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私は死刑を反対します。

yamato1208の回答

  • yamato1208
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回答No.8

死刑反対論者は、色々と美辞麗句や自己満足の論評を繰り広げていますね・・・ その様な事が言えるのは、被害者遺族の経験がない、被害者の「人権」を考えたことがないからでしょう。 あのイギリス人女性の被害者「リンゼーイン・ホーカーさん」の父親も実は、強硬な死刑反対運動家でしたが、自分の愛娘が殺人の被害者となり、遺族と言う立場になったとき犯人の「死刑」を強く望んだのです。 私は大切な友人を、「強盗殺人」の被害で亡くしています。 犯行理由は、「遊ぶ金が欲しかった」というもので、殴り殺されてしまいました。 友人は、被害当時「31才」という若さで、妻と子供(1歳)が残されてしまいました。 後ろから、ウイスキーの瓶で殴りつけ、抵抗されたので頭部や顔面を殴打し、倒れてからも数回殴打しています。 犯行後、意識のない友人を放置し、財布・携帯を奪い更には、近くに駐車していた車を盗んで逃走し、運転ミスで事故を起こして通報され無免許で現行犯逮捕されて所持品から友人名義のクレジットカードが発見され、追求されても拾ったの一点張りでした。 結果的には、裁判での判決は「死刑」という内容でしたが、遺族や友人は当然ですが死刑を望みました! 死刑反対論者は、よく「終身刑」を引き合いにだしますが、殺人犯を一生刑務所で「生きさせる」ためには莫大な税金や人件費、更には設備費が必要となります。 未だに国民の7割が、死刑に賛成している現実を見ないで、自己満足だけの反対には反吐がでます。 死刑判決が出るには、初犯でも2人以上の被害者(殺人)がいないとでません。 特に初犯でもでるのが、強盗殺人・強姦殺人・現住建造物放火による殺人という複数の犯罪がある場合となっています。 それだけではなく、過去の犯罪歴も影響し、犯罪傾向がより重犯罪へと移行している場合も「矯正不可」という判断がなされます。 死刑には、確かに慎重さも必要ではありますが、判決されるのには相当な理由があるからです。 大きな駅の前で、時折「死刑反対署名」を募る演説が行われています。 私は、その時に必ず「反対をする理由」を尋ねます。 その理由が、「残虐な刑罰」「犯人の人権無視」「世界では死刑廃止している」という3点セットがでてきます。 1)被害者は、残虐な行為で殺害されていないのか? 2)被害者には、人権と自由がないのか? という質問を必ずしますが、今までに被害者の人権や自由、そして被害を受けたことを説明できた団体は一つもありませんでした。 それは、きちんと理論で作られた反対主張ではないからです。 反対運動や、反対を声に出して叫ぶ前に、何の落ち度もなく一方的に命を奪われた被害者遺族の姿を自分の目で見て、被害者以外にも被害者がいることを知ってから反対をするべきでしょう! あり得ませんが、仮に死刑が運動で廃止されたと仮定します。 殺人犯が「無期懲役」で30年後に「仮釈放」されました。 その後、再犯しまた殺人をした場合、反対して死刑を廃止させた人は責任はないのでしょうか? 犯罪でも、懲役刑・禁固刑・罰金刑で補えるものばかりではありません。 命を奪えば、命で償いをするしかないのも事実です。

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