- 締切済み
憲法二〇条 信教の自由は百害あって一利なし
信教の自由とは当たり前の自由であって、ほんらい人は何を考えようと、何を思おうと、何を信じようと勝手なのである。これは空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由と同類なのであって、一々そのような自由を掲げること自体が自然ではないのである。 にも関わらず、わざわざ信教の自由を掲げるとどうなるのか。 オウム真理教は日本で地下鉄サリン事件を起こし、イスラム教徒はアメリカ国内で9.11同時多発テロを起こした。これに対し日本は破壊活動防止法を作ってオウム真理教を取り締まったが、アメリカは米国内のイスラム教徒を法的に取り締まるようなことは決してしなかった。日本もアメリカも憲法により信教の自由を掲げているが、このようにその中身は大きく異なるものである。もちろん信教の自由を掲げるのであれば、アメリカがイスラム教徒に与える信教の自由が本物の信教の自由なのであり、これに従えば日本はオウム真理教の活動を取り締まることは決して出来ないはずなのである。 だから信教の自由を掲げたところで現実には単に様々な矛盾を抱えるだけであり、実質的には何らの意味もない。 このような当たり前の自由を一々掲げるからろくでもない事が起きるのです。 以上の理由より、日本国憲法二〇条 信教の自由は百害あって一利なし、憲法改正と同時に削除すべしと考えるがどうですか。
- みんなの回答 (22)
- 専門家の回答
みんなの回答
- nacci2014
- ベストアンサー率35% (200/569)
- nacci2014
- ベストアンサー率35% (200/569)
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7194/21844)
- bonnefuji
- ベストアンサー率0% (0/15)
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
- nacci2014
- ベストアンサー率35% (200/569)
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
- nacci2014
- ベストアンサー率35% (200/569)
関連するQ&A
- 信教の自由は正しいか
憲法20条、信教の自由は正しいか 正しければ国がオウム真理教を否定するのは何故か、 憲法20条、信教の自由の下でカルトの信教の自由はないのか、 創価学会についてはどーか、 同じくカルトであるにも関わらず何故オウム真理教を認めず、創価学会を認めるのか
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 信教の自由は空気を吸う自由と同類である
世の中には当たり前の自由ってものが沢山あります。 空気を吸うのは自由であり、水を飲むのは自由であり、寝るのは自由であり、首を回すのは自由であり、・・・などなど。 それを一々、空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由などとは言わないものである。 日本国憲法二〇条 信教の自由もこれと同類であって、ほんらい人は何を考えようと何を思おうと何を信じようと勝手なのである。 それをわざわざ信教の自由などと格別なもののように扱おうとするから、これを盾にカルト集団が出てきて世の中を荒らすのです。 だから今どき信教の自由を訴えるのは怪しい行為、ある種の危険信号と見なし警戒すべきことではないでしょうか?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 信教の自由
小泉総理の靖国参拝が物議をかもしていますが。 信教の自由を標榜して反対する進歩的(?)な人々もいるそうですね。 アメリカではブッシュ大統領が大統領就任式(?)で聖書に手をついて、宣誓をしたと聞きました(間違っていたら訂正をお願いいたします)。 日本でもし総理大臣の就任式が有ったとして小泉総理が神道の形式で(又は特定の宗教の形式で)宣誓したら、それが公人として又は私人として行われたか、 又その行為が特定の宗教を宣伝していることにならないか等の議論が沸騰するだろうと思われます。 アメリカでそのような議論があるとは聞いていません。 ただ大統領の宣誓では当人の信じる(宗教の)形式で行う自由があり、キリスト教の形式で行われなくても良いそうです。 思うにアメリカでは個人個人の信教の自由が尊重され(公の場の大統領にも信教の自由があり)、日本では信教の自由といえども、公の場では(全体のために)制限されると言う風潮があるような気がします。 それに似ているのは多くの日本の田舎ではコミュニティー(隣組)で、神社の寄付などが個人の信教とは関係なく半ば強制されることがある、と聞いていますが。 この村落共同体的(大げさに言えば全体主義的)雰囲気がいまだに日本に根付いており、いわばそういう考え方とは反対だと(本人たちが)自負している進歩的な思想の人たちが、全体主義的な思想に侵されているように見えてなりません。 そこで質問ですが、日米の憲法における信教の自由は全く違う内容ですか?それともほぼ同じであるのに、日米の文化の違い、民主主義の成熟度の違いによって、全く別の政治的、社会的現象が起こっているのでしょうか?
- ベストアンサー
- 政治
- 信教の自由の説明・・・
こんばんは。 信教の自由と政教分離との関係についてという課題があるのですが、なかなかうまくまとめられません。 →信教の自由とは、宗教的信仰の自由・宗教的行為の自由・宗教的結社の自由である。そして政教分離は、政治と宗教を分離し、互いに干渉することを禁止することであり、信教の自由を保障し、国・地方公共団体が特定の宗教団体に特権を与えたり、宗教的活動を行なったりすることなどを禁止している。このため、靖国神社への閣僚参拝は単に「戦犯を祀るから」という理由だけではなく、「国の機関である閣僚が宗教的活動を行うことになる」という点で注目されている。憲法によって信教の自由が保障されており、国(公共団体を含む)はこれを尊重する必要がある。しかし国が特定の宗教団体に対して援助をすることは結局国民全体の信教の自由を侵すこととなるので、問題となっている。 これで大丈夫でしょうか??信教の自由と政教分離との関係についてまとまっているといえるでしょうか??
- ベストアンサー
- その他(法律)
- 信教の自由と創価学会
私の両親、祖父母家族等、私の家系は創価学会に入っています。もちろん私も生まれてすぐに入信したわけです。小学生までは活動を強要されていましたが、私はなんとなく幼いながらも違和感を感じ、断じてこれまで積極的になったことはありませんし極力拒否してきました。中学高校はかなり両親も放任的になったので安心していたのですが、成人を迎えるにあたり何かが起こりそうです。 私は現在親元を離れて暮らしております。オートロックの学生マンションです。このマンションには女性エリア(階)があり、上階がそれにあたり私もそのエリアにいます。専用の鍵がないとエレベーターで上がれないので、男性はおろか第三者であっても入ってこれない…はずです。今回、創価学会の関係者の方々が私の部屋を訪問するという情報が妹より入りました(ちなみに妹も創価には無関心です)。わざわざ遠いところから、彼らはやってきます。私はすぐに成人を期に何かあるのかなとも思いました。訪問だけではなく学会関連施設でのイベントに参加させられる可能性があります。両親同伴の可能性がありますが、私は極力これを拒否したいと思っています。 中学のころから疑問に思っていました。どうして親が創価学会信者だと子どもも無条件にそうなってしまうのか。創価学会は憲法第20条をどう説明しているのでしょうか。信教の自由はどこへ行ってしまったのでしょう。 私は創価学会じたいを否定はしません。ただ、私にとって宗教は必要ないのです。無神論に近いと思います。受験のときも活動すれば合格できると言われましたが、意味がわかりません。そんなことをするより何か1つでも英単語を覚えた方が現実的だと思っておりました。ただ、両親のことは大好きですので、このことで関係を悪くしたくはありません。 そこで今回質問したいのは主に3点です。 (1)創価学会関係者の訪問を回避する方法 今のところ、寮母さんがいますので、集団で押しかけて来た際追い返してもらおうかなと思います。ただ、両親が同伴の場合が不安です。 (2)信教の自由について 創価学会には、私のように赤ちゃんのときに無意思で入って活動を強要される2世の方がいっぱいおられると思います。これは信教の自由に違反しないのですか? (3)今後について ずっと無視してきた創価学会という存在ですが、成人を前にそろそろけじめをつけたいです。
- 締切済み
- その他(恋愛・人生相談)
- オウム真理教って?
お世話になります。 本日(2018年7月6日)、オウム真理教の松本智津夫死刑囚の刑が執行されたようですね。 私は、同じ熊本県出身ということもあり、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)については、地下鉄サリン事件だけでなく、彼の生い立ちについても学校の授業で学びました。 ですが、正直なところ私が生まれた時にはもうオウム真理教のメンバーは捕まっていたので、オウムという組織がどれほど巨大でヤバい存在だったのかが分かりません。(^^;; なので質問としては、 1.「オウム真理教」ってどんな組織? 2.幹部もいなくなったんだし、もう活動してないよね?活動再開もないよね? 3.今現在、オウム真理教のような組織って日本に存在してるの? の3点です。 一応、ウィキペディアは見たのですが要領を得なくて…分かりやすく教えていただける方がいたら嬉しいです(^^;;
- ベストアンサー
- ニュース・時事問題
お礼
ある宗教団体について信教の自由を剥奪するとは具体的に何を意味するのか。 ある宗教団体について信教の自由を剥奪するとは、その宗教団体を解散させることを意味する。 では宗教団体を解散させるとは具体的に何を意味するのか。 宗教団体を解散させるとは次の2つを意味する。 1.宗教法人資格の剥奪 2.宗教名の使用の禁止 で、この基準に照らし合わせて見てオウム真理教はどうなったかというとオウム真理教は解散命令を受け、その結果宗教法人資格が剥奪され、オウム真理教なる宗教名の使用を禁止したわけであるからオウム真理教は明らかに信教の自由を剥奪されたわけである。 仮にアレフが違法行為をしたなら同様の措置を受けるのであるが、アレフは宗教法人資格が与えられていないのであるから、アレフに対して行える措置としては宗教名の使用の禁止だけである。 つまり実質的には、信教の自由の剥奪=宗教団体の解散命令=宗教名の使用禁止にほかならない。 >オウム真理教の 教義や教典を無効にしたのなら 信教の自由の弾圧にあたる可能性もありますが そんなことは実質的に不可能である。 既に存在する宗教の教義や教典を無効にすることは不可能である。 現にオウム真理教の後継は存在し、活動しているではないか。 > あなたは信教の自由のもと なんでも保護されるべきだとの解釈しか持っていないようだが 私はもともと信教の自由など掲げる必要はないと申しているのであるが。