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「価値観の違い」という考え方の限界
価値観の違いだから仕方ない。と思えるのはどこまでだと考えますか? 他人を攻撃・排除してもやむなしとするのはどのあたりになりますでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
真実は一つしかなく、人々の選択が複数あるだけです。 したがって、他者がどんな言論を選択しようとも批判・中傷することは控え、自分に危害が加わる事象だけ断固として排除する行動を選択すれば良いのです。 「価値観の違いだから仕方がない」というのは他者の言論には適用できるが、他者の行動には適用できません。
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まず、どっちを考えても、あいてにまったく迷惑をかくない場合。 たとえば、哲学的な「輪廻転生があるか」とか。 そんなのは押しつけることではありません。 あたりまえですね。 皆、自由に好きな考えをもてばいいのです。 迷惑かける場合でも、相手を変えるには相手が自分で気づかなければいけません。 変えられるのは自分だけ。 自分を変えることでそういう変なのが寄ってこなくなったり、 その人自身が変わることもあるかもしれません。 基本的には離れるのが賢明です。 たとえば、いじめとか。 ライオンが目の前にいたら、逃げるでしょう。 それと同じで、いじめっ子は精神的には幼い猛獣と同じなのです。 もっとも、この時攻撃してもいいと思いますよ。 いじめっ子をボコボコにするとか。 もちろんできるならですけど。 要は他人に迷惑かける違った考えの人は攻撃してもいいんじゃない? ってことです。 ただし、その責任も負ってくださいってハナシです。
お礼
確かに、責任というか報復の覚悟は必要になると思います。
補足的なお礼を頂きましたので >>自身の権利や生命が脅かされたときは、一般的には正当防衛という行動を取れることが許されています。 >許されている、というのは、法律でそう決められているからですか? それともご自身のポリシーですか? 一番分かりやすい事例は「黙秘権」でしょう。自身にやましいことがあっても、「私がやりました」と認めなくてもうそを表明したとして罰せられることはないということが法律で認められています。悪人が刃物を持って向かってきたときはその刃物を奪って、勢いから反撃して傷つけてもやむをえないと認められることがあります。質問者様が倫理的な観点からこれらのことに疑問をもたれているのかもしれませんが、それは思想上の問題としてここで結論は出ないと思います。 これに近い命題として、カルネアデスの舟板といわれる話があります。溺れる者が一人用の救命浮きを他人から奪って独占するのは悪なのかどうかというようなことだったと思いますが、多分これは明快な結論が出ていないと思います。 ご参考になれば。
お礼
一応の明確な答えは、持たれていないとうことですね。 しかし、なぜ法律を持ち出すのかがわかりませんでしたね。 そういう決まりがあるから、といった感じでしょうか。 結論を出すことも、出ないものだと放っておくのも、自分の中でポリシーを持つという点で同じだと思います。
- jbeam
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>価値観の違いだから仕方・・・・・・・だと考えますか? どこまでも・・・です。 >他人を攻撃・排除しても・・・・・どのあたりになりになりますでしょうか。 その状況、方法が法で禁じられている場合は裁かれますから、裁かれない方法に変えて攻撃・排除するか自重です。 もちろん、法的に裁かれなくても、世間が許さない場合も同様です。 世間から受けるであろう仕打ちと、攻撃・排除した時の報酬を比べ、自らの判断基準での行動選択。 法に背き罪に問われる代償と、攻撃・排除の報酬を比べ自らの判断基準での行動選択。 ここでの報酬は、被害を避ける、金銭的利益、快感、幸福などで、代償には、反撃を受けた場合の被害も当然含まれます。 報酬≧代償 であれば行動、報酬<代償 なら行動はNG。 この判断基準が価値観と思っています。
お礼
すっきりして分かりやすいですね。
>価値観の違いだから仕方ない。と思えるのはどこまでだと考えますか? ずいぶんアバウトなご質問ですが、私達はそういうことの連続で生きているのではないでしょうか。 共同生活をしている夫婦や家族の間でもお互いの価値観の押し付け合いは起きていますし、我慢もよくしています。しかし、我慢ばかりをしているのでもなく、お互いに意見を言い合い、できれば賛同してほしい、また反論を受けるのも心地よい場合があります。しかたがない、と引き下がってお互いの勝手に任すのはむしろ悲しいことなのかもしれません。いろんな緊張感の連続が社会に活性を与えるということは真理だろうと思います。 >他人を攻撃・排除してもやむなしとするのはどのあたりになりますでしょうか。 ここで質問者様がどんな意味でこの質問をされたのかがなんとなく分かってきたように思います。他人を攻撃したり排除したりすることは日常生活ではあまり起こらないことです。つまりは日本という比較的秩序のよい社会で生きていれば、普段は考えなくてもいいことでしょう。 自身の権利や生命が脅かされたときは、一般的には正当防衛という行動を取れることが許されています。 他国との境界線では価値観がかなり異なることが多いのでこの原則は怪しくなってきます。あべさんが決めることでしょうね。
お礼
許されている、というのは、法律でそう決められているからですか? それともご自身のポリシーですか? どちらだからどうという訳ではないのですが。
- ukiyotonbo
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近くのスーパーでタイムセール、豚、鶏、よりどり3パック980円。 私は、豚だけを3パック買いたいな。 先着20名様 売り切れ御免 の牛も買えたし、よかった、よかった。
- 雪中庵(@psytex)
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現実は1つです。 生き方としての価値観=嗜好は、多様であっても良いですが、 社会生命化の進んだ人類において、社会全体で1つの生命性を 成しているので、根本的な価値観=世界観は1つでなければ、 自覚的な組織的一体化ができず、戦争を回避できません。 そこにおいて、攻撃するのは他人ではなく、考え方です。 日本人は、議論をすると感情的になり、すぐに人格否定的な 言辞を吐いて、議論を相互理解のプロセスと考える西欧人から バカにされます。 日本人の評価としてよく聞く言葉は、最初は「何を考えている のか分からない」ですが、よく知っている人の口から出る単語は 「エモーショナル」です(この「情緒的」というのは、ロジカルな 議論を好む西欧人にとって幼児性を意味する悪い評価)。
お礼
日本人の特徴も、独自の環境で形成されるべくして形成されたものです。 欧米人の論理を重視する特徴も同様なはずだと思います。
- rokometto
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価値観の違いとは攻撃や排除の理由でなく離縁の理由です。 攻撃や排除には利害関係も含まないと起こらないのでは?
お礼
では、どこまで寛容でいられるか? と質問を変えてみるとどうなるでしょうか?
- KoalaGold
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価値観の違いで決定事項が遅れ平行線をたどる場合、その事項は機能しなくなります。そこまで来ると限界です。 子育てや金銭感覚で話し合いが持てれば交代で意見を通すなり、半ばで妥協するなりできますが、一方が一人勝ちをしようとするとこれもゲームオーバーです。 相手を批難するのは明らかに世の中の正義に反しているとか、法に触れるなどの際には許されると思います。 他には緊急を要する危険事態。リストカットなんて馬鹿野郎のすることだ、等。
お礼
4つの場合があるということですね。
- kurinal
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こんばんは >「価値観の違いだから仕方ない。と思えるのはどこまでだと考えますか?」 無い? >「他人を攻撃・排除してもやむなしとするのはどのあたりになりますでしょうか。 」 これも、無い? (憲法と罪刑法定主義・教育刑からの帰結)
お礼
自分に危害が及ぶ場合はやむなしと言うわけですね。 私もそのように考えています。 しかし、どこか論理的にすっきりしていて、腑に落ちないところがあります。なんとなくですが。