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「千賀浦」という名字のご先祖につきまして
岡山の美作エリアの津山藩士の分限帳をみていました。 藩士の中で「千賀浦」という名字を見つけました。正確な読み方すら判然としません。 わからなく、めずらしい名字の方であるため興味をもち、少し調べてようと試みました。 ネットで検索してみると、幕末の松平斉民の側室に「千賀浦氏」と書かれている以外、まったく手がかりがなく、今回質問させていただくことにしました。 気になったことに対しては意欲的になる性格のため、まったくわからない現状ではあきらめがつきません。 どうぞ、小さな内容でも結構です。教えていただけますようお願いいたします。
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- ithi
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oyogi さん、こんにちわ。 分限帳に名前が載っているなら、禄高や役職も出身もわかるかもしれません。もう少し詳細な記録を図書館で津山藩史か何かで拾ってみてください。ただ、名前の読み方は「ちかうらし」、「ちがうらし」のどちらかだと思いますが、判然としません。 側室のお話ですが、彼女は女の子を生んでいるようです。松平斉民は有名ですから必ず何か資料があるはずですので頑張ってください。 詳細は下記のURLを参照してください。 http://www.geocities.jp/operaseria_020318/hollyhock/warrior/tokugawa/matsudaira/echizen/tuyama.html
Wikipediaの塩釜港の説明の中に ○中世には千賀ノ浦と呼ばれ、鹽竈神社の門前町・港町として、また歌枕としても知られた。一方、仙台湾側には、現在の仙台港がある場所にかつて七北田川の河口および河口港の湊浜があり、千賀ノ浦と共に多賀城(多賀国府)の外港となっていた。 と記載されています。 一方美作津山藩の初代藩主の松平 宣富(まつだいら のぶとみ)は陸奥白河藩主松平直矩の三男でした。 これらの経緯を勘案しますと千賀浦氏は奥州の千賀ノ浦に所縁のある一族だったのではないのでしょうか。 松平 宣富に従って奥州から移り住んだのではないのでしょうか。 苗字として「ちがうら」とよませたのか「ちがのうら」と読ませたのかは分かりません。 千賀浦の苗字を持つ人物としては、相撲の年寄り名跡の一つである千賀ノ浦を名乗った初代が千賀浦門三郎という人だったそうです。 古い苗字を調べられる場合には、地名に由来する場合が多いので地名の古称などを手懸かりにされるのも一つの手法です。
- あずき なな(@azuki-7)
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2氏ある 「ちがうら」氏と「せんがうら」氏 どちらも「千賀浦」と表記するためあなたが発見した「千賀浦」氏が「ちがうら」か「せんがうら」のどちらの氏を指すのかは分かりません