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憲法二〇条 信教の自由は百害あって一利なし
信教の自由とは当たり前の自由であって、ほんらい人は何を考えようと、何を思おうと、何を信じようと勝手なのである。これは空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由と同類なのであって、一々そのような自由を掲げること自体が自然ではないのである。 にも関わらず、わざわざ信教の自由を掲げるとどうなるのか。 オウム真理教は日本で地下鉄サリン事件を起こし、イスラム教徒はアメリカ国内で9.11同時多発テロを起こした。これに対し日本は破壊活動防止法を作ってオウム真理教を取り締まったが、アメリカは米国内のイスラム教徒を法的に取り締まるようなことは決してしなかった。日本もアメリカも憲法により信教の自由を掲げているが、このようにその中身は大きく異なるものである。もちろん信教の自由を掲げるのであれば、アメリカがイスラム教徒に与える信教の自由が本物の信教の自由なのであり、これに従えば日本はオウム真理教の活動を取り締まることは決して出来ないはずなのである。 だから信教の自由を掲げたところで現実には単に様々な矛盾を抱えるだけであり、実質的には何らの意味もない。 このような当たり前の自由を一々掲げるからろくでもない事が起きるのです。 以上の理由より、日本国憲法二〇条 信教の自由は百害あって一利なし、憲法改正と同時に削除すべしと考えるがどうですか。
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むしろ逆で宗教弾圧みたいな過去があったから、 そういう法律が制定された。 あなたの理屈なら、「人を殺しちゃいけないなんて言うから、人殺しが起こる」ということで 殺人罪もなしにすべきだということになりますね。 人は人を殺す生き物であり、自分の思想を押し付けるバカな生き物なんです。 だから法律が必要になる。 自分の罪を法律のせいにするのは愚か者ですよ。
- bonnefuji
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自由を享受しながら、自分には利がないと特定の自由を否定するとは、、、質問者は、権利の濫用者と変わらんよ。 それぞれが大切にするものを、互いに大切にしようというには、自由主義社会の基礎だからね。 信教の自由がいやなら、質問者は、中国に住めば?
- bonnefuji
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信教の自由があたりまえでないことは、中国共産党がなにをやってきたかを調べればすぐわかりますね。 中国共産党は、気にくわない宗教の信者を虐殺し続けてますね。 唯物論も、証明できないという点では、宗教とかわらんのに。 国教の強制と実質同じことを、中国共産党はやっているわけ。
- kurinal
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だから、 人権侵害は、出来ません。 「信教の自由」を、認めない?誰が? utayomi_2011さんが、まず手始めに、 「即身成仏(餓死)」されて下さい。 それを「一利」と認めます。 話は、それからです。
- kurinal
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こんばんは。 >「信教の自由は百害あって一利なし、憲法改正と同時に削除すべしと考えるがどうですか。」 これ、ねえ、 ここに記録、、ま、ここに至っては。 >「信教の自由は百害あって一利なし」 へ? あのさあ。 まあ、歴史的に、
#15です。 >そもそもこの憲法ってのは日本人の精神から生まれた憲法ではありません。 それを言ったら、終りですよ。というのは、明治憲法だって日本人の精神から生まれた憲法ではないからだ。明治憲法の基本方針は、江戸の300年の長きにわたって疎外され続けた外様藩達が、たまたま明治維新で勝ってしまったので、外様大名の思いが、たっぷりと入った憲法だった。そして当時の日本は藩政がまだ実質的に有効だったので、本当の日本人などいなかった。いたのは長州人とか土佐人とかだけです。 そういう訳で日本は、本当に日本人の総意に基づいた憲法を持った試しはないと思います。しかし憲法とは一面で、そういうものですよ。長州人や土佐人が予想もしないような理念が語られているから、憲法としての価値がある。そこは理念を述べる場ですから。 >宗教国家アメリカから押し売りされた代物なんです。 >だからカルト用にカスタマイズされた代物なんです。 ここが最大にわからないところです。自分はどちらもそうでない、と思ってるから。押し売りはいいとしても、アメリカはなぜ宗教国家なのか?。宗教国家でないアメリカが(自分の意見ではそうです)、なぜカルト用にカスタマイズされた代物を押し付けるのか?。宗教国家でないなら、もともとカルト用にカスタマイズされた代物なんか、作らないだろうと思うからです(アメリカ自身にも迷惑だし)。 >日本的感覚からすれば憲法二〇条 信教の自由は皆が違和感を感じてるはずである。 誰も感じてないと思いますよ。当然の事だと。だから旧オウムは、そんな事には関わりなく、まさに空気を吸う自由として出てきた。彼らは(たぶん)、信教の自由があろうとなかろうと出てきた。日本人はあんまり、そんな事考えない。現在の日本人にとって信教の自由は、けっこうどうでも良い話だと思う。それでやって行けるから。 それは、あなたの言うように、日本人にとって信教の自由は、憲法に明記される事もない自明な事柄だからです。八百万の神ですからね。だから本当に旧オウムは、そんな事には関わりなく、まさに空気を吸う自由として出てきた。彼らは(たぶん)、信教の自由があろうとなかろうと出てきた。 知ってますか?。旧オウムは世界的に見ても、すごく特殊なテロ集団で殆ど日本でしか発生しえないものです。なぜなら彼らは理系集団なんですよ。 世に言うテロ集団は全部、極左思想の信望者か、特定宗教を標榜する人達です。これらの人達はみな、言ってしまえば文系です。戦闘技術は知ってるかもしれないが、兵器開発などは行えない。 その点で旧オウムは、サリンという兵器開発を行った。 従って旧オウムの出現は、憲法20条のせいでなく、日本の社会が生み出した結果だというのが、自分の意見です。
- nacci2014
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繰り返すけど あたま悪いね ちゃんと読んでるのかな? 創価学会が問題をおこしても布教活動を禁止にはしないよ もし布教活動に制限を設けるとしたら 創価学会が基本的人権を無視した行為をし、公共の福祉に反することをすれば 創価学会の法人格についても 取り消し処分を 受けるよ ただ創価学会の 教義や布教活動はあらたな法人を 作ったうえで 今後は基本的人権の尊重をしますと成約した上で 別組織として 布教活動を認めるよ わかりましたか? 信教の自由を主張するならば 基本的人権の尊重がなされていなければならないんですよ 信教の自由は 基本的人権の尊重がなされた時に 自由なのです 基本的人権とは 人間が生きる上での生存する権利や暴行を受けない権利や拉致や収監されたり奴隷扱いにされない権利のことを言う それらの権利を保証した上で 信教は自由なんです 基本的人権の尊重をしない団体は たとえそれが宗教団体であろうが 雑誌社であろうがマスコミであろうが企業であろうが憲法違反だから 取り締まられるんですよ オウム真理教は 基本的人権を無視した リンチやポアや 無差別殺人をしました。 このことは他人の殺傷であって 基本的人権を無視した行為です そのために 団体の法人格を 取り消されました。 信教の自由を束縛したのではなく 信教の自由を行使するために必要な基本的人権の尊守をしなかったことで団体の解散を命じられたのです ですから創価学会も基本的人権を害する活動をすれば同様に活動を停止させられます 宗教団体に限らずどんな団体、法人でも憲法違反なのだから取り締まりを受けます オウム真理教は 基本的人権の尊守をしなかったから団体を解散させられたのです
#9です。 >一つ考えてもらいたいこと。・・・中略・・・、宗教一般にとっては殆ど意味を成さないのである。 について。そうだと思いますよ。特に、 >個人が信仰活動を行うのに信教の自由を訴えなければならない状況なんて普通は有り得ないはずである。 >従って少なくとも今の日本では信教の自由は単にカルト宗教の道具にしかなっておらず、宗教一般にとっては殆ど意味を成さないのである。 は的確だと思います。 ただしあなたも認めているように、「日本では」です。それが「日本のインフラ」です。 そのような状況は、世界的にみて非常に稀な出来事です。BSなどでやっている、外国のニュースを少し見ただけで、日本の状況は望外のものであるのがわかるはずです。
- nacci2014
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あたま悪いね きみ (1)オウム真理教が解散させられたのは、憲法に規定のある 基本的人権の尊重 を逸脱した 無差別殺人を行ったことであって 基本的人権を尊重 していれば 法人格の取り下げはしない (2)信教の自由とは教義、教典、布教活動や宗教活動が基本的人権の尊重や公共の福祉に 反さない限りに おいて認められた自由なのであって 全てに自由なわけではない しかし、あたまの弱い人だね 自由権を主張する前に憲法の設立目的を理解したらどうだ 信教の自由はいらないとは書いて あるが 全文を読めば オウム真理教が 信教の自由を 国によって 非合法に奪われたのに比べて アメリカの同時多発テロではイスラム教徒における 犯行なのに イスラム教徒を弾圧しなかった 信教の自由とは こうあるべきで 日本には信教の 自由がないから こんなもの 憲法にうたう必要はないだろう と書いてある そこで日本が オウム真理教から法人格を奪ったいきさつは 基本的人権の尊重がなされなかったからで 信教の自由の束縛にはあたらない なぜなら、信教の自由は基本的人権の尊重がなされた時に認められた自由であるのだから 基本的人権の尊重がなされていない場合には 信教の自由を行使する権利がない 従ってもともと 自由がないものを自由を奪ったと する主張はできないわけで日本は オウム真理教の 信教の自由を束縛していない だからこそ後発のアレフに布教の許可をだしたのである 一方、アメリカはアルカイーダやタリバンがアメリカ国内にあれば、 これも基本的人権の尊重がなされていない団体として法人格の取り消しをするだろうが 事件の当事者が 国内にいないので処分ができなかっただけの話だし イスラム教徒がしでかしたと言ってもイスラム教徒にもいろんな周波が存在するので 一派をとりあげて全体の宗教活動を無効にする措置はとれない 言い換えれば 例えが悪いかも しれないが 創価学会が問題をおこした場合 創価学会の法人格が問題なのであって仏教徒が問題であるとはされないし、創価学会の布教活動や他の仏教団体の活動まで停止する権限を国は持たない その権限を国が持たないことを 信教の自由は これを保証すると憲法にうたって いるので この自由権の提示は必要なことである
お礼
>創価学会が問題をおこした場合 創価学会の法人格が問題なのであって仏教徒が問題であるとはされないし、創価学会の布教活動や他の仏教団体の活動まで停止する権限を国は持たない 創価学会が問題をおこしても、創価学会の布教活動を停止する権限を国は持たない。 国に創価学会の布教活動を停止する権限が無いんであれば、オウム真理教の布教活動を停止する権限も無いはずである。 で、なんで問題をおこしたオウム真理教は消えてなくなった。 オウム真理教はオウム真理教以外にはありませんよ。 とにかく言っておることのつじつまが合わん。 悪いが顔を洗って出直してきてくれ。
- nacci2014
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つけ加えて説明すれば、憲法に規定された自由権は 信教の自由だけでなく 思想、良心、表現、学問、職業選択の自由なども規定されているが かといって 憲法の本質であり制定目的である 基本的人権の尊重 がなされなければこの自由の行使は認められない 基本的人権の尊重をはからないのなら 思想、良心、表現、学問、職業選択の自由にも 制限はつき それを行使したものは処罰され それを行使した団体は法人資格を 失う これは憲法の大原則であって自由権よりも 重要な部分に 基本的人権の尊重が規定されて いるので なにびとも この基本的人権が尊重されない事案については行使することができない 表現の自由と いっても 基本的人権の 尊重に反する ことは許されない 思想や良心の自由といっても 基本的人権の尊重に反することは 許されない 殺人、暴行、拉致、監禁などの 基本的人権の尊重に反することは どんな団体、個人に対しても 処罰対象になる オウム真理教は 地下鉄サリン事件という無差別殺人を行使したのだから 基本的人権の尊重を逸脱した行為であり その団体の法人格を無効にされるのは当然のことであって、これを 自由権の侵害とはよばない なぜなら そもそも基本的人権の尊重に反することは自由を与えられていないので オウム真理教は 自由でないことをしたのであるからそもそも自由で ないのなら 自由権の侵害にはあたらない そのうえで 法人格は取り消されたが 教義や教典まで 否定されたわけではなく、後発団体のアレフが オウム真理教の 教義を引き継いでいながら布教活動を認められているので 信教の自由は 保護されており オウム真理教事件については 国の憲法違反は 認められない
お礼
>ただしあなたも認めているように、「日本では」です。それが「日本のインフラ」です。 そもそもこの憲法ってのは日本人の精神から生まれた憲法ではありません。 宗教国家アメリカから押し売りされた代物なんです。 だからカルト用にカスタマイズされた代物なんです。 日本的感覚からすれば憲法二〇条 信教の自由は皆が違和感を感じてるはずである。 日本は欲しくもないものを無理やり押し売りされただけなんです。 その結果、オウム真理教や創価学会みたいな化け物が出てきて信教の自由を声高に叫ぶようになってしまった。 ほんとに迷惑な話なんです。 >そのような状況は、世界的にみて非常に稀な出来事です。BSなどでやっている、外国のニュースを少し見ただけで、日本の状況は望外のものであるのがわかるはずです。 だから日本の憲法は日本人が日本のために作れば良いのであって、どこかの宗教国家に合わせて憲法を作る必要はないってことです。