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人間は滅びますか?それとも永遠につながりますか?

QoooLの回答

  • QoooL
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回答No.24

こまめにお礼を書いていらっしゃるので、とても好感持てますね。 拙文ですが、これまでのご回答を読んだ上で私見を一つ。いくつかのセクションに分けて展開します。 ■ 私は哲学には全く知見がありませんが、私も人間ですから哲学する資格はあるのかなと存じます。 そもそも哲学は あーでもない こーでもない と以前の説を部分否定しながら自前の説を展開すること「そのもの」が楽しいのであって、 結論は出ないものである、というのが私の印象です。 結論が出てしまえば(議論参加者「全員」を納得させてしまえば)それから先は楽しさがなくなる(議論を続ける意味がなくなる)ので、「その議題はつまらなかった」という評価になってしまうかと・・・ つまり皆さんがおっしゃっていることはどれも正しいわけで、誰もそれが正しくないなんて証明ができないわけですよ。しりとりと一緒です。終わらせてしまった人が負けです。だから私も「あーでもない」に参加させていただきます。 この疑問の追求に意味がなくはないですね。私の目の前にいるリアルな子供、そしてその子供たちという観念としての子孫、それが「そう簡単には滅びない・全滅しない」 と願うのが、人間としての当たり前の感情です。私も同じ気持ちを抱いています。 ある意味永遠不変の命題なんじゃないですか。 どの時代背景があっても同じ疑問を抱くということは、科学の発展は直接は関係ないということです。 科学が未成熟だった頃には、科学のせいで人間の存在に脅威が及ぶと考えられたこともありました(魔女狩りもそうですね)。 科学が発展したら発展したで「我々は科学以外の理由で滅ぶかも知れない」とも悩むわけです。「世界全体が完全な平和を手に入れたら、人間の心は逆に狂ってしまうのではないか」とかね。 科学が全くない頃でさえ、人類全体のことを考える、という世界観はなかったとはいえ、自分たちが滅ぶということの恐怖感はずっと抱いていたでしょう。 とはいえ、科学に触れるが故に未来への不安が大きくなって行っているとも言えますよ。 山奥に引きこもって自給自足の農業生活をしている人は、「そんな難しいことはわからん」と、人類滅亡に関心を持たないかも知れません。 内戦に悩まされている国の人は、自分の命と家族のことを考えるのが精一杯で、人類滅亡に関心を持つどころではないでしょう。 科学にものすごく造詣の深い人は、こういう疑問はあまり長時間悩まないと思います。自分の科学の知識でこれまでなんとかしてきた。科学には不確実性はあるけれども右肩上がりであることは間違いない。人類の未来が右肩上がりかどうかは知らんけれども科学は「正しいことの積み重ね」だから「後退する」ことはあり得ない。従って100年後の未来の科学では無理かも知れないが、10000000年後の未来の科学なら、人類滅亡の危機にすら対処する力を身に着けているだろう、とね。もちろんこれは、人類以前に科学がクライシスを迎えることはない(文献が全て失われることはない)、という前提の上に成り立っていますが。 ところが先進国のほとんどの人は、ここまで科学に造詣があるわけでなく、いわば「中途半端な」知識に振り回される人々です、私を含めて。。。コラーゲンがお肌に良いのかウソなのか、とかね。平和で、科学の知識があるからこそ、家族ではなく人類全体、あるいはまだ見たことがない自分の子孫(100000代目の孫?)のことを考える余裕があるし、特にいろいろな科学知識がネガティブな予想も作り出すわけです。 ■ では、科学的な思考こそが、人類がいつか滅びる! という考えさせるから、この思考は無駄なのでしょうか。そうとは言っていません。 みんなが科学をもっともっと身に着ければ(要するに教育が豊かになって理系的思考の人が増えれば)、科学の全体レベルも上がるわけで、「科学にものすごく造詣の深い人」も増えていくわけです。そういう状況になれば「科学のおかげで我々は『人類絶滅』という恐怖をも乗り越えることができる」というわけです。 「科学のおかげで『人類絶滅』をも乗り越えることができる」ではないですよ。乗り越えるのはあくまでも恐怖です。 電気を人間がコントロールできるようになってまだ200年も経ちません。しかし電気のおかげで我々は、虫籠に入れたホタル、火事も起こしかねないローソクや、ガス燈に替わって、常夜灯を手に入れたわけです。そして暗闇という恐怖を克服しました。 暗闇という名の恐怖は、お化け、妖怪、もののけ、幽霊亡霊、悪魔、その他いろいろな名前で古今東西現れます。黒い悪魔も多いですね。太陽光の下ではっきり見える幽霊もあまり聞きません。普遍的な恐怖だ、ということですよ、夜中に一人でトイレに行くのが恐い、カーテンが揺れてびびった、等と同じことです。こうした「普遍的」なはずの恐怖さえも、我々先進国の人間は知識によって克服したのです。 従って、発電機登場以前と以後では、お化けの性質も大幅に様変わりしているはずです。ゾンビや貞子がわかりやすい例ですね。 お化けと隕石じゃ雲泥の差でしょうが、地球に隕石(小惑星)が衝突する、という恐怖ですら、いつかは克服できると思いますよ。探知・軌道計算は今よりずっと早く正確になりますし、 太陽系のかなり外寄り(地球に破片が飛んでこない範囲)に○○レーザー砲・○○爆弾という物を設置するか、 地球人全員がブラジルに集まってタイミング合わせて せーの、ドン! でジャンプして地球の軌道を変えるか、 今の科学ではあり得ないと思ってることでもいつかは実現できそうです。100人乗りの宇宙船100台もそうですね。まあ、船型の宇宙船大和が地上から大気圏離脱をするのは無理だと思いますが、それに近いことはいつか実現するでしょう。 >SF小説のようですが 哲学の話として書いています。 とおっしゃいますが、 >ブラックホールの中に特殊なストロー ということもご自分でおっしゃっているので、    この命題をサイエンス・フィクション的なアプローチで解く こともある程度許していただけるのかな、と思っております。 ■ SFは似非科学と表裏一体ですね。 人間はSFを楽しみ、SFがある意味科学を発展させてきました。鉄腕アトムを作りたい、ガンダムを作りたい、ドラえもんアラレちゃん・・・自律思考型ロボットと巨大メカを作りたいのは、人類(主に先進国の男性)の多くが共有できる夢です。そしてアシモが生まれ、リアルな軍事パワースーツを作ってしまう人も現れました。だから、SFは科学にとって「荒唐無稽」ではないです。むしろ、「科学の原動力」です。 理系の人・文系の人という言い方は私は嫌いですね。あるのは理系的思考(積み上げ論理的思考)と非理系的思考(直感的論理思考)、及び芸術でしょう。高校や大学やお仕事が文系の人でも、多かれ少なかれ理系的思考は必要なわけです。山を歩くまたぎみたいな人は別ですよ、直感的論理思考の方が大切です。 >半魚人?面白いですね 鯨と話すようになるかも これを、茶化しではなく本気でおっしゃることが必要です、茶化しではなかったですよね。 エラのある人間の話は既に映画ウォーターワールド(ケビン・コスナー)で示されています。    トータル・リコール    猿の惑星    X-MEN いずれも、人間が「少し違う形」になった時(突然変異を獲得した時)に差別なしに彼らを受け容れられるか、という点では、こうした映画を見る価値があります。    「人間が進化したらどうなるか」 それは未来の話じゃないのですよ。未来というフィクションを科学的に考えることで、同時に現代社会の問題点(マイノリティに対してのまだまだ大きい差別。日本でも在日の人たちの偏見を公言してはばからない人がまだいますね。)も見えてきます。 だからSFはサイエンスであると同時に「社会風刺」あり、哲学(人生論)でもあるわけです。 >もっとSF読んどけばよかった。 とお思いになるなら、今からでも全然遅くないでしょう。 科学抜きに「人類滅亡」の可能性を論じるのと、 科学を入り混ぜて論じるのでは、 だいぶ方向性が変わります。 人間への進化については    現在地球上にいる猿の子孫は将来人間になるのか    http://okwave.jp/qa/q8623504.html に私も回答を寄せておきました。 未来というフィクションを科学的に考えることで、同時に現代社会の問題点も見えてくる、 というのは、 「数千万後に人類はどういう理由で滅びるだろうか」と考えることで、同時に現代「我々がどの問題を早期に解決しないと滅びる危機に直面しかねないのか」という点も見えてくる、 とも言えるわけです。    地球温暖化    核兵器廃絶    食糧問題・人口爆発問題    ウィルスの克服 などが優先順位の高いところでしょう。    宇宙人の侵略 などは「考えるべき問題」としては優先順位の低いと思います。しかし前述の通り私はこの可能性も否定はいたしません。 (話を少しずつ変えて続く)

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