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集団的自衛権で自民公明2党の掛合い漫才の行方は

WW-Aの回答

  • WW-A
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回答No.8

返信どうも。追加の質問に関連してまた回答してみます。 日本周辺で活動する米軍を自衛隊が守るのは、日本の個別的自衛権の行使であるとしたのは、 日本と米国の間には日米安保同盟が有り、米軍は日本の防衛に寄与する義務があります。日本近傍で活動する米軍は、日本防衛の任務を常に有するため、この米軍を守ることは日本防衛に直接的に寄与し、よって日本の側にとっての個別的自衛権の行使となります。 在日米軍は日本防衛軍の一つであり、それを守ることは日本の安全と国益に寄与します。日本の安全と国益を守る為の軍事行動は、「個別的自衛権」の行使です。 ましてや、米軍と自衛隊が共同軍事行動を展開している最中に米軍を自衛隊が守る行動は、個別的自衛権の行使そのものですね。(日本の国益と安全が守れます。) やれるかどうかは別にして、中国で日本人救出作戦を展開するのも個別的自衛権の行使です。 同時に外国人の救出を行うのも、それが人道目的ならば個別的自衛権の行使です。日本は国際社会に広く溶け込み、国際規範を守り、多くの友好国と良好な関係を保っています。平和国家日本としては国境を越えた広い枠組みでの平和活動が求められますが、国を超えた国際的立場においての協調的・人道的な軍事行動は「個別的自衛権」の行使となります。(と、私は考えてますね。異論は有るかもしれませんが) 分かり易く言えば、同じ家の中で生活を共にしている「家族」が暴漢に殴られていたら、その家族を助けるのは、集団的自衛権ではなく個別的自衛権の行使です。 そして、同じ家の中で生活を共にしている「親戚」が暴漢に殴られていた時に助けるのも個別的自衛権の行使。 更に、同じ家の中で生活を共にしている赤の他人が暴漢に殴られていたら助けるのも、個別的自衛権の行使です。 その際には、戸籍上の繋がりがどうのこうのなんてのは度外視して、同じ仲間だとして扱いますよね。そして、それらの人達を助ける主体が、同じ家の中で生活している家族・郎党一同です。家族・郎党一同がそろって、共同して暴漢に対抗するんですから。 防衛行動を取る側に多数の人間が参加しますが、その中には血の繋がりが無かったり、戸籍の繋がりが無かったりする人も混じっていますよね。家族・郎党がそろって防衛行動を仲間に対してとるのが個別的自衛権の行使です。 まぁ、そのあたりは「集団安全保障」がらみの問題でもあると思います。

kame100
質問者

お礼

 何度もお手数掛けます。 <やれるかどうかは別にして、中国で日本人救出作戦を展開するのも 個別的自衛権の行使です。>  中国に了解なくても人道的の口実で自国民とかを上海でも救出できる ? 個別的自衛権 ?  おかしくないですか。在外邦人の救出は口実になりかねません。 それであれば  中国が日本に住む中国人の救出作戦はどうなるのでしょう。   自衛権は領土領海に限るべきでないでしょうか。  

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