「A級戦犯」合祀問題とは?

このQ&Aのポイント
  • 当時の靖国神社、松平永芳宮司がなぜ「A級戦犯の靖国神社合祀」を強行したのか
  • 2006年に昭和天皇の不快感を覚えさせる「富田メモ」が報道された
  • この問題により昭和天皇や今上陛下が靖国神社へのご親拝をされなくなった
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「A級戦犯」合祀問題

当時の靖国神社、松平永芳宮司は、なぜ昭和天皇の御意向を無視してまで「A級戦犯の靖国神社合祀」を自らの判断で強行したのでしょうか? https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B0%B8%E8%8A%B3 >2006年(平成18年)7月20日、A級戦犯14柱を合祀した松平に、昭和天皇が強い不快感を覚えていたとする、いわゆる「富田メモ」とされる断片が報道され、論議を起こした。侍従・卜部亮吾の記した「卜部亮吾侍従日記」(御厨貴ら監修)のうち、2001年(平成13年)8月15日の日記に、「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」と記述されていることが明らかになったとされ、また昭和天皇崩御前後の日記には、冨田メモと同様の記載がされていると報道された。(真偽について、および木戸幸一元内大臣の『木戸日記』との整合性については「富田メモ」項目参照。) →結果として昭和天皇はもとより、今上陛下も靖国神社へのご親拝をされなくなりました。

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回答No.4

>当時の靖国神社、松平永芳宮司は、なぜ昭和天皇の御意向を無視してまで「A級戦犯の靖国神社合祀」を自らの判断で強行したのでしょうか? それは松平宮司自身が宮司退任直後の2002年に語っています。 「現代ビジネス」[第5回 靖国神社A級戦犯合祀をめぐる暗闘]2015年9月13日 http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/45287 以下、抜粋です。 「私は就任前から『すべて日本が悪い』という『東京裁判史観』を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さん(*)のほうから『最終的にA級はどうするんだ』という質問があって、合祀は既定のこと、ただその時期は宮司預かりとなっていたんですね」 そこで、「9月の少し前でしたか、『まだ間に合うか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思い切って14柱をおいれした」 *総代さん:宮司の選出権をもつ合祀諮問機関の「靖国崇敬者総代会」のこと。総代は10人でしたが、青木一男元大東亜相、賀屋興宣元蔵相などの、東条内閣の閣僚で、3-10年の拘置ないし服役の後釈放されたA級戦犯が加わっていた。(ネット検索で調べたので、間違いがあるかもしれません) また、『靖国神社 創立120年記念特集』誌にも松平宮司の話が出ていますが、長文ですから関連箇所のみ抜粋します。 「就任した早々であるが、前宮司から預ったこの課題は解決しなければならないということで、思い切って合祀申し上げたわけであります。その根拠は明白です。すでに講和条約が発効した翌二十八年の議会で、援護法が一部改正され、いわゆる戦犯者も全部一般戦没者と全く同じようにお取扱いいたしますから、すぐ手続しなさい、ということを厚生省が遺族のところへ通知しているんです。」 これらの発言から、松平宮司は、東京裁判を否定し、受け入れていなかったことが分かります。 したがって、A級戦犯14人は戦犯と呼ばれる筋合いはなく、14人を合祀して当然としています。 ここまでは、上記の発言から推測できます。 これらの発言に識者がいろいろコメントしています。 松平宮司の思想は、皇国史観で有名な、東京帝大の平泉澄博士の影響を強く受けているそうです。 その思想を半藤一利氏は雑誌の対談で次のように述べています。 「天皇は絶対の存在だけど、間違うこともあるから、直諌しなければならない。お諌めしてもダメなときは、御前で腹を切れと。昭和天皇がA級戦犯の合祀を嫌がるなら、腹を切るぞ、という覚悟なのですね。」 また、秦郁彦氏は同対談で、次のように述べています。 「靖国神社がA級戦犯の上奏簿を御所に持ってきたとき、徳川義寛侍従次長(当時)が「松岡さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人まで祀るのはおかしい」と反対したら、「そちらの方が勉強不足だ」と押し返されたという。当時、侍従次長だった徳川氏は天皇のご内意を受けていると考えるのが普通ですが、松平の信念によって、「天皇のほうが間違いだ」と突っぱねるわけです。松平宮司は、A級戦犯合祀で天皇が参拝しないのならそれでも構わない、という気持ちだったと思います。」 さらに続けて 「当時の靖国神社の広報課長だった馬場久夫氏によると、宮内庁の担当者が「そういう方(A級戦犯)をおまつりすると、お上(天皇)のお参りはできませんよ」とくぎを刺したのに強行したのだから。」 私は、松平宮司が自らの判断で強行したと思います。

shpfive
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 >「天皇は絶対の存在だけど、間違うこともあるから、直諌しなければならない。お諌めしてもダメなときは、御前で腹を切れと。昭和天皇がA級戦犯の合祀を嫌がるなら、腹を切るぞ、という覚悟なのですね。」 →この発言、東條英機元首相の「勤皇には広義と狭義がある」という発言を思わせるものがありますね。

その他の回答 (3)

  • ithi
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回答No.3

shpfive さん、こんにちは。 もともと彼も退役するまで、軍人(その後も自衛官)でした。戦死したら、靖国でまつられるというのは彼の頭の中には叩き込まれた精神のようなものなのでしょう。頑固で一途な性格を一部の人たちから利用されたのかもしれません。 彼の父慶民が終戦に際し、天皇に尽力していたのに対して比べると底が浅い部分があり、昭和天皇は父に比べて頑固で浅はかな息子という意味で馬鹿という表現を使ったのでしょう。木戸幸一はもう合祀事件の時にはもう亡くなっていました。 松平永芳 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B0%B8%E8%8A%B3# 木戸幸一 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%B9%B8%E4%B8%80 富田メモ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

  • lions-123
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回答No.2

>当時の靖国神社、松平永芳宮司は、なぜ昭和天皇の御意向を無視してまで「A級戦犯の靖国神社合祀」を自らの判断で強行したのでしょうか? 68歳 男性 私の個人的な認識と感慨は異なります。 1、私の靖国神社考は最後に記載 2、ご指摘のA級戦犯(東京裁判での平和に対する罪)は、我が国の国会に於いて全会一致の決議で昭和殉難者とされA級戦犯という方々は存在しない。 3、天皇親拝は象徴天皇として外交的配慮や国内世論の分断紛糾を避ける為、政治問題化を懸念されてのご配慮であり、国に奉じ殉じた英霊と共に霊璽簿に記載された260万余の御霊・御名に対し、哀悼の誠、慰霊と平和祈念に現在も宮内庁職員が天皇名代として代参している。 我が国では死して後は神仏に成るという死生観があり、族誅と係累にまで責任罪状を追求し遺骨さえ焼いたり砕く国民性や宗教観とは異なります。 昭和天皇の真意やご意向は国策の誤りや戦争の企図遂行の反省から、その責を一身に受けた彼らへの思いに忸怩たるものはあるでしょうが昭和殉難者を憎悪したり否定されるものではなく、まして霊璽簿の中の当該者だけを差別したり排斥する御心は無かったと思考します。 >2006年(平成18年)7月20日、A級戦犯14柱を合祀した松平に、昭和天皇が強い不快感を覚えていたとする、いわゆる「富田メモ」とされる断片が報道され、論議を起こした。侍従・卜部亮吾の記した「卜部亮吾侍従日記」(御厨貴ら監修)のうち、2001年(平成13年)8月15日の日記に、「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」と記述されていることが明らかになったとされ、また昭和天皇崩御前後の日記には、冨田メモと同様の記載がされていると報道された。(真偽について、および木戸幸一元内大臣の『木戸日記』との整合性については「富田メモ」項目参照。 結果として昭和天皇はもとより、今上陛下も靖国神社へのご親拝をされなくなりました.。 個人的には、事なかれ主義や政治的発言を厳に慎んでおられた陛下の深慮真情を侍従等の側近が、今はやりの忖度したものと思考します。 そこに、思い込みや誤解もあるだろうし、靖国神社の存在そのものの否定する思考の人たちや報道機関が我田引水と歪曲誇張で親特亜や分祀論に引用利用している側面・背景もあると思います。 靖国神社は 先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願祈念する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。 政治利用する者も、批判の為の批判をする報道機関、我が国の宗教観や人生観に外交カードにしたり内政干渉する中韓の姿勢にも疑問を持ちます。 「靖国神社」を政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊に対し誠に申し訳なく恥ずかしい。 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしい心根だと思います。 参拝する自由も、参拝しない自由もあり、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を束縛強制干渉される事では決してないと思います。 誰でも、心ある人が、参拝できる時に参拝していただけば良いのであり、殊更に誇示・喧伝する事柄ではないと思う。<皇族・総理等の参拝はSPの問題が有り、ある程度の広報と準備が必要と思うが、なるべくは立ち寄る程度に済ますのが混乱を避け、本意にもかなうのでは・・・報道は参拝・慰霊の事実を結果報告で十分> 靖国神社は260万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。 シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏戸成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・無責任な発言だと思う。 非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊まで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、個々人が自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

「A級戦犯」とは大東亜戦争の終結後、日本を断罪するために無理くりに作成した「平和に対する罪」など後付けの罪で処罰された方たちのことですよね。 個人的には、彼らは「無実の罪」で断罪された方たちだと思っています。 ですから、靖国神社に行かなくなった判断こそが間違いであり、それに気付かない、あるいは、気づいても風評被害を恐れる人たちが間違っているのです。

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