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資本主義の中でニート以外に《自律》しうるか? 

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.6

 感想(間奏?)です。  自分も#5さんの、 >でもそんなニートってどれくらいいるんですかね。 には賛成なんですが、ヒッピーっておぼえていませんか?。今から50年以上前に、彼らはいたはずです。当時の自分は餓鬼だったので、彼らには嫌悪感しか持ちませんでしたが、思春期の妄想としては「世界は変わるかもしれない」という感情もあった。  ヒッピーの全盛期には良い処の子女がヒッピーに出家(?)するのが流行りだった。今風に言えば、自立したニートかも知れない。  彼らの言い分では、あえて働かないという反社会性こそが、資本主義への拒否アピールであり、社会的行動だった。便利な言い訳だよなと、思うと同時に、けっこう本気だったのではないか、という印象も持っている。  このような行為は、私生活や庶民文化のカジュアル化(非フォーマル化)という世界的な流行にも暗に陽に連携し、その代表選手は、ビートルズやローリング・ストーンズやモータウンレコード,カーペンターズなどだった(映像のない時代だった!(^^;))。  それでみんなウッドストックで盛大な夢を見た。音楽が世界を変える、・・・と。  しかし変わらなかった。思春期の敏感さを残しつつ、理屈っぽくもなり始めた二十歳の頃に(←良い響きだ(^^))、1970年代から80年代へ向けて、時代の雰囲気は劇的に変化した。  Japan as Nor.1・・・だ!。ヒッピーやってるのはバカだ!。暗くて汚くてポリシーのある奴なんていらない。四畳半フォーク?・・・やめてくれ、心が腐る・・・。・・・などなど。しかし、その時代も凋落した。  ・・・でも(^^;)。世界は変わったんですよ、ほんのちょっぴりだけれど、ヒッピー達が目指した世界へ。  今の自分たちの私生活や文化や各国政府の昨今の行動やEUの成立なんかを、50年前や100年前の時代状況と比較すると、なんとなく「そうかもしれないなぁ~」と、自分は思います。  ニートについては現状では、ネガではなくネガネガ過ぎる。彼らがヒッピーのようになり、ニート文化をもって世に出るかは、私にはわからない。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★  ニートについては現状では、ネガではなくネガネガ過ぎる。彼らがヒッピーのようになり、ニート文化をもって世に出るかは、私にはわからない。  ☆ ニートを出したことについて 何とか辻褄を合わさなければならない羽目に落ち入ってしまいました。  ★ ネガではなくネガネガ過ぎる。  ☆ ん? ネガネガなら ポジ? でもないんですね。しつこく根っからのネガといった意味でしょうか。  ★ 彼らがヒッピーのようになり、ニート文化をもって世に出るかは、私にはわからない。  ☆ ニートらの姿が 資本主義をこばむかたちとしてネガからポジになるときには われらが地球は 未来社会を生きているであろうと これまで言って来た手前 なんとか説明責任を果たさねばらない。・・・  と言っても むしろ《何もしないたたかい》であるとも言って来ています。  つまりは 端折った言い方になりますが いづれの時にか われらがお二階さんたちが その二階なる高台において いつしか踊り出すであろうという天気予報です。そのとき どんでん返しが始まるのだと。  つまりは――いま現在の結論ですが―― ニートらは・そしてわれわれも 別に何もしなくてもよい。ニートはニートとして 生活して行けばよい。  つまりは お二階さんたちには すでにご自分たちの腹の中に・あたまの中に 自分たちが唱えて実行して来たアンチ・テーゼが作用している。人間性に対するアンチテーゼがです。アマアガリして二階からながめて暮らすというかれらの夢です。したがって この反措定に対して 自分自身が あらたな反措定をおこない始める。つまり 踊り出す。  という予測としての方程式です。  《ニート文化》などというカザリをつける必要はない。こう言ってよいと考えます。  No.5のあるふぁXXXさんは おもしろい議論をなさっていますよ。ニートが なるほど自律的な社会的行動をおこなっているかも知れないという見方をも ふくみ持っておられるようです。――これだけで 質問者としては満足です。といった質問だったんです。  要するにつまりは ビートルズも何も 何らうったえることがなくてもよい。ニートが世に現われた。これだけで じゅうぶんだという展望なんですが。・・・

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