯で何を学んだのかという事を通じてでは意味していると思いますよ。」という部分は「通じて」の意味説明であり、2番目の例文(表現)を肯定しているわけではありません。 mumumukujujumumuさんの回答は、「後の文のヲ通ジテをデに変えれば違和感はなくなる」です。つまり、「この仕事を通じて」という表現は違和感を覚えるが、「この仕事で」とすれば違和感はなくなる、と言っているわけです。 2番目の例文に関する積極的な否定ではありませんが、少なくとも違和感を覚えていることは間違いないでしょう。 4:1と捉えるのが論理的な判断ではないでしょうか。 まあ、しかし、多数決の問題ではありませんから、これはどうでも良いといえば良い問題ではあるのですが。 ただ、「この仕事を通じて、いい勉強になりました、という文は不自然だ」と明言している回答を BA にしているにも拘わらず、それを否定する形となる#1さんの回答に対して「筋がとおっている」というのは、筋がとおらないように思っただけです。 いずれにせよ、これは本質的論点から外れる部分ですので、あえて、これ以上論ずる必要もないでしょう。 3 >私はこの文ならば「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」を、ことさらには意識する必要がないケースだと思っています。「仕事をすることを通じて(仕事の過程で)レベルアップした」の文では、「どんな勉強なのか」は省略されているのです。前後関係や当事者間で伝わり得る部分なのだと理解しています。 : それはわかりますが、省略されてはいても、文の要素として実際に含まれているわけですから、含まれているという事実を無視した構文にすると不自然になってしまう、という点が重要でしょう。 例として適切かどうかはわかりませんが、たとえば、「寒いですね」と言う場合、「(今日は)寒いですね」の略です。 この場合、「今日」という省略部分を認識できているからこそ、「寒かったですね」という誤った表現はしなくて済んでいるのでしょう。 省略されてはいても、「今日」という要素は認識(意識)していないと誤った構文ができる可能性があるわけです。 4 相手が「(今度の仕事を通じて)私にとっていい勉強になった」と言ったのを聞いて、私が「何がいい勉強になったの?」と聞き返した場合の返事が「今度の仕事が」だったら、私は「だから今度の仕事をする過程で、何がいい勉強になったの?」などと聞き直します。このような場合、例えば「設計をするときの注意点などがよくわかった」などが自然な返事なのではないでしょうか。 : わかりやすいご説明だと思います。 「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」に着目すると、要するに「なった」の対象格に着目するとそのようになる、というわけですね。 3のご発言と矛盾するようにも思えますが、それはさておきましょう。 いずれにせよ、 「今度の仕事を通じて、私にとって設計をするときの注意点がいい勉強になった」 すっきりさせると、 「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点がいい勉強になった」は正しい表現だ、ということだろうと思います。 このように表現すれば、たしかに違和感は多少薄まりますね。しかし、やはり、 「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点についてのいい勉強をした」 あるいは、 「今度の仕事は、設計をするときの注意点について(の)いい勉強になった」などとするほうが、はるかに自然な文でしょう。 また、大事なことは「通じて」の場合、こうした対象格を明示しないと不自然な文になってしまう、という点ではないかと思います。 今のところ、「今度の仕事は、(私にとって)いい勉強になった」という表現が正しいことに異論はないでしょう。 こう言われた場合、「それは結構でした」などと答えても会話は成立するはずだからです。 しかし、「今度の仕事を通じて、(私にとって)いい勉強になった」の場合、「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」という対象格について言及されないままだと不自然になってしまう、ということ。 どうも、この辺が食い違いの焦点のようです。 これが不自然ではない、とおっしゃるなら、感覚の違い、見解の相違と言わざるを得ないでしょうね。 良い視点をお示しいただいたと思います。 5 >私は#1で「ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。」と言っています。「接続節」としての「複文」です。ごちゃ混ぜにしないようにしましょう。 : というご説明でしたが、おっしゃりたい意図がどうも良くわかりませんね。 前回の「要するに、意味的に同格であることを以って、表現が同じであることの根拠とするのは、論理的ではない」という反論内容を、さらに詳しく述べると、次のようになります。 #1では、明らかに、 『私にとって、今度の仕事がいい勉強になった』と、 『今度の仕事を通じて、(私にとっては)いい勉強になった』を対比させていますよね。 その上で、後者については、『「ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。』とおっしゃっているわけです。 「複文の構文になるだけ」というのは、つまり、単に文の形態(構文)が違うだけであり、どちらも意味が同じ(同格)なのだから、全く問題のない正しい文だ、と言っていることになります。 「私にとって」と「私にとっては」は、どちらも主格であり、どちらも「なった」に係ることができる、ということでしょう。 しかし、複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか、というのが反論の骨子です。 「通じて」という表現が接続節の要素として現れた場合には、「~した」という述部が採用されるべきであり、それに伴い「私にとっては」ではなく「私は」とすべきではないか、ということでもあります。

Mister0413
質問者

お礼

長い議論になりましたが、最初に質問した時点では(当然のことかもしれませんが)私は漠然としたイメージしかおらず、お礼もそのときどきの状況に左右されて紆余曲折したものになっていたと思います。 1.前回スレ#7のお礼内容は、あまり追及しないでいただければありがたいです。確かまだkine-oreさんが参加していない段階であったと思いますしね。kine-oreさんが登場してから、ようやく徐々に私の意志が明確になってきました。 2.知恵袋のタイムリミットは一週間と短く、締切時点においては「この仕事を通じて、この仕事が勉強になった」には納得できないものの、明確には反論できる状態ではなかったのです(割り切れないものがあったのです。そこで「この仕事がいい勉強になった」を前提とする限りでは一番明快な回答である、という意味でBAにさせていただきました。「設計をするときの注意点がいい勉強になった」ではないかと言えるようになったのは、あくまでも#6のお礼投稿時に至ってのことです。 3.省略されているという事実が構文に影響を与えうることはあり得るでしょうが、今回の場合はどうでしょうか。見解の相違かもしれませんが、どちらかが考えすぎているような気がします。 4. > 大事なことは「通じて」の場合、こうした対象格を明示しないと不自然な文になってしまう 「今度の仕事を通じていい勉強になった」と言われた場合でも、「それは結構でした」などと答えても(相手が「あまり取り合ってくれないんだな」と思うかどうかは別の問題として)会話は成立すると思っています。 よって、これは見解の相違ということになるでしょうか。 5. > 複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか 必ずしもそうではないと思います。趣旨に沿った例文ではないかもしれませんが、こんな例もあります。 [単文]…主語・述語が1組だけの文。   私の学校は ○○高校です。 [複文]…主語・述語が2組以上あり、そのうちの1組が他の文の成分に含まれる文。   私が 通っている 学校は ○○高校です。 この例では述部である「学校は ○○高校です」の部分は変わっていません。 これも見解の相違ということになるのでしょうか。

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