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資本主義の中でニート以外に《自律》しうるか? 

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.9

 #6です。  まずこの二つ。 (私へのお礼の一部) >と言っても むしろ《何もしないたたかい》であるとも言って来ています。 (#7さんへの補足の最後) > ニートが知らず知らずの内に――あたかも社会の人びとの心の奥で願っているその内容を追い求めてのように―― 無為をえらび頑なにこれをまもっている。これは それとしてとうとび 見守って行ってもよいのではないだろうか。 >という質問趣旨です。どうでしょう。  いつだったか「あなたの意見は、私の言うところのネガ戦法だ」と言われて、その時は理解できなかったのですが、何となくわかった気がします。  再びヒッピーに戻りますが、バーガーによる「故郷喪失者達」には、ケーススタディーとして当時のヒッピー文化も扱われています。  アメリカでヒッピーが現れたのは、いつだったか?。ベトナム戦争への兵役拒否がきっかけだった。不況ではないが暗い時代だった。日本の新宿あたりにヒッピーが出没し出したのは、いつか?。オイルショックが直撃した頃だった。日本は、間違いなく不況だった。  そうなんだ、ヒッピーになる具体的理由なんて、良い処の子女を除けば「戦争したくない」とか「仕事がない」とかが現実の理由だ。そこで都合の良い理屈を募る訳だ。バーガーは、こう言っています(ただし私による意訳です)。 「ヒッピー文化は(大げさに言えば)、現行体制と正反対のものを標榜したので、現行体制の正確なネガとなった。そのために――あたかも社会の人びとの心の奥で願っているその内容を追い求めているかのような――行動に映る」 「しかしその動機,行動には一貫性がない。唯一の一貫性は現実を拒否する(逃避する)という一点においてのみである。従って彼らは、現行社会に寄生して生きる。彼らが何を言おうと、現行社会は覆らない。覆ったら、彼らは生存できないからだ」  で、ヒッピーの大部分は様々な助けもあって、社会復帰した。ネガからポジになった。様々な助けが出現したのは、彼らの努力というか、彼らが存在するという社会的圧力の賜物ではあった。生活全部がデモみたいなものだ。  復帰した彼らが改革者であったかと言うと、そうではない。ネガが正確だっただけに、ポジは正確に現状追認だった。彼らは普通にバリバリ働いて、普通の幸せを望んでいた。  でもですね、きっと・・・彼らは職場で所謂、「新人類」であり「ニュータイプ」であり「ゆとり世代」だったのだろうと思う。  ネガからポジになったからといって、全てが±0の雲散霧消ではない。団塊世代とその一世代後の私共に、ヒッピー思想は間違いなく刷り込まれたんですよ。ともに青年期と思春期という敏感な成長期を通じて。いま隣に一世紀前の典型的な日本人がいたら、自分は西洋かぶれの放蕩者に見えるのではなかろうか?。  当時のヒッピー文化は、当時の共産圏にはとどいていなかったはずだ。当時の共産圏は、それへの防衛にけっこう必死だった。その中で過ごしたのが、プーチン大統領だ。  色々な事情があるから一概には言えないが、今回のクリミア問題で、ウクライナ・クリミア・ロシアと、EU・アメリカの反応は対照的に見える。ウクライナ・クリミア・ロシアは、ヒッピー文化が到達しなかった東欧圏だった。  ※ ヒッピー文化も、しょせんはローカルなムーブメントだった訳だ。  ・・・でも(^^;)。世界は変わるかも知れない。ほんのちょっぴりだけれど・・・。  ニートが存在するという事自体が、現状に対するアンチテーゼになっているならば、これだけインターネットが普及した時代に、その感覚(感覚が大事です)が拡がらない訳がない。いま現在の思春期や青年期の若者に対して。  ・・・だから期待します。  でも、精神の力だけによって、世界(世間)が劇的に変わる事は、ほとんどない。  これも本当ですよね。なので、ちょっぴりを・・・(^^;)。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  バーガーは 県の図書館になかったんですよ。購入するまでに到らなかった。いまのところ。・・・  ★ 新人類  ☆ が現われたときには わたしは たいへんおどろきました。  とにかく あいさつをしない。おしだまっている。それでいて 話をするときには ふつうに話す。仕事となれば ふつうにまともである。――ぶったまげました。  ★ ヒッピー  ☆ は――新人類には数人に会っただけですが―― 情況じたいとしても同時代を生きたわけですが どういうわけか ピンと来ていません。ヤッピーとかもあったようななかったような感じですが ジーンズを履くのは 何となくいいなぁと思ったものですが ヒッピーは 何だかわかりません。  日本でも流行ったような・いや 何でもなかったと言うべきような。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~   で、ヒッピーの大部分は様々な助けもあって、社会復帰した。ネガからポジになった。様々な助けが出現したのは、彼らの努力というか、彼らが存在するという社会的圧力の賜物ではあった。生活全部がデモみたいなものだ。  復帰した彼らが改革者であったかと言うと、そうではない。ネガが正確だっただけに、ポジは正確に現状追認だった。彼らは普通にバリバリ働いて、普通の幸せを望んでいた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このあと  ★  でもですね、きっと・・・彼らは職場で所謂、「新人類」であり「ニュータイプ」であり「ゆとり世代」だったのだろうと思う。  ☆ というふうに来るのですか。つまり ヒッピーがすでにいなくなった時のあたらしい人間像と 重なり合うところがあるということですよね。  中で 《ニュータイプ》は 知りませんでした。  ▲ (ヰキぺ:ニュータイプ) ~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97  ニュータイプ (Newtype) は、「ガンダムシリーズ」に登場する架空の概念である。  新しい人類とされる人達を指すが、もともとの概念が曖昧だった事に加え、作品が進むにつれて言葉の意味する事象が広がりすぎたため、はっきりとした定義は困難である。物語中では、ニュータイプとされる人々は特異な能力を持った人物として描かれる事が多い。ニュータイプに対する従来の人類はオールドタイプ (Oldtype) と呼ばれ、やや軽蔑の意味合いを込めて使われるケースも多い。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 何だか 遅れている感じ。我れながら。  ★ でも、精神の力だけによって、世界(世間)が劇的に変わる事は、ほとんどない。  ☆ 聖書を引いて来たので 《精神》と言っているのですよね。  非思考の庭は 精神――つまりは 思考の緑野――を超えていますよ。  経験事象にちなんで言えば ヒラメキにかかわっています。    現行の為政者にしたところで あたらしいヒラメキが みづからの内に起きるのを見い出すことがあるかも知れない。その真実のチカラには 抵抗も対抗もできはしない。踊る阿呆に見る阿呆・・・と言うかどうか分かりませんが やがていい気分になって踊り出すと思いますよ。よしよしと言ってやれば 済みです。    ★  ニートが存在するという事自体が、現状に対するアンチテーゼになっているならば、これだけインターネットが普及した時代に、その感覚(感覚が大事です)が拡がらない訳がない。いま現在の思春期や青年期の若者に対して。  ☆ ええ。たしかに。マルタとマリアの姉妹の話などを交えて ほんとちょっぴりは 見方を変えてみなければならないかも分かりません あたらしい感覚を得るには。  ウクライナは こう言っても何にもならないのだけれど かわいそうですね。変な籤を引いたみたい。

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