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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:明治から昭和初期の住み込み使用人の一生)

明治から昭和初期の住み込み使用人の一生

phjの回答

  • phj
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回答No.3

まず、使用人というものであっても、都市部にある商家と農村部にある庄屋などでは、少し扱いが違ったはずです。 )中流以下の農家や都市部の下層民の家族の中で誕生し、15,16歳あるいは成人後何かの事情で住み込みで働くようになるのでしょうか。 特に家督相続に加われない次男・三男は都会に出て、商家や千石船などで働き、暖簾を分けてもらって独立することを目指しました。これは江戸時代にはそのような方法が出来上がっており、そのために男の子には読み書きそろばんを特に念入りに仕込んだようです。読み書きができないと、商家に入っても番頭になれず、船に乗っても船頭(船長)になれない、と言われていました。 明治期以降はこれに軍人になることが加わるのですが、いずれにしても家督相続できない次男以降は、そのようにして都会の商家に住み込みで働くようになっていたようです。 地方の農家、豪農ではそういう意味での住み込み小作人はあまり多くなかったのではないでしょうか。もちろん、小作人が雇い主の家の敷地内に住み、小作に従事することはあったでしょうが、その場合、家作に住まわせ、小作人の取り分からさらに家賃分を吸い上げる、というようなこともあったと思います。 その代わり、小作人は結婚することは自由でした。 2)どういった仲介などの方法があったのでしょうか。 農家の場合は、基本的には近隣の仲介人ぐらいでしょう。商家の場合は女郎の女衒のように、地方を歩いて口減らしの子供を買い取って、都会の商家に売るようなこともあったと思います。 「おしん」というドラマがありましたが、あれも農村部から中間都市部にある商家(材木店)が最初の奉公先になっています。 3)住み込み使用人を求める側は、住み込み使用人が欲しいことをどのようにしてアピールし、実現させたのでしょうか。 基本的には仲介人が「使用人の御用はありませんか」と御用聞きをしていたでしょう。逆に「来年には子供を奉公に出したいのだけれど」と、貧しい家から数年後の奉公先を探す依頼もうけていたはずです。これらの情報を組み合わせることで、双方が満足する形で仲介するのがいい仲介人であったでしょう。 4)住み込みで働くとき、藪入りのような形で里帰りするのだろうと思うのですが、例えば5人の住み込みを使用している主家では、全員がいなくなってしまうようなこともあったのでしょうか。日程をずらすのが普通でしょうか。ほとんど主家に住み込んだまま、時々休暇で私用をたすような人も多かったのでしょうか。 薮入りは基本的に全員帰ります。仕事もすべて止まりますから、現実的に居る必要はほとんどありません。その代わり、その家に自分の親類が集まることになります。身寄りのない奉公人は、主家に留まる事もあったようですが、よい主家であれば、多少の小遣いを与えて、近隣の寺社仏閣にお参りや見物に出かけられるようにしていたようです。 5)住み込みで働いていた人が100人いた場合、何人くらいが結婚したのでしょうか。住み込ん後ではもう結婚しないで一生を終えた人はどのくらいいたのでしょうか。 (感覚的な割合で結構です) これも農家と商家では違いますし、また都市の規模などによってもかなり違うでしょう。重要なのは、この時代、女性よりも男性が常に人口として多く、また都市部は男性のほうが多い状態でしたから、都市部のいる男性が結婚することは難しかった、ということです。 逆に農村部の小作農は結婚する割合が高かったはずです。農業の場合、女性もかなり重要な生産者の一人ですから、夫婦で畑を耕すことが一般的だったはずだからです。 農家の場合、農業の作業に耐えられない体力の低いもの、または庭師や大工などの特殊な技量をもつものは、住み込みとして働いて、嫁をもらうことがあれば、主家の敷地内か近隣に住宅を建てて主家に通うとうのが一般的だったと思います。 都市の商家の場合、のれんわけもされず結婚も出来なければ、部屋住みで一生を終えるものもいたはずです。 6)住み込みを辞めるということもあると思います。結婚してしまうから。通いに変更するから。単に使用人であることができなくなったから。死んでしまった。 住み込みの主家で一生を終えるというケースはどの程度あったのでしょうか。 分かりませんが、江戸時代の江戸(東京)は男10人に適齢期の女性一人ぐらいの割合だったそうです。ですの、都市部は総じてかなりの人数が部屋住みで一生を終えたのではないか、と思います。もちろん長屋のようなところに住んだものも多いでしょう。 7)住み込み使用人が事故、疾病、老齢などで死んでしまった場合、主家は葬儀や遺体にどの程度関与したのでしょう。【住み込み使用人に実家や身寄りで遺体引き取りをしそうな類縁がいないケースの場合で、どうだったのか】 主家はどう扱うことが多かったのか。 葬儀、埋葬や墓はどうしたのか。 基本的には主家が葬式をだしたはずです。特に明治期以降は火葬になりますので、腐乱する前に荼毘に附し、遺族が居ればお骨を渡す形式だったでしょう。 それでも身寄りのない場合は、付き合いのあるお寺に無縁仏として永代供養料を払って引きってもらったでしょう。うちの場合、明治期に先祖が家業をやっており、身寄りのない何人かはうち(主家)の墓に一緒に埋葬されたようです。実際にお墓の過去帳にまったく関係ない名前の方が何人か載っています。 さて、上記の内容は主に男性の場合です。女性の場合はまた少し違います。 女性であっても農村で口減らしのために、都会の商家に奉公に出されるのは同じです。しかし女性の場合は女衒によって、女郎として買われていく場合もあったわけです。その違いはどこにあるのか分かりませんが、たぶんに親の困窮度合いによって変わったのではないでしょうか、女郎になるほうが明らかに支払額は多かったはずだからです。 これらによって商家に奉公することになった女性たちは、女中として住み込みで働きます。先ほど書いたように、女性の数が男性より少ないですから、お見合いをすればほぼすべての女性が嫁として嫁いでいったはずです。しかし、様々な問題から嫁に行けない場合は、女中頭のように残り、一生をそこで終えるか、一定の年齢で故郷に帰ったことでしょう。 農村部の場合、主家に奉公するのはそもそもが「嫁入りのためのしつけ」です。農村の主家、豪農とか庄屋というのは、集落の行政的な役割も持っていましたので、主人が近隣の発展のために奉公している娘の家柄や家系などを元に、近隣の家に「○○を嫁にもらってはどうだい」とお見合いをさせていたものです。 これにより、女性はほぼ嫁に行き、小作の娘は小作人に、自前の田んぼを持つ家の娘なら同等のところに、そして近隣の集落との関係性で近隣に嫁がせることもあったでしょう。 女性の場合は、いずれにしても一旦奉公してから嫁に行き、子供を生む、というのが自然の流れだったはずです。 ・主家の事情 戦前から大きなお屋敷をもつような家だと、戦前までは「奉公人・使用人を一杯かかえ、入ってくる富を近隣に分配するのが努め」だったそうです。 つまり近代的な富の再分配システム(社会保障など)が整っていない時代では、豪農などは儲けた分を、奉公人などを通じて近隣社会に再分配していたようです。 そのため、庭であれば庭師を一杯抱えられるほうがよく、建物であれば使用人総出で雨戸を空け、廊下を拭き掃除するほうがよかったそうです。つまり、建物や庭の工夫で仕事を作り出していた、という部分もある、ということです。 都市部の商家であっても、同様な考えが根付いていました。農村部で食えなくなれば、すぐに都市部にあぶれ者がやってきて、都市部で仕事につけないとなると都市部の治安が悪くなり、そうなると商家は強盗に襲われる危険が出てくるからです。 なるべく仕事を作って、みんなが最低でも生活ができるようにしていく、というのが大店の主人の心得であり、それは奉公人だけでなく出入りの職人などの生活も見ていく、ということだったようです。 これらに呼応するかのように、火付け盗賊改め方の長谷川平蔵は、人足寄せ場を作って手に職がつけられるように教育をしていきます。これが江戸時代のことですから、明治期であってもほぼ同様な心構えがあったと思います。 この主従関係が壊れるようになったのは、近代的な工場生産による労働者が増えたことと、啓蒙主義的な社会主義・共産主義が出来て主をブルジョワジー、従をプロレタリアート、と区別して敵対的な関係性を持たせた時期からでしょう。 すべての主人が素晴らしかったわけではありませんが、それなりの心構えの主家も昔は多かったのだと思います。

moto_koukousei
質問者

補足

都合で閲覧しておらず、今、読ませていただきました。 失礼いたしました。 回答をいただきありがとうございます。  『うちの場合、明治期に先祖が家業をやっており、身寄りのない何人かはうち(主家)の墓に一緒に埋葬されたようです。実際にお墓の過去帳にまったく関係ない名前の方が何人か載っています。』とくに、ありがとうございます。なるほど、そうなのですか。 墓地によっては、その家の墓域の中に、数基のその家の方々の墓石ともに無縁一切精霊という墓銘の墓石があることもあるので、それもそのような住み込み使用人のためのものかもしれませんね。 『戦前から大きなお屋敷をもつような家だと、戦前までは「奉公人・使用人を一杯かかえ、入ってくる富を近隣に分配するのが努め」だったそうです。つまり近代的な富の再分配システム(社会保障など)が整っていない時代では、豪農などは儲けた分を、奉公人などを通じて近隣社会に再分配していたようです。』 ああ、それはよくわかります。商家でも、農家でも、あるいはそれなりの規模の家を持っている方の家で、見学できるような所では、使用人の部屋があり、説明を伺うと、狭い部屋に何人かが寝起きしていたようなので、(主家で人手が必要であること)+(使用人を抱えていることそのものがステータスとしての重要な要素)と考えると、わかるような気がします。 社会の経済成長率が高くない場合、人口がそう増加できないし、のれん分けや分家の余地はそれほどはないので、生まれた子どもで15才まで育ったものが全て結婚し子どもをつくったのでは、社会が破綻してしまいます。ある程度の人数は、未婚で部屋住みとか下働きの用人や下男下女、仕事し・職人として一生を過ごさざるを得ないし、そうした人々を受け入れる経済力のある家では、こうした人を住まわせたり、食客にも寛容な態度だったのでしょうね。 そうした人生を歩んだ方の総数は、人口全体の中では多くはなかったのでしょうけれども、大きな家ではそうした人を受け入れて、家の格を保つし、住み込みで働く人も衣食住を得られるという状態だったのでしょう。確かに社会の安定化の一翼を担っていたのかもしれません。 ありがとうございました。

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