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仏教の基本について教えて下さい。

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.10

 どうも、真宗の坊主です。この質問は歴史学から宗学まで多岐にわたりますのでながくなりますが、書いてみます。よろしくおねがいします。 >>これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。  これを三位一体とは仏教では決して言わないのですが、あながち間違いではありません。ブッダ(仏)という言葉がお釈迦様の固有名詞として扱われることはあります。しかし、お釈迦様在世においてはどうやらそうではなかったようです。例えば仏教の経典の中で最も古く成立したと目されているのは『スッタニパータ』というものですが、その中に 386(略)それゆえ諸々の目覚めた人々は時ならぬのに出歩くことはない。 とあって、ブッダの複数形であらわされ、当時はお釈迦様以外にも多くのブッダがいたことがうかがえます。また、仏教と同時期にインドで成立したジャイナ教の『聖仙のことば』というものの中には、ジャイナ教以外の聖者のことばもまとめられており、仏教教団の中からも二人がブッダとして紹介されています。その二人はお釈迦様ではなく、お釈迦様が跡取りと考えていたがお釈迦様に先んじて亡くなってしまった舎利弗尊者と、お釈迦様亡き後教団を引き継いだ大迦葉尊者です。この『聖仙のことば』は『スッタニパータ』より古い成立を持っていると考えられております。つまり、仏教を開いたのはお釈迦様かもしれませんが、他宗教から見れば仏教教団をけん引していたのは舎利弗尊者と大迦葉尊者という二人のブッダと考えられていたことがうかがえます。  このようにお釈迦様在世はブッダという言葉はお釈迦様の固有名詞ではなく、一般名詞として使われていたようです。では、なぜこれが質問者のおっしゃるようなお釈迦様の固有名詞になっていったのでしょうか。その一つの要因はお釈迦様の亡き後教団の主流派になっていったのが阿難尊者の系統であったからと考えられています。阿難尊者の系統が主流派になったと考えられる史料としては、お釈迦様が亡くなったあと百年後におきた第二結集というものの、中心に阿難尊者の弟子たちがいたとされています。この阿難尊者という方は釈迦十大弟子に数えられる方ですが、お釈迦様在世に悟ることができませんでした。お釈迦様が亡くなってから、大迦葉尊者に従って修行し悟ることができます。つまり、ある意味お釈迦様にとっては不出来な弟子だったのかもしれませんが、できの悪い子ほどかわいいなんてことを言いますが長年手元においておいたかわいい弟子であったのでしょう。しかし、そのかわいがられたでありお釈迦様在世はお釈迦様を目指し続けた弟子だからこそ、師であるお釈迦様を唯一無二のブッダと持ち上げていくことになったのではないかといわれています。 >>ところが、うちの宗派(真宗大谷派)の本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だと聞いて、よく分からなくなってきました。 >>しかし、うちの菩提寺のお坊さんは、葬祭の時の説教でお釈迦様がどうのこうのって話をしますが、阿弥陀様がどうしたとかって話は聞きません。 >>他にも釈迦には、生まれてすぐ立ち上がって唯我独尊と言ったとか、極楽から蜘蛛の糸をたらして悪人を救済しようとしたとか、逸話がいろいろありますが、阿弥陀の逸話は聞いたことがありません。  阿弥陀仏が阿弥陀仏になる前はどうだったかについてはもう少し後にお話しするとして、まずはお釈迦様という人物について考えてきましょう。  私たちは仏教の伝承や、手塚治虫先生の『ブッダ』などでお釈迦様の生涯に触れることができます。しかし、「天上天下唯我独尊」とか「四門出遊」とか出来上がった話は知っていても、仏教の経典でお釈迦様の生涯はどのように説かれてきたのかということについてはあまり語られません。この「仏伝」というものを説いた最も古いお経について、ドイツの文献学者ウインディッシュ氏などの仏教学者方の説によれば『大譬喩経』と考えられています。けれども、実は『大譬喩経』に説かれている仏教最初の仏伝はお釈迦様の生涯を語ったものではありません。お釈迦様を含めそれ以前に六人の仏が居たという「過去七仏」の中でも、第一仏である毘婆尸仏の生涯を語ったものです。  この過去七仏についてはかなり古い段階で仏教の中にあらわれた多仏思想です。中国の玄奘三蔵が七世紀に入ってからインドに訪れた時に、お釈迦様に破門された提婆達多尊者の教団が続いていて過去七仏のうちお釈迦様を抜かした六仏を信仰していたと『大唐西域記』に記していますので、もしかしたらお釈迦様在世から過去七仏の思想は原型として存在していたかもしれません。まぁ、あくまで七世紀の史料ですから可能性としてしか言いようがありませんが、かなり古い段階で仏教の中に過去七仏の思想はあったようです。  はなしを『大譬喩経』に戻しますが、このお経には第一仏の毘婆尸仏の生涯とともに、過去七仏すべての仏に共通することが七つの項目として挙げられています。この七つの項目を七仏の事項と呼ばれています。 1生まれた時代と名前 2人々の寿命 3カースト 4ゴータマ系の姓である 5悟ったのが共通の菩提樹 6弟子の人数 7二大弟子がいる 8生涯をとおしての待者がいる 9父、母、都 10、(パーリ語聖典にはないが)息子 以上が七仏の事項です。つまり、お釈迦様の生涯において『大譬喩経』ができた当時わかっていたのは、この程度の事しかなかったということです。経典というのはそもそも教えを残すためのもので、お釈迦様の人生を残すためのものではありませんでした。伝記的に記されている『涅槃経』でさえも、お釈迦様が食あたりになってから亡くなった直後の事までしか記されていません。そのためお釈迦様の生涯については、教えに残っている断片的な部分をつなぎ合わせることしかできなかったわけです。また、仏教文献学者吹田隆道氏の説によれば、戒律の中には「お釈迦様がどこでだれに対して教えを説いたかわからなくなった時は、当時の有名な聖地の名前や、当時の有名な王様や弟子の名前を入れておけばいい」というものがあるそうで、この戒律ができた時には多くの事が分からなくなってきていたのでしょう。そこで、お釈迦様の生涯を直接描くのではなく過去七仏のうち第一仏の毘婆尸仏の生涯として描くことにしたわけす。そして、その後『大譬喩経』をベースにして『稀有未曾有経』というお釈迦様の生涯を直接あらわした経典などができてきたと考えられるわけです。つまり、お釈迦様の生涯でさえ、お釈迦様の生涯をベースにしているのではなく、お釈迦様の事でわかっていることの断片をつなぎ合わせて作られた毘婆尸仏の生涯をベースにして作られたものだということで、それ以外の話はあとから付け加えられたものだということになります。  そして、この過去七仏は最終的には過去二十五仏まで発展していきます。その背景にはお釈迦様の過去世の姿を通して仏教者のあり方を説いた、『ジャータカ』というものの発展に関係します。お釈迦様はその過去世についても長い修業を積んでおられ、なおかつ多くのブッダと出会っていたということが書かれています。この中でお釈迦様と最初に出会うのが燃燈仏というブッダです。お釈迦様が過去世において儒童梵士と呼ばれていた時に、燃燈仏みたいになりたいと思って修行を始めます。すると、それを見た燃燈仏から「未来において、悟りを開き釈迦仏となるであろう」と授記されるという話です。これを燃燈仏授記というのですが、阿弥陀仏という仏もこの燃燈仏授記をベースにしています。  阿弥陀仏について主に説かれている『無量寿経』には最初に錠光仏というブッダがいたというところから始まりますが、この錠光仏というのは燃燈仏の異訳名です。そしてこの燃燈仏から何代も後になって世自在王仏というブッダが表れて、その世自在王仏にあこがれて一人の王が出家し法蔵菩薩と名乗って修行を始めますが、それを見た世自在王仏がいつかお前は悟りを開くだろうと授記を与えるというように、燃燈仏授記がベースにあることが分かります。 >>如来になる前の釈迦がシッタータであったように、如来になる前の阿弥陀はどんな人だったのでしょう?  これについては『無量寿経』には出家時代の法蔵菩薩からの話は載っていますが、出家前は王であったこと以外は記されていません。この王であった頃の話は『悲華経』というお経に記されています。この「悲華経」によれば、阿弥陀様が王だったころ、お釈迦様はその国の大臣で、現在他方仏として東や北、南などにいる十方の諸仏たちは王子様であったと伝えられています。そして、この大臣の子供が悟りを開き宝蔵如来(『無量寿経』の世自在王仏)となって、王様一同このブッダに帰依します。そして、最後には出家し修行の末に王は西に浄土を建立し阿弥陀仏となり、王子たちもそれぞれの浄土で仏となって、大臣は娑婆に残りお釈迦様になっったという話です。ですからこの『悲華経』というお経の題名の意味ですが「娑婆という悲しみの世界に唯一残って私たちを導き救ってくれるのはお釈迦様であり、それはまるで汚い泥の中に咲く蓮の花のようである。」という意味で、阿弥陀仏を代表とするほかの仏に比べることでお釈迦様の優位異を説いた今日です。つまり、このお経ができたころに阿弥陀仏の信仰が盛り上がってきていて、それに対してお釈迦様回帰というものを目的として現れたのが『悲華経』ということになるでしょう。 文字数が足りないので後半に続きます。お彼岸直前のため急ごしらえかつ返事も遅くなると思いますがご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀

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