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神って一人ですか?

島崎 信也(@zakky74)の回答

回答No.16

・最初は皆同じところ(キリスト教でいうとイエスキリスト)から始まったはずなのに最終的にはバラバラになりました。 と仰られていますが、僕はこれが逆だと想っています。 人間は、あらゆる行動をするし、色んな言葉を使ったり、表情も多彩ですよね。そして、そんな表情・言葉・行動を生み出す様にさせている内面的な思考だとか感情、それからイメージとか諸々がありますけども。 元々が1つだったのではなく、 元々はバラバラだったんですよ。 人類歴史は500万年くらいだとした時に。 数千年って、ちょっとした時間です。 500万年間もの間、ずっと繰り返し続けている課題の前では。 それは、判断基準の問題です。 人間だったら誰もが皆もっている判断基準。 判断基準は、誰もがみんな持っているんですが、この判断基準は1人ひとり違っていて、全部がバラバラで違うんですよね。それで、判断基準が違うので人と交流するときには意思疎通は計れないので摩擦や衝突が起きる様になりますし、だからといって、無理やり1つにさせてしまったら更に酷い問題が起きます。人間として生まれてきた意味や価値が失われ機械的な生き方、ロボット的な生き方を強制されてしまうから。 だから、判断基準が違うなら摩擦衝突が起きるし、判断基準が同じなら歴史的にも酷い事が起きてますし、そんな中で更に追い討ちをかけるのが完全な判断基準なんてものはないってことなんですよね。にも関わらず、無意識では自分の判断基準は絶対!って想って固く握り締めて手放しません。 この様な判断基準を持った人たちが出会ったとき、人と人との交流は基本的に成り立ちませんし、共有することも共感することも出来ず、意思疎通は図れず、協力体制を築くことは至難の業です。 至難。 しかし、昔々は人間を前にして動物というのは圧倒的な存在でしたし、自然からの猛威というのも驚異的ですよね。人間が1人で何とかして自分だけの判断基準で立ち向かうのなんて到底出来ません。 人は、協力して団結して、自然や動物と向き合ってきました。 その協力や団結を阻むもの、、、判断基準。 協力や団結して、大きな力を生み出すためには、共通認識がとても大事。そんな共通認識として色んな諸々があったんでしょうけども、その中で1番ウケの良かった共通認識、、、それによって人間は協力も団結も出来た訳です。それがkanareonさんが仰る「最初は皆同じところ」に当たりますが、長い人類歴史を省みますと、ずっと苦労してきた共通認識づくりに初めて成功したっ!と言える時だったんですね。 「最初は皆同じところ」ではなく、 最初はバラバラ・・・ そして共通認識づくりに苦労し続けた・・・ 歴史的に、それまでよりは遥かに高い共通認識作りに成功した・・・ (kanareonさんが言うところの「最初は皆同じところ」) 実は、それは部分的な成功、局所的な成功で、判断基準の問題性はまだイキイキとしていた・・・ (kanareonさんが言うところの「最終的にはバラバラになりました」) だから、 「人間はみなそれぞれの人生の中で培った考え方感じ方等があるわけですから、神を信じる人数分だけ神が存在すると考えてもおかしくはないのではないでしょうか?」 となりますが、実は人類が誕生してから500万年もの間、ずっと繰り返し続けていて未だに突破していない深遠な問題が判断基準の問題です。人間が持つ宿命的な課題です。 その意味で、 kanareonさんの仰る様に神は一人です。 そして、 地球も人数分存在します。 宇宙も人数分存在します。

kanareon
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 神という絶対的な判断基準をつくることによって団結できたが結局のところまだ絶対的なものを見つけられず迷走してるということですね。なるほど。 500万年もの間突破できない壁を越えれる日なんてくるのでしょうか。

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