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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」)

比喩表現の仕事: いい勉強への新たな展開

hakobuluの回答

  • hakobulu
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回答No.6

#5です。 >さらに直前の質問では#1さんと同一の人が次のように述べていますので、私は筋が通っていると判断しました。私は何か混乱しているのでしょうか。 > おっしゃる通り「この場合の「勉強」とは「経験を積むこと」という意味であり」そして、ここので「~になる」の用法は、「何か別のものに変化した」といった動詞としての実質概念を考慮するものではなく、「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」と。 : つまり、「ついい5連覇がなる」などと同じ用法だとおっしゃっているわけですよね。 果たして、そうでしょうか? わたしとしては、「なる」の用法をこのように解釈してしまうために、「通じて」を受けることができる、という勘違いをするのではないか、と考えています。 「変化する」あるいは、「~という機能がある」でも構いませんが、そのような用法だと捉えるのが適切なはずです。 「筋がとおっている」とお考えになる根拠は、単に、Mister0413に都合の良い解釈だからではないでしょうかね。たぶんですが。 たしかに、「変化する」という用法も、それほど適切とは言えないかもしれませんので、それを否定なさるのは構いません。むしろ、混乱させてしまったかもしれない、ということで謝罪も申し上げたはずです。 しかし、「~という機能がある」という用法である点では、すでに一致を見ていますよね。 であれば、 【「何か別のものに変化した」といった動詞としての実質概念を考慮するものではなく、】という点では、個人の感覚の違いというものがありますから、殊更否定しても仕方ありませんので、あえて反論はしませんが、 【「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」】という結論部分に関して「筋が通っている」とおっしゃるのは矛盾でしょう。 また、知恵袋の5人のうちの4人の方々の回答に関しては、否定しておられるのですか? >> ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。 「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」 または普通文では、 「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、私は(主格) いい勉強を(対象格) した(動詞述語)。」 ⇒つまり、#1さんは「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」を、最終的には「今度の仕事を 通じて、私は いい勉強を した」と同格であると結論付けています。そして#2では「なる」には、「生る(出来る・実る)」や「成る(出来あがる・成り立つ・許す)」などの意味と共に、「為(な)す」の自動詞形「為(な)る(よい結果へと状態が変わる・よき結果を招くのに役立つ)」という意味があると述べています。 : #1さんのおっしゃる意味は十分理解しているつもりであり、その上で反論しています。 お言葉を拝借しつつ端的に述べるならば、「複文の構文」と「普通文」では構文が異なるわけですから、意味が「同格」であっても、違う言葉を使って表現しなければならない場合が殆どではないのですか? ということ。 要するに、意味的に同格であることを以って、表現が同じであることの根拠とするのは、論理的ではない、ということです。 「なった」が自動詞述語であり、「した」が他動詞述語であることはわかりますが、そうした事実と、「今度の仕事を通じていい勉強になった」が正しい表現かどうか、という問題とは何ら関係のないことでしょう。 「今度の仕事は年間を通じていい勉強になった」 などは正しい表現ですが、こうしたものと混同されている可能性もあるのかもしれません。   

Mister0413
質問者

お礼

コメント不足でしたが、この文の「なる」が「~という機能がある」という意味であるというのは、あくまでも比喩であるとの説を前提にしてのことです。その後よく考えると、私も(少なくとも「通じて」がついている場合は)それには無理があるように思います。それについては#6さんも否定しているではありませんか。 私は少なくとも「通じて」がある以上は【「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」】という説を支持します。 #2さんの補足にも書きましたが、知恵袋は4:1ではなくて2:2です。他にチャットで相談した人も一人いますが、最終的には「こんがらがってしまいました」で終わってしまいました。 私はこの文ならば「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」を、ことさらには意識する必要がないケースだと思っています。「仕事をすることを通じて(仕事の過程で)レベルアップした」の文では、「どんな勉強なのか」は省略されているのです。前後関係や当事者間で伝わり得る部分なのだと理解しています。 相手が「(今度の仕事を通じて)私にとっていい勉強になった」と言ったのを聞いて、私が「何がいい勉強になったの?」と聞き返した場合の返事が「今度の仕事が」だったら、私は「だから今度の仕事をする過程で、何がいい勉強になったの?」などと聞き直します。このような場合、例えば「設計をするときの注意点などがよくわかった」などが自然な返事なのではないでしょうか。

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