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仏教の基本について教えて下さい。

abc2008の回答

  • abc2008
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回答No.12

仏教の基本というものは、実のところ極めて単純明快なもので、それは万人に分け隔てなく確実に内在する素晴らしい力の存在を説き教え、更にはそれを自力で発揮させて、その力で思う存分幸福境涯を満喫させるためにあるのです。 これが仏教の基本というか根幹なのですが、ただ当時の人々にとっては、当然のごとく仏教のぶの字も知らないし、自己啓発など知る由も無かったので、釈迦はその内在する力の特性をいろいろと擬人化させて、様々な仏や菩薩等を登場させては解説していったのです。つまり、単に言葉のみで説明するよりは、いろいろな人物を登場させては、その持つ力を誇示させて教えた方が、より分かり易く深く印象に残るからです。この手法は、イソップ物語にしろ、アンデルセン童話にしろ、日本昔話にしろ同じようなもので、やはり、それとなく人々に浸透させるには打って付けなのです。結局、いつの時代も聴衆は、堅苦しく難しい話よりは、物語風な説話に興味を示すものなのです。 それで、その内在する力の特性の詳細を架空の登場人物で人々の心に根付かせて、それで最終的にそれらの仏や菩薩の持つ力は、すべて人々自身の中にこそあると解いたのです。それで、この真意を説いたものこそが法華経、つまり実教であり、そこに至るまでに説いた華厳経や無量寿経、阿弥陀経、大日経、般若心経等々が権教(権=仮の教え)ということなのです。 ところが、後世の人師、論師と呼ばれる者たちが、この仏教の大綱を知らずに権教を自分勝手にこれこそ真意とか、これこそ最勝とか決め付けて広めて行ったのです。もちろん、その大綱を把握した者は、権教を捨てて法華経を宣揚して行ったのですが、その代表が日本では、前者が空海や親鸞で、後者が最澄や日蓮ということになるでしょう。 結局、仏教というものは本来、自身に内在する卓越した力で自在に幸福境涯に至らしめるという自力本願こそが基本中の基本であり、本来存在すらしない架空の仏や菩薩にすがる他力本願は、仏教とは別物と考えた方が良いでしょう。 もちろん、今以って権実の論争や何が真実でどちらが有益なのかは、水掛け論になっているかと思われますが、やはり、その判断は実際に体験されて生活上に現れる現証を以ってして、推し量るのが最も確実かと思われます。いわゆる実証主義ですが、どれだけ長く小難しい論拠や論証を並べられても眼前の一つの現証に勝るものはありませんから。食事もそうですが、人から旨いまずいと、いろいろと言われても実際、自身で食べてみなければ正確な判断は下せないようなものです。 いずれにしましても、仏教と云えば、ただ法華経のみであり、そこにこそ自力本願の方途が説かれている、ということです。 ちなみに自身に内在する卓越した力を比喩的に物語風にした『衣裏珠の譬え(えりじゅのたとえ)』や『長者窮子の譬え(ちょうじゃぐうじのたとえ)』というものがありますので、一度調べられると良いかと思われます。

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