• ベストアンサー

資本主義の中でニート以外に《自律》しうるか? 

urigadai2013の回答

回答No.3

資本主義の外、例えば無人島で自給自足で生きるのならともかく、資本主義の中で生きる以上、消費だけして生産しないということはあり得ず、ニートでも自己の生命を再生産している以上、他人が生産した商品を消費する一方で、みずから働いて生産過程に入るか、それとも他人に寄生して生きるほかはなく、それを「自律」とは言わないと思います。 いいかえると絶対的な「自律」というのは、人が社会に生きる以上はあり得ず、相対的な概念にすぎません。 ドゥルーズの「ノマド(遊牧民)」というのは、日本でいえばバブルの時代、社会が好景気にわいて余裕があった時代には可能だったかもしれないけど、今の日本のように衰退に向かっていて、社会に余裕がない時代には、あり得ない話です。 もう一度言えば、「自律」というのは資本主義の外に求めるべきものではなく、資本主義の中で各人がその才能によって相対的に実現すべきもので、いわば関係概念です。 仕事の喜びとか、生きがいのために資本主義が存在しているわけではなく、資本主義はそれ自体で、その論理で動いているので、資本主義の中で生きている人間は自己の生命を維持するためには否応なくそこで働かざるを得ないものです。 「自律」したかったら、資本主義の論理の中で実現するしかなく、資本主義の外に求めても、それは逃亡か寄生以外の何ものでもありません。 もし、「自律」したかったら、僧侶にでもなって、食料を托鉢で調達して生きてゆくよりない。 それとも無人島で、ただ一人生きてゆくよりない。 それができなかったら、平凡な会社員になって、日々、チンタラチンタラ生きてゆくよりない。

bragelonne
質問者

お礼

 まづ  ★ いいかえると絶対的な「自律」というのは、人が社会に生きる以上はあり得ず、相対的な概念にすぎません。  ☆ とおっしゃるとおりで この認識が基礎であり もっと言えば この理解が行き届くなら この質問の役目は果たせた。とまで考えております。  ご回答をありがとうございます。  なぜそうかと言えば みづから〔の身と心(≒知力かな)〕を商品とせざるを得ないかたちででも経済的に自立――自立――するというのなら ともかくですが そうではなくみづからを何らかの規範やまたはおのれの意志そのものによって律するという生き方なんてあるのか? という・そもそものうたがいから 発しているからです。  自分で歯をみがくことと目がさめるまで眠っていることくらいではないかと思います 自律行動というのは。  さて 細かく読んでまいります。  ★ 仕事の喜びとか、生きがいのために資本主義が存在しているわけではなく、資本主義はそれ自体で、その論理で動いているので、資本主義の中で生きている人間は自己の生命を維持するためには否応なくそこで働かざるを得ないものです。  ☆ 自分という資本で一からたたき上げた初期のころには そのような仕事の自由とそれの享受は 《仕事のよろこびや生きがい》となっていたかも知れません。  そのあとは 資本じたいの増殖 それもただもう論理だけの自己増殖に 人間のほうが寄り添って行き 身分制なる支配のくびきを取り払おうとした自由人も もはやミイラ取りがミイラになったかにさえ思われます。  ひょっとしたら そのような増殖論理を 裏からも表からもプラスだけではなくマイナスつまり機会費用をも考慮に入れて 完璧に追求した場合に そのひとは 完全に自律した行動を取っていると 自分では 思うかも分かりませんが。  ★ もし、「自律」したかったら、僧侶にでもなって、食料を托鉢で調達して生きてゆくよりない。  ☆ ですから これは ニートがあんがい実現しているかも知れない。と思ったわけです。  

関連するQ&A

  • ニートや引きこもりに対する批判とその合理性について

    最近はよくニート、引きこもりが叩かれますが、 その叩いてる内容が理解し難いのです。 例えば、勤労や納税の義務。 勤労の義務は、職に就きたい人に対し、国が適切な支援を行う義務、という意味です。 納税の義務、これはまず、消費税は払っていますし、所得が無ければ所得税を払う義務は無い。 働いていたら払わなければならないという意味です。 そもそも、憲法とは国民が国に守らせるものであって、 国民が守るべきものじゃない。 義務を果たさない人間には権利も与えるなと言いますが、 現に生活保護は、働く意欲が無いと見られる人にはくれませんし、 国民年金を支払ってない人にもくれないと聞いた事があります。 これ自体が一応生存権に反しているのですが、 ニートを批判している人は大抵生活保護も批判している場合が多く、 都合よく憲法を盾にしている印象があります。 結局の所、「みんなやってることをやらないのはずるい、許せない」という思考なのでしょうか? これって、合理的とは言えないですよね。単なる「現状に不満だから、更に下を作って悦に入る」ことではないでしょうか。 憲法の解釈方法からして間違っているのに、それを隠れ蓑にするのはやめてもらいたい。 それと、よく見るのが「自己責任」「甘え」「怠け」論です。 人それぞれ理由は異なるので、一概には言えませんが、 そんな自己責任論を主張しても、ニートや引きこもりの人は「じゃあ働くか」とはならないのです。 彼らは批判されたら、それを受けないように努力する事ができず、 そのまま受け止めてしまったり、開き直ってしまうのです。 例えば、「そうだ、自分は甘えている、怠けている社会の屑だ」と強く思い込み、 更に自信を無くしてしまい、社会に出る事に対する恐怖感が強まったりする事が十分あり得ます。 これでは完全に逆効果ではないでしょうか。 まず、ニートの80%は、現状を後ろめたく思い、出来るなら働きたいが、何らかの要因によって働けない人たちだと言われています。 引きこもりの中でも、そんな人はいます。 働く気力自体が無い人は10年前から数が平行線であるのに対し、 働きたいが働けない、という人は年々増えており、昔の1.5倍に達したと言われています。 そんな人たちが増える背景には、失敗・迷惑を認めない社会、 劣悪な労働環境、それを当たり前だと捉える風潮が大きいのでは?と思います。 ニートを働かせたいなら、先に社会の「異常」を批判すべきだと思います。 この社会の異常が薄れない限り、それに適応出来なかった人たちは働けないままでしょう。 残りの20%は、もはや法則のようなもの。 働かない働き蟻が20%存在するように、人間の中でも一定数、 働く意味、価値自体が理解できない人たちも生まれてきます。 その人たちに対してはいくら公的な支援しても無駄でしょうし、 「働け!」と批判した所で、働くメリットが全く見つからず、動かないでしょう。 その人たちも何とかしたいなら、カウンセリングサービスの充実など、 個人個人の状態に合わせた処置を取らねばならないでしょう。 「そんな事してられるか!」と言われればそれまでですが、 社会復帰させる合理的かつ人道的な方法を考えようともせず、自分の不平不満をぶちまける為に、 ニートや引きこもりといった社会的な弱者を批判、いや、非難するのはやめてもらいたい。 どう思われますか?

  • ニートを退治する方法を教えてください

    日本にニートは必要ありません。 憲法は3大義務のひとつに「勤労」が入っていることからも明らかです。 どうすれば日本からニートを駆逐できるのでしょうか? 教育の力でしょうか? 最近の小学校では、働かないものは人間のクズだと 教えないのでしょうか?

  • ニートが「生きてるだけで素晴らしい」と言っても説得

    ニートが「生きてるだけで素晴らしい」と言っても説得力はないですか? 働いている人が「生きているだけで素晴らしい」と言うのと、ニートや引きこもりが同じような言葉を使うのでは、その意味が違ってくるのかもしれません。 無論、社会への利益だけが人間の価値の全てではないですが、こういう言葉はちゃんと義務と責任を全うしている人が言ってこそ説得力があるのでしょうか? 「生きてるだけで素晴らしい」「生きてるだけで丸儲け」といった言葉は、誰にでも当てはまるものではないのでしょうか。

  • 《〈自律〉教》に意味はあるか?

     資本主義社会に 社会行為として 自律的な行動はあるか?  あたかも満員電車で急停止するとき皆が片寄り 中にはたおれることもあるというかのように 人びとは 他律的に・または《社会律的・相互他律的》に 行動せざるを得ないと考えられる。  ただし その仕組みの中では 何を職業とするかは 自由である。また 他者との交通において 経済価値の問題としては 等価交換である。  理論上は 民主制が敷かれており 共同自治のための資金供与(つまり税金)にしても 社会の経営を任せているお二階さんたちが決めるのではなく 市民のわれわれが決めていることになっている。  この社会の中で自律を説くことに 意義があるのか? という問いですが さらに一歩そこから進み入ってみたい。  まづ 一般にどの時代どの社会にあっても 生活の糧をかせぐという意味で・ということは 社会律に従属しつつもという意味で経済的に《自立》するということは ありうる。と確認した上でですが:    いったい人間は 社会行動として《自律》して生きるということが出来るか? つまり資本主義社会であるか否かに関係なくという問いにすすみたい。  せいぜい歯磨きと目が覚めるまで眠っていることくらいではないだろうか? それが 自律的行動だというのならば。  資本主義のもとでは 《社会律》にしたがい《相互他律》だと言ったけれど 一般に人間社会にあっては もし自律がありうるのならば それは 《相互自律を目指すこと》であり 《自律共同にむかって互いに歩み寄ること》でしかないのではないか?  《自律》を説くことに 意義はあるか? これを問います。

  • ニートの方を批判し続けることについて

    こんにちは。 私は、心理学を勉強しています。 最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです。 社会のクズ、お荷物……なんていわれているのを見ると悲しくなります。 私は学校でニートについて勉強してみましたが 「親のスネを齧っていればいいから」という理由だけでニートになった人は、殆どいない様です。 社会に見放されて、人間関係がうまくいかなくて。 どちらかというと恐怖がある様に思います。 また、鬱などになっている人が多い様に思えるんです。 近代では、特に勤勉を良しとする日本人は、鬱の患者さんを貶し続けてきました。 最近では、少しずつ理解がありますが、未だに只の怠けや根性がない人間だと思われているところもあります。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。 「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」という意見もありますが、本当にそれは有効なのでしょうか。 必死に助けを呼んでいる人間を崖に突き落とす行為に思えます。(例えば最初から力のある虎を崖に落とせばあがってこられる子供も多いでしょうけれど、ネコを落としたら、あがってくる子供は少ないはずです) 家族に見捨てられ、なお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。 「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。

  • 憲法27条 勤労の権利について

    第27条〔勤労の権利・義務〕 1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 3 児童は、これを酷使してはならない。 とありますが、 国民に対してこの権利義務が発生するのはいつからですか。 社会人になって自活できるようになってから?

  • ニートには働かずにずっと部屋でゲームしていて欲しい

    内容 赤の他人のニートに働け!って連呼してる人は何故そんなにニートに働いて欲しいんですか?困るのはニートがいる家庭だけなんだから放置で良くないですか? 実際そのニートが働きに出て、万が一自分の会社に来たらめちゃ邪魔ですよ 「こちらがきちんと仕事を教えても数ヶ月も持たないかもしれない」、「会話すらせず職場に馴染む努力すらしようとしないかもしれない。」 こういうリスクがあるんだから、元ニートなんて一緒に働きたくないでしょ? 大学卒業して普通に就職しようとしてる人なんて他にいくらでもいるんだから、わざわざ傷物はいらん。 仕事がちゃんと出来る人なら、とかきちんと話が出来る人なら元ニートでもいいって言っても、そんなニート滅多にいないよね。そんなこと出来るならニートになってないし。 そのニート個人のためを思えば働いた方がいいんじゃないかとは思いますし、ニートがいる家庭は金が大いにかかる生き物飼ってて大変だなあと思いますが、 かと言ってそんなニートが自分の職場に来たらそれは嫌ですし、そのような人達が働きに出て通勤電車とかが更に混むのも嫌です。だから私はニートに働いて欲しくはありません。 ニートは親が養えばいいだろと思います。下手に働かれる方が迷惑ですから。家庭内で問題が収まってるんだからそれで良いじゃん。 質問ですが 1 ニートに「働けよ!」って言ってる人は何故ニートに働いて欲しいんですか? 2日々の鬱憤晴らしに叩きやすいニートに働けと言ってるだけじゃないんですか?自分が苦しい思いを耐えて働いているのにニートが毎日ラクそうなのはムカつきますか?画像の低学歴のアホのようにニートと殺人犯を同一視してでも叩きたいですか? 3ほぼ確実に仕事が出来ず、会社に馴染む努力もしないような元ニートと働きたいですか? 4 ニートには家庭で面倒見て貰って、それが無理なら家庭内で何とかしてもらうのが一番良くないですか?社会に出ようとするのは迷惑でしょ? 5日本国憲法27条1項で勤労の義務があるからニートはダメって言ってる人は憲法というものをキチンと理解してますか?憲法とは国民が国家権力を制限するための法であって、個人への法的拘束力は無いですよ

  • ニートやひきこもりの人は死んでよいのではないか?

    以前にも同様の質問をしたのですが、そのときはご回答にお礼や返事ができませんでした。 今度はちゃんとお礼や返事をしたいので、すみませんが、もう一度お願いします。 今、日本は未曾有の危機です。 国家財政は切迫しています。 東日本大震災の被災者は、高齢の方ですら働いている。あるいは働こうとしています。 そして今後、長期間にわたって、日本の景気は回復しないという予測があります。 そのような大変な時に、働ける能力があるのに働かない、ニート・ひきこもり・ホームレスは他人のためになんの役にもたっていません。 ○○年金や生活保護という公的資金を食いつぶす、悪です。 社会のお荷物です。 そういう人たちは、人間として恥ずかしくないのでしょうか? 例えば、今までアルバイト程度であっても長年やってきてホームレスになってしまった人は、年金の掛け金や所得税という税金を払っていたわけですから、働けないときに公的資金を使ってもよいと思います。 しかし、今までに働いたこともない。職歴も資格もなくて、今後も働ける見込みのないニートやひきこもりの人は、自殺すべきだと思います。 親や兄弟が「何もしなくても生きていてほしい」と思ってくれているならともかく、親兄弟にまで見放されているような人たちは、早く死んだほうが世の中のためではないでしょうか? ニートやひきこもりで生活保護を受けている人は、普通の人よりもかなり多い回数、病院にかかっているという調査結果もあります。つまり、受診・通院する必要のない人までが、受診・通院しているのです。 医療費の無駄使いです。 ニートやひきこもりの人は、自分が公的資金を食いつぶすという、「迷惑」をかけていることもわからないのでしょうか? わたしは、「生存権がある」とか、「憲法で最低限の生活が認められている」とか、法律上の議論がしたいわけではありません。 法律上は、ニートやひきこもりの人に、自殺を促すことはできません。 しかし、ニートやひきこもりの人が、自発的に自殺するのは問題ありません。 「ニートやひきこもりのために消費されている公費は、国の予算全体の中では少ないから」、などと言うのは、ニートの甘えです。 少しでも予算を使わないことが、今の日本に必要なのです。 質問は、次の3点です。 1、ニートやひきこもり、一部のホームレスの人は、社会に迷惑をかけていて、人間として恥ずかしくないのか? 自分で甘ったれているとは思わないのか? 2、ニートやひきこもりは、死のうとはしないのか?  (自殺を試みたが死にきれなかった、なんてのはダメですね。手段が甘いだけです) 3、ニートやひきこもりの人は死んだ方が社会のため(みんなのため)である、という考え方はおかしいか? 「お前の意見は極端すぎる」などのお叱りでもかまいません。 正業についている方はもちろん、ニートやひきこもりの方からも多くのご意見をうかがいたいです。 ただ、感情的な感想ではなく、冷静な理詰めなご意見・ご感想をいただきたいです。 よろしくお願いします。

  • ニートやひきこもりの人は死んでよいのではないか?

    今、日本は未曾有の危機です。 国家財政は切迫しています。 東日本大震災の被災者は、高齢の方ですら働いている。あるいは働こうとしています。 そして今後、長期間にわたって、日本の景気は回復しないという予測があります。 そのような大変な時に、働ける能力があるのに働かない、ニート・ひきこもり・ホームレスは他人のためになんの役にもたっていません。 ○○年金や生活保護という公的資金を食いつぶす、悪です。 社会のお荷物です。 そういう人たちは、人間として恥ずかしくないのでしょうか? 例えば、今までアルバイト程度であっても長年やってきてホームレスになってしまった人は、年金の掛け金や所得税という税金を払っていたわけですから、働けないときに公的資金を使ってもよいと思います。 しかし、今までに働いたこともない。職歴も資格もなくて、今後も働ける見込みのないニートやひきこもりの人は、自殺すべきだと思います。 せいぜい、親や兄弟が「何もしなくても生きていてほしい」と思ってくれているならともかく、親兄弟にまで見放されているような人たちは、早く死んだほうが世の中のためではないでしょうか? ニートやひきこもりで生活保護を受けている人は、普通の人よりもかなり多い回数、病院にかかっているという調査結果もあります。つまり、受診・通院する必要のない人までが、受診・通院しているのです。 医療費の無駄使いです。 ニートやひきこもりの人は、自分が公的資金を食いつぶすという、「迷惑」をかけていることもわからないのでしょうか? わたしは、「生存権がある」とか、「憲法で最低限の生活が認められている」とか、法律上の議論がしたいわけではありません。 法律上は、ニートやひきこもりの人に、自殺を促すことはできません。 しかし、ニートやひきこもりの人が、自発的に自殺するのは問題ありません。 「ニートやひきこもりのために消費されている公費は、国の予算全体の中では少ないから」、などと言うのは、ニートの甘えです。 少しでも予算を使わないことが、今の日本に必要なのです。 質問は、次の3点です。 1、ニートやひきこもり、一部のホームレスの人は、社会に迷惑をかけていて、人間として恥ずかしくないのか? 自分で甘ったれているとは思わないのか? 2、ニートやひきこもりは、死のうとはしないのか?  (自殺を試みたが死にきれなかった、なんてのはダメですね。手段が甘いだけです) 3、ニートやひきこもりの人は死んだ方が社会のため(みんなのため)である、という考え方はおかしいか? 「お前の意見は極端すぎる」などのお叱りでもかまいません。 正業についている方はもちろん、ニートやひきこもりの方からも多くのご意見をうかがいたいです。 よろしくお願いします。

  • 国民三大義務を果たしていれば。

    国民三大義務、『教育』『勤労』『納税』を果たしていれば、社会の底辺人間で生きていても良いですか?