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人間は滅びますか?それとも永遠につながりますか?

QoooLの回答

  • QoooL
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回答No.25

長くてもお読みくださいましてありがとうございます。    映画 すばらしい新世界 Brave New World (原作) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C も私はオススメします。はるか先の未来では、人類が抱える悩みとは結局、    ウィルスの克服 などの理科的なことではなく、    精神のコントロールである という面において私は「そういうSFもあるのか」と楽しむ意義を覚えております(勉強じゃなくて、あくまでエンターテインメントとしてですよ!)。人間は何万年経っても うつ や 殺意 を自分ではコントロールできない、という示唆を感じます。 ちなみに食糧問題・人口爆発問題は、先進国の飽食と最貧国の飢餓・「人生の楽しみがゴム無しセックス中心」という問題を、同列に並べてはいけないと私は思います。「産みたくて産む、計画的に作る」というのとは全然別次元だと思うのです。パンがあるから子供を産む、は当てはまらない国が多過ぎます。 餓死の問題、先進国の搾取の問題、貧しいが故の少年兵士・幼児売買・少女人権無視の問題が、さらに深刻化して目を背けられない状態が必ず来るはずです。注目が今でも遅いくらいです。ブラジルの森林は次々となくなりますしね。 ■ >人間の本意に沿う未来になるでしょうか? この本意の部分が私には捉えにくいですね。今ですら、    人類が滅びて欲しくない と頭で心で危機に感じている人は少ないでしょう。世界終末時計のように、    このままじゃ滅びるからまずい と考えている人は多いですよ。でもいざ滅びようという日には、皆の本意というのは意外とばらばらだと思います。「死を覚悟」してる病人はたくさんいらっしゃるじゃないですか。自分の死を人類全体の死に置き換える心の余裕がある人はそう多くないと思います。 生き残る人が少しでもいればそれは滅んだと言えないということですか? 滅んだに等しいということですか? 私は、現代の理科の知識的に考えれば、ノアの方舟に100人しか乗れないというのは「遅かれ早かれ種として絶滅」していく運命だと思います。これが0一つ増えたところで同じところだと思いますよ。現にジャイアントパンダ等で頭数が数えられていて、「保護なしでは」ここから繁栄へと転じるのは難しい状態でしょう? 1000匹(頭、人)以下で、遺伝子的には絶滅の危機に瀕している種は、たくさんあります。その代わり、新しく生まれる種 もたくさんあるわけです。地球は生きているのですから。 ヨーロッパ王家が近親交配が多過ぎてどういう末路をたどったか、ご存知と思います。まだ「絶滅」はしていませんが。従来とは「違う血」を入れることで生き残りをかけたわけです。誰とは言いませんが日本にも似た家系はあると思いますよ。宇宙への旅、宇宙植民地(スペースコロニー)という閉鎖空間ならなおさらです。 だから、何を奇形と呼ぶかは社会の包容力の問題ですが、近親交配で「人間が人間以外のものに取って代わられる」 ことを「人間と呼べるものはいなくなった」と見なすか「人間は違う形で生き続けている」と見なすか、その定義によってこの命題の答えも変わってきます。 指が6本(以上)の人は、1000人に1人程度生まれる、と言われる。でも我々はあまり出会ったことがない。形成手術を受けさせるからですよ。なぜ手術するのでしょう? 1000人に1人というマイノリティは、「修正・矯正すべき」でしょうか? そんなこと言い出したらアイヌの方々のような(日本にはアイヌ以外にもたくさんの少数民族がいたのですよ!)マイノリティにとっても非常に生きづらい社会です。人間が「ここまで数が減ったら、少々の奇形(エラがあるなど)でも、それをニュー・タイプとして受け容れる」という包容力も必要です。王家でそういう実例がありますね・・・ 残酷な滅び、もわかりませんでした。繁栄を享受している我々から見たら絶滅は残酷な結末です。しかし、 徐々に先細りになって、「人口密度の少ない社会で、アーミッシュ(要 検索)のような素朴な生活」 を送っている子孫は、「最近流産することが多いなあ」 という不安は抱えても、「我々は人類の最後の2人だ」 という恐怖は覚えない と思います。むしろ 希望 の方が強くなるでしょう。 (アーミッシュを引き合いに出したのは、人口が1万人とか極端に今より少なくなると、資源を掘り出す人、電気を生み出す人、送電線のメンテナンスをする人、メンテナンスの技術を研究する人、コンピューターで過去の知識を検索できる人、ゴムの木を育てる人、ゴムからタイヤを作る人、金属を精錬する人、車を作る人などが、いなくなると思われるからです。) 映画のラストなどでよくありがちなように、「世界は一旦悲劇を迎えたが、生き残った2人(つがい)が希望となってこれからの未来を築いていく」 というシーンを連想します。 人間の本意に沿わない未来=文明社会を維持できないくらい人数になる=残酷な滅び とすれば、私は それは残酷とは限らない、と見ます。 >残酷な滅びとは 例えば核戦争で地球がそっくり汚染されて人がバタバタ死んで行くとか 残酷な滅びをそう定義し直すなら、確かにそれは悲惨ですね。戦争&汚染ですから。。。でもそうした状況ですら、生き残った2人(対)のように希望を抱き続ける人間は必ずいると思いますよ。    映画 実写版バトルシップYAMATO の冒頭のシーンでも、    地上の放射能汚染から逃れて地下に隠れた人類が、    最後の希望を求めて(遠くへ)旅立つ という様子が描かれています。 主に数多く 生き残るのは  ×ねずみ  ○ゴキブリ(を含む昆虫の大半)  ○昆虫を食べるクモ、その他変温動物  ○植物全般  ○菌類全般  ○微生物全般  ○クマムシ  ○深海魚 などでしょう。要は、被捕食者や分解者たちですね。恒温動物の大型捕食者たちがいなくなるわけですから。 クマムシについてはぜひ検索してみてください。結局人間は、進化の面で見ると あまり進化していない生物 だと思いますよ。種類が少ないことが何よりの証拠です。 ■ いつの時点であなたの遺伝子は絶えてしまうのか。 常識的には、子が子を産み、孫を産み、・・・と続く限り、あなたの子孫は繁栄するわけです。 しかし生物的にはそうとは限りません。    親   1    1代目 1/2    2代目 1/4    3代目 1/8    4代目 1/16    5代目 1/32    6代目 1/64    7代目 1/128 (1%以下) と薄まっていきます。これはなぜなら、「相手方、配偶者の遺伝子も入るから」です。    7代目には128+64+32+16+8+4+2人のご先祖がいる    (7代目に限れば128人) ということです。 あなたの遺伝子、は人類全体の遺伝子、に置き換わるのですよ。 >うちの子に限っては別です^^ >私が人間と呼んでいるのが 動物の種としての人間でないからです。 に対する答えですよ。あなたの遺伝子「だけに」注目すれば、あなたが亡くなった後にいずれ絶えてしまうと言っても良いです。だって、ヤマネコAの遺伝子がイエネコの遺伝子の中に何万分の1か流れていても、ヤマネコAの一族は死に絶えたと言って良いでしょう? ヤマネコAの子孫どうしが交配を繰り返して、ヤマネコAの純系を作ったのなら話は別ですよ?(農業でよく行われます) でもヤマネコや特定の人間の遺伝子を色濃く持った子孫というのは消え去る運命でしょう。 例えば、めかけが100人もいた王や摂政がいたでしょう? 藤原道なんとか、みたいな。で、彼は多数の子供を産ませていたはずです。でも、現代に藤原道なんとかの遺伝子を色濃く受け継いでいる人はいません。藤原道なんとかの一族は絶えてしまったのです。 藤原道なんとかの子孫が、「うちは純粋血統の本家だ!」 というのなら、ある程度正当性はありますよ。でも 128人のうちの残り127人の血も受け継いでいるわけです。 よく 世界史で○○人が▽▽人を滅ぼした、とか言うじゃないですか。あれも、全員殺されたという意味ではない はずですよ、たいていの場合。ごく一部の人は殺リクを逃れ、また攻められた国の女性たちは攻めた国の子たちを産みました。だから、▽▽人の遺伝子は残っています。▽▽語族・▽▽民族が滅んだ(▽▽語を話す人がいなくなった・▽▽の民俗習慣が伝承されなくなった)というだけのことです。 人類が滅ぶとき、というのも、徐々に血が薄まる場合があるでしょう。どこから「もはや人間とは呼べない」となるか、それは点ではないかも知れません。 ■ SFがいかに有効か、という馬鹿げた例なんですけどね。 過去にもさかのぼれるタイムマシ-ン を実現したら、 人類が滅びそうになったら過去に逃げる、ということを繰り返せば良い です。    過去にさかのぼるのは理論上不可能、と言う人は    SFというものをわかっていない と思いますよ。今の常識を覆すような、新しい発見 が前提なのです。そうじゃないとアバターもラピュタも楽しめません。 なぜこの話を持ち出したかというと、科学知識を得て将来を悲観するのでなく、科学知識を都合よく用いて将来に希望を見出す、という発想の転換を提案したいからです。 信じている限り、人類は滅びません。 (続く)

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