• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」)

比喩表現の仕事: いい勉強への新たな展開

hakobuluの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.10

#9です。 1. >「今度の仕事を通じて(今度の仕事をした経験自体が)いい勉強になった」と解釈してはどうでしょうか。 つまり「今度の仕事をした経験自体」を「仕事」という言葉で表現しているから、「主語であるべき『仕事』が『を通じて』で副詞的に使われている」という錯覚を生じているというのが私の説です。 : いや、この解釈は無理があると思いますよ。 「今度の仕事をした経験」とは、すなわち「仕事」という言葉で表わされているもの【全体】を指しているはずです。つまり、「今度の仕事≒今度の仕事をした経験自体」でしょう。 「設計をするときの注意点」の場合、今度の仕事で得た中身、つまり、仕事の【ある一部分】を指していますよね。 ですから、「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点がいい勉強になった」という文においては、違和感が薄まることになるのです。 つまり、『仕事という全体を通じて、その一部分である「設計をするときの注意点」という中身が勉強になった』という構図。 『仕事という全体を通じて、その全体である「今度の仕事をした経験」が勉強になった』という構造の場合は、不自然だと思われませんか。 「通じて」という言葉の用法に絞って説明させていただくと、「トンネルを通じて戦闘員が潜入している」と言う場合、潜入しているのは戦闘員だけであって、トンネルまでいっしょに潜入しているわけではありません。 「主語であるべき『仕事』が『を通じて』で副詞的に使われている」というのは事実であり錯覚ではないでしょう。 2. >確かに私があげた例文は、今回問題にしている文とは異質なものであると思います。 「複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか」 私はこの部分にクレームをつけたかっただけです。 : このクレームは、論理的に整合性が取れていましたね。 この点に関しては、「論拠が曖昧であったことは認めた上で申し上げれば」という表現で、ご理解いただけたのではないか、と思います。 ただ、逆に、『「通じて」を加えて複文になった場合にも【常に】同じ述部が続く』ということも、また無いでしょう、と申し上げたわけです。 #1さんがおっしゃるところの、【ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけ】という根拠によって、「今度の仕事を通じていい勉強になった」という文を正当化しようとするのは論理的ではない、というのが反論の骨子です。   

Mister0413
質問者

お礼

1.私の説は、確かに論理的に苦しい点がありそうですね。そのあたりのことを考えると、当初はあまり重視していませんでしたが#1さんの 「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)」 というご説明が適切だと思えてきます。そしてこれこそがここまで議論してきたことの終着点のようにも思えてきました。(私にとっては)を主格とするというのは、そのような意味なのではないでしょうか。 「トンネルを通じて戦闘員が潜入している」は、意味が違いますよ。この場合の「通じて」は移動経路の表現であって、ここで議論している文とは異質のものです。 2.了解しました。お互いに一律・一概には論じられませんね。

関連するQ&A

  • 比喩表現

    比喩表現っていくつか種類があったと思うんですが(直喩とか…)、詳しく思い出せません。例文を使って説明してほしいです。

  • 「ぐっすり眠っている」の比喩表現が思い出せなくて……

     日本語を勉強中の中国人です。ある表現が思い出せなくていらいらしています。  うろ覚えですが、「ぐっすり眠っている」には比喩の表現があるような気がします。たとえば、「帰りのバスで、あまりにも疲れたので、ぐっすり眠っている」の「ぐっすり眠っている」という部分なのですが、「眠る」や「寝る」のように直接に表現するのではなく、何か比喩の表現はありませんか。手がかりが少なすぎて、申し訳ありません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • ある比喩的な表現の英文について質問があります

    『出る杭は打たれる』という意味の英文に対して The noisy wheel gets the oil. というおそらく比喩的な意味の英文があるのですが、これはいったいどのように訳せばよいのでしょうか・・・? 辞書などの例文も調べましたが、それらしいものが見当たりません。 きっとこれも日本で有名なことわざで、『出る杭は打たれる』とは対照的な意味のようなものだとは思うのですが、どうもしっくりくるものが思いつきません。 この文に対して何か最適な訳し方があるようでしたら、教えてください。 よろしくお願いします。  

  • 比喩法や擬人化を上手に使われた和歌や俳句をを紹介していただけないでしょうか

     日本語を勉強中の中国人です。先日、「比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を紹介していただけないでしょうか」という質問をいたしましたが、日本近代詩の例文をたくさんいただきました。その時は、「和歌」と「俳句」という言い方を知りませんでしたので、「詩句」という大雑把な書き方にいたしました。実は、あの時、和歌と俳句では、優れた比喩法や擬人化が使われた文を知りたかったのですが、うまく書けませんでした。  ということで、再度質問をさせてください。比喩法や擬人化が上手に使われた和歌や俳句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。恐れ入りますが、古典がよく判らないものですので、お挙げになった例文の現代語訳も書いていただけないでしょうか。難しい単語に読み方も振っていただければ助かります。    また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「紡ぐ」の比喩の意味について

     日本語を勉強中の中国人です。「紡ぐ」という動詞の比喩の意味についてお伺いしたいと思います。下記の二つのフレーズはどういう意味でしょうか。なぜ「紡ぐ」という動詞を使うのでしょうか。 1.語りが紡ぐ 2.紡ぎ出す言葉  また質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 比喩的表現でつかわれた単語について

    本を読んでいたら「単玉ダイヤ」という表現がでてきたのですが、どうしても「単玉」の意味がわかりませんでした。問題の文は「さらにこれにやや劣る大きさの五顆の粒選りの単玉ダイヤが第一の列の随所にあしらわれているのが、一段と豪奢な趣をそえた。」と載っていました。ここで使われている「単玉」どんな意味あいでつかわれているのでしょうか。ちなみにこの部分は首飾りの説明でつかわれています。言葉に詳しい方教えてください。お願いします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか(比喩)

     日本語を勉強中の中国人です。文章を書きましたが、自分の書いた文が自然な日本語になっているかどうか気になりますので、添削していただけないでしょうか。  文章を書く時に、とんでもない比喩を使う癖があります。時々自分自身しか理解できない文を書いてしまいます。人と対面して会話する時に、相手が意味をわかってくれなかったら、更に言葉を付け加えるチャンスに恵まれます。しかし、一旦文章にしたら、たった一回のチャンスで取り返しがつきません。  文を生き生きするために、比喩を使ったのですが、文意は時々自分のたとえたい意味と全く違う方向へ先行したり、いやに気取って人に反感を与えたり、人に傷をつけたりします。また、私の文章の癖をある程度知っている人なら、通常比喩でないところも比喩と取られてしまうことが多いです。結局、自分の意味を伝えないまま誤解を招いてしまいます。わかりやすい文章を書きたいです。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を紹介していただけないでしょうか。

     日本語を勉強中の中国人です。比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。読み方も振っていただければ助かります。    また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「今度は」なのか、「今度に」なのか、「今度ね」なのか

     日本語を勉強している外国人です。会話の本を読んでいます。理解できない助詞がありますので、質問します。 「A:ねえ、Bさん、いっしょにショッピング、行かない? B:ちょっときょうは… A:うん、いいよ、また今度は。 B:すまん。」  「今度」の後ろになぜ「は」なのでしょうか。「に」(「今度にしましょう」の省略)と「ね」(柔らかく聞こえるために)にしたら、よろしいのでしょうか。この会話の本の作者が日本人ではないので、疑問に感じるところです。もしかして、印字ミスなのでしょうか。ご教示お願いします。  日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現があれば、それも併せて指摘していただければ助かります。よろしくお願いします。

  • 作文の本に理解できない表現(及ぶ、感激)

     私は中国人で、日本語を勉強しています。文章が上手く書けるように、作文の本を読んでいます。理解できない例文があるので、質問させてください。 「小さいとき着せ替え人形や、ままごとに夢中だった。少し大きくなってからは、赤い靴や姫鏡台を買ってもらって喜んでいた。そういう幼い頃の生活のうちに、すでに私の将来は示されているように思う。それが二十歳を迎え、母が無理して作ってくれた振袖を着て、成人式にのぞみ、人々の祝福に及んで私は深く感激した。その時私の進むべき道は決まったと言ってよい。」 1.「人々の祝福に及んで」の中の「及ぶ」はどういう意味でしょうか。「及ぶ」のこんな使い方が初めてで、困っています。こんな使い方の「及ぶ」のほかの例文も書いていただけませんか。 2.日本語の「感激」という表現には「他人の好意や援助について感謝する」という意味も含まれているのでしょうか。それとも、ただ感動するという意味だけでしょうか。また、「感激」と「感動」とでは、どちらが度合いが激しいでしょうか。 3.「深く感激した」のほかの書き方も勉強したいのですが、教えていただけませんか。多ければ多いほど有り難いです。  質問文について一箇所伺いたいのですが、「こんな使い方の『及ぶ』のほかの例文も書いていただけませんか。」という文は、「の」が多すぎて、何か解決方法があるでしょうか。ほかに質問文に不自然な部分の添削も宜しくお願い致します。