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A級戦犯の合祀が無ければ

key00001の回答

  • key00001
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回答No.5

> 恒例であった昭和天皇の公式参拝を止めさせたのがこれである。 昭和天皇が公式参拝をおやめになったキッカケであることは事実で、その事実をもって昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を持っておられたとする憶測は存在しますが、陛下ご自身は、終始一切、御心を明らかにはされませんでした。 質問者さんの「これである」も、個人的な憶測に過ぎません。 陛下の御心を憶測するなど不敬ながら、憶測であれば、A級戦犯の合祀には賛成で、ご参拝なさりたいお気持ちであるにも関わらず、周辺諸国への配慮から・・など、いかなる憶測も可能です。 その件に関しては、「黙して語らず」が陛下の御心であって、また国民としては、いかなる御心であろうとも、陛下のご判断を信頼申し上げるのみです。 現状や結果からも、沈黙を守りつつ、参拝をおやめになられた昭和天皇のご決断は、畏れながら大英断と、改めて感じ入ります。 > 何故A級戦犯は合祀されなければならなかったのかまず教えて欲しい。 敢えてA級戦犯を主語とし、受動形+二重否定で表現した、ややこしい言い回しですが・・。 「何故、大国主大神は、出雲大社の祭神であらねばならぬのか?」は。やや奇異です。 即ち、靖国神社を主語とする能動形とすべきで、「何故、靖国神社がA級戦犯を合祀したか?」であり、宗教法人である靖国神社の合祀規定に合致したからでしょう。 もっと平たく言えば、靖国神社が「祭りたいから祭った」です。 それに対し、明らかに質問者さんは「合祀すべきでは無い」と言うお立場とは思いますが・・。 精神論的,道義的などの面で「どうか?」は個人の自由ですが、少なくとも法的には、何ら問題はありません。 たとえ政府や政治家に、何らか政治的意図があったにせよ、靖国神社の宗教観や祭祀観などと全く相容れないものではなかったと言うか・・。 質問者さんも、自分の宗教観に適合しない靖国神社を尊崇する必要はありませんが、靖国神社が、質問者さんの宗教観に適合する祭祀をする必要も、一切無いです。 靖国神社が、質問者さん好みに「単純であるべき」必要性など皆無ってコトですよ。 そもそも靖国神社は、そんな単純な神社でもないし。 むしろ日本(あるいは世界?)で最も、複雑な宗教法人の一つですから。

kanden
質問者

お礼

確かに陛下の言葉でA級戦犯合祀に不快感を持って参拝を取りやめたなどとは言っていません。メディアがそう伝えただけである事に気付きました。 私は8月15日にはお参りするつもりですが、考えてみると神道とはどういう宗教なのか考えた事も教えられた事もないと言う事にも気付きます。 その無知を責められても仕方ないですが大半の日本人が神道の何たるかを知らないでいるのでないでしょうか。 反省はしませんがこれからぼちぼちとそれを勉強してみようかと思いました。 有難うございました。

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