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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:社交辞令の度合い)

社交辞令の度合いについての考察

このQ&Aのポイント
  • 社交辞令は潤滑油的な利点がありますが、私自身はあまり使いません。
  • 多量の社交辞令は逆に失礼なんじゃないかとすら思うし、そういう方は、人に言って喜んでる裏で実は「バーカ」とか思ってるんじゃないの?と寒くなります。
  • 社交辞令の多い方ってやっぱり信用できないんでしょうか?そして、そういう方の心理ってどういうものなんでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

私もあまり社交辞令は使わない方です。 歯が浮くようなセリフは聞いていて嘘か本当か分かりますし、間に受ける方は自意識過剰かと思えますが。 これは私の持論ですが、社交辞令が多い方は「良く見られたい」「自分も言われたい」という心理の表れではないかと思っていますので、相手の社交辞令には冗談で返し、こちらから社交辞令返し(可愛いと言われたら貴女の方が可愛い更にはそれ以上に返す)をします。 満更でもなさそうなので、それで良いかと。 こちらが何も誉めないと、心の中で気が利かないと思われそうですしね‥(笑)

bosaco
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 過剰にいう人の心理、なるほどと思いました。 お世辞返さないと気が利かないって、何だそれって思います笑 何か私はそういうの嫌ですね~

その他の回答 (2)

回答No.3

あくまでひとつの意見としてだけで聞いてください。 社交辞令をしていない、とご自分が思えればいいのではないでしょうか。 つまり、社交辞令の言葉が本心に近かったら失礼じゃないかとは思わないのでは。 それにはいろんな人を肯定的に見るようにする、相手の立場に立って考えるのを 常にして、嫌だと思われる事も好意的に捉える。 自分以外の人にたいして感謝の念で捉える。 打ちのめされた人には「自分が良くなろうとする原動力、成長させてくれる人  ありがたい。」 理解してくれたり、協力してくれる人には「自分もあの人(相手)の困っているだろう  時には力にならなくっちゃ。ありがたい。」 なんでもない通りすがりの人でも自分が生かされている世間の構成員だし、自分は 所詮人との関わりの中でしか生きられないとすると、とりあえず幸せを願ってみる。 ただ、人を信用しないより人を信用して騙された方がいいと思える人じゃないとダメかもしれません。

bosaco
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.2

あくまでひとつの意見としてだけで聞いてください。 社交辞令をしていない、とご自分が思えればいいのではないでしょうか。 つまり、社交辞令の言葉が本心に近かったら失礼じゃないかとは思わないのでは。 それにはいろんな人を肯定的に見るようにする、相手の立場に立って考えるのを 常にして、嫌だと思われる事も好意的に捉える。 自分以外の人にたいして感謝の念で捉える。 打ちのめされた人には「自分が良くなろうとする原動力、成長させてくれる人  ありがたい。」 理解してくれたり、協力してくれる人には「自分もあの人(相手)の困っているだろう  時には力にならなくっちゃ。ありがたい。」 なんでもない通りすがりの人でも自分が生かされている世間の構成員だし、自分は 所詮人との関わりの中でしか生きられないとすると、とりあえず幸せを願ってみる。 ただ、人を信用しないより人を信用して騙させた方がいいと思える人じゃないとダメかもしれません。

bosaco
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 考え方の参考になりました。 斜めに構えたり、見てしまう癖があるので、 そういうものの見方に変えていきたいです!

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