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死後の世界

人は死んだらどうなると思いますか。 ある本では、「ずっと眠っている感覚」とあり、別の本では「天国に行き、そこから地上を見ている」とありました。 「幽霊として地上にいて、時間が立てば、生まれ変わる。」というのもありました。 実際に、死んだ後どうなるんでしょうか。 体はなくなっても魂だけ残って、生きていた時のような意識はあるんでしょうか。 とても気になります。みなさんの意見を聞きたいです。

  • Kr39
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#184692
noname#184692
回答No.11

貴方は生まれる前の意識はありますか? 単にその状態に戻るだけです。

Kr39
質問者

お礼

なるほど、その意見は初めて聞きました。 ということは、ほぼ「無」ですね? たくさんの回答ありがとうございました。

その他の回答 (11)

回答No.12

生きている間は亡くなったご先祖方に敬意を表し天国で見守って下さっている と心の中で思っている。 しかし現実的には 魂も幽霊もなく 『無』 だと思う。 死語に世界は無いと思っているからこそ魂のある今、一生一度の人生で妻を愛し、子供を愛し、そして自分の夢を叶える、そう思って生きている。

  • rewon
  • ベストアンサー率28% (46/163)
回答No.10

こういうのを読むと信じたくなります。 「500に及ぶあの世からの現地報告」←web書籍で全部読めます。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/index.htm

noname#246720
noname#246720
回答No.9

私は 「望んだとおりの世界がある」 という気がします。 他の方も書いておられましたが、霊が見える人も「みっちりいすぎて訳がわからない」とか言う人はいませんし ということは亡くなった人全員がこっちに干渉しているとは考え辛いです。 あと動物に関してもそういう心霊写真があるので、動物の霊は残らないという考え方は違う気がします。 なので私が思うのは、亡くなった後に天国から見守りたい人はそうなる。 幽霊として地上に残りたい人はそうなる。 好きな人の傍にいて、何となく願いが叶ったら成仏したい人はそうなる。 飼い主の近くにしばらくいたいと思う動物はそうなる… といった感じで、生前の希望がそのまま叶うんじゃないかと思っています。 そう考えれば、野生動物の霊が残らないことも何となく説明がつきますし、この世に執念を持った人が霊になって残るのも納得できます。 また、大往生で「ああ、これで天国にいけるなあ」と思いながら亡くなった方が時々天国から遊びにくるっていう概念も理解できます。 「消えてなくなりたい」と思った人も、そうなっているのでしょう。 まあ、私も死んだことないからわかりませんが(笑)

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1290/5172)
回答No.8

 魂が別モノだとすると、魂の数と肉体の数の差の調整はどうなってるのかとか色々問題がありますね。  (ここ数十年で爆発的に人口が増えたので、魂が増えたか、どこかにストックされてたか…)  魂の数が足りないのに肉体が増えすぎたらどうなるのかとか。  理屈で考えると「死んだら終わり」と考えるのが合点がいくのですが、それだとツマラナイので、自分の都合の良いように考えた方が良いかと。

  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.7

今の人生で死んだことがないから分からない。が本音ですね。 とは言え、死後の世界は何となくあるんじゃないかなぁ・・・と思ってます。 幽霊が視える、という人たちが どこにもみっちり居る、と言わないという事は ずっと地上に居る、とは考えられないです。 次元の違うところに行くんかなぁ と思ってます。 そして意識も・・・何となくありそうな気がします。 存在に意味があるなら、分解しする必要あるかなぁと思うのと、転生みたいな事があるなら分解して混ぜたりしながら再構成って不効率じゃね?と思うからです。 学習による考えかも知れませんが、ある、と考える事での自制や心の平穏があるならいいんじゃないかな? 無い、と考える事で心の平穏を得たり、やる気が出る人々もいるので無いという人々に押し付ける気はありません。 神や霊などの事をいろいろ考えて、死んだら何もかもが無くなる というのも一つの救いだなと思ったからです。 あるというのはある意味過酷で厳しいことですよね。

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.6

ないと考えたほうがつじつまがあいますね。キリスト教的にはヒトには魂があり動物にはないので 死後の世界はヒトだけにしかなりたたない。でもヒトってどこからヒトでしょう?進化論を否定する人は現生人類だけでしょうけど、ネアンデルタール人は知性がありました。でも人ではない。 そのほかの宗教観だと動物には魂がある。よろしい、自意識があるイヌも、イヌにつく自意識があるかどうかわからないノミもミドリムシも死後の世界があるのだろうか?ヒトデにいたっては体が千切れても再生します。その場合魂って分裂するの? では死後の世界は生きていたすべての三葉虫の固体からアノマロカリスからミジンコからブラキオサウルスまであるのだろうか?もちろん体がないから次元的に意識は重なったとしても・・・???

  • hinamisan
  • ベストアンサー率31% (84/264)
回答No.5

私は死後の世界は無いと思っています。 理由は、 死んだ自分自身が世界を認識することはできないと思うからです。 死後の世界と言うのは、肉体が失われても魂は残る、という考え方だと思うのですが、 では魂とは何なのか。 精神活動は脳の活動なので、肉体が失われれば失われてしまいます。 感じること、考えること、想像することなどの一切が出来なくなります。 魂と精神活動が別物であるとすると、肉体が生きている時、魂は何をしているのか? 精神活動とは別の魂の活動とは、具体的にどういう活動をいうのか? 信じることであれ、愛することであれ、憎むことであれ、それらはみな精神活動です。 精神活動と肉体活動以外の人間の活動を私は思いつくことができません。 したがって、肉体が失われた後にどのような「人間の活動」があり得るのかわかりません。 死んだ後、どのようにして、死後の世界を認識するのか、不明です。 認識できないものは、存在すると証明できません。 宗教でいう「死後の世界」は、死んだ後の者にとってではなく、あくまで生きている者にとって意味があるのです。 死後の世界に思いをいたすことによって、今を生きることを戒める、そういう説話であると思います。 信じるか信じないか、に意味ががあるわけで、 ほんとに存在するかしないかを問うことにはあまり意味がないと思います。 なぜなら、存在を決して証明できないし、不存在の証明は存在の証明以上に困難だからです。

回答No.4

38歳会社員です。 人間は生まれたからには 必ず死があります。 死後の事は 死んでからいくらでも考えては? 問題は 死ぬまでに何がしたいか、 何ができるかにつきます。 死んでしまっては 呼吸も止まり、指も動かせなくなり 今まで当たり前にできていた動作が 出来なくなります。 日々の生活を大事にし 自分に関わる人に感謝しましょう。 死んだら『お金』は持っていけないが 『思い出』は持っていけるはず。 っと地元のラジオパーソナリティーは 言っています。 自分を含めて 生きている間に楽しい『思い出』を たくさん作れたらいいですね。

回答No.3

私は,おりこうさんが天国,悪いことしたら地獄って教えられたことを信じています これは宗派を問わず,小さい頃にみんな教えられたことではないでしょうか?

  • nosamajin
  • ベストアンサー率23% (80/342)
回答No.2

う~ん、こればかりは正直分からないと答えるしかないです。 死後の世界というのは誰も見たことがない未知の世界です。 臨死体験をした方が残した記録もいくつかありますが、それが本当に死後の世界と言えるかどうかは正直断定しかねます。 宗教など死後の世界を論じたものもありますが、それらも極端に言えば自説を説くための虚構といえなくもないです。 まぁ、人間を含めて全ての生命は死んでしまえば「ハイ、それまでよ。」です。 そこから生還する事はありませんので、死後の世界は五里霧中の闇の中、あるいはどういう解釈も成り立つおとぎ話の世界と答えるしかないでしょう。

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