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天照大神って「めくそ?」という暴言??

古事記に「アマテラスオオミカミ」は「イザナギノミコト」の 「目くそ」だと書いてあるそうです。 そして「スサノオノミコト」は「鼻くそ」だそうです。 なぜそのように神を冒涜することが書かれているのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
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回答No.3

目くそとか鼻くそなんて書いてないでしょ。 左目を洗ったら天照大神が誕生して、 鼻を洗ったらスサノウの尊が誕生したのです。 これは洗ったといいますが、清めた、という ことです。 つまり、黄泉の国から帰ったイザナギが、死の 汚れを清めるための行為です。 神道の清めという行為、清浄という価値観は ここに由来します。 ここから次のようなことが読み取れます。 ・右よりも左の方が格上である。  つまり、右大臣よりも左大臣の方が偉い。 ・そもそも日本は、女性上位であった可能性がある。 ・清浄というのは生命エネルギーのことである。

Lady_osaka
質問者

お礼

いや目を洗って出てくるものは、古代から目くそに決まってますよ。 何を訳の分からないことをおっしゃるのですか? 稗田阿礼は、アマテラス様が嫌いだったのでしょう。 アマテラス様はもっと良いものから生まれてきたと書いてほしいです。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.5

追記です。 左目を洗ったらアマテラスが誕生し 右目を洗ったらツクヨミが誕生しました。 ツクヨミは男神で月の象徴で夜を治める神です。 だから、太陽神であるアマテラスよりも 格下ということになっています。 尚、ツクヨミの性別については異論があります。

Lady_osaka
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.4

※写本から口語訳 イザナギの命は黄泉の国からお帰りになって、 「私はずいぶん醜く穢れた国に行ってきたのだ。早く身体のケガレを清めなければ」とおしゃって、筑紫日向の橘の小門(オド)の阿波岐原にお着きになると、身につけているものを次々と脱ぎました。 投げ捨てた杖から生まれた神の名は、衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ) 投げ捨てた帯から生まれた神の名は、道之長乳歯神(ミチノナガシハノカミ) 投げ捨てた袋から生まれた神の名は、時量師神(トキハカラシノカミ) 投げ捨てた衣から生まれた神の名は、和豆良比能宇斯能神(ワズライノウシノカミ) 投げ捨てた褌から生まれた神の名は、道俣神(チマタノカミ) 投げ捨てた冠から生まれた神の名は、飽咋之宇斯能神(アキグイノウシノカミ) 投げ捨てた左手の手纏から生まれた神の名は、奥疎神(オキザカルノカミ)                  奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)                  奥津甲斐弁羅神(オキツカイベラノカミ) 投げ捨てた右手の手纏から生まれた神の名は、辺疎神(ヘザカルノカミ)                  辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)                  辺津甲斐弁羅神(ヘツカイベラノカミ) この12神はお体に付けていたものを投げ捨てられて現れた神です。 そこで「上流は流れが激しいし、下流は流れが弱い」と真ん中の瀬に下りて水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)と大禍津日神(オオマガツヒノカミ)とでした。 この二神は黄泉の国においでになったときの穢れによって現れた神です。 次にその禍を直そうとして生まれた神の名は、 神直毘神(カムナオビノカミ)と大直毘神(オオナオビノカミ)と伊豆能売(イズノメ)です。 次に水底で身をすすいだ時に生まれた神の名は、 底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底箇之男命(ソコツツノオノミコト) 水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、 中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中箇之男命(ナカツツノオノミコト) 水面で身をすすいだ時に生まれた神の名は、 上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)と上箇之男命(ウエツツノオノミコト) この三綿津見神は安曇氏の祖先神です。よって、安曇の連たちは、その綿津実見神の子宇津志日金拆(ウツシヒカガナサク)の命の子孫です。 また底箇之男命・中箇之男命・上箇之男命の三神は住吉神社の神様です。 そして左目を洗った時に現れた神の名は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)    右目を洗った時に生まれた神の名は、月読命(ツクヨミノミコト)    鼻を洗った時に生まれた神の名は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)でした。 以上十神は身体を洗ったので現れた神々です。 イザナギの命は大変喜んで、「私は沢山の神を生んだが、一番最後に貴い三柱の御子を得た」と言い、首にかけていたの首飾りの玉の緒(御倉板挙之神)をゆらゆらと揺るがして天照大御神に下賜し、「天照大御神よ、あなたは高天原を治めなさい。」といいました。 次に月読命に「あなたは夜之食国を治めなさい。」といい、建速須佐之男命には、「あなたは海原を治めなさい。」といいました。 そうしてそれぞれ委任された言葉に従って治めていた中で、タケハヤスサノヲ命だけは命じられた国を治めず、長い顎鬚が胸元に届くようになるまでの間、泣き喚いておりました。 その泣く様子は、青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河がその泣く勢いで涸れてしまうほどでした。 そのため、乱暴な神の声が夏の蝿のように充満し、あらゆる禍いがことごとく起こりました。  そこでイザナギの命がタケハヤスサノヲの命に言うには、 「どうしてお前は命ぜられた国を治めずに泣き喚いているのか?」と尋ねました。 カケハヤスサノヲ命は「私は亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)に参りたいと思って、泣いているのです」と申し上げたのです。 そこでイザナキの命は大変怒り、「ならばお前はこの国に住んではならない」と言って、追い払ってしまいました。 このイザナギ命は、淡海(あふみ)の多賀の社にお鎮まりです。 どこにも、イザナギの命は黄泉の国からお帰りになって、 「私はずいぶん醜く穢れた国に行ってきたのだ。早く身体のケガレを清めなければ」とおしゃって、筑紫日向の橘の小門(オド)の阿波岐原にお着きになると、身につけているものを次々と脱ぎました。 投げ捨てた杖から生まれた神の名は、衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ) 投げ捨てた帯から生まれた神の名は、道之長乳歯神(ミチノナガシハノカミ) 投げ捨てた袋から生まれた神の名は、時量師神(トキハカラシノカミ) 投げ捨てた衣から生まれた神の名は、和豆良比能宇斯能神(ワズライノウシノカミ) 投げ捨てた褌から生まれた神の名は、道俣神(チマタノカミ) 投げ捨てた冠から生まれた神の名は、飽咋之宇斯能神(アキグイノウシノカミ) 投げ捨てた左手の手纏から生まれた神の名は、奥疎神(オキザカルノカミ)                  奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)                  奥津甲斐弁羅神(オキツカイベラノカミ) 投げ捨てた右手の手纏から生まれた神の名は、辺疎神(ヘザカルノカミ)                  辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)                  辺津甲斐弁羅神(ヘツカイベラノカミ) この12神はお体に付けていたものを投げ捨てられて現れた神です。 そこで「上流は流れが激しいし、下流は流れが弱い」と真ん中の瀬に下りて水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)と大禍津日神(オオマガツヒノカミ)とでした。 この二神は黄泉の国においでになったときの穢れによって現れた神です。 次にその禍を直そうとして生まれた神の名は、 神直毘神(カムナオビノカミ)と大直毘神(オオナオビノカミ)と伊豆能売(イズノメ)です。 次に水底で身をすすいだ時に生まれた神の名は、 底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底箇之男命(ソコツツノオノミコト) 水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、 中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中箇之男命(ナカツツノオノミコト) 水面で身をすすいだ時に生まれた神の名は、 上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)と上箇之男命(ウエツツノオノミコト) この三綿津見神は安曇氏の祖先神です。よって、安曇の連たちは、その綿津実見神の子宇津志日金拆(ウツシヒカガナサク)の命の子孫です。 また底箇之男命・中箇之男命・上箇之男命の三神は住吉神社の神様です。 そして左目を洗った時に現れた神の名は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)    右目を洗った時に生まれた神の名は、月読命(ツクヨミノミコト)    鼻を洗った時に生まれた神の名は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)でした。 以上十神は身体を洗ったので現れた神々です。 イザナギの命は大変喜んで、「私は沢山の神を生んだが、一番最後に貴い三柱の御子を得た」と言い、首にかけていたの首飾りの玉の緒(御倉板挙之神)をゆらゆらと揺るがして天照大御神に下賜し、「天照大御神よ、あなたは高天原を治めなさい。」といいました。 次に月読命に「あなたは夜之食国を治めなさい。」といい、建速須佐之男命には、「あなたは海原を治めなさい。」といいました。 そうしてそれぞれ委任された言葉に従って治めていた中で、タケハヤスサノヲ命だけは命じられた国を治めず、長い顎鬚が胸元に届くようになるまでの間、泣き喚いておりました。 その泣く様子は、青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河がその泣く勢いで涸れてしまうほどでした。 そのため、乱暴な神の声が夏の蝿のように充満し、あらゆる禍いがことごとく起こりました。  そこでイザナギの命がタケハヤスサノヲの命に言うには、 「どうしてお前は命ぜられた国を治めずに泣き喚いているのか?」と尋ねました。 カケハヤスサノヲ命は「私は亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)に参りたいと思って、泣いているのです」と申し上げたのです。 そこでイザナキの命は大変怒り、「ならばお前はこの国に住んではならない」と言って、追い払ってしまいました。 このイザナギ命は、淡海(あふみ)の多賀の社にお鎮まりです。 岩波文庫より引用 〇どこにも、「目くそ」や「鼻くそ」だの、書いてませんが\(^^;) 古事記を読んで、そういうふうに妄想する人が 神を冒涜してるだけですね。( ^^) _旦~~

Lady_osaka
質問者

お礼

目を洗って生まれたんだから早い話「目くそ」でしょって 言われたらその通りですね。良くわかりました。 ありがとうございました。

  • gusin
  • ベストアンサー率10% (46/423)
回答No.2

愛国心は必要ですが、愛国心と神とを結びつけることは、非常に危険な行為であります・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.1

暴言ではないと思います。 それだけ、いざなぎの神秘性があるということでしょう。 いざなぎがいざなみと交わってできたのが、日本の国土で有り、 黄泉の国と交わり、その穢れを払ったときのできたのがアマテラスオオミカミ です。 天神と幽神の両方の性格をもっているということかもしれません。 目くそ、鼻くそはわかりやすくするための表記だと思います。

Lady_osaka
質問者

お礼

ありがとうございました。

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