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人間は科学的になると宗教離れが起こると思われていた
人間は科学的になると宗教離れが起こると思われていたが、現実はますます宗教が増えて、神も増え続けている。なぜ科学的になっても宗教の神は増え続けるのでしょう?
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だって、科学者は、「論理実証主義」を遵守する人間しか「科学者」と認めないコミュニティーですし、 最近は、幸福の科学という、科学的手法で人を導けるとする宗教も思いつく人がいるくらい、 地球上に70億人だか80億人だか人間がいると、そういうものはいくつでも沸いて出てくるものなんですよ。 論理実証主義 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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- stomachman
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以下、まったく個人的な印象の話です。 まず、ご質問に「人間」と書いてあるのが、個人の意味だとしましょう。すると、その人が科学的である(科学を理解したり、実践したりする)ということと(現実の現象を引き起こす原因として神を想定するような、つまり現世利益に関係する種類の)宗教の価値を軽んじるということとの相関は多分にありそうで、否定までしなくたって、無批判に神を持ち出す態度に対して強く反発することは多いだろうと思います。 ただし、科学を深く学ぶほどに、科学だけじゃカバーしきれない物事が多いということが分かって来る。科学は哲学のひとつの方法ですが、精密さと引き換えに、扱える対象が限定されるからです。なので、科学的である(科学を理解したり、実践したりする)ということと、科学以外の哲学とは共存するし、宗教とも必ずしも矛盾しない。実際、カソリックの坊さんが科学者でもある、という例は多々あります。あるいは、物理学を突き詰めると「スピノザの神」のような、宇宙の法則を決めた神(その神は、人間になんか全く興味がないんで祈っても意味はない)を想定したくもなる。要するに「その先は考えない(思考停止)ということを受け入れる」ということ、それこそが宗教なんですから。 一方、ご質問に「人間」と書いてあるのが人々がなすヨノナカのことを指すのであれば、文の意味が全く違いますね。 ヨノナカの科学が進歩すると、科学の教程の分量が多くなる。学ぶのが大変になって理解できない人も沢山出て来る。かたや、科学を応用した技術も沢山現れ、なので多くの人はどういう仕掛けになってるのか分からないままに恩恵を受ける。これじゃ魔法と同じ事です。歴史を見れば、急激に科学が発展し、その応用たる技術から多くの恩恵が新しく産まれた時代には、科学を(その内容が分からないくせに)礼賛する人が多かった。科学を無批判に善とする思想が流行する訳です。(善悪と結びつけるのはそもそもトンチンカンなのですが。) ところが、科学や技術と関連する不都合がいくつも起こると、科学を悪とみなす思想が生じます。(善悪と結びつけるのはそもそもトンチンカンなのですが。)あるいは、科学者と称するスカした連中が、専門家ヅラしてオレタチを見下してるのが気に入らない。中には、俺も魔法をやってみたいというので、我流で誤った「科学モドキ」を実践しちゃう人も出るし、「科学モドキ」を使った詐欺も沢山現れる。そうなると、科学に反発する人は多くなる。でも実際に恩恵は受けているんだから、全面否定する人は稀。 結局、相対的にものを見るようになります。スローガンにすれば「科学は万能じゃない」(そんなの言うまでもないことなんですが。)分からない事、どうにもならん事は沢山ある。それらを放置する態度、すなわち思考停止は宗教に最もよくなじむわけで、既成宗教への回帰も、新しい(「科学モドキ」に基づく、あるいは反科学的な)信仰が新しい神を産むことも、必然のように思われます。
- michael-m
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根本的に姿勢が違うことに気がついていないから、そう言われたんです。 科学というのは物事の仕組みを解明することです。宗教は物事の理由を解明することが目的です。 人間は進化によって今の形になった。生死と卵子が結合して今の自分が居る。これが科学です。 でも科学では、自分が何のために居るのかは理解できない。先祖は居てもそのつながりに意義はない。哲学やら心理学でも結局自分による自分探しです。 宗教は天と自分とのつながりを示し、自分の存在意義を探し、生きる道を示してくれるものです。これは科学的に言えば人間は子孫を残すために生きているという事になり、自然界では当たり前の二股も浮気も容認せざるをえなくなりますね。結婚制度は一部の宗教が作り上げた規範でしかありません。 科学は一般人に対し、宗教は嘘ばかりで真実は科学だけだと宣伝した。しかし科学というのは固定されません。今日までの常識が明日には非常識になる。それを「進歩」と言う言葉で言い訳をし、誰も責任を取らない。科学には道義的とか正邪はありません。だから原爆を作る事もできるのです。破壊的規範は科学ではありませんから。 規範を作るのは宗教的思考です。一つの規範を決めてそれに従うことが人の生きる道だとする。これは常に疑問を持ち、チャレンジして物事の仕組みを解明する科学的行為ではないのです。 ところが科学は聖書の否定を以って宗教弾圧ができると思い込んでいた。否、ホーキンスですらそう思っている。これが根本的な思い込み、傲慢という事です。だから宗教を完全否定する共産国家でも宗教は生まれたり生き残ったりするのです。 科学の扇動が一定の効果を挙げてきて、宗教を信じなくなると当然人間は野生化します。何しろ規範が否定されるからです。すると人は自分の存在意義は判らなくなる。自殺も増える、科学では自殺や犯罪は防止できません。 自分の居場所が見えなくなるから不安になると誰かが宗教(生きるための道)を説き始める。すると人々はその宗教に飛びついてしまうわけです。 つまり科学が宗教を否定すればするほど新宗教が増えるという現象がおきるわけです。 例えば貴方はスカイツリーを言葉や文字で完璧に表現できますか?絵にも描けない竜宮城は正しい。 宗教の弱点はそこです。森羅万象を言葉や文字で完全に表わすことは出来ません。その当然の事を科学は突いて否定する。すると別の方角から竜宮城を眺めた言葉が出てくる。すると人々はそこに集まる。それの繰り返しなんです。 ユダヤ教からキリスト教やイスラム教が派生した事は珍しいことです。それは主に権力に偏った教えに対する反発です。だから唯一神に向いている姿勢に変わりはありません。同じ神に向いているのです。 しかし科学が発展し始めると、同じキリスト教でも中身は全く異なるものが出てきます。モルモン教などはイイ例ですね。 仏教は教義の塊ですから今のように分裂したのです。当たり前ですね、人の生きる道は一つじゃないのですから。だから規範は一つでも教えは幾つにも分裂するのです。 神道も教義を持つと分裂します。天理教、出雲大社教、金光教などなど。しかし神社神道は分裂しませんというか出来ません。分裂の危機にあるのは組織です。なぜなら神社神道には教義がなく、あるのは奉仕と感謝と祈りだけだからです。
- mojitto
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宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。 別に科学と宗教は相反関係にあるわけでもなし。 特定の科学や宗教に傾倒する必要はありませんが、科学からも宗教からも人間らしく生きるためのエッセンスを取り出さねば、心も頭も貧しくなります。
- zkxzm4kz
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テクノロジーが発達しても、メンタリティは100年前1000年前とは あまり変わらないということです。
- maiko0318
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宗教の多くは人間についてまわる「死」の不安について 死後の世界があるだのと言って不安を和らげるものと思います。 ということは、今の科学はその域に達していません。 人間の死後について科学的に解明されれば減るかもしれません。
- guess_manager
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儲かるからでしょうね。
お礼
みなさん回答ありがとうございます。