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仏教の基本について教えて下さい。

tumaritou1の回答

回答No.8

仏教の基本と言う事は『釈迦の教えの基本』と言う意味として答えたいと思います。仏教に付いては枝葉が沢山に分かれてしまいましたので、夫々の宗派の教えなどが沢山存在すると思いますので、とても学ぶ暇が無いという現実があります。 釈迦の教えは簡単です、その全ては『禅』に集約されています。悟り(見性成仏)を最大課題として、釈迦から弟子に直接的な方法で『心から心へ』手渡しをされてきたからです。 もしその全貌を学びたいなら『鈴木大拙博士』の著作集から学ぶ事が有効と思います、私の場合ではそこからま学ぶ事が出来たと思っているからです。 禅の奥義は『頭の理解=知的理解』では伝える事が出来ませんので、その点は悪しからず、として始めにお断りをして置きますが、それでも何も知らないでいるよりは、よほど生きてゆくための指針になると思いまして書いています。 禅を理解する事は『精神衛生』を学ぶ事になります、又精神衛生を学ぶ事は、宗教の神秘性を学ぶ事になります。この神秘性が『精神衛生』にとっての、最大眼目になりますので、人間の心の正体から書き始めます。 人間にとっての心は、自我意識を指しますが、命あるもの全ては、同じ原理が働いています、その原理を発見した人に『釈迦やキリスト』等がいます。 釈迦の苦しみを、今も味わっている人達がこの日本にも沢山存在しています。その苦しみが『一切皆苦』ですが、是は意識地獄を意味します。いわゆるノイローゼの状態を意味します。 この苦しみの大元を発見した人達と言う意味です。この苦しみの元が『自分自身の命の働き』=『仏性』=『神』と言う事です。 この事を聖書では、『知恵が付いたために神に背く』と表現しています。幼子が天国に一番近い存在としている理由を書きます、その理由は『心が未発達のために、(自分自身の命のと働きと)一つの者として働いているからです。』 人間の脳が機能分化を完成させて、『恥ずかしい、或いは自分は何者か?或いは人生とは何ぞや?』又、他人と自分を比較して優越感や劣等感に悩み始める頃があります。 この契機を『失楽園』と表現しています、中二病と言われ始める頃です、或いは思春期と言われる頃です。この頃から『自身の心の機能が、二つに分かれて争いを始めるからです。』 『心の矛盾』を感じ始めて、今までの生活が出来難くなる場合です。人間の脳内に『機能が違う二つの脳が存在している科学的なデータです。』ウイキペデアから紹介します。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。』 更にこの事実を、自分の脳の障害=脳卒中、によって自我意識と並列して働いている、『もう一つの意識』の存在を確認出来た、脳科学者の動画を紹介してみます。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画で語られてる内容は『宗教体験です。』 つまり『悟りを開いている最中』の描写です、或いはキリスト教に於いては『神と会って和解している最中』の描写と言う意味です。 二つの意識となって分化した心は『見る自分VS見られている自分』と言う構図になっています、実質はもう一人の自分は『無意識や潜在意識』として、自我意識たる健在意識の前からは姿を隠すようになっています。 自分の『意識と無意識』は動画にあるとおり、絶えず脳梁の中で情報交換しています。この情報の内『何がしかの理由によって、自我意識が受入れられないとしたものが』人間の苦しみの実態です。 言葉にするなら『トラウマ、ストレス、症状』等です。こう言った症状を緩和する精神薬とは、『右脳からの情報交換を阻害する薬効が主体です。自分自身の内在する神からの情報をシャットアウトすると言う意味です。』 ノイローゼの症状は、本人が受入れたくないと判断した事柄です。トラウマとも恐怖症とも言って差し支えない事柄ですが、実際には目の前に存在しない不安や恐怖感を指しています。 そうして本人の身体や脳の検査を如何に精密にしても、正常な場合です。この意味は本人の『意識する力が生み出した幻』と言う意味があります。 受入れたくないものを、意識する余り現実には存在していないにも拘わらず、予期不安として実際に頭の中に作り出している、と言う意味になります。是が妄想が沸き上がる実態です、或いは『意識地獄』の実態です。 この状態からの開放、つまり苦しみからの開放を、この動画が示しています。言い換えるなら『釈迦の魂の救い』を説明しているものが、この動画の内容と言う意味です。 かなり分り難い内容になりましたので、要約して置きます。 ストレスやトラウマや苦しみは、苦しんでいる人が本人の頭の中に苦しみを避けたいとする心が予期不安から生じる、安心を得たいとする心が作り出した幻『空想の世界』です。 この現象は『今の目の前の現実の真実の世界を見つめている自分』と、『頭の中で描いている世界が真実と思いこんでいる。』自分自身の心の矛盾(仲違い)が原因です。 この場合の解決『現実のの目の前の世界』と『頭の中の世界観』が一致する時です。 人間でも動物でも植物でも、各種固有の『命の働き』を持っています。 赤ん坊なら不安も安心も恐怖も、生まれた時既に備えている”働き”と言う意味です。高いところに上がった時には『身がすくむ』と言う”生体反応”の事です。 納期が来た時に『気がもめる』と言う働きです。感情や考えが沸き上がる”働き”の事です。 こう言った右脳からの『感情や考えを沸き上がらせる情報(生体反応)』に不安を募らせている事が『恐怖症の引き金』になっています。 是は命あるものとしての人間が、死に行く事による恐怖感、或いは生きてゆく事による将来的な不安感がベースになっています。 この事は、全てに対して予期不安となって、身体の或いは心の奥底からの不安となって、緊張をを覚えさせる場合があります。この解決策が釈迦の教えです。 自分を恐怖に貶めている者(命の働き)との出会いで、全ての価値観の変更をしてしまう体験です。動画にあるとおりです。 その体験以後は『自分の命に対する考え方や、お金や地位や名誉に対する価値観の変更があります。』今まで大事と思っていた事が色褪せてしまって、今までは大事ではなかった事が大事になります。 移り行く価値観や流行を追う事は止めて、永遠の価値のある事柄に興味が沸く事です。自分の事を優先して生きていた価値観から、他人を優先する価値観の変更と言う意味があります。 自分が地獄に落ちても良い、と決心が出来た時、周りは全て天国になっています。動画に在るとおりです。 漠然とした不安感や生き難い想いは、自分の無意識からの交替要請です。眠りつく事の説明で分り易くなると思います。 自我意識は眠る事は在りません、自我意識が眠るのでは在りません、自我意識は朦朧となって行って、『無意識の自分と身体と心の支配権』を譲っています。朝になって目が覚めた時とは『無意識からの交替制が自分に移っています。』 眠っている間、自我意識は何もしていませんので身体も心も軽くなっています。 此処での注意事項は、意識の切り替わりです、自我意識は眠る時、意識が無くなっていますので、交替した事は気が付いていません。何故なら自分が意識が無くなった事を意識出来ないからです。 漠然とした不安感や得体の知れない不安感は、昔では『原罪や業』としていました。何故なら原因が分からないからです。科学が進んだ現在でも同じです。 『心を病む原因は、未だ特定出来ていません、ですが早期治療で良くなります。』のうたい文句が精神医療の看板のようですが、原因が分からずに治療方針のみが専攻しています。 寛快になった原因も悪くなった原因も特定出来ていないと思えます。 如何すればよくなり、如何したら悪くなるのかを試行錯誤の状態で一人一人の対応にしているようです。薬は対症療法に過ぎない事は患者でも医師でも、うすうす気付いているようです。 違和感には大きく分けた場合3種類あります、どちらも『生き難い想いが有りながら、身体にも脳にも異常が見つけられないことが特徴です。』 身体的な健康についての違和感と、行動的な違和感による行動の制限が掛かる場合と、沸き上がる感情や考えに付いての違和感です。 この場合に主に考えられる事は、自我意識VS『自分自身の命の働き』=『右脳の人格』との矛盾や仲違いや分裂と思います。 この解消方法が『釈迦の教え』と思います。究極的な『心の癒しの心理学』と言う側面を持っているという意味です。 現実には無い不安や恐怖感は、現実の目の前の世界が真実の世界と気が付いた時収まります。 死に対する恐怖感は『死の受容』によって収まります。生きながら死の受容を説いた事が、釈迦の功績と思います。 若いとしても、年老いていたとしても、『死の受容』が可能になった時点が、不安が解消する時です。今の精神医学に於いての『ストレスからの回避』と言うやり方も致し方ないとしても、何時か誰にでも訪れる、確実な死に対する考え方を、考えて行くやり方も、『一つの選択肢』として、可能性を探る試みが欲しいと思います。

heinrich_t
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 いろいろと教えていただきましたが、私の頭が鈍いのか結局質問の答えは読み取れませんでした。 つまるところ、釈迦の本来の教えは一神教でも多神教でもなく、哲学だったということにつきるのでしょうか?

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